姥捨て山に墜ちた星

高木解緒 (たかぎ ときお)

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                               西暦二〇二五年

「先生には、予め弾を抜いておくトリックも通じんだろうな」
 ズボンのポケットから取り出して見せながら、相原が問う。
「試してあげましょうか」
 珠子の構えは堂々としていた。素人とは思われなかった。爆発の残滓が漂う廊下を背景に、彼女の眼は鋭く、冷たく輝いていた。 
「さっきの作業中にこいつのバッグから失敬しておいたというわけか。――バカモン」
 最後の叱責は鮠川へ向けられたものだ。その鮠川はちらと老人を見てから、
「珠子先生、何をやってるんですッ、やめてください!」
「いつから気付いてたの?」
 彼の言葉など聞こえていない顔つきで、再び珠子が問う。
「わたしがあなたを狙ってる、って」
「……何ですって?」 
「お前さんとやった次の日の朝は必ず、首筋に違和感があるんだ。リンパ腺が浮腫むんだな」
 装填されたライフルを突き付けられながら、しかし相原は飄々としていた。余裕のある笑みを浮かべつつ、
「何か性病の類を貰っているんだろうと思った。冷たい肉便器とは言え、誰とでも寝る女だ。だがある時、妙に気になってな。先生は自分の体内にある病を捨ておける女じゃない。心の病はさておき」
「大きなお世話」
「失敬。それで無断で申し訳なかったが、次にあんたとやった時、分泌液を少し頂いておいて、昔の伝手で高度分析検査に回した」
「……」
「正直、驚いたな。ただの女医崩れだと思っていた女の膣液から、AWV(アーヴ)が見つかったんだから」
「AWV?」
 思わず声を出した鮠川へ、相原が頷く。
「アーティフィシャル・ウェポナイズド・ビールス、要は遺伝子を人工的にいじられた殺人ウィルスだ。それもその先生から出てきたのは即効性のある大量破壊兵器としてのものじゃない、潜伏期間を長く持つことで露見し辛い、要人暗殺用のレトロタイプだ」
「……珠子先生がそれに感染してると仰るんですか?」 
「正しく言えば、この女は自分の中にそれを飼っているんだ。わしへ復讐するための、生ける呪いをな」
「あんただけ、ってわけでもないけどね」
 鮠川は珠子を見た。珠子はこちらを見ない。ただじっと、相原を見据えている。引き金へ添えられた細い指が白く光るようだ。
 しかし相原は彼女の視線などまるで気にならない様子で、
「退職後警護も断って気ままにやらせてもらって来たが、いざ自分が標的になってみると中々、素知らぬふりも難しいもんだ。AWVが出てからは早かったよ。そういう女に心当たりがあったからな。もう一遍、今度は少し乱暴なプレイをしてDNAを採取し、照合したらどんぴしゃりだ。最新のAWVもそうだが、顔の自然な整形も見事だし、先生を育てたのは余程〝名だたる〟連中だろう。手法は古典的な大陸方式だが、あるいは仕立て屋の丁稚か……」
 どちらだね、という問いかけに珠子は答えない。
 相原は肩を竦めた。もの問いたげな鮠川を見て微笑み、
「保障局の機密クラス幹部には実際のところ定年がない。七年前はわしもまだ現役でな。その頃、直属チームに男を一人雇い入れた。装備庁から来た優秀な技術者で、わしが進める無人兵器配備計画に彼自身から協力を申し入れてきたんだ。攻撃型無人機の充実は生身の兵士を守ることだというこちらの理想に彼はいたく共感していた。そしてそれから、まあ、二年近くは理想的な関係が続いたかな」
 鮠川はふと、話の先が読めた気がした。
「その技術者、ってのはもしかして……」
「夫よ」
 唸るように珠子が呟く。
「彼、二年間はこいつの正体に気が付かなかった」 
「そして五年前、米軍の電動強化外骨格兵装、いわゆるタロス配備計画の成功に影響されたアホどもが、日本においてもスーツ型兵装の開発と配備をそれまで以上に積極的に推し進めようと動き始めた。連中は電気で動く強化チタンの着ぐるみさえ着せれば、入隊一年に満たない新兵が子供向けSF映画のヒーロー並みに活躍できると夢見ていたんだ。そしてそのイメージは幼稚で無能な政治屋どもにも共有し易かった。やがてスーツの配備に大きく拍車がかかり始めることは必至だった。生身の兵士が最も貴重なこの国で、わしの予算を削った分をふんだんに使ってな」
「だからこの男には、パワードスーツ配備派の失敗が必要だったの」
「当然だろう? いくら電強外骼を装着していても、せいぜい鉄骨を持ち上げたり、行軍したりするのが楽になるくらいだ。砲弾すら跳ね返す無敵の超人が生まれるわけじゃない。現実世界の電強外骼は大がかりなギプスに過ぎん。いいかね、頑迷な思想信条を背景に持つ移民の流入と少子高齢化を止められないこの国において、素直な愛国心に溢れる若い兵士は貴重な資源なんだ。無人機ならいくらぶっ壊しても金が出ていくだけだが、優秀な生身の兵士は結局金に換算できない。国家防衛に携わる者がその損失を抑えようとするのは当たり前だ。そもそも自国を含めた広大な土地での行軍が任務に含まれる米軍と専守防衛を旨とする我らが自衛隊とでは、アシストスーツと完全自律の攻撃型無人機の戦略的重要度が大いに異なる、という問題もある。だがこの国では防衛だろうが教育だろうが福祉だろうが、経済政策を除く全てにポピュリズムが干渉する。現場を知る人間が巧く舵を切ってやらねば、すぐ、明後日の方向へ進んでしまうんだ。君の旦那さんもそれは理解していたさ」
「それはどうかしら。あなたの考えを本当に理解していたのなら、あの人はただ、私から離れるだけでよかった」
「もちろん、根本的なところまで理解しあうというのは人間、中々難しいことだよ。だから今わしと先生が、ここでこうしている」
 相原の含み笑いが、鮠川の心に不吉な予感を呼び起こした。
「……何があったんです?」
 彼の視線と珠子の視線が一瞬、絡み合う。
「五年前、インドと中国の国境で起こった治安部隊とテロリストの戦闘に住民が巻き込まれ、小さな村が壊滅した事件を覚えてる?」
「ええ、ぼんやりとですが……」
 五年前ならば、鮠川はおそらく人生で最も楽しい季節を過ごしていた頃合いだ。人類の負性を広く知らしめる惨劇の一つとは言え、その頃の彼にとってモニター越しかつ海を挟み、大陸の彼方で残り火に燻る集落の上空映像は、愛する者の温もりを間近に感じながらソファの上で眺める、その他の小芝居やCMと何ら変わりなかったはずだ。幸せな二人にとってそれはある種のショーですらあった。
 結局はソファの上の二人も滑稽な悲喜劇の演者に過ぎないことを、数年後に彼は思い知らされるのであるが……。こんなところで傷を開かれるのか、と鮠川は自嘲した。珠子が続ける。
「システム上の不具合から敵味方を識別するためのタグ付け機能が誤作動したことが事件の直接原因とされてる。結果的に虐殺を行った治安部隊に、自衛隊の下請けで参加した傭兵たちがいたことが日本国内では問題視されたわ」
「傭兵……? 待ってください。もしかして、それって……」
「そう」珠子は頷く。「今朝自殺した巖谷配下の傭兵。それどころか巖谷自身、指揮所詰めとは言え参加していたらしいの。勘を鈍らせたくない、とか言ってね」
「巖谷さんの自殺の原因について、お二人が何か知っておられるようだったのはそれなんですね? 過失とは言え民間人虐殺について、巖谷さんが罪の意識から自殺されたと……?」
「そんな上等なもんじゃない」 
 鼻を鳴らして相原が笑った。
「奴は単に、悪夢に殺されただけだ。指揮所のモニター越しに見ていた作戦映像のリフレインに耐え切れなくなったんだ。心が老いに負けたのさ」
「巖谷は単に、あんたよりも人間らしい心を持ってた、それだけのことよ。彼には過失を後悔するだけの頭があった」
 叩き付ける口ぶりで珠子は言う。「自分の企みで大勢が命を失ったことを未だに作戦成功としてしか捉えていないクズと違ってね」
「企み……?」
「巖谷の過失は、国産電強外骼の実地試験を請け負ったこと、事件真相の隠ぺいに手を貸したこと。この男の企みは電強外骼配備計画を妨害するために巖谷部隊のスーツへ不正アクセスして、前線での暴走を演出したこと」
「なんですってッ……?」
 その時だ。相原が素早く鮠川の片腕を捉え、ぐいと引き寄せた。一瞬の後、彼は老人の完全なる盾となって二人の間に立ち尽くしている。腕を強く縛められ、身をよじることすらできない。
「相原さん!」
「すまんな。しかし、こうすればこの女医さんは撃てない。彼女をこれ以上の人殺しにしたくはないだろう?」
 その口調には嘲りがありありとある。鮠川は慌てて珠子を見た。
 だが彼女の表情を読むことはできない。ただ淡々と、
「虐殺は偶発ではなく、計画されたものだったの。作戦中にスーツの指揮系統を乗っ取ったそいつのチームは遠隔操作でテロリストも住人も見境無しに殺していった。いえ、そもそもテロリストなんて最初からいなかったのかもしれない。日本初の民間軍事会社として電強外骼の開発に直接関わっていた巖谷、その直属の戦闘員が偶々その地域の担当で、偶々、新装備の試験部隊で、そんな兵士たちがスーツで大っぴらに失敗〝できる〟舞台が整えられていただけなのかもしれない。とにかくその暴走事件がきっかけで国産の電強外骼開発は予算が付き辛くなった。面倒事を恐れた政治家たちが以降、計画へ良い顔を見せないようにもなった。事件時に外骼を着用していた傭兵たちがPTSDを発症したことは、自律型無人兵器開発の力強い後押しになったでしょう。予算は以前に増して割り振られ、その男は万々歳、陰謀は大成功」
「わし独り利を得たような言い方は心外だな。機動外殻の研究にも適正な予算はついとる。実用化もされた。国防の現場ではもちろん、介護や建設現場でデュアルユースタイプが大人気だ。わしはただ、状況をあるべき均衡の上へ戻すことに成功したにすぎん」
「物は言いようね」
 彼女がすっと銃身を動かしたのは、鮠川の後ろに覗く相原の脚を吹き飛ばそうとしたのだろう。だが、気づいた老人は素早く体勢を変え、完全に鮠川の背後へ隠れてしまった。珠子が唇を噛む。
 相原は愉快そうに鼻を鳴らし、
「だが、その成功に水を差す奴がいた。君の旦那だ。不正アクセスの証拠となるデータを持ち逃げして、わしに身代金を要求した」
「違う、公表するための準備期間をあんたに与えたのよ」
「それはきっと、逮捕されてから死ぬまでに、朦朧とする頭で必死に自己正当化した結果のストーリーだな。そんなにピュアで清廉な人間が、愛しい妻への拷問映像を送り続けられてなお、平然としていられるだろうかね」 
「個人的感情より大義を取ったんだわ」
「なら、わしと同じタイプの人間だ」
 珠子が銃を構えなおした。彼女が鮠川を傷つけることをためらいさえしなければ、珠子はいつでも相原を撃つことができるのだ、と鮠川は今更ながら気付いて怖気立った。分厚く硬い成体ワニの皮膚を貫けるのなら、人間二人へ風穴をあけるなどわけもない。相原に突き付けられているはずの銃口が黒々と彼の視界へ迫った。
「とにかく先生の旦那はエージェントとしても立派な素質を持っていた。女房を痛めつけられることなどなんのその、わしのチームが彼を逮捕できたのは、全く幸運に因るものだったんだ」
「確かにそうね。間抜けなあんたたちは彼が私に残したメッセージに気付かなかった」
「失礼なことを言うな。証拠のデータさえ戻れば他に関心は無い。彼は君に事の真相を伝えた。だからどうしたというんだね? 君は協力者が現れるまで何もできなかった。いや、協力者が君を暗殺者にしたて上げた今でも、君がわしにできることは何もない」
 その言葉に珠子はふと、怪訝な表情を漏らす。
 相原は得意げに、
「AWVの潜伏期間が終わればわしが襤褸切れのようになって死ぬと思ったか? 過ちに怯え、部屋の隅に現れる幻覚へ恐怖して泣き叫びながら惨めに死んでいくとでも思ったのか? いや、違うな。そろそろ症状が現れて良い頃なのにわしがピンピンしておるから、先生は心配しとったんだろう。それであの液化青酸をいざという時の無理心中用に調達したというわけだ。まあ正体に気づいてからは先生の部屋も物資の出入りもチェックしとったから、無駄な買い物をしてご苦労さんとしか言いようがないが――」
 ああ、わしとのセックスそのものが先生にとって無駄だったな、と相原が笑う。彼が珠子を挑発し、何らかの隙を作り出そうとしていることは鮠川にも分かる。問題は老人が鮠川の安全も考えて行動しているか否かだ。そしてそれは、あまり期待できそうにない。
「ハニートラップを盛んに仕掛けてくる国が隣国だということには利点もあってな。お偉方を守るためにも各AWVの特定と抗体製造技術は我が国防諜機関が世界に誇れる数少ない特性の一つだ。完治できずとも発症を抑えることはできる。その上こっちは老い先短い老人だ、何十年も生かされる必要はない。簡単なもんさ。あんたの目的が明らかになった時点で、わしはもちろん、施設の男性入居者たちには全て、先生のAWVに特異性を持つ人工抗体を接種させてある。間接的に事の起こりへ関わっている巖谷と野々村もあんたの恨みの対象になる可能性はあったし、知ってるかどうか知らんが、巖谷が下請けを受注するよう根回しをしたのは久賀だ」
「……クズの代表はあんたで間違いないけどね」
「名誉な話だな。ああ、先生と寝る可能性がある者としては鮠川君にはまだだったか。だが今更先生とやる気も起きんだろう? 旦那の復讐に囚われた哀れな後家だ。君の真心や情熱を受け入れる余裕なんぞさっぱりありゃぁせん。医者としての倫理を踏み越え、肉の穴があることに胡坐をかいた、ただのいかれた痰壺だ」
「……」
「君も知ってるだろうが、若い女というのは実に哀れな生き物だ。どんな不細工でも、いざとなれば自分のおまんこで男を支配できるというつまらん妄想に囚われている。いい女ならなおさらな。自分自身の確立より周囲との協調を尊ぶ本質のため、いつまでたっても自己肯定感が成熟しきらんせいで、セクハラだの何だのと叫ぶ連中ですら、結局は自分たち自身がそこにしか自己の価値を見出すことができんのだ。だから性別を有用な武器だと思い込む。不細工は性差別の是正を訴え、美人は枕でのしあがる」
 それで男を喰えたと思っているんだ、と相原。
「だが実際は違う。どちらにしても、喰っているつもりが喰われていることに変わりはない。先生、あんたもそうだ。あんたが過去にあんたを犯した連中を殺して回ったことは知っている。あの程度のメンツならあんたの協力者は楽に割り出せただろうし、演技は下手にしても、あんたの体は実にそそるからな。あいつらが色んな場所であんたを犯した時以上に簡単に、あんたは連中の体へ恨みの種を植え付けて回れたろう。末端の連中はAWVになんぞ気づかない。謎の病を発症して恐怖に震える奴らを医者の立場から眺める行為はさぞ気持ちよかったろう。だが、勘違いするなよ。あんたは最初の晩から、夜毎クズどもの一物を喉に突き込まれていたあの頃から、ずっと連中に喰われ続けていたんだ。そして最初からわしに喰われていた。それを肯定したのは先生、あんた自身だ。あんたは旦那が事件を起こす前から優秀な医者だった。だが結局はあの凌辱の中に武器、自分の価値を見出した。男をそそる、その体を使って仕返ししようと決めた時点で、あんたは犯されるべき存在、喰われ続けるべき存在に決まったんだ。旦那に感謝するんだな。奴の貧相なナニだけでは、あんたは覚醒できなかった。奴がデータを盗んでわしを脅し、毎夜、涙と反吐に塗れて歯を食い縛るあんたを、人間らしさを捨ててまで挑んだあんたの無用の戦いを、やむを得ぬ犠牲と捨て去って、初めてあんたは自分を見つけられたんだ。とどのつまり、あんたを犯し続けていたのは――」
「鮠川君、ごめんッ!」
 叫ぶ珠子の双眸が閃いた。相原が盾を彼女へ突き飛ばそうとし、鮠川が目を瞑ろうとする、その時だ。珠子の後方でシアターの扉が外側へ吹き飛んだ。転がり出た灰褐色の塊を咄嗟に振り返った珠子が撃つ。轟音が響き、しかし薄煙の中に怪物は再び立ち上がった。
「助けとくれよぅ!」
 脱皮でもしたかのように、それまであった返り血はおろか火傷の跡一つすらない、下ろし立てのビロード地めいた体表が仄めく。
「なんて奴だ!」
 相原が呻いた。
「助けとくれよぅ!」
 赤い眼球、黒い瞳、嘲笑の口元。
 菅野老嬢の声を真似るサルの左わき腹が抉れていた。毒の影響が残っているのか、再生速度は以前より緩やかだ。だが、
「誰か、助けとくれよぅ!」
 最も手近にいた珠子へサルは牙を剥き出しに跳躍した。再び発射された弾丸に顔の右下半分を抉られるも全く怯まない。鋭い鉤爪の延びる大きな手が一閃し、女医の両手ごとライフルを弾き飛ばす。
「珠子先生!」
 鮠川は叫んだ。だが素早く両腕を?まれ、十字に縛められた珠子に最早なすすべは無い。肩から引き千切られようとして彼女が絶叫する。その眼前でサルの顔が、顎が、徐々に確実に再生していく。
「逃げるんだ、鮠川君!」
 鮮血が濃く香った。
 殴られてふらつき、立ったままで引きずられる鮠川が最後に見た珠子は縦に裂かれ、頭部を既に咀嚼され始めていた。
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