42 / 61
あの日の記憶 3
しおりを挟む「……ティナ?」
もう一度、彼が呼ぶ。
彼女はもう、涙を抑えることは出来なかった。
「ロベート……」
突然、ぽろぽろと涙を零し始めた彼女に、彼はとても慌てたようだった。
いつも身につけている黒のフロックコートの中から、焦った様子でハンカチを取り出すと彼女の目元を拭う。そのハンカチは、先日彼女が彼に贈った白いハンカチだった。持ち歩いてくれているのだ。
それを知って、ティナはますます泣きそうになる。
(全部、思い出した……)
忘れていても生活に支障がなかったから、気が付かなかった。記憶を失っていることは気がついていたが、それがこんなにも重要な思い出だったとは思わなかった。
あの村に、彼女にとっていい思い出などひとつもないと彼女は決めつけていたから。
『ティナ、成人したら王都に来ないか?いや……成人する前でもいい』
『αとβが一緒にいてもいいだろ。いいか、俺たちは今から友達兼婚約者だ』
(ああ……そう。そうなのね)
彼はきっと、あの日に交した約束を守ってくれたのだろう。約束通り、ティナを迎えに来てくれた。
すっかり彼女は忘れていたが、彼はそんな彼女と新しく関わりを持ち、彼女に恋を教えた。
彼女が贈った白いハンカチはあっという間に色を変え、狐の刺繍は少しだけ色を濃くした。
それから、どれくらい泣いてしまっただろう。
流す涙も枯れ尽くしたティナが顔を上げると、ロベートが心配そうに彼女を見ていた。
彼は彼女の背中をずっと摩ってくれていた。
「……落ち着いた?」
「……うん」
ティナは頷いて、そっと、甘えるように頭を彼の胸に擦り寄せた。温かい。
「どうかした?やっぱり、まだあの男のことを──」
「好き」
「──」
ロベートが息を飲む。
凍りついたように彼の体が強ばって、ティナはタイミングを間違えたと焦った。
「違うわ。彼じゃないの。……私は……あなたが好き。あなたを……愛してるの」
もう出ないと思った涙が、また一筋こぼれて、彼のシャツを濡らした。
ティナが彼のシャツの裾を掴んで、ただひたすら身を寄せると、彼は詰めていた息を吐いた。
これでもし、彼女が元恋人にまだ情を残していると言ったら、彼自身なにをするけわからなかったので、非常に安心した。
それでも、焦ったものは焦ったので。
彼ははぁー、と長いため息をつくと、彼女の背中と腰にそれぞれ手を回し、抱き寄せた。
「返事を、聞いてもいい?」
ティナは頷いた。
彼女は顔を上げると、彼の顔を見る。
ロベートは困ったような、苦笑するような、そんな顔をしていた。眉を寄せ、ただ彼女の言葉を待つ彼のくちびるを、彼女は口付けで塞いだ。
「──ん」
少しだけ触れて、離れる。
ティナは真っ直ぐに彼を見て、彼の頬に手を伸ばした。
「……私、あなたの奥さんになりたい。奥さんになって……あの日の約束を果たしたいの」
その言葉に、驚いたように息を飲んだのはロベートだった。
「……覚えてたの。てっきり俺は、きみはもう忘れているものかと思ってた」
「ごめんなさい。実は、思い出したのはついさっきなの」
ティナは、罰が悪そうにまつ毛を伏せた。
今ならはっきり思い出せる。
彼と初めて会った時のことも、彼に苦い薬湯を飲ませたことも。子供ながらに、血まみれの服を脱がせ、彼を裸にしたことも……。
彼にローブを巻きつけたのは彼女だ。
幼い彼女は、血に濡れた服をそのまま着ていたら熱がもっと酷くなるし、傷にも悪いと思ったのだった。
今思えば、とんでもなく無茶なことをしたと思う。幼い頃のやんちゃっぷりを思い出した彼女は、恥ずかしさのあまり土に穴を掘って埋まりたくなった。
彼との記憶は、結婚する約束をしたその日で終わっている。
その次の日は、ティナは彼に会いに行くことができなかった。
そしてそれ以降になると、彼女は彼のことを忘れていて、彼女自身それどころではなかった。
あの日。彼女は村の子にいつものように意地悪をされていた。
ティナは彼に飲ませるための薬草を山で探していて、そこにいつものいじめっ子がティナを虐げに現れたのだ。
ちょっと肩を突き飛ばす、子供の嫌がらせだった。
しかし、先日の大雨で土はぬかるんでいて、ティナの後ろは足元に隠れて見えなかったが──崖があったのだ。
33
あなたにおすすめの小説
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
英雄魔術師様とのシークレットベビーが天才で隠し通すのが大変です
氷雨そら
恋愛
――この魔石の意味がわからないほど子どもじゃない。
英雄魔術師カナンが遠征する直前、フィアーナと交わした一夜で授かった愛娘シェリア。フィアーナは、シェリアがカナンの娘であることを隠し、守るために王都を離れ遠い北の地で魔石を鑑定しながら暮らしていた。けれど、シェリアが三歳を迎えた日、彼女を取り囲む全ての属性の魔石が光る。彼女は父と同じ、全属性の魔力持ちだったのだ。これは、シークレットベビーを育てながら、健気に逞しく生きてきたヒロインが、天才魔術師様と天才愛娘に翻弄されながらも溺愛される幸せいっぱいハートフルストーリー。小説家になろうにも投稿しています。
転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。
琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。
ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!!
スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。
ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!?
氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。
このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。
【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました
ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。
名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。
ええ。私は今非常に困惑しております。
私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。
...あの腹黒が現れるまでは。
『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。
個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。
混血の私が純血主義の竜人王子の番なわけない
三国つかさ
恋愛
竜人たちが通う学園で、竜人の王子であるレクスをひと目見た瞬間から恋に落ちてしまった混血の少女エステル。好き過ぎて狂ってしまいそうだけど、分不相応なので必死に隠すことにした。一方のレクスは涼しい顔をしているが、純血なので実は番に対する感情は混血のエステルより何倍も深いのだった。
魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました
iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。
両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。
両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。
しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。
魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。
自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。
一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。
初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。
恋人になりたいが、年上で雇い主。
もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。
そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。
そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。
レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか?
両片思いのすれ違いのお話です。
異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?
すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。
一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。
「俺とデートしない?」
「僕と一緒にいようよ。」
「俺だけがお前を守れる。」
(なんでそんなことを私にばっかり言うの!?)
そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。
「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」
「・・・・へ!?」
『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。
※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。
ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる