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しおりを挟む目覚めれば、夜だった。
手繰り寄せたスマートフォンで時刻を確認すると七時になろうという時刻で、思わず飛び起きると、ふんわりと甘い匂いが鼻先をかすめた。
真柴の匂いだとわかるなり枕元に置いてあった抑制剤をシートから押し出すのももどかしく口に含み、そのまま唾と一緒に飲みこんだ。
幸いにも匂いはそれほど強く香っては来ないが、おそらく真柴が台所か居間にいたのだろう。扉一枚を隔てた寝室を借りていたが、薬がじっくり効くまで待とうと、阿賀野はタオルケットに口と鼻を押しつけてマスク代わりにしながらスマートフォンを起動させた。
メールとラインが数件ずつ入っていたが、全て報告のみで、とりあえず須藤と副島に返信をして明日の昼には出社する旨を伝えた頃には、即効性のある抑制剤は若干の胸やけと共に昂ぶりを抑え込んでくれた。
そろそろ出てもいいだろうか。廊下を挟んだ向こうに人がいるような気配はしないし、物音もしないが、万が一出くわしてしまうと抑制剤を飲んでいても危険だ。それほどに真柴の匂いの力は強い。
どうするかと迷った阿賀野は、そうだとスマートフォンをスワイプした。
「…………もしもし、真柴くん?」
『あ……はい、どうか…しましたか』
通話アプリを開いて電話を掛けた先は、同じ屋根の下にいる真柴だ。突然かけた電話ではあったが、数コールで受話され、どこか戸惑いを含んだ声がスピーカーから響いた。
「寝過ぎたみたいで、今起きたんだ。君は今、リビングにいる?」
『いえ、奥の部屋に戻ってます。作り置きで申し訳ないんですが、夕飯の準備をしてあるので、よろしければどうぞ。お風呂も、タオルと着替えを用意してあるので…』
「なにからなにまで、本当にすまない。その……体調はどうだ」
『いえ、こちらこそお世話になって……体調も…だいぶ楽になりました』
言葉通り、真柴の声は無理をしている様子がない。息もあがっていないし、なにかに急き立てられているふうでもなかった。
「ええと……」
腹は減っている。真柴はもう部屋に引き上げたと言うし、食事の準備もしてくれている。お礼を言って台所へ向かうべきなのだろうが、思いのほかすんなりと始まったこの会話を途切れさせたくなかった。
なんの話題が的確だろうか。天気は当たり前に台風のさなかだし、彼の趣味も知らない。互いの共通点もわからない。
(……今まで俺は、なんの話をしていたんだ?)
男にも女にも不自由はした事がない。適当に選んだ甘い言葉を並べて腰を抱き、過ごす相手など決まらないうちから取っていたホテルで一夜を明かす。そんなことを息をするように繰り返してきたのに、甘い言葉どころか日常会話の糸口すらつかめない。
即効性のある薬は既に効きはじめている。それでも意識は真柴に向かってしまい、いつになく阿賀野を落ち着かない心地にさせる。
スマートフォンを握りしめたまま、阿賀野はドアの下の僅かな隙間から漏れる廊下の明かりを見つめる事しか出来ずにいた。
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