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魔女編
12:火事(2)
歩けさえすれば、子供でも避難できる。
シヒスムンドはそう思っていたから、消火の人手や物資を手早く集めて、小部屋へ戻り目を見張った。
燃え広がった炎の奥に、先ほどの女がまだいたのだ。
「なっ! 貴様、なぜ……!」
先ほど立ち去った時と、たがわず同じ場所にうずくまっていた。
信じられない気持ちと苛立ちが沸き起こる。もう自分では出られないほど火が回っているし、彼女のドレスの裾にも火が付き始めた。
「くそっ!」
消火していては間に合わない。
自身のマントを肩から外し、炎に飛び込んだ。
火の中を通り抜けながら、女のいる部屋の隅に駆け寄り、手にしたマントを彼女に被せて抱え上げる。
彼女が火にあぶられないように、しっかり抱え込んで、入口までの炎の壁を突っ切った。
「閣下! ご無事ですか!」
「失礼します!」
衣服に火が移った状態で飛び出てきたシヒスムンドに、部下たちが水を浴びせてくれる。服は若干燃えたが、体に火傷はない。
被せたマントを取り払えば、女も大した火傷はなさそうだ。
この女が最初に逃げていれば、何の問題もなかった。あと少し遅ければ、火に巻かれてただでは済まなかったはずだ。シヒスムンドの手を煩わせ、自分は結局怪我をして。
見る間に怒りが沸点を超えたシヒスムンドは、いまだに呆けて座り込む女の肩を掴み、力づくで顔を合わせた。
「なぜもっと早く逃げなかった!!!」
腹の底からの怒声が窓ガラスをびりびりと震わせた。消火を始めていた周りの部下たちが硬直する。
女は目にうっすら涙を張っているが、屈強な男たちでさえたじろぐシヒスムンドの気迫にも、呆然としたまま反応を示さない。眼前のシヒスムンドが見えていないのだ。
部屋の中で何が起きたのかは知らないが、この様子では、これ以上言い募っても意味がない。
シヒスムンドは付き合っていられないと、消火の指揮へ戻るべく、女から離れようとした。
しかし、服の裾を引かれる感覚に動きを止める。
シヒスムンドの服の裾を、いつの間にか彼女が握りしめていた。
「離せ」
服を引くが、女は手を離さない。
よく見れば、固く握りすぎて指が真っ白になっている。
目の前の情景を映していない瞳の色は、覚えがあった。シヒスムンドの良く知る、怯えた人間の目だ。だからといって、なぜ今邪魔をするのか。
「離せと言っている!」
指をこじ開けようにも、異常に力が入っていて、離さない。無理をすれば指を折ってしまうかもしれない。
「チッ」
仕方がないので、女の首を掴み、親指を沈める。頸動脈を押さえられた彼女は、ふっと意識を手放した。
彼女を部下に任せ、シヒスムンドはようやく服の裾を取り返す。
ふと気づく。
服の裾は、彼女が握りしめていたその部分だけ濡れていない。燃え移った火を消すために水を被ったから、他の布は水を含んでいるのに。
つまり、部屋から助け出した後に邪魔をしようと裾を引いたのではなく、炎の中で抱え上げた時から握っていたのだ。
女の怯えた目。思い返せば、呆然としていたのは火が弱かった時からだ。その時から、ずっと怯えて、何もできなくなっていたのではないか。
部屋から逃げていった男たちの存在を思い出し、まさか乱暴されたのではないかと一瞬頭を過るが、着衣に乱れはないのでその線は消える。
おそらく、小火程度であっても火が怖かったのだろう。ならば容易に逃げられる上、自分がいては身動きできないからと、一旦立ち去ったのは下策であった。
「まさか中に人がいたとは……」
「……ん? この女、マリエルヴィからの愛妾じゃないか?」
少し罪悪感を覚えたシヒスムンドの後ろから、女を託された部下たちの話が耳に入ってくる。
つられて顔を見ても、この女がマリエルヴィ王国から連れ帰った愛妾メルセデスであるかは、一度会ったきりのためシヒスムンドには判別できなかった。今更気づいたが、長い袖から隠れていた手枷の鎖が覗いている。
だが顔は思い出せずとも、戦場で剣を交わしたあの強さは忘れていない。魔力を駆使してシヒスムンドとも渡り合って見せたあの女。
今は手枷で魔力を使えないが、あれほどの魔力があるなら、元は魔力で身体能力を強化して、少し火にあぶられても無傷でいられたはずだ。元がそうだったのに、今更火が怖いはずがない。
あれは演技だったのだ。
先ほど覚えた罪悪感はどこかへ行き、また怒りが再燃してきた。
(なんだこいつは!? あのまま放っておけばよかった!)
だが、部下たちの手前、もう一度燃え盛る小部屋に放り込むような真似はできない立場だ。
自分のことは差し置いて、殺された先遣隊の恨みから剣呑な表情を浮かべる部下たちに声を張り上げる。
「その女はもう陛下の物だ。おかしな真似をするなら叩き切るぞ! さっさと医務室へ連れていけ! 他の者は消火に専念しろ!」
昔の恨みより今の恐怖。部下たちは即座にシヒスムンドの指示通り動き始めるのだった。
シヒスムンドはそう思っていたから、消火の人手や物資を手早く集めて、小部屋へ戻り目を見張った。
燃え広がった炎の奥に、先ほどの女がまだいたのだ。
「なっ! 貴様、なぜ……!」
先ほど立ち去った時と、たがわず同じ場所にうずくまっていた。
信じられない気持ちと苛立ちが沸き起こる。もう自分では出られないほど火が回っているし、彼女のドレスの裾にも火が付き始めた。
「くそっ!」
消火していては間に合わない。
自身のマントを肩から外し、炎に飛び込んだ。
火の中を通り抜けながら、女のいる部屋の隅に駆け寄り、手にしたマントを彼女に被せて抱え上げる。
彼女が火にあぶられないように、しっかり抱え込んで、入口までの炎の壁を突っ切った。
「閣下! ご無事ですか!」
「失礼します!」
衣服に火が移った状態で飛び出てきたシヒスムンドに、部下たちが水を浴びせてくれる。服は若干燃えたが、体に火傷はない。
被せたマントを取り払えば、女も大した火傷はなさそうだ。
この女が最初に逃げていれば、何の問題もなかった。あと少し遅ければ、火に巻かれてただでは済まなかったはずだ。シヒスムンドの手を煩わせ、自分は結局怪我をして。
見る間に怒りが沸点を超えたシヒスムンドは、いまだに呆けて座り込む女の肩を掴み、力づくで顔を合わせた。
「なぜもっと早く逃げなかった!!!」
腹の底からの怒声が窓ガラスをびりびりと震わせた。消火を始めていた周りの部下たちが硬直する。
女は目にうっすら涙を張っているが、屈強な男たちでさえたじろぐシヒスムンドの気迫にも、呆然としたまま反応を示さない。眼前のシヒスムンドが見えていないのだ。
部屋の中で何が起きたのかは知らないが、この様子では、これ以上言い募っても意味がない。
シヒスムンドは付き合っていられないと、消火の指揮へ戻るべく、女から離れようとした。
しかし、服の裾を引かれる感覚に動きを止める。
シヒスムンドの服の裾を、いつの間にか彼女が握りしめていた。
「離せ」
服を引くが、女は手を離さない。
よく見れば、固く握りすぎて指が真っ白になっている。
目の前の情景を映していない瞳の色は、覚えがあった。シヒスムンドの良く知る、怯えた人間の目だ。だからといって、なぜ今邪魔をするのか。
「離せと言っている!」
指をこじ開けようにも、異常に力が入っていて、離さない。無理をすれば指を折ってしまうかもしれない。
「チッ」
仕方がないので、女の首を掴み、親指を沈める。頸動脈を押さえられた彼女は、ふっと意識を手放した。
彼女を部下に任せ、シヒスムンドはようやく服の裾を取り返す。
ふと気づく。
服の裾は、彼女が握りしめていたその部分だけ濡れていない。燃え移った火を消すために水を被ったから、他の布は水を含んでいるのに。
つまり、部屋から助け出した後に邪魔をしようと裾を引いたのではなく、炎の中で抱え上げた時から握っていたのだ。
女の怯えた目。思い返せば、呆然としていたのは火が弱かった時からだ。その時から、ずっと怯えて、何もできなくなっていたのではないか。
部屋から逃げていった男たちの存在を思い出し、まさか乱暴されたのではないかと一瞬頭を過るが、着衣に乱れはないのでその線は消える。
おそらく、小火程度であっても火が怖かったのだろう。ならば容易に逃げられる上、自分がいては身動きできないからと、一旦立ち去ったのは下策であった。
「まさか中に人がいたとは……」
「……ん? この女、マリエルヴィからの愛妾じゃないか?」
少し罪悪感を覚えたシヒスムンドの後ろから、女を託された部下たちの話が耳に入ってくる。
つられて顔を見ても、この女がマリエルヴィ王国から連れ帰った愛妾メルセデスであるかは、一度会ったきりのためシヒスムンドには判別できなかった。今更気づいたが、長い袖から隠れていた手枷の鎖が覗いている。
だが顔は思い出せずとも、戦場で剣を交わしたあの強さは忘れていない。魔力を駆使してシヒスムンドとも渡り合って見せたあの女。
今は手枷で魔力を使えないが、あれほどの魔力があるなら、元は魔力で身体能力を強化して、少し火にあぶられても無傷でいられたはずだ。元がそうだったのに、今更火が怖いはずがない。
あれは演技だったのだ。
先ほど覚えた罪悪感はどこかへ行き、また怒りが再燃してきた。
(なんだこいつは!? あのまま放っておけばよかった!)
だが、部下たちの手前、もう一度燃え盛る小部屋に放り込むような真似はできない立場だ。
自分のことは差し置いて、殺された先遣隊の恨みから剣呑な表情を浮かべる部下たちに声を張り上げる。
「その女はもう陛下の物だ。おかしな真似をするなら叩き切るぞ! さっさと医務室へ連れていけ! 他の者は消火に専念しろ!」
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