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前編
6.交渉-2
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振り返り、ベンチを挟んで対面したのは、アルヴィドだった。
彼は手にした小さな紙片を軽く持ち上げ、イリスへそれの存在を示す。距離があって詳細は見えないが、何かは認識している。
「呼ばれたので、来ました……」
それは、彼へ回付される書類にイリスが紛れ込ませたもの。日時と場所、話があるとだけ書いた簡素な呼出し状だ。
紙片をポケットにしまったアルヴィドは、イリスの目ではなくその足元へ視線を向けている。普段の生気のない顔より一段と病的な様子だ。関わりたくないという拒絶の意思が伝わってくる。
だが、学生時代に記憶の鏡の前で罪を暴かれた時は、平然とし、ふてぶてしささえあった。ルーヘシオンで働くことを選び、イリスの前へ顔を出せたのだから、その性根に変わりはないはずだ。
「率直にお話しします」
関わりたくないというのはイリスも彼と同意見だが、それでは問題が解決しない。
「生徒たちが、私たちのことに無用な興味をひかれています。そして私たちが全く接触せず、関係性が見えないがために、因縁があるのではないかという噂を助長しています。互い、この状況は芳しいものではないと思われますが、いかがですか」
「……同意します」
イリスが彼に犯されたことは、普通の方法ではどれだけ調べても明るみに出ないだろう。証拠は記憶の中にしか残っていないのだから。
しかし、アルヴィドが生家から捨てられるように養子へ出され困窮していることなどは、ある程度調べられてしまう。今はまだ、なぜかは分からないが家名が変わって非常勤講師をしている、ということまでしか知られていない。
「丁度今は、あなたの境遇よりも、私との関係に興味が向けられています。ここで、噂を消しませんか」
「どうやって」
アルヴィドはイリスの足元を向いたまま話を続ける。
「普通に、会話をするだけです。生徒たちの前で」
因縁があると噂される二人が、普通に口を利いている。アルヴィドの転落人生のきっかけになる因縁があるのなら、険悪さでも醸し出されそうなものだが、平然としている。
生徒たちからそう見えれば、学生時代のベゼルス大会の勝敗は無関係で、時期が重なっただけの偶然だという結論に行き着いてくれるかもしれない。もう少しすれば学校行事で忙しくなるため、今のうちに火消しをすれば、すぐに忘れてしまうはずだ。
アルヴィドはしばらく黙っていたが、一瞬だけ、ちらりとイリスの目を見て、また足元へ視線を落とした。
その瞳の青色は、イリスの脳裏に彼の昔の姿をよみがえらせた。まるで大した価値のないもののように体を蹂躙した、下劣な悪魔の顔。しかしセムラクの術のおかげで、それに対し何の動揺もない。また、精神魔術の実力者であるイリスの術は、この精神的負荷がかかっても破れはしなかった。
「……わかりました」
アルヴィドは名家の子息から転落した現況を、恥と思っているのであろう。イリスの予想通り、噂を払拭するための対応を承諾した。
いつどこで会話をするか約束して、二人は別れた。
そして翌日から、事務連絡のみではあるが、生徒たちの前で会話をしてみせた。
期待した通り、教師二人の間に面白い関係はないのだと思って、噂や観察する視線は徐々になくなった。
しかしながら、この噂を払拭するための数か月に渡る対応により、イリスの心はセムラクの反作用でぼろぼろになっていった。さらに、それが辛すぎる時に服用する鎮静剤で内臓も害され、倦怠感などの症状が出始めている。
困ったことにアルヴィドが仕事を辞める気配はなく、部活の顧問としての評価も悪くない。
まだ年度が始まって三か月。イリスは彼の雇用期間の残り九か月を堪え切ることができるか、不安で仕方がなかった。
彼は手にした小さな紙片を軽く持ち上げ、イリスへそれの存在を示す。距離があって詳細は見えないが、何かは認識している。
「呼ばれたので、来ました……」
それは、彼へ回付される書類にイリスが紛れ込ませたもの。日時と場所、話があるとだけ書いた簡素な呼出し状だ。
紙片をポケットにしまったアルヴィドは、イリスの目ではなくその足元へ視線を向けている。普段の生気のない顔より一段と病的な様子だ。関わりたくないという拒絶の意思が伝わってくる。
だが、学生時代に記憶の鏡の前で罪を暴かれた時は、平然とし、ふてぶてしささえあった。ルーヘシオンで働くことを選び、イリスの前へ顔を出せたのだから、その性根に変わりはないはずだ。
「率直にお話しします」
関わりたくないというのはイリスも彼と同意見だが、それでは問題が解決しない。
「生徒たちが、私たちのことに無用な興味をひかれています。そして私たちが全く接触せず、関係性が見えないがために、因縁があるのではないかという噂を助長しています。互い、この状況は芳しいものではないと思われますが、いかがですか」
「……同意します」
イリスが彼に犯されたことは、普通の方法ではどれだけ調べても明るみに出ないだろう。証拠は記憶の中にしか残っていないのだから。
しかし、アルヴィドが生家から捨てられるように養子へ出され困窮していることなどは、ある程度調べられてしまう。今はまだ、なぜかは分からないが家名が変わって非常勤講師をしている、ということまでしか知られていない。
「丁度今は、あなたの境遇よりも、私との関係に興味が向けられています。ここで、噂を消しませんか」
「どうやって」
アルヴィドはイリスの足元を向いたまま話を続ける。
「普通に、会話をするだけです。生徒たちの前で」
因縁があると噂される二人が、普通に口を利いている。アルヴィドの転落人生のきっかけになる因縁があるのなら、険悪さでも醸し出されそうなものだが、平然としている。
生徒たちからそう見えれば、学生時代のベゼルス大会の勝敗は無関係で、時期が重なっただけの偶然だという結論に行き着いてくれるかもしれない。もう少しすれば学校行事で忙しくなるため、今のうちに火消しをすれば、すぐに忘れてしまうはずだ。
アルヴィドはしばらく黙っていたが、一瞬だけ、ちらりとイリスの目を見て、また足元へ視線を落とした。
その瞳の青色は、イリスの脳裏に彼の昔の姿をよみがえらせた。まるで大した価値のないもののように体を蹂躙した、下劣な悪魔の顔。しかしセムラクの術のおかげで、それに対し何の動揺もない。また、精神魔術の実力者であるイリスの術は、この精神的負荷がかかっても破れはしなかった。
「……わかりました」
アルヴィドは名家の子息から転落した現況を、恥と思っているのであろう。イリスの予想通り、噂を払拭するための対応を承諾した。
いつどこで会話をするか約束して、二人は別れた。
そして翌日から、事務連絡のみではあるが、生徒たちの前で会話をしてみせた。
期待した通り、教師二人の間に面白い関係はないのだと思って、噂や観察する視線は徐々になくなった。
しかしながら、この噂を払拭するための数か月に渡る対応により、イリスの心はセムラクの反作用でぼろぼろになっていった。さらに、それが辛すぎる時に服用する鎮静剤で内臓も害され、倦怠感などの症状が出始めている。
困ったことにアルヴィドが仕事を辞める気配はなく、部活の顧問としての評価も悪くない。
まだ年度が始まって三か月。イリスは彼の雇用期間の残り九か月を堪え切ることができるか、不安で仕方がなかった。
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