28 / 33
3-7
しおりを挟む爆発音には振り向きもせず、彼は通りを突っ切って走った。腰をかがめ、できるだけ頭を下げた姿勢で走るのは流れ弾に用心することが習慣化しているからだが、今起こった爆発が人為的なものかどうかは分かるはずもない。道路へ散乱する瓦礫や電線に足を取られないよう、担いだリュックが暴れすぎないよう、ただ、ひたすらに走る。
走り疲れてきたところで飛び込んだ廃墟は、どうやら百貨店の跡地らしい。薄暗い店内へ向けて耳をすませたが、とりあえず人の気配は無いようだ。一息つくと同時にドッと汗が噴き出してきた。
叩き割られたショーケースの間を縫うように歩いて奥へ進む。幾ら足音を立てないように注意しても数歩ごとにガラス片が靴の下で割れ、嫌な気持ちにさせられた。虚ろな店内へこだまして他人の足音のように聞こえるからだ。
外では時折、銃声が鳴り響いている。幾度かの略奪のあとでもう盗るものは何も残っていないはずだから、態々入ってきはしないだろう。だが一階に居るのが外から見つかると面倒かもしれない。ちょうどエスカレーターを見つけたので登ることにする。
もう何十年も動いていないのだろう。足の裏に独特の軋みを感じながらどんどん登る。登り切るまで登る。最上階はほとんど真っ暗だったが、薄明りを頼りに進んで行くと、それは閉ざされたドアの隙間から漏れ出してくる光だった。カギはかかっていないようだ。耳を当てて充分に向こう側の気配を探り、ようやく、しかし慎重に、ゆっくりと押し開いた。
彼は息を飲んだ。まだこんな場所が残っていたかと感激した。数秒の後、我に返り、素早く入り込んで扉を閉めた。万が一誰か登って来ても見つかりにくいように、貴重なダクトテープを数メートルも犠牲にしてドア枠へ目張りを行い、光の漏れを防ぐ。出る時は出る時だ。その時があれば、また考えればいい。
折よく傍にあった、しゃれた金属製の椅子をドアノブの下にあてがって開かないようにする。部屋の中に向き直り、深呼吸した。
おそらく、VIP用の接待スペースか何かだったのだろう。埃を掃ったその下の、ソファやテーブルにかなり金がかかっている。これだけでも一晩過ごすどころでない、完全に、ねぐらとして絶好の場所だ。この街、この区画が、あるいは最低でもこの建物がそれなりに安全だと分かれば、の話だが。
ひび割れ一つないところから見て一番良い時代の、一番良い耐衝撃ガラスが使われているらしい大窓に歩み寄り、目の高さのところだけ塵を少し拭い取った。
外界を見下ろす。かつて在ったはずの素晴らしい眺望を思い描こうとしてみる。当時ここを訪れた金持ちたちはごく自然に、なんの感動も気負いもなく、それを目の当たりにしていたことだろう。
だが今はもう、所々の焦げ跡をアクセントとした廃墟が織りなす灰色の街並みが、どこまでもどこまでもうねるばかりだ。人口が減り、空気だけは昔より格段に澄んでいるために、却ってその現実ばかりが胸に迫ると思われる。死灰色の波の中で幾つかたなびいている細い煙は煮炊きより、暴動の残り火によるものが多いはずだった。
いつから世界はこうなってしまったのか。いや、もうずっと、こんな風だった気もする。
ため息をついた彼は長椅子へ戻り、どっかと腰を下ろした。しばし放心した後、自作の物見窓から差し込む光が眼前のテーブルいっぱいに溢れていると気付く。
思わず、にやりとした。
リュックを引き寄せて蓋を開くと、ずっしり重い、一抱えもある底付きの球形瓶を慎重に取り出す。少し顔を寄せ、中身に異常が無いことを確かめてから、天板の上、光の中に安置した。このガラス球は相当の骨董で、光を透かすあの大窓の御仲間だ。一番良い時代に、一番良い耐衝撃ガラスを、一番腕利きの細工師が最高に調整された一点ものの機械で吹いた、最高級の透明度を持つガラス球瓶なのだ。溶かしガラスで密閉されたガラス蓋の周囲だけが妙に不格好で目につくが、これは製造からずっと後に、彼が慣れない手付きで拾い物のバーナーを恐る恐る使った結果だ。だが、そんなものは瑕疵にもならない。
球体内に満ち満ちた水は陽光を存分に吸い込んで、まるでそれ自体が光り輝くようだった。繁茂した水草が内側で揺らめくそのたびに、大理石の天板へ長く投げかけられる影が優しく踊った。鮮やかな緑が見る者の心を刺すほどに安らげた。
生産者の光合成による酸素放出と炭酸同化、これを利用する消費者、そして分解者による浄化と窒素固定のプロセス。循環さえ万全であれば、完全な密閉空間にも生命の息吹は流れ続ける。清澄で穢れを知らぬ、彼だけの小さなバイオスフェア――。
やがて、世界の主が水草の間から姿を現す。有尾人の、少女。ただ独りの、少女。目が合う。そこには悲しみも苦しみも最早無い。ガラスの壁ごしに、お互いゆっくり、顔を寄せ合う。
上目遣いに彼女は彼を見上げる。水草の端に、ちょこん、と手をかける。眼窩の奥の、小さな脳が彼を認める。純朴な、その瞳。やがてにっこり、彼女は微笑もうとし――、
「それはわたしのものだ!」
突然嘲笑う声とともに白い光が弾け、全てが消え去った。
※
屋根を叩く雨音で意識を取り戻した途端、後頭部の側面から首筋にかけてひどく痛んだ。
呻き、殴られた部分へ手をやろうとして、両手が後ろ手に拘束されていることに帆織は気付く。腰を床へ落とした姿勢で、前へ伸ばした両脚も足首を縛られており、
「大丈夫、帆織さん?」
どこかの屋内らしい暗闇の中、すぐ隣でトヨミの声がした。
「ああ、なんとか。そっちは?」
「なんともないよ。でも装備は取り上げられちゃったし、手足縛られてて動けない」
「こっちと同じか。ここはどこだ?」
「わかんない、でも……」
トヨミがそこまで言った時、ふいに照明が点灯する。薄暗いが充分に周囲が見えた。二人は息を飲んだ。
目の前に巨大な水槽が聳えていた。小型の貨物コンテナ八つ分の体積はあるアクリル水槽で、なみなみと水が湛えられている。底に置かれた水中灯が点くと青味《あおみ》がかった水を光が透かし、倉庫のトタン屋根へ奇妙な模様を映し出した。行燈の薄明りにも似て儚げに照らされるこの場所はどうやらあの廃倉庫の中らしいが、今はもう、そんなことはどうでもいい。
壁を伝う配管へ並んで縛り付けられた二人を水槽の中からじっと見つめる、たくさんの瞳があったのだ。動物園で珍種を見つめる子供のようにキラキラした眼差しで、
「違う」
トヨミが呟く。
「――こいつら、ノガレじゃない」
帆織も頷いた。水槽に蠢くのは確かに無数の、あの、白い体だ。人の子供に似た上半身とおたまじゃくしのような尾びれが特徴的な下半身を持つ深海の人魚、今まで二人が戦っていた海の小悪魔と姿かたちはまるで同じだ。それが透明な檻の中にごった返し、それまではしゃいでいたのを急にやめたという塩梅でこちらを見ている。今にもあの厭らしい笑いが犇めき始めるようで、嵐の前の静けさかと、帆織は自然と身構えたくらいだ。
だが、違った。
小さな黒い両眼には嘲笑ではなく、健全な好奇心の閃きがあった。獲物の隙を覗い続けたがゆえ、生物としての〝型〟とさえなった狡猾な鋭さでなく、なにか楽しいこと、面白いことへの純粋な探求心があった。全てワクワクと輝いていた。見覚えのある光で、だから二人同時に直観した。
「……もしかして」
我慢しきれず、それでも押し殺した調子で口を開いたのはトヨミだ。帆織はとても言う気にならなかった。そんなバカげたこと、と心の奥底へ封じ込めようとするのに必死だった。
「もしかしてこの子たち、人間じゃないの? 本当は大川の子供たちなんじゃ……」
「そんなこと、ありえない――」
「御明察よ、トヨミちゃん」
帆織の反論を遮り、乾いた拍手が倉庫内に響いた。巨大水槽の陰から一人の女が姿を見せる。自信に満ちた微笑みを浮かべてゆっくりと歩み寄り、二人を見下ろす。
「潤地さん……」
「帆織君、お疲れさま。ケガさせちゃってごめん。でも、そうでもしないとトヨミちゃんがおとなしくついてきてくれないと思ったから。悪かったわ」
「あなたがダゴンネットの管理人、〝フック〟なんですね?」
「真奈さんかと思った? 安心できて良かったじゃない」
「どういうことですか、これはッ?」
食ってかかろうとする帆織だったが、潤地の後ろにぞろぞろ連なって現れた子供たちの姿が、彼に続きの言葉を飲み込ませる。コハダがいる、カジメがいる、海獣博士やその他の水軍のメンバーがいる。佃水軍だけでない、近隣の水軍や元フィンズの子供たちが勢揃いして突っ立ち、無表情に帆織とトヨミを見つめている。
その目。彼ら、彼女らと目が合った時、帆織は背中の毛が一斉に逆立つのを感じた。――あの目。白い顔の中にあるとも分からない、あの目。
「こいつらがノガレなんだよ、帆織さんッ」
トヨミが叫んだ。
「入れ替わったんだ!」
「そんなバカな」
帆織の否定はほとんど義務感から出た言葉だったが、
「じゃあ、実際にお見せするわね」
準備を重ねた教師が楽しい実験授業を始めるかのような口ぶりで、潤地が笑う。
その言葉を合図に二人の目の前へ引きずり出されたのは、キャスター付きの肘掛け椅子に縛り付けられたイナコと、水を張られ、台車に乗せられた小ぶりの風呂桶だった。潤地が近づくと桶の中からオリジナルのノガレが顔を出し、獲物をいたぶるオオカワウソのように厭らしい声で、キョキョキョキョ、と鳴いた。
一方猿轡を噛まされ、手足を拘束されたイナコはぐったりしているが、大きく乱れた黒髪や着衣は必死で抵抗した証だろう。結束バンドで椅子に固定された色白の足首には赤い擦過傷が幾筋も見えた。バケツの水を数杯、真正面から全身へ浴びせられるとゆっくり頭を起こし、怒りに燃える目で潤地を睨み付ける。
「そんな顔で見ないでちょうだい」
こいつらの餌にしたって構わないんだからね、と言う女史の声は冷たかった。
「子供たちが漁に出ない理由があなたをハブくためですって? 水中に飽き飽きしていた連中が憧れの上陸を果たして、なんでまた川へ出なきゃいけないの。子供は大抵そういうものだけど、それにしたって、ちょっと自意識過剰が過ぎるわよ、あなた」
いいこと――、と親身な教師がきかん坊を説き諭す調子で、
「改造アマモや金元素の回収が大人たちの目当てだと、あなたは見破ったつもりだったんでしょ。でも、全然だめ。目に見えるものに惑わされ過ぎてる。唯物主義や利益第一のスタンスなんて、しょせんは諦めから生まれる目くらましよ。理想こそ、いいえ、理想に向かおうとする態度こそが人をより成長させるの。そこをあなたは読み違えた。大人たちの悪影響の犠牲者と、見られなくもないけれどね」
でも――、と彼女。
「あなたみたいな子供は、本当なら入ってはいけないの。子供らしくない子供なんて不自然な存在ですもの。理想とは正反対の存在ね。自分のこと他の子よりずっと大人だと思ってたんでしょう。でも、あなたは大人じゃない。大人の毒が余計に回ってる、ただそれだけの子供。勝負に勝っていると思っていて、本当は最初から勝負すらできていなかった可哀想な子供なの。だから大目に見てあげるのよ。途中までは私のためにちゃんと働いてくれたから、そのおまけみたいなものなの」
猿轡を外す手へ噛みつこうとした横面へ平手打ちを食らわせ、潤地は優しく微笑む。偽の子供が二人がかりでイナコの頭を仰け反らせ、鼻をつまんで小さな口をこじ開けた。別の個体が大型のプラスチック漏斗を少女の喉奥へ向けてねじ込み、
「やめろッ! やめないか!」
帆織の制止に耳を貸す者はいない。朦朧とする少女へ顔を寄せた潤地が一転、さも愛し気に、
「大丈夫、未練なんてすぐに無くなるから。あなたも入れるわ、きっと」
急がなきゃ、という台詞を合図に、ポリタンクの液体を漏斗へ注ぎ込み始めたのはカジメだった。本当の彼も以前、やはり同じようにされたのだろう。少女の震えを伝える漏斗から立ち上る乳白色のガスに、帆織は見覚えがある。タンクの中身はおそらく、
「オリの濃縮液……」
「元来生物は、常に他の可能性を探してる。生き残るためにね。生き残るために、自分の立ち位置を常に不安がって、疑ってる。オリにはその疑いを増幅する効果があるの」
汚染水を絶え間なく流し込まれて痙攣する体をさすってやりながら、潤地は解説する。
「オリの蓄積が存在の場を不安定にするの。そうなると存在は他の場所で生きる可能性を猛烈に探し始める。その場で生き続けるよりも、その場を捨てる道を選びたくなってくる。そんなところへ新天地の可能性を見せつければどうなるかしら。例えそれが本当の新天地だという保証がなくても、別の場の存在へ気が付いてしまいさえすれば、そちらの方が今の場所よりずっと美しく、自分が在るべき場所のように感じられてしまうんじゃないかしら? でもそれは自然なことよ。隣の芝生が青く見えるのは、それが生物の本能、可能性を夢見続ける本能だからなんですもの」
イナコの口から漏斗が引き抜かれた。少女の腹は不自然なまでに膨れていたが、吐き戻そうとする気配は無い。そのままの姿勢で彼女は天井を見つめ、がくがくと全身を戦慄かせている。目尻に涙を浮かべ、この世の汚いこと、下らないことに怯え、嫌悪し、恐怖している。
だがその一方で、彼女に残る純心、普段ひねたことを言ってはいても、まだ、どこかでこの世界を歓迎しようとしていた未来への期待が、少女の全身をほんのりと光らせ始めていた。それは、完全に打ち砕かれぬうちに、それまでの場、それまでの体を捨て、体中の毛穴から抜け出そうと欲する彼女の真心の輝きなのだ。
「こうなるともう、あとはきっかけ、必要な情報を与えてやるだけでいいのよ。もちろんお互いの記憶もコピーし合うから、すぐに〝相手〟としてもふるまえるってわけ」
透明なてぐす糸の一端をイナコの右小指に結び付け、もう一端へ大ぶりの釣り針を結び付けた潤地は、それをノガレの入った浴槽へ無造作に放り込んだ。
ノガレは光る針軸を小魚か何かと見間違えてあさましく食らい付く。当然針掛かりし、悶絶しつつも嚥下する。
数人の子供たちが暴れるノガレを手慣れた調子で水から引き揚げる一方、イナコの拘束が素早く解かれた。ステンレスの作業台へ放り上げられ、転がった彼女は仰向けに力なく横たわる。水産試験場の採卵・受精作業を思わせる、無造作と丁寧が入り混じった雰囲気の中、鼻孔と口から水を垂らし、少女はぼんやり虚空を見つめていた。冷静に蠢く子供達の手によって力づくで顎を天井へ向けられ、無理矢理目蓋を開かされた状態で頭部を固定されたが、最早なされるがままだった。
そこへふいに、糸で繋がった〝相方〟の顔面が突き出された。一人と一匹の目が強制的に合わされた。びくん、とイナコの体が一際大きく波打つ。釣り糸によって二人の運命は交差し、今、あやふやになっていた運命はお互いがお互いを、お互いのニッチを認識することで寄り添い始め――、それはおそらく、相同な運命の乗り換えだったのだ。思春期を待つ少女の体内における卵母細胞、さらにその内側において次世代の多様性を増すことに努める染色体と同様に、対合した二つの運命間で情報の交換が起こった。人生における行き先が組み替えられた。
冷たく光る作業台の上で二つの体が同時に変態を開始する。肉体の変化はほとんど一瞬だった。イナコの服に包まれたノガレの〝ようなもの〟と、裸で横たわり、目をぱちくりさせて視野の調節をしているイナコの〝ようなもの〟を呆気に取られて眺める帆織へ、
「あら、だめよ」
潤地が悪戯声で注意する。
「今は、人間の女の子なんですからね」
イナコのようなものが飲み込んでいた釣り針を粘液の塊とともに吐き出して交換変身は終了だ。本来のイナコが着ていた衣服がそれに与えられ、人魚に姿を変えた元のイナコは巨大水槽へ放り込まれた。見上げる潤地の目が満足気に輝く。
「ちょっと待ってください」
帆織は思わず叫んだ。何か言わずに居られなかった。
「ノガレの存在にはきっかけがないと気づけないはずです。あなたはどうやって――?」
「あのねえ帆織君」
そんな頼りないこと言わないで頂戴、と潤地は呆れ声で彼を見下ろす。
「きっかけなんて幾らでも見つけられるものなの。ちょっと、ほんのちょっと人より目を覚ましてさえいればね」
「なぜ、こんなことをするんです? 子供が好きってのは嘘だったんですか?」
可愛らしい質問ね、と潤地。
「もちろん嘘じゃないわ。私、子供たちが大好きよ。この子たちが、本当に、大好き」
教育学者は静かに、真摯に答えた。
「これは救済なの」
「救済? 化け物に変えることがなんの救いになるって言うんです?」
問いながら、帆織は微かな耳鳴りを感じて頭を振った。だが潤地は相変わらず平然としている。
「年寄り連中はね、この世界を禊ぐための祭壇として、手始めにこの川を選んだの。そして祭壇へ捧げる生贄が、大川の子供たち」
「年寄り連中? 誰のことです?」
「みんなよ。大人たちみんな。実際に動いているのは中津瀬会だけど、結局はこの世界の大人たち全てが、この儀式に加担している。無意識のうちにノガレと契約しているの。自らが産んだオリを祓うために子供たちを、子供たちの未来を、人質として化け物へ差し出している」
彼らにとって次世代はあくまで〝資源〟ってわけ、と潤地。
「まあ、この子たちがいなければ、カイギュウを逃がさずにアンチエイジングへ応用できてたかもしれないんだし、その時の恨みが計画をスムーズに後押ししてる、ってところもあるでしょうけど。執念深いな年寄りって嫌なものよ?」
「中津瀬会がこれに、ノガレに直接、関わってるって言うんですか?」
「正確には楽園復活の計画にね。計画が実際に始動した発端は偶然起こったジャック事件だったけれど、井崎教授の仮説に会はだいぶ前から目をつけていたわ。だから調査にも金を出した。よそ者が川で気ままに活動できたのだって、会が必要を認めたから」
「子供たちの統合のために、青の秩序を利用した、って話ですか」
「統合そのものは仮の目的ね。本当のことを言えば、彼らはある意味、追い込み漁での追い子だったのよ。予期されていなかったカイギュウ登場が、現生の大川を相対的に楽しくしすぎてしまうことを会は危惧したの。誰もが現世に満足した状態では楽園への扉を開けないでしょう。だから中津瀬会はあくまで、子供たちの楽しい日常へ水を差し、川における楽園開門の期待を醸成するために青の秩序を支援したってわけ」
「その裏で青の秩序を切り捨て、イナコを利用して子供たちをまとめ上げようとした……」
ああ、聞いたのね――、と潤地は微笑む。
「これは全て子供を先兵とした楽園植民計画の一環なのよ。目的は、増加するオリの処分地を確保すること。トヨミちゃんみたいに、ヨドミなったオリをただ散らすだけではなくてね」
「楽園植民? オリの処分? 中津瀬会が……なぜ、そんなことを?」
「彼らは新日本経済連合の文化部門よ。そんなの決まってるわ。この川にいれば忘れがちだけど、世界の全てが順調に発展しているわけじゃない。呪いは相変わらずはびこって、オリ、人の心の負性残滓が川へ流れ込む量も速度も大きくなる一方じゃないの」
「――呪い、ですって?」
「人を穢す有象無象よ。この世界は完全に呪いから解放されたわけじゃない。科学技術の発展は呪いを祓うものと見えて結局は相反しない。蓋をしているように見せかけるだけ。きれいな川とバヤックが子供たちとノガレを出会わせたみたいに、どんなに科学が進んで、宇宙の果てまで行けるようになったとしても、私たちは常に呪いに晒されてる。期日までにプログラムを組めなければ死ぬしかないとか放射能がうつるとか、そんなセリフのどこが科学的なのかしら? 私たちは科学すらも呪いへ作り変えてる。そしてと言うかだからと言うか、呪いは科学技術同様に現実へ作用する。呪いに穢された人々は溜まった膿を少しでも心から掻き出して、オリとして川へ垂れ流し続けるしかない。化学汚染の時と同じに、このままじゃ自然の霊的浄化速度をあっという間に追い越すでしょうね」
そうなるとどうなるの、と彼女は問いかけ、
「世界は循環不全に陥るわ。オリは気化して川から溢れ、陸へ逆流して穢れを補強する。そうなれば街は瘴気に閉ざされる。世界そのものがヨドミになるの。人々は自家中毒を起こして精神活動が停滞、生産性は低下、経済の発展も見込めなくなる。即戦力として移民を導入してみたところで、それもまたオリに溺れてしまえば同じこと。むしろ文化衝突などの汚染源が増えるだけ。だからまず、このオリをある程度、一気に祓うことが必要だという結論に中津瀬会は達したの」
その先にあるのが楽園植民、そしてオリの大規模処分地計画だ。
「首都のオリを一掃できれば、それは停滞する世界経済、精神文化の中にあって大きなアドバンテージになるわ。物理的浄化技術を輸出の根幹としつつ、この国を、それも散々怨嗟の的になって来たこの街を、真の聖地として再生できる。原始の楽園を踏み台にして再び過去の栄光を取り戻せる――。そう、彼らは考えたのね」
「待ってください。……楽園に拘りながら、彼ら自身は楽園の住人になる気は無い、ってことですか?」
「それはそうよ。こちらでの利益がなにより大切な人たちですもの」
楽園を利用した現世振興計画――。
これまでノガレたちが貯め込んでいたオリは楽園の記憶を呼び出すための呼び水と、彼らの活動自体を活性化させる基質の役割を兼ねていただけに過ぎない。処分地が開けばそれらもまとめて全て一気に、向こう側へと祓うのだ。海洋記憶にアクセスし、原始の楽園を開いた状態で固定できさえすれば、無垢極まる原始の楽園と現世ではオリの濃度差がかなり大きいので、拡散作用によってこちら側のオリは自動的に楽園へ流れ込むことになる。川に生じた門を定常的に開き、留めるだけで、もう一つの精神世界分だけの容量を持つ処分場が完成する。そしてそのためには、
「こちら側に縁のある存在をあちら側へ送り込む必要があるの。要は、生贄として」
その言葉に帆織は、巨大水槽の中で不自然なほど興奮し、騒いでいる子供たちをぼんやり見上げた。
それを必要とする自分たちが直接繋がる必要は無い。自分たちと縁のある者が、自分たちの希望を繋ぎ止めておければよい。
計画者たちの目論みは、つまりはそういうことだ。
そして「自分たちの希望」と「自分たちと縁のある者の希望」が同じとは、もちろん限らないのである。
「むしろ……」
帆織は言おうとして、口に出せなかった。
むしろ……そのアイデアそのものこそが巨大な呪いではないのか。呪いによる穢れを祓うために新たな、それもより性質の悪い呪いを産み出そうとしているだけではないのか。だがそれを言うことは、潤地の言葉を認めたことにもなるのだ。
口から飛び出そうとする気づきを無理矢理抑え込み、
「しかし子供たちを向こう側へ送ってしまえば、こちら側での需要はどうします? 観光資源や無償の労働力として、会は子供たちを計算に入れていたはずです」
「どちらかと言うと、それは子供たちを完全に転換した後のための下準備なのよ。陸上りした元ノガレたち、すなわち大川の新しい子供たちも、会はもちろん利用するつもりよ。子供である間は大川の、世界の健全な賑わいを示すマスコットとして使える。金草に関わる無償奉仕は、深海でくすぶっていた彼らに新しい道のりを示してあげたことへの見返りだから、当然のこととしか彼らは思わないでしょうね。そして元ノガレの子供たちが成長すれば、深海の水圧と餌不足に延々耐えてきた連中なんですもの、きっと色んな労働環境で役に立つわ。でもそれは会が人に見える彼らを利用しているのじゃなく、世代間調和の成功なのだと演出する必要がある」
だから、今のうちから関係を作って躾けておかなきゃならない、と彼らは思ってるの、と潤地。やれやれと微笑んで肩を竦め、
「どこまでもムダ無く使いたい、ってのが彼らのモットーだから」
楽園を呼び出す工作の他、ノガレと中津瀬会はエージェントを介して陸上人との肉体交換契約を交わしたのだと彼女は言う。だがノガレも馬鹿ではない。老いさらばえた肉体を求めはしない。転生を夢見る不摂生な肉体も必要ない。彼らは彼らで新しい可能性を追い求め、陸上に別の運命のスタートを夢見ていたからだ。彼らが自ら歩むはずだったと信じるその道を、取り戻したがっていたからだ。「お前たちは入れない」とは、やはりそういうことだったのだ。最初から子供たちが選ばれていた。若く健康で、陸上での無限の可能性を秘めた青き肉体――。
そしてエージェントは最初に一人、生贄を見本として示す必要があった。その一人が、
「コハダちゃんよ。あの子は確かに最高の見本なのよ。会にとっては交換後の彼女が生贄供給システムのトップに座るのが自然で申し分無かったし、ノガレにとってはあれくらいに陸での明るい可能性を感じさせる子もない。入れ替わるノガレ側の選定は最初くじ引きが提案されたけど、結局血みどろのトーナメントの末に彼女になる個体が決まったらしいわ」
「そうやって子供たちが差し出された……あなたは会の手先として指導員や、ダゴンネットの管理者の立場から子供たちを、生贄の道へ誘導した……」
嫌悪に満ちたトヨミの声。潤地は優しく首を振り、
「早合点しないで。それに会から役割を与えられていたのはあなたも同じなのよ? 大人たちがあなたを本当にやり込めようとしなかったのは、何もあなたが川の魔女として優れていたからじゃない。ジャミングシステムで撮影ができなかったからでもない。それが気休めに過ぎないことは、ここの子供でもあるあなたならよく分かってるはず。違うのよ。ノガレに対し、人が優位に立っていると示す保険としてあなたが適当だったという、ただそれだけのことなの。あなたが最低限の騒々しさだけで狩りをできていたのは、会があなたに関する情報を操作して抑え込んでいたからよ。だから結局あなたも、会に泳がされていただけ」
憐れみの眼差しをトヨミへ向け、
「まあ、最後にはあなたも変えるつもりだったから、来てくれてちょうどよかったわ」
会の方針には反するんだけどね、と潤地は腕を組んだ。得意気に胸を張り、
「確かに私をこの川へ派遣したのは中津瀬会だし、安定した生贄供給経路の構築が私の元々の使命だけど、私は彼らの思い通りに動くつもりはない。自ら気づき、自分の意思で動いている点で、私はあなたと違うの」
子供が好きだって言ったでしょう、と笑い、
「あなたのことだって大好きなのよ?」
「……そりゃどうも。でも、本当に子供好きな人がこんなことしないと思うの」
「そそまま受け入れることだけが愛じゃないわ。この子たちを本当に救うためなら、私は喜んで憎まれ役になる。矯正の全てが悪と言うのは前時代的教育論ね」
「人間をやめさせて、子供たちを救うって言うの?」
「子供たちの熱い血で磨き粉を練り、柔らかな毛髪で磨き布を編む、そんな年寄りばかりの世の中よ。それであいつらは懸命に自分の墓石を磨いている。そんな世界に居続けることが子供たちにとって幸せかしら。この子たちは先兵なんかじゃない、生贄なんかじゃない。むしろこの子たちこそ、楽園へ繋がるべきなの。この子たちだけが生き残ることを許されているの。清浄な原始の楽園の住人として、人類の歴史をわだつみの宮から繋ぐ者として、滅びゆく我々を向こう側から眺めていていい存在なのよ。私はこの子たちがその門をくぐるお手伝いをするだけ。そう、私は楽園へ入るに値しない。この穢れた世界を作り上げる側に、意識的にせよ無意識的にせよ加担してきたんですもの。私は楽園に入れない。でも、僅かな気付きと意志さえあれば、この子たちを楽園に至る門へ誘うことはできる。年寄り連中の陰謀を逆手にとって、楽園での肉体を提供することはできる。自らを贖いにして、道を備えることができる」
「……その熱い想いが、みんなに届くといいですね」
教育家の熱弁に肩をそびやかすトヨミ。
「あなたッ」
潤地の声音がきつくなった。
「そんな、ひねた見方するもんじゃないわ!」
「しかし、この子たちが楽園に入るのは中津瀬会の計画の延長でしょう。それなら結局は、会の目論見が成功することになるんじゃありませんか?」
帆織は穏やかに尋ねつつ、こっそり肘でトヨミを突く。この状況で相手を怒らせるのは得策でない。両手は思いの他きつく縛られ、逃げ出せる見込みはまるでないのだ。
だが潤地は彼の言葉を真面目に受けとめ、にんまり微笑んだ。
「閉じるのよ、楽園を」
「楽園を、閉じる……?」
「アクアリウムを作る時、水槽の準備ができていないのに魚をぶち込むバカはいないわ。それと同じ。まだ、楽園は完全じゃない。だけどこの子たちは舞台が整えばすぐにでも放たれるわ。そのあとで楽園の門を閉じるのよ。子供たちを永遠に楽園へ、向こう側へ封じ込めるの。この子たちをあいつらの思うがままになんてさせない。処理場は完成前から閉鎖よ。御老体の皆様はいずれ、自分のひり出したオリにまみれてお亡くなり、ってわけ」
「そんなこと、一体どうやって……?」
「それこそ簡単よ。どうしてこの川に原始の楽園が蘇ろうとしているの? 物質的に浄化されたからよ。なまじ美しくなった大川に呼び起された、か弱き人々の郷愁が海洋記憶と繋がって、それで楽園が呼ばれたのよ。なら、楽園を閉じるには? もう一度、川を汚くしてやればいい。人々が美しい郷愁や思い出を刺激されることもないほどに、いつも目を背けていたくなるほどに汚してやればいい。それだけの話よ。そうすれば自動的に楽園は閉じる。境界がはっきり蘇る」
「……そんなレベルの汚染があなた個人に可能だと思ってるんですか?」
「どうして私個人だなんて思うの? 私は今、私自身の工作員を手に入れているのよ? 深くて暗い海の底に帰らずに済むのなら何でもやる〝子供のようなもの〟たちが人の子として成長し、色々な場所へ入り込む。中津瀬会や新経連の本部に加わる個体だってきっといる。志の低い科学者に成りすます者もいれば、危険に鈍感なふりの巧い技術者に成りすます者も出てくるわ。そんなのすぐよ? そうすれば私は、私の意志は、川の浄化技術だけじゃない、化学工場もエネルギー機関も行政も司法も、この国の命運に繋がる全てを握るのよ」
この川を毒汁で塞ぐことはおろか、国土全体を毒の霧で覆い尽くすことだって不可能じゃないわ、と彼女は強い眼差しで請け合った。そんな中、帆織の耳鳴りはまだ、続いている。
「この子供たちが切り離されてさえいれば、残された世界はどうなっても構わないと?」
「どうなっても構わないんじゃない。私たち全員で罪を背負うの。ロードローラーで押し潰してすら来ていない、ブルドーザーで面倒事を未来へ未来へ押しやってきただけの、私たち自身、これまでの世代自身の罪をね。スクラップ&ビルドが聞いて呆れる。再生や復興なんて言葉に縋りついて見て見ぬふりをしてたのは私たち自身でしょ? この子たちは関係ない」
「これから生まれる子供たちはどうします? 川に交わらない子供たちは? 全ての子供たちを救うことを目的とするべきではないんですか?」
「それは私も心苦しいわ。でもどこかで切らなきゃ、負の連鎖は続くばかりよ」
「その切り時を、あなたが選ぶ?」
「そんなこと言ってない。私はもうじき始まる楽園の開門に備えているだけなのよ。楽園が開いた時がその時なの。その時までに少しでも多くの子供たちに備えをさせるの」
「どうして、もうじき開くと分かるんです? もうじきって、いつです?」
楽園が開くのは一体いつなんです――、と帆織が畳み掛けたのは、話の終わりがそろそろ見えてきたからだ。
この話が終われば、次の転換はトヨミに対して行われるだろう。こっそり動かしていた両手の縛めが緩んだとはまるで思われなかったが、それでも帆織は時を稼ごうと必死だった。
だが、彼の最後の質問は予想外の効果をもたらした。トヨミがふと体を動かした気配につられて帆織が彼女を見やり、再び向き直った時、潤地はそれまでの能弁が嘘のように押し黙り、棒立ちになって硬直していたのだ。
「いつ、開くかですって……?」
一昨日の献立を思い出そうとでもする顔つきで、しかし全く思い出せないらしい。記憶を手繰り寄せようとして空回りしている。チャンスかもしれなかった。
相手を醒ましてはいけない、帆織はとにかく口を動かす。
「あと一つ、トヨミの狩りを会が目こぼししていたって話ですが、ならば最近、目こぼししなくなった理由は何です? 急に彼女の活動がネット上で出回るようになりましたよね、都市伝説風の尾ひれまでついて。ノガレへの抑止力に使うなら、トヨミを自由に泳がせておいた方が良いわけで、なのに彼女の活動を抑えかねない操作を会がしたのは、一体なぜなんです?」
帆織を見つめる目は見開かれて表情が無く、洞穴のようだった。額に脂汗がじりじりと浮いているのが分かった。唇が戦慄き、口元が今にも痙攣を始めそうで、
「訳の分からないこと、言わないでちょうだい!」
その時だ。帆織は以前からの耳鳴りが急激に大きくなるのを感じた。違う。全員が反応する様子を見て、これが耳鳴りでないことに気が付いた。詰まりかけた金属パイプへ無理矢理に熱い空気を通した時のような、実際の音だ。耳障りに甲高く、それがさらに高く、大きくなっていく。
潤地も気づいたらしい、ふと巨大水槽を見やり、
「どうしたの!」
険しい声を上げた。帆織もつられてそちらを見る。水槽の中、人魚化した子供たちの様子が明らかにおかしかった。嫌なものを振り払うかのようにぐるぐる、やたらめったらに泳ぎ回っている。頭を揺さぶっている。音がさらに強まり、あ、と思った瞬間、水槽の右側面が粉砕されて弾け飛んだ。数百トンの水が一気に押し寄せ、配管に固定されている帆織とトヨミを除く全員が壁際まで押し流された。内側からの流れに乗って白い体が幾つも幾つも溢れだし、水が抜けたコンクリートの床へ転がってぴちぴち跳ねた。
「大変!」
血相を変えた潤地が子供もどきの手下たちに、すぐさま人魚化した子供を川へ運ぶよう指示を出す。
「まだ開いてないけど、仕方ないわ! 放流しましょう!」
彼女は自らも一度に二人抱えて走り出した。倉庫内は混乱する。騒ぎに紛れ、天井から配管を伝って降りてきた影がナイフを取り出し、帆織とトヨミの拘束をあっさり解いた。
「マルタ!」
「すまねえ、遅れた。でも陽動作戦、うまくいったろ?」
これ取り返してきてやったぜ、とトヨミの装備ベルトを彼女へ渡してやりながら、少年は得意気に親指を立てて見せる。
「わりい、二人の携帯は見つけられなかった」
「すぐに捨てられたんだろう。それより今のあれ、爆弾か?」
帆織の問いへ頼もしき副漁労長はからから笑い、
「んな物騒なもん持ってねえよ。カジメのキャビテーション用振動発生装置を両面テープで張り付けただけさ。ここであの装置を幾つか見つけたんだ。だから水槽のアクリルを材質アプリでスキャンして、固有振動数と共鳴させてやったんだ。装置をセットするのはステルスゲームみたいで面白かったけどよ、携帯に振動数を計算させるのと、アクリルが割れるまでに予想より時間かかってさ、やっぱ無理かなって諦めかけたとこにあれだぜ? 理屈では分かるけど、あんなにすげぇとは思わなかった!」
「結構多いさ、そういうこと」
興奮冷めやらぬマルタ、それをなだめる帆織の二人を、
「逃げるよ!」
準備を終えたトヨミが鋭く呼んだ。と、
「ダメ、だよ」
三人が一斉にその声へ振り向く。コハダの〝ようなもの〟が微笑みながら立っている。歩み寄り、マルタのラッシュガードの裾をきゅ、と握ると愛らしげに笑った。
「あちゃぁ」
マルタがまるで場面にそぐわない、気の抜けた声を上げて頭を掻く。
「気づかねぇふりしてたんだけどなぁ!」
「騙されないでッ。そいつはコハダじゃない。さっきのイナコ見てなかったの?」
トヨミが幼馴染みの偽者に突っかかろうとする。だが、それを遮ったのはマルタだった。
「見てたよ」
頷き、少年は穏やかに笑う。
「確かにこいつはコハダじゃねぇ」
「じゃあ……」
狼狽えるトヨミ。
「だけど、俺独りで逃げるわけにもいかねえんだよ。俺だって、こいつの傍にいてやるつもりなんざさらさらねぇが、あいつの傍にはずっといるって、いつだか約束しちまったからよ」
倉庫の床でまだ跳ね回っている白い体の群れへ顎をしゃくり、マルタは言った。
「あんな恰好になっちまってよ、きっとあいつは今、すげぇビビってるんだ。だから俺が行ってやらなきゃならねぇ。てか、俺が傍にいてやりてえ。元々俺の目的はあいつが元気になることなんだからな。お前や保安官とは行き先がはなっから違うのさ」
世界を救うのはお前らに任せる、俺は――、
「可愛いあいつを救うぜ、なんてな!」
「バカ!」
叫ぶなりトヨミは出口へ向かって駆け出した。事態の収拾にあたっている子供もどきが幾人か、捕虜逃亡の予兆に気付く。鼻腔を使い、人の声とも思われない、ホイッスルを鳴らすように甲高い警戒音を立て始めた。
慌ててトヨミの後を追おうとする帆織、
「保安官!」
マルタから差し出されたのはバヤックの鍵だ。首を振り、
「自分の船を使うよ」
「この辺りで見当たらなかったぜ? 見つけられて、沈められたんだろ」
愕然とする帆織へ少年は同情の笑みを浮かべる。鍵を押し付け、
「俺のは裏の運河の隅に引き上げて、ゴミ被せて隠してある。トヨミを頼んだ!」
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる