姥捨て山に墜ちた星

高木解緒 (たかぎ ときお)

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                               西暦一九二五年

 動機を整理することで、生き残るために解くべき謎を見つけ出すことができるという佐竹のオジの言葉を、私は今になって思い出す。
 なぜ恭介は私をこの村へ誘ったのか。
 なぜ彦造は私を殺そうとしたのか。
 なぜタヅは私に帰れと忠告し続けたのか。
 なぜ刀自は私を引き留めたのか。
 なぜ永吉は私がアヤと契るまで拷問を我慢したのか。
 全ては私を生贄作りの生贄とするため、百年周期で現れる化け物を倒す計画を根底にしていたのだ。そのために私は連れてこられ、恋に落ち、殺されようとしている。解くべき謎とは、どうすれば、さるのばけを倒すことができるか。
 しかし、と私は考える。
 それはこの集落の人間が生き残るために解くべき謎であり、既に解かれている謎であり、私が生き残るために解くべき謎ではない。
 私が生き残るために解くべき謎とはなにか。
 どうすればこの状況を脱出できるか、という謎だろう。
 そのために見出すべき動機は何か。誰の動機へ注目するべきか。
 ――見当もつかない。
 私は小さく首を振った。
 時折、永吉に支えられながら前を歩く老婆の背を見つめる。真のリーダーは彼女だろう。佐々間の実際の長として伝説の継承と猿神退治の実行を裏で取り仕切ってきたらしい彼女だ。本当は佐々間家で繁栄を独占し続けるためだろうが。とすれば彼女がなぜ、我々を生かして集落へ連れ戻そうとしているのか、その動機の中に我々が生き残るための答えが隠されているかもしれない。
 だが刀自の心のうちなど分かるはずもなかった。アヤを背負っている上に右の脚もごく悪いので、二人は私が逃げられないとたかをくくっているのだろうとだけしか分からない。
「なにを考えておいでですの?」
 耳元でアヤが問う。息に火照りがあり、声が気だるげなのは熱が出てきたためだろう。
「以前、佐竹のオジが〝動機こそ考えろ〟と忠告してくれたんだ。だから今、誰の動機を考えるべきか考えてる」
 彼女は少し押し黙って、
「ごめんなさい」
 その時、私にしがみつく両手へ力がこもるのを感じた。
 これすらも演技か、そうでないのか、分かりようもない。
 しかし、私の口は自然と動き、
「いいんだ」 
 なぜアヤは私と恋に落ちたふりをしたのか。
 これは、先に出た幾つかの動機とは根底が異なっている。
「君は恭介の正体を知っていたが、それを僕に警告しなかった。僕がここへ連れてこられた本当の理由に僕が気づくことを、君もまたよしとしなかったからだ。恭介が勘違いからタヅによる連続殺人を仕立て上げたりしていなければ、君と恋に落ちた僕はやがて殺され、君は悲嘆にくれた状態で生贄として捧げられるはずだった。それを君たちは望んでいたんだろう? つまり、君とタヅは」
「……追手がかからずに、逃げ出せるはずでしたの」
「僕を踏み台にしてね。しかしさるのばけからはどう逃げるつもりだったんだい?」
「そんなもの、今でも信じていません。生贄の娘は櫃に収められて、地蔵堂に一晩置き去りにされるのだと聞いていましたから、その時タヅと逃げ出そうと考えていたのです」
「みんな居もしない化け物のために殺したり殺されたりしているのだと言うの? あの半鐘は?」
「誰でも、見たいと思ってるものが見えるのですわ、先生。さるのばけがいなければ佐々間は繁盛しませんし、集落は守護を受けられないことになりますもの。本当の意味で見たいものと見えるものが一致するなんて、滅多にございません」
「――そうかもしれない」
「でもタヅは、それを見つけたんですの」
「……君は?」
 返事は無い。アヤはくすくす笑っている。誤魔化し笑いなのか、熱に浮かされているのか分からないほど、背中に伝わる彼女の体温が上昇していた。私は彼女の膝へちらと目をやり、そむけた。
「タヅがそれを見つけたせいで、君たちだけの計画は狂ったんだね」
 出血が止まっていない。痛みもかなりあるはずだ。私は彼女の気を紛らわせるために話しかけ続けた。
「たぶん、そうですわ。私の計画なんて所詮、御座敷生まれの机上の空論ですものね。あの子が先生を見逃そうと言い出した時、私、生まれて初めて激怒いたしました」
「君に君の役割を教えたのは誰だ? つまり、生贄となるべき存在として育てられているということを。恭介が君について〝やはり目覚めていた〟と言っていたね。最初は知らなかったんだろう?」 
「佐竹のオジさま。オジさまがタヅづてに手紙をくださったの」
 その時、私はふと、今、誰の動機について考えるべきなか閃きを得た気がした。なぜ彼は、私の元を訪れたのか。なぜ彼は、姉妹に真実を伝えたのか。そして、なぜ彼はいなくなったのか……。
「先生、先生」
「なんだい?」
「お願いです、お話を続けてくださいまし。そうでないと私……」
「そうでなくとも、まだ死んでもらうわけにはいかん」
 こちらの声が聞こえていたらしい。立ち止まり、振り向いた刀自がしわがれた声で言った。皺だらけでぎょろめの目立つ、年を経たやもりのような顔だと今気づいた。彼女には表情がなかった。
「これからお前たちとうちの蔵に籠るのじゃ。お前たちにはタヅを誘き出し、言い含める餌になってもらう」
「言い含める、餌?」
「お前が存在すると、アヤさんと先生の御二人が幸せになれないと言い含めるのです。美しい姉にとって、醜い妹の存在が最大の足枷なのだとね。先生の恋路から見ればある意味それは真実ですから、説得力はタヅが一番よく知っているでしょう。土蔵に閉じ籠って二、三日も言い聞かせれば、哀れなあの娘のことだ、簡単に信じ切って自分から蔵を出ますよ」
 永吉が説明する。
「それまでお二人には生きていてもらわないと。急ぎましょう」
「正気か、お前たち?」
「正気だから知恵が出るんですよ」
「想像の化け物のために、どれほどの人間を踏みつける?」
「想像じゃありません。アヤは知らされていないから信じていないだけですよ。三家は代々憎み合ってきましたが、さるのばけの存在についてだけは一致して認めてきました。今回だって兆候が……」
 その時だった。
「アヤ様、先生、逃げてッ!」
 近くの茂みの中からタヅの声がした。直後、灌木の踏み倒される音とともに現れたのはもちろんタヅでない。サルだった。無毛の、巨大なサル。地蔵堂の後ろ絵にあった怪物が今、その姿を現した。
「さるのばけ――」
 赤い目が我々四人を眺め回す。祖母を守ろうとしたものか、恐怖に我を忘れただけなのか、永吉が一歩飛び出して撃った。立て続けに撃ちまくり、弾が尽きると同時に鉤爪で首を飛ばされた。
「永吉ィィィィッ!」
 刀自が叫ぶ。例え自分が襲われてもこうは叫ばないだろう。喉も裂けよと絶叫する。私たちを振り向き、
「貴様らッ! せっかく馬鹿息子を滅して永吉に継がせられたに、貴様らが……」
 そこまでだった。サルは刀自の背後からそっと近づき、彼女の頭を一口で銜え込んだ。舌で頭髪の感触を楽しむかのように、もがく老婆の首を非常にゆっくり押し切り始める。途中までは刀自の声がサルの口中に籠りながらも聞こえていた。だが喉を割られたあたりでそれは途絶えた。静かに、刀自の四肢だけが滅茶苦茶に動く。
「……殺しを楽しんでやがる」 
「あれ、佐竹のオジだよ」
 いつの間にか隣にタヅが立っていた。
「佐竹のオジ? どういう意味だ」
「佐竹のオジは自分から食われたんだ。あのサルはね、食べた獲物の気持ちを受け継ぐの。だから、佐竹のオジが刀自様を恨んでいた気持ちを受け継いで、ずっと刀自様を探していたんだ」
「自分から食われただと……」
 どさり、と音がして頭部を切断された刀自の遺骸が地に落ちた。
 溶けかけた飴玉をしゃぶるように、サルはさも名残惜しげに喉を鳴らす。タヅが私の袖を引き、
「先生、早く逃げよう! 次のあいつは、刀自様なんだよ!」


     ※


 刀自の頭がサルの喉を嚥下され始めるのと、アヤを背負った私、タヅが峠の麓目指して走り出すのとが同時だった。
 タヅが言うには、佐々間の土蔵が一番頑丈に出来ているらしい。
 だがそこへは既に使用人たちが入り、閉じてしまっている可能性が高いとのこと、
「刀自様や永吉様を待ってるやつなんかいないよ!」
 それで私たちは結局、私にとって忌まわしい記憶の場所、佐原家跡地に建てられた別蔵へ逃げ込んだのだ。私がアヤを下し、止血帯を緩め、再び巻きなおしている間にタヅは戸締りをし、閂をかけた。
 辺りはほとんど真っ暗になる。
 やがて目が慣れ、少しものが見えだしたのはずっと上にある明り取りの小窓や鉄扉の僅かな隙間から月光が差し込むためだろう。
 その中にアヤ、タヅ、そして永一郎の死体がぼんやり白く見える。 
 タヅも私も本当はこの死体を外に運び出しておきたかったのだが、それでは目印を置いておくようなものだ。それでなくとも、
「あいつ鼻が鋭いんだ。さっきも佐竹のオジが食われてから、遠くにいる刀自様を見つけるまで、すぐだった。アヤ様の血の香がここまで続いているはずだから……」
 重い鉄扉から離れたタヅもこちらへ身を寄せ、姉の様子を窺う。
「オジが食われるところを見たのか?」
「ううん」
 彼女は首を振り、自分の肩を抱きすくめた。
「でも、聞いたよ」
「あれからどこにいたんだ? オジのところか?」
「そう。先生と別れて佐々間に戻ったら、ちょうど恭介さんが私の芋鍬を警察の人に見せてるところだった。だから部屋へ帰らずに、オジのところへ行ったんだ。オジなら匿ってくれるはずだから」
「それで一緒にいたのか。どこに匿ってもらったんだ?」
「匿ってくれなかった。最初からオジ、変だったんだ。もうすぐだ、なんて叫びながら喜んでた。目があたしを見てなかったし、ろくに話も聞いてくれなかった。仕方がないから、あたし、自分で天井の梁に上がったんだ。それでずっと、オジと喋ってた」
「喋ってた? だって今……」
「喋るって言っても、オジが独りでぶつぶつ言うの。時々あたしが何か訊くと答えてくれるって感じだった。オジは兄様を刀自様と、前の旦那様と今の旦那様に殺されたって考えてたみたい。でも自分一人で仕返しできる力はないから、さるのばけが山から降りてくるのをずっと待ってたの。最初から自分が食べられて、さるのばけに仕返ししてもらうつもりだったみたい」
「もしかして、オジが山人の娘を襲ってたっていうのは……」
「先生の考えが正しいと思う。心が受け継がれるんだって、オジが言ってた。オジはあいつが現れたらまず山人、それも茸やなんかを探してあちこち歩くけど、逃げるのが遅い女の子が襲われ易いって考えてたから、だから、山人の女の子に自分を恨ませるようにして、準備してたんだ。オジは正しくないけど正しかった。そのうち壁を破って入ってきたサルが、笑ってるオジを……」
「言わんでいいぞ」
 私は溜息をついた。朴訥な田舎教師然とした佐竹幸次の顔を思い浮かべる。あの時彼は既に、狂気と執念を抱えて行動していたのだ。
「しかし、刀自が食われてその記憶がサルに移れば、刀自の妄念が実行されることになる。オジはそれを考えなかったのか?」
「気づいておられなかったはずがありません」
 だいぶ衰弱した声でアヤが言った。
「でもオジは、そんなことお気になさらないでしょう。復讐を遂げられればそれでいいんですもの」
「君は知っていたのか? オジが復讐を計画していることに」
「それは、私に私の役割や生い立ちを事細かに手紙で教えて下さるんですもの。私へ脱走する動機を与え、佐々間を攪乱しようということでしょう。ならば、その行動にも何か動機があるはずですわ」
「……なるほどな」
「しッ!」背筋を伸ばしたタヅが言った。しばし耳を澄ませ、
「もう来た!」
 扉へ忍び寄っていき、片方の耳をつけて外の様子を窺うタヅ。 
 既に半鐘当番も蔵へ逃げ込んだのだろう、辺りには静けさばかりある。やがてその中をやって来る、荒い鼻息が聞こえ始める。
「この蔵はあいつを避けるために、頑丈に作られているんだろ?」 
「それはあれの狙いが定まっていない時の話だと思います。誰かを襲っているあいつと関わらないようにするための蔵なんですわ」
「最初から破ろうと思ってかかられたら破られるということか?」
「静かに!」
 タヅが厳しい声を出す。
「……先生」
 アヤはかなり無理をして私の耳へ口を寄せ、こっそり囁いた。
「私、先生を愛していませんでしたわ」
「……知ってる」
「でもタヅは愛しています。心から」
「それも多分、知ってる。僕と寝たのはタヅのためだったんだろ」
「だから私、タヅが愛する先生を、信頼したいと思いますわ」
「何が言いたい?」
「お願いがありますの」
 私はアヤの口元を見つめた。聞き終えるまで、目を離さなかった。白く美しい歯が愛らしい唇の間から覗き、光るたびに胸が締め付けられる思いがした。とどのつまり、私の方ではやはり彼女を愛していたのだ。言葉が終わり、弱々しく微笑む口元から目を背けようとして私は彼女と見つめあった。弱々しくなど無かった。彼女の目は輝き、強靭な意志に満ち溢れていた。未来を見つめる眼つき、正面から弱さと向き合い、積極的に克服しようとする眼差しだった。
「私、勝ちますわ」
 私は答えてやらねばならない。愛を持って全てを閉じようとする愛する人の強い思いを、支えてやらねばならない。私は彼女を抱き起こし、傍にあった大甕へ寄りかからせるようにして座らせた。
「そんなお顔、なさらないで」
 アヤははっきり微笑んだ。「あと、もう一つだけお願いが……」
「なんだい?」
「キスして」
 私たちが唇を重ねた直後、最初の一撃で鉄扉が大きく軋んだ。
「……先生」
 促された私は立ち上がり、扉のすぐ前で拳を握りしめて立つタヅへ忍び寄った。こちらはこちらで、覚悟を固めているらしい。
「絶対、先生とアヤ様を逃がすから」
 振り返りもせずタヅは言った。
「あたしは役立たずじゃない。足枷なんかじゃない」
 先ほどの刀自の言葉を半端に聞いていたのだろう。押し殺した声で断言する。幾度目かの体当たりを受け、扉の蝶番が一つ飛んだ。
「そんなこと、誰も思ってない」
 私は言うなり彼女を背後から抱きすくめ、蔵の奥深くまで一気に引きずり込んだ。右脚は痛んでいたに違いないが気にならなかった。おそらくすぐ気づいたのだろう、タヅは猛然と抵抗したが許すわけにはいかなかった。扉が完全に開かれ、一気に月光が差し込んだ。
 あまりに暴れ、喚き過ぎているタヅは、アヤが何か言おうとしていることにさえ気づかなかった。だから私が耳元で「黙れ」と命じなければならなかった。そんな私たちを見てアヤは笑っていた。
 鼻を鳴らし、サルがゆっくり入ってきた時でも、彼女はこちらを向いたままだった。一語一語分かりやすいように唇を動かして、
「あなたは、わたしの、まど」
 そんな風に言った気がする。
 もう充分だ。私はタヅをこちらへ向けて頭を抱きしめ、小さな顔を胸へ強く押しあてた。脇腹を何度も殴られたが、決して腕を緩めなかった。老婆の妄執を継いだ怪物がアヤへ食らいつく。耳の塞ぎは完全でなかった。それらしき音が聞こえたのだろう。タヅが絶叫し、さらに暴れた。だが駄目だ。逃さない。私はタヅを抱きしめ、咀嚼されるアヤを、サルに乗り移っていくアヤを見守り続けた。 
 さるのばけはやがて動きを止め、崩れるように倒れ込む。
 妹を生かす姉の決意が妄念の連鎖に勝ったのだ。
 私はそのままタヅを引き摺って表へ出た。
 戒めを緩めると同時に突き飛ばされる。
「先生なんか、大嫌い」
 再び訪れた静けさの中で、タヅのつぶやきが大きく響いた。

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