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三章

告解

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「……メリューエルお嬢様?」

「……ええ」

返事をして、メイドに向き直る。
そのまま、私はバスタブに足を入れ、体をつけた。じんわりと温かい湯が体を包む。
その後、メイドの手により入浴を終えた私はベッドに逆戻りすることとなった。
食欲はあまりないし、やることも無い。
入浴中にちらと見た体は確かに、あちこち打撲痕と見られるあざがやたらあった。
特に、腹部が酷い。一体、どんな怪我をしたらこんな色のあざが出来るのだろう。
あざは、触れれば痛みを伴うようで、メイドたちも洗う時はその部位を避けていた。

だけど私は、そのあざよりも何よりも、この髪のことの方が衝撃的だった。私はなぜ、髪を切ったのだろう。切らざるを得ない状況だったのだろうか。

貴族の娘が、しかも五大貴族のひとつであるメンデル公爵家の娘が、髪を切らなければならない理由とは?
それに、生死をさまよう怪我とは、なに?

嫌な考えばかりが頭を巡る。
どうせ私のことだ。ろくなことはしていないだろう。だとすると、自分勝手で向こう見ずな行動をとり迷惑をかけたか、あるいは政治の揉め事に巻き込まれたか。

ベッドのヘッドボードのよりかかりながらぼんやり考えていると、部屋がノックされた。
尋ねれば、先程聞いたばかりの男の声がする。

「どう?体調は……悪くなさそうだね」

「お湯につかって、むしろすっきりしたわ。……ねえ、ミュチュスカ。私、さっきの話の続きが聞きたいの」

近寄ったミュチュスカの服の裾を掴む。
彼は黒のシャツに白のトラウザーズを身につけていた。簡素な服装だが、シンプルなだけに、彼の見目の麗しさが強調されている。

ミュチュスカは、私の手を掴むとその手の甲に口付けを落とした。まるで、騎士の誓いのようだ。

「話せば、きっときみは俺を恨むよ。ただ、子供のように意地を張ってきみを傷つけた」

「それを決めるのは、あなたではないわ」

「……そうだね。そうだった。じゃあ、メリューエル。話すから、聞いていて」

そして、彼は語った。
私と婚約してからの日々を。
私の隣に腰掛けて、ただ静かに話す。

「きみとの婚約は突然で……俺は、婚約者であるきみをあまりよく思っていなかった」

「………」

「……あの時の俺は、年下の女の子の気持ちを真っ直ぐに受け止められるほど大人ではなかった。向けられる感情に居心地が悪い思いをした。どうして俺ばかり見るんだ、ときみのその視線を厭うようになっていた」

やはり、嫌われていたのか。
どうしてか納得がいった。
ほんの少し、視線を下げるとすぐにミュチュスカが私の肩をそっと抱き寄せた。なんだか慰められているように感じた。

ああ、まただ、と胸の底に蟠った重りに気がついた。彼のその優しさを、彼のその手を、なぜか私は素直によろこべない。どころか、苦しさすら覚えてしまう。その理由が、今の私には分からない。

「そうして俺がきみを避けるようになれば、きみはますます俺に執着したようだった。恐らく、馬鹿にされた、軽く扱われているとそう思ったんだろう。……政略結婚だとしても、相手は五大貴族のひとつであるメンデル公爵家。形上でも優しくする振りをすればよかったのに、俺はそれすらしなかった」

「……ええ」

聞いていることを示すために、小さく頷いた。
ミュチュスカは何度か私の肩を撫でたり、とんとんと、慰めるように、あるいは励ますように触れたりした。

(……きっと、私が執着した理由はプライドを刺激されたから、とかそんな安易な理由ではなくて、もっと……)

そう。例えば、ミュチュスカをただ手に入れたかったから。彼を求めていたから。彼の愛に飢えたから、なのではないだろうか。目を伏せて、子守唄のように静かな彼の声を聞いた。

「きみは俺が相手にしていないと感じたんだと思う。社交界に出るようになってからきみは……話し方も、考え方も、過激になったように思う」

想像がつく。
やはり、私は私なのだ。
私が社交界に出て何をしたか、というのもおおよそ予想がついた。恐らく、噂を操ってはミュチュスカに近づく女を排し、ミュチュスカに色目を使う女を牽制したのだろう。攻撃的に、強かに。

「俺は、もうその時にはきみが何を考えているのか分からなかった。顔を合わせればきみは、攻撃的でひねくれたことばかり言った。あけすけに俺を求める言葉を吐いては、婚約者のくせに義務を果たしていない、と詰った」

「……それで?」

「……うん。でもね、俺はようやく気がついたんだよ。メリューエル。きみのそれは、きみにとっての鎧だったんだ。きみの心を守るための、武装に過ぎなかったんだよ。傷つけられたくないから、先に嫌悪されるような言葉を口にする。矛盾しているよね。でも、それがきみの選んだ、きみの心を守るための手段だった。……俺は、自傷行為に近いと思っている」

「よく、わからないわ」

それは本音だった。
ミュチュスカの言葉はわかるような、わからないような。不思議な感覚だ。いつしか、彼は私を抱きかかえるようにして足の間に座らせていた。背中に、ミュチュスカの体温を感じる。
シャツ越しだから、伝わりやすい。

「うん。きみはわからないよね。……記憶が戻っても、そういうと思う」

「……要は、とってもひねくれて面倒くさい女、ということじゃない」

「そうだよ。そうだけどね、俺にとってはその素直になれない──いや、俺のせいで素直になれなくなってしまった、ひねくれて面倒くさい女の子がいちばん、可愛く見える」

「……どうかしてるわ」

「そうだね。俺も、きみも。多分どちらも、どうかしてるよ」

彼の手が私のお腹に回る。

「きみの棘は、心を守るための強がりだったんだ。薔薇のように、きみの心を守るために、きみが選び取った防御のひとつだった。だけど薔薇の棘と違ってきみの武装は、すぐに解けてしまうほどに脆い。きみの強さは、見せかけで、見掛け倒しで、内側に踏み込まれると弱い。……それに気がついてから俺は、気が気じゃなかった」

彼の手が、そっと私の腰をなぞった。
なにか、他事を思わせる手つきだ。
ぴくりと体が揺れた。
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