わだつみの宮にさよなら 小説版

高木解緒 (たかぎ ときお)

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あがないの機会は与えられました!」
 指導者の男が強く言い切るそのたびに、色とりどりのカヌーやカヤック、バヤックで構成される群衆から大きな拍手と声援が沸き起こった。川面かわもいっぱいに広がったデモ隊はいかにも勇ましく、騒々そうぞうしいセミたちの大合唱ですら荘厳そうごんなBGMとなるようだ。
「我々は過去のあやまちを決して、決して、繰り返してはなりません。この川を再び汚泥おでい油膜ゆまくのどぶ川に戻してはならないし、酸素のとぼしい、生態系の墓穴ぼけつとしてはならない。大川が全ての人々、我々以前、我々以降、世代を超え、全人類にとってかけがえない共有財産であることを理解し、その認識を行動によって示さなければならないのです」
 数台のカヌーが牽引けんいんするいかだ上に組まれた簡易やぐらから、拡声器を片手に男は声高らかに呼びかけた。堂々と、極めて正論を語り続けていた。たとえ原稿の丸暗記でも、冷静に見れば理想家と言うより狂信者めいた外見をしていても、大衆に語り掛ける自らへの陶酔とうすい明朗めいろうな自信とカリスマを演出する。とにかくどころを求める人々には後光ごこうすらも錯覚させる。
「そう、この川はまさしく我々共有の財産なのです! 特に最近、改めてこの川が世界に二つとない貴重な場所となったことは皆さん、周囲を御覧になれば一目瞭然いちもくりょうぜんのはず。我々はよみがえったこの川を、この川にむ生きとし生ける全てを、皆で大切に守り育てていかなければなりません。今こそ、再びのチャンスが与えられているのです」
 それなのに、と彼は一呼吸置き、
「この川を私物化している者たちがいる!」
 波の上で彼らに対峙する水軍の子供たちへ向かい、大袈裟な身振りで決めつけた。
「そうだぁッ」
 焼け付く日差しへこぶしを突き上げ、わざとらしい抑揚よくようで団体の大人たちが追従ついじゅうする。
「幼稚な残虐性ざんぎゃくせいに身をゆだねる者、生命いのちささやきから耳をそむける者、魔女を使役しえきする者――」
 ひげづらの指導者は水軍、中でもコハダをまっすぐに見据みすえてとなえ続けた。対する漁労長は唇を強く噛み、それでもどこかに逆転の隙をうかがう。油断なく男とその周囲を観察している。
「帆織君!」
 呼ばれて振り返ると、潤地うるちが息を切らせて立っていた。帆織は百の援軍を得た思いで、
「どうです? 警察、どれくらいで来てくれますかね。もうすぐ危なそうなんですが……」
 指導員を鼻で笑う大人たちでも、水上警察なら抑えることができるはずだ。
 だが、
「来ないわよ」
 え、と固まる帆織。それは全く予想外の言葉だった。どうして、と思わず声に出た。
「この人出ひとでです、交通整理でもなんでも、出動する理由はあるはずでしょう?」
「警察は来ない。ううん、来るかもしれないし、あの中に、もう来てるかもしれない。だけど私たちの望むようには動かない。少なくとも水軍を助けることは絶対無い。あのね……」
 潤地の耳打ちに帆織はめまいを覚えた。
(どうする、漁労長)
 だが、こちらの状況などもちろん知る由もない、コハダはこらえにこらえた調子で、
「だから、魔女は、うちとは関係ない、って何度も言ってるでしょう。大体――」
「もう結構」
 それまで水上やぐらの上、指導者の後ろに仏頂面ぶっちょうづらひかえていた男が、唐突にコハダの反論をさえぎった。七三しちさんに分けた黒髪をぺったりと撫で付け、黒縁眼鏡に紺鼠こんねず色の背広上下、きっちり締め上げたネクタイというハイパークールビズをまるで無視した格好の四十男はいかにも懐古調かいこちょう官吏かんりといった風貌だが、果たして、
「環境省審議官補しんぎかんほ、兼、特殊生物対策室長の旗立はたたてだ」
 名乗り、その場の全員を睥睨へいげいした。
「希少動物の緊急保護のためにここへ来ている」
「なるほど。……やっと介入する口実を得た、ってわけですね」
 コハダは一歩も引かず、周囲にのんびりと浮かぶ大きな背中たちを見回して見せる。
「あまり失礼なことを言うもんじゃない!」
 恫喝どうかつの途端、水軍の子供たちから盛大な罵声ばせいとブーイングが沸き起こり、
「仮にこの一件がなくとも君たちの、その幼稚きわまるうるささが彼らに計り知れないストレスを与えるんだッ」
 審議官補のこめかみに青筋が立った。
「水軍諸君は今すぐ水から上がりたまえ。五分以内だ。さもないと強制的に君たちのバヤックを接収せっしゅうした上で、君たち自身を陸へ放り上げることになるぞッ」
「そんなこと、できると思ってるんですか? 法的な根拠は?」
「根拠は、あるっ」
 汗まみれの顔をいやらしく邪悪にゆが めて、旗立はたたては胸の内ポケットから取り出した一枚の書面を水軍へ向ける。
 上意じょうい、とばかりぐいと誇示し、
「これはね、緊急の行政代執行ぎょうせいだいしっこうなんだよ――」
 そうなのだ。帆織はほぞを噛んだ。潤地うるちが掴んだ情報によれば、この騒動は中津瀬会なかつせかいの意向による可能性が高い。会はこの川を環境資源として再編成しようと目論もくろむにあたり、海賊気取りの子供たちを目障めざわりな邪魔者と彼らは判断したのだ。そうなれば経済連合の名をしかるべき筋へ及ぼして、子供たちからの接収などわけはない。やぐらの上で得意げに唇をゆがめる旗立はたたてはその使い走り、高らかにシュプレヒコールを上げて周囲を固める無粋なよそ者連中は今や政府の支持を受ける団体の実働部隊じつどうぶたいであり、我らが水軍こそ若年犯罪者予備軍じゃくねんはんざいしゃよびぐん、反社会的な子供たちの徒党ととう、未来への禍根かこんとされたのだ。
「そういうのって、事前の通達が必要なはずじゃないんですか?」
 コハダはなおも食い下がり、冷静にあらがおうとするが、
「できの良い中学生らしい、通り一遍いっぺんのお勉強だねぇ」
 審議官補は勝ち誇った顔になって、行政代執行は通常、対象者へ幾度か通達された後に行われると行政執行法第三条第二項にあるが、非常の場合、急速な実施の必要性が認められる場合は手続きを省略し執行が可能であると第三項に記されている、と一気に説いた。
「心配しなくていい。執行にかかる費用や没収、あるいは沈められた君たちのバヤックの弁償については補償が効く。君たちはただ、陸に上がりさえすればいい」
「保安官――ッ、こんな横暴が許されるのッ?」
 突然コハダが叫んだ。バヤックに股がって波間に漂う水軍の全員が振り返り、護岸ごがんに立つ帆織を注視した。
 もちろん場合が場合だけに、同じ制服を着た自由漁業者指導員が帆織の他にも大勢出張でばっている。だがなぜか、子供たちにとって「保安官」と言えば帆織なのだった。コハダだけでない、皆が彼の答えを聞こうと固唾かたずを飲んで口を利かない。
 今まで見たことのないほど熱く、力強い子供たちの視線に射抜かれ、帆織のほほを大粒の汗がつたい落ちた。正念場しょうねんばだと思った。
「無駄だよ、彼も公務員なんだ」
 嘲笑う旗立。
 その軽口を押しのけるように、
「上がるんだ」
 子供たちがざわめいた。コハダの目の色が変わるのを帆織は見て取った。だがこの場で自分は、自分の立場では、こう言うしかない、と彼は自らに言い聞かせた。この場を明け渡せばなし崩しに追い出されてしまう、とコハダたちが考えているにしても、
「今は上がろう。そして、共生をアピールするための対策をったほうがいい」
 コハダは口をつぐみ、数秒、彼を見つめた。その目、その表情が、以前のトヨミに似ている、と帆織は感じた。入れ替わったみたいだとも思った。少女はやがて視線を逸らし、再びこちらを向いて、「残念だな」とだけ言った。一呼吸ひとこきゅう置いてから前を向き、御自慢ごじまんのライフジャケットをきちんと着なおす。キャップをしっかり目深まぶかにかぶる。その横で幼馴染みの少年もまた、身なりを整えだしている。その動きが水軍全体に波及していく。
「コハダッ――」
 呼び掛けに返事はない。戦闘準備を終えた水軍連合はあらためて敵を向いた。
 もとよりそのつもりだったのだろう、保護団体の面々めんめんも、分別ふんべつあるはずの年頃にも似つかわしくない時の声だか威嚇の声だかを上げ、原始的な興奮に酔いしれている。審議官補が号令を下すのと、コハダが自ら大きくペダルを踏みこむのとが同時だ。ついに両軍は進撃を開始した。
「やめろッ、やめろッ」
 子供らを追って水へ入ろうとする帆織を潤地うるちや他の指導員が慌てて引き止める。
 と、帆織はもがくのをやめた。対岸の、うっそうとした街路樹の影に見慣れた姿を見たからだ。黒々と華奢きゃしゃで、それこそ陰のような立ち姿。外見はいつものトヨミかと思われたが、
(違う)
 帆織は感じた。少女の黒い姿は今、陰にすら馴染んでいなかった。くっきりと収束し、ただひたすらに黒かった。顔だけが白々とちゅうに浮かんで見えた。帆織のポケットで携帯端末が鳴動する。視線はトヨミへ向けたまま取り出してみれば、その彼女からメッセージが届いており、

 toyomi:わたしのせいだ

 また届く。

 toyomi:わたしが、間違えた

 違う、と返信しようとしたその時、帆織の耳が川面かわもの異常をとらえた。いな、それは少し前からその傾向を見せ始めていたのだが、人だけを見る興奮に溺れ、誰も注意していなかったのだ。帆織にしても、今のトヨミとのやり取りがなければ、気にもとめなかっただろう。
 水面すいめんはじける大きな呼吸音の間隔、回数、勢い、その全てが、急激に増加している――。


     ※


 その、一ヶ月ほど前。

「ガッチャ!」
 冷房をほどよく効かせ、遮光しゃこうカーテンをおろして照明を絞った薄暗い部屋の中、パソコンのモニターを前にイナコは呟いた。ニュース記事と届いたメールを見比べる眼球が目まぐるしく動く。大きな瞳がレトロなモニターの明かりを鋭く反射している。
 大川名物めいぶつ三人娘、最後の一人にして、水上ギャングの女帝――。
 もっとも、フィンズは決して水上すいじょうギャングなどではない、科学技術の発展を利益によって数値的に証明する先鋭化された実験集団である、とイナコは思っている。合理化の徹底と利益追求の姿勢が、曖昧あいまいなフィーリングだよりの連中からは異質かつ暴力的に見えてしまうだけだ。
 無法者むほうもの呼ばわりされるのはまったくもって我慢がならなかった。そもそも水軍の決めた自主規制のほとんどが、彼女の目からすれば科学的な根拠のないものばかりなのだ。科学的に取られたデータさえあれば決まり事なんぞ「いつでもしたがってやる」と思う。だが、野生の勘だの感情論だの、迷信だので次々規制をかけられたのではたまったものでない。 
 もちろん大川の漁に地域住民との円滑な関係が必要だとは理解しているし、人と人の付き合いの中にハッキリクッキリできないモノがあることなど、小学六年生となればもう、知りすぎるほどに知っている。だが、それでも理解できないこと、受け入れられないことはある。
「いいね、いいね!」
 薄闇の中でニマニマと、自分の肩を抱きすくめてイナコはにやける。少女の眼球運動をディスプレイ側センサーが感知して記事をなめらかにスクロールする、その速度が彼女の興奮の度合いを物語ものがたる。
 獲物の隙をうかがおおかみのような表情をしている癖に、両膝りょうひざをきちんと揃え、背筋を伸ばして椅子へ腰かけた様子はいかにも育ちが良く、「おしゃま」「都会っ子」などの形容を愛らしく具現化したようなイナコだ。整った面立おもだちときめこまやかな柔肌、夏物パジャマの白い生地が薄暗がりの中でぼんやり光りあっている。意志の強い目元、濃く形の良いまゆには蠱惑的こわくてきなほど大人の雰囲気があり、陸上で優等生中の優等生と郷愁やあこがれをもって評されるのも至極しごく当然、どちらかと言えば幼稚で好戦的な大川の喧騒とはひどくアンバランス、無縁むえんな存在とさえ見える。
 だが実際は、彼女こそが多くの喧騒を生み出しているのだ。フィンズ大首領だいしゅりょう兼、科学技術班主任、それがイナコの正体だった。よく見れば、でこ出し分けを左のこめかみでめるスリーピンにはアオザメの歯が使われている。不意打ちに人を襲う、という意味がある。色白の肌、艶々つやつやと長い黒髪は確かに上品だが、それは「泳ぐならやっぱプールでしょ」と公言する彼女が自らは滅多に川へ入らず、室内から情報機器を駆使して部下を手足のように使役するスタイルを好むことの表れだ。
一滴いってきの川の水にどれくらい微生物が入ってるか御存知ですか?」
「私はコハダ先輩みたいに野蛮人じゃありませんから」 
 などと言い、水軍の子供たちのような自然乾燥では無く、温水シャワーやドライヤーの完備された高級プールをもっぱらとする、タワーマンション最上層階の子どもである。もっともタワマン高層階の水軍メンバーも少なくないから、イナコが「上流でスマートな自分」というイメージにこだわるのはコハダへの対抗意識の表れ、戦略の意味合いが強い。
 河川利用の合理化と自由化拡大を目指すイナコとフィンズにとって、川の子供たちにしたわれ、謎規則を自らにも周囲にも徹底するコハダはまさしく、目の上のたんこぶだった。そして背丈ではまさっているが、天性のリーダーシップの持ち主としてはいつも今一歩、イナコがコハダに及ばないという点で、コハダはイナコの個人的障壁しょうへきでもあり続けてきた。
(だけど……)
 チャンスが近づいているのかも知れなかった。
 そして、そうであるとするならば、
(夏休み中に、決着つけてやるんだから!)
 イナコは独り頷き、手早く一通の電子メールを作成した。送信ボタンを押すのと同時にもう片方の手にある携帯端末の電話アプリを起動させ、手下てしたへ招集をかけ始める。
「佃水軍の妨害? そんなのどうだっていいよ。今日は川へ出るひまなんてないから。みんなでうちで調べもの。そういうのできる子、五人くらい集めてちょうだい。あと、アイツとあんた同じマンションよね。私が感謝してたって伝えて。メール見たって」
 その時、ポン、と音がして返信アイコンがパソコンモニターへ現れた。
 思わず「はやッ」と呟くイナコだったが、電話相手をごまかし、話を続けながらメールを開く。


 Re:国海大調査隊事故の件

 マレット様

 事故調査委員会の発表、こちらでも確認しました。マレットさんのおっしゃる通り、事故の原因とされる河床型乱泥流かしょうがたらんでいりゅうが記録されずに、実際には乱泥流そのものが無かったとするならば、調査委員会は明らかな嘘をついていることになります。なぜでしょう。
 また、これはまだ噂ですが、事故前に予備調査として行われた夜間の水中ドローン調査は全て失敗しており、その原因も不明のままだそうです。
 やはりこの川に、何か大きな変化が起こりつつあるのかもしれません。私は背後関係からこの件を追ってみますので、川のほうはいつも通り、そちらへお願いしたいと思います。

 フック


 配下へ指示を出し終え、通話を切ったイナコは満足げにほほ笑んだ。締め切った部屋の中で、ほつれ毛がさわやかな空想の追い風に吹かれ始めるのをはっきりと感じていた。
 この風は、やがて嵐になるだろう。
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