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4.金栄
しおりを挟む結婚をしたのは、山ほどあった釣り書きの中から泰然を見つけたからだった。そうでなければ、結婚など嫌だと逃げ出していたかもしれない。それというのも、もともと金栄は泰然を知っていた。
おそらく相手は覚えていないだろうが、金栄と泰然は会ったことがあった。
幼い頃から、金栄は他人に触られるのが苦手だった。撫で牛はそもそも触れられることを好む体質の一族だが、それを気持ちいいことだと感じる器官が、どうやら金栄は人よりもずっと敏感らしかった。
だから、触れられればびくっとしてしまうし、くすぐったくて体がよじれてしまう。思わず声が出てしまうのもいやなのに、周りの子どもたちは金栄の反応を楽しんでいて、その日も鬼ごっこをするからと駆り出されていた。
もともと引っ込み思案で、家のなかで草紙を読んでいる方が好きだった。それなのに周囲は人一倍体は大きいのにおどおどとした金栄をかまいたがり、追いかけまわされては半泣きで逃げ回っていた。
そんなある日、鬼ごっこに駆り出された金栄は逃げまどっていた。
他にも鬼ごっこをしている子はいるのに、みんなが金栄を追いかける。鬼は近くにいる子よりも金栄を追いかけるし、隠れていても、「ここに金栄いる!」と場所をばらされてしまう。
「やめてよ、教えないでぇ……」
ぐすんぐすんと泣きながら逃げ回り、金栄はいつの間にか集落のはずれまで来ていた。
金栄を追いかけまわす子どもたちの声も聞こえない。ようやくほっとして、どこか隠れられる場所はないかと周囲を見渡した。
また見つかったら追いかけられる。みんなのことを嫌いなわけじゃないけれど、触られてびくびくしてしまうのは、やっぱり嫌だった。
あたりを少し歩いてみると、集落の周囲をぐるりと囲む岸壁の一か所に、洞穴を見つけた。そろりと覗き込んでみると、それほど深くはない。奥の壁はすぐに見えて、なにか動物が住んでいるような跡もなかった。
ここなら、穴の前に少し茂みがあるので目隠しになって、誰にも見つからない。いいところを見つけた、と金栄は喜んでそこに飛び込んだ。
洞穴の中は静かで涼しくて、金栄はとても安心した。少し休んで、鬼ごっこが終わったころになったら家に帰ろう。そう思って、ころりと寝転がった金栄が目覚めたのは、激しい雨音が耳に届いたからだった。
「―――えっ……」
擦って開いた目に映ったのは、矢が降るように鋭く打ち付ける雨と、それに射貫かれるように激しく上下する茂みだった。
いつの間にかあたりは薄暗くなり、やがて自分の手の輪郭も見えなくなりそうだった。
「か、かえらなきゃ……」
もう鬼ごっこは終わってるはずだ。こんなに雨も降っているのだから、みんな家に帰っただろう。
自分も帰らなきゃ、と洞穴からそろりと顔を出した金栄の肌を、大粒の激しい雨が打った。
「うう……ううーっ」
冷たいし、ざあざあと強い雨は怖い。それでも帰らなきゃ、と洞穴を出た金栄だったが、歩き出してすぐ、不安になった。
あてもなく歩き続けてここにたどり着いたのだ。そもそもここがどこだかわからない。集落とはいっても丑の眷属だけでなく、他の十二支の眷属も住んでいるので、かなりの広さがある。もしかせずとも、かなり家から離れてしまったのではと今更不安になり、それは徐々に金栄の背中を撫で始めた。
集落の出入り口は東西南北にある鳥居で、そこ以外は岸壁に覆われている。鳥居はくぐっていないので集落の外に出てはいないだろうが、それでも自分の家やその周辺しか知らない子どもにとっては、もはや異国と変わらない。金栄は体を縮こめて、ふらふらと歩いた。
けれど、体格は人一倍よくても、金栄もまだ小さな子どもだった。強い雨に打たれ、右に左に吹く風に翻弄され、あっと思った時には蹴りつまづいて転んでしまった。
「いたい……」
べしゃんと転んでしまって、体中が痛い。ぐずぐず泣きながら体を起こし、ひときわ痛む膝を見てみると、怪我をしていた。真っ赤な血が、砂利に汚れた傷口を汚している。それが雨に打たれて脚に伝って体についた泥とまざり、金栄の両足は悲惨なことになっていた。
ぺたんと地面に座ったまま、金栄は動けなくなってしまった。
自分がどのあたりを歩いているのか、家に近づけているのか、なにもわからない。膝も痛い。怖くて見ていないけれど、手のひらも痛い。
「ふ……っふ、う、わああん……」
あぜ道に座り込んで、もう一歩も動けない。
このままぼくは死んじゃうんだと、悲しい気持ちにもなってしまって泣いていると、ふいに背後から声をかけられた。
「……ねえ」
「えっ」
自分しかいないと思い込んでいた金栄の耳に届いたのは、子どもの声だった。
頬を涙と雨でびしょびしょにしながら、そろりと振り返る。そこにはやはり、子どもが立っていた。
「なにしてんの。……けがしたの?」
金栄と同じか、ちょっと下。それくらいの子どもは風雨の中でもしっかりと立っていて、しかも荷台を牽いていた。
「だ……だれ?」
見たことのない子どもだ。家の周囲の子どもはみんな知っているので、やはり家からだいぶ離れてしまったのだと思いながら体を竦めると、見知らぬ子どもは荷台を停め、金栄に近づいた。
「おれは泰然。おまえは」
「ぼ…ぼくは、金栄…」
「金栄? 聞いたことない。ここいらの子じゃないな」
泰然と名乗った子どもの言葉に、金栄はぶわっと涙があふれるのを感じた。やっぱりここは、金栄の家の近くなんかじゃない。本格的に迷子になってしまっていたのだ。
どうやって帰ればいいんだろうと考えても金栄にはわからなくて、涙が次から次へとあふれてくる。すると、泰然が迷子かあと呟いた。
「まよったんならしかたないよな。金栄、おれの家に行こう。父さんか母さんが、金栄を知ってるかも」
「うぅ、ひっく……え?」
「ほら、早く」
荷台の取っ手をつかんでいた手が、金栄に伸ばされる。避ける間もなくつかまれて、金栄はびくっと震えた。
「や……やあっ」
思わず払いのけてしまってから、金栄はさあっと青ざめた。せっかく親切にしてくれたのに、なんてことをしてしまったんだろうと後悔したからだ。
きっと泰然は怒ってしまう。金栄はここに置いていかれてしまう。
そう思うとまた涙がぽろりとこぼれた。けれど、泰然は、ごめんと謝ってきた。
「いきなり触ってごめん。土、ついたよな」
「あ、や、ち、ちが……」
そうじゃない。泰然のせいなんかじゃないのに、上手く声が出てくれない。それでも泰然は、それならと荷台を少し進ませて、金栄の前に乗り口を傾けた。
「足もけがしてるし、歩いたら痛いだろ。ほら金栄、乗って」
「い……いいの…?」
「いいよ。母さんから、困ってる人は助けなさいって言われてるし」
そう言って笑った泰然に、金栄はとくんと胸の奥が震えるのを感じた。
自分より少し大きい金栄が怯えているのを、変な顔をせずに気遣ってくれた。手を振り払ったのに、怒らずにいてくれた。それは、金栄にとっては初めてのことだった。
小さな背中なのに、しっかりとした足取りで荷台を牽いて、泰然は自分の家まで連れて行ってくれた。そこで手当をしてもらい、金栄が撫で牛の子だとわかると、雨がやんでから泰然の親が金栄を家まで送ってくれた。
驚いたことに、金栄は家から一時間も歩いたところまで来ていた。金栄を探していた両親は泰然の親に何度も礼を述べ、彼らが帰ってしまうと金栄を叱り、それから、金栄を追いかけまわす子どもたちを集めて、人が嫌がることはしないこと、お前たちは神様に仕える身になるのだから、そのようなことをしてはいけないと諭した。
それからは、金栄は無闇に触られることもなくなった。鬼ごっこもかくれんぼもやらなくてよくなったし、部屋の中にいても一緒に草紙をめくったり習字を楽しめる友達もできた。
それでも金栄は、ずっと泰然のことが気になっていた。
歩いて一時間かかる泰然の家がどこにあるかを金栄は覚えていない。それに、仲が悪いわけではないが、干支神を輩出したり神様に仕えることを生業としている金栄たち撫で牛と、神様に捧げる実りを育てる耕牛の泰然たちとでは、すべきことが全く違うので会う機会もない。
転んで泣いていた迷子を保護したことなど、泰然はきっと忘れているだろう。けれど金栄は幼い頃に抱いた恋心をずっと胸のなかにしまっていた。だから、見合いの釣り書きに泰然を見つけたときは一も二もなく会わせてほしいと親に頼み込んだ。怒涛の勢いで開かれた見合いで再会した泰然は立派に成長していて、触れられるどころか目が合っただけで体が震えた。
そうして勢いのまま結婚までこぎつけたというのに、自分の意気地がないせいで、一年経とうとしている今でさえ、ちょっと触れられただけで動揺している。
けれど、このままでいいはずがない。
金栄の体は人一倍敏感で、普通に触れられても声をあげてしまうが、泰然に触れてもらうのは、本当はきっと気持ちがいい。
おそらく願望が影響しているのだろうが、夢で何度か見たことがあるのだ。金栄の頬や頭を撫でてくれる泰然の夢を。
だから、それを夢から脱却させたい。
(今夜こそ、泰然と話をしよう。それから、ちゃ……ちゃんと、触ってもらおう……)
しゃがみこんだまま、泰然が渡してくれた前掛けを握り締める。
明日は大晦日。干支神としての任に就く新年まで、もう時間はなかった。
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