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中編
17.恐怖の低減-4
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二人はベンチに腰かけて、無言でイリスの不安が低減するまで待つ。
そうしているうちに、近所の子供たちが公園へやってきた。
イリスたちのいる公園の奥までは来ずに、入り口の階段を使って遊んでいる。何を話しているかは聞こえずとも、時折無邪気な笑い声が届いた。
「どんな、子供でしたか」
アルヴィドと会話を楽しみたいわけではないが、自分の中の恐怖と向き合い続けるより、話してそちらへ気を逸らしたかった。そこで何とは無しに選んだ話題だ。
「覚えていない」
たっぷり時間をかけて考えられた返答は、それだけだった。
「誰と、何をして遊んだとか、あるでしょう」
「……弟は、いた。一学年下、君の同級生のはずだ。だが、遊んだ覚えはない。……君は?」
どうやらアルヴィドは、昔の話はしたくはないようだ。イリスはそう受け取って、代わりに自分のことを語りだした。
「故郷は、田舎だけど、みんな優しい穏やかな場所で、決して低俗な人間が集まる場所ではありませんでした。魔法動物と、生きている場所の距離が少し近いだけ」
イリスの故郷は、魔物の生きる場所と境界を接する、かなりの田舎であった。実家のある村は、村民に淫魔の血が流れていると噂されていたおかげで、学生時代は非常に不快で不躾な視線を受けたものだ。
『他の生き物の精を貪ることしか頭にない淫魔の雑ざりものじゃあ、気付かなくても当然か』
ひどい言葉だった。だが、周囲からどう見られているのか、よく分かる言葉でもあった。
飲酒の冤罪の所為で、イリスがその噂の信憑性を高めてしまった。学内で校則違反の飲酒に手を出す堕落した人間。やはり、享楽を追求する魔物の血が流れているからだ、と。
グンナルとの取引材料にしたため、イリスは冤罪を晴らす手段を自ら捨てた。同級生たちに自らの、そして故郷の潔白を示すことは二度と叶わない。
「私も昔は、あんな風に弟たちや近所の子たちとごっこ遊びをしてました…。みんな、普通の……」
特別ではない。アルヴィドとも同じ、普通の人間だ。
今や、それを訴えられる相手は、事情を知るアルヴィドとグンナルだけになってしまった。
悔しくて、イリスの目からはまた涙があふれてきた。
「理解している」
端的な言葉は、イリスが煩わしくてあしらっているように聞こえた。
「なら……!」
怒りが、イリスを突き動かす。
久しぶりの苛烈な怒りを抑えられない。これまでは、セムラクで先送りしたものを解除時に受けはしていたが、その際には時間が空いているために冷めてしまっていて、このように声を荒げるほど感情が暴れはしなかった。
視界へ入れることさえ震えるほど恐ろしい相手だったというのに、イリスは隣のアルヴィドを睨みつけていた。
「なら、どうしてあんなことを言えたんですか!?」
対等な人間であると心から理解していれば、あのような言葉を口にできたはずはない。
なぜあそこまでのことが言えたのか。その理由を真っ向から否定して、侮辱を取り消してほしかった。
だが、アルヴィドは正面を見据えるばかりで、イリスと向き合おうとしない。
「わからない」
「はぐらかさないで!」
一瞬、その唇が震えたように見えた。
すぐに顔を背けられて、隠れてしまう。
「覚えていないんだ……」
アルヴィドは逃げるようにベンチから離れた。
だが、イリスを置いては帰れないことを思い出したのか、すぐに立ち止まる。
「いや、違う。覚えている。君にどれほど酷い言葉を吐きかけたのか」
責任逃れのように記憶にないと言ったり、一方で反省しているかのように振舞ってみせたり、アルヴィドの行動は理解し難かった。それでいて、謝罪は決して口にしない。
謝ってもらって何か意味があるのか、自分が満足するかもわからない。しかしアルヴィドの態度はイリスの神経を逆なでした。
イリスはまた非難しかけて、握りしめた手の指輪の感触を思い出し、唇を引き結んだ。
今はセムラクで平静を保っていない。激高し、勢いあまってアルヴィドを殺すかもしれない。
「今日はもう帰ろう。課題は、最初はグンナル先生と進めればいい」
そうして二人は、お互いの顔を見ることもなく、無言で帰宅の途に就いた。
そうしているうちに、近所の子供たちが公園へやってきた。
イリスたちのいる公園の奥までは来ずに、入り口の階段を使って遊んでいる。何を話しているかは聞こえずとも、時折無邪気な笑い声が届いた。
「どんな、子供でしたか」
アルヴィドと会話を楽しみたいわけではないが、自分の中の恐怖と向き合い続けるより、話してそちらへ気を逸らしたかった。そこで何とは無しに選んだ話題だ。
「覚えていない」
たっぷり時間をかけて考えられた返答は、それだけだった。
「誰と、何をして遊んだとか、あるでしょう」
「……弟は、いた。一学年下、君の同級生のはずだ。だが、遊んだ覚えはない。……君は?」
どうやらアルヴィドは、昔の話はしたくはないようだ。イリスはそう受け取って、代わりに自分のことを語りだした。
「故郷は、田舎だけど、みんな優しい穏やかな場所で、決して低俗な人間が集まる場所ではありませんでした。魔法動物と、生きている場所の距離が少し近いだけ」
イリスの故郷は、魔物の生きる場所と境界を接する、かなりの田舎であった。実家のある村は、村民に淫魔の血が流れていると噂されていたおかげで、学生時代は非常に不快で不躾な視線を受けたものだ。
『他の生き物の精を貪ることしか頭にない淫魔の雑ざりものじゃあ、気付かなくても当然か』
ひどい言葉だった。だが、周囲からどう見られているのか、よく分かる言葉でもあった。
飲酒の冤罪の所為で、イリスがその噂の信憑性を高めてしまった。学内で校則違反の飲酒に手を出す堕落した人間。やはり、享楽を追求する魔物の血が流れているからだ、と。
グンナルとの取引材料にしたため、イリスは冤罪を晴らす手段を自ら捨てた。同級生たちに自らの、そして故郷の潔白を示すことは二度と叶わない。
「私も昔は、あんな風に弟たちや近所の子たちとごっこ遊びをしてました…。みんな、普通の……」
特別ではない。アルヴィドとも同じ、普通の人間だ。
今や、それを訴えられる相手は、事情を知るアルヴィドとグンナルだけになってしまった。
悔しくて、イリスの目からはまた涙があふれてきた。
「理解している」
端的な言葉は、イリスが煩わしくてあしらっているように聞こえた。
「なら……!」
怒りが、イリスを突き動かす。
久しぶりの苛烈な怒りを抑えられない。これまでは、セムラクで先送りしたものを解除時に受けはしていたが、その際には時間が空いているために冷めてしまっていて、このように声を荒げるほど感情が暴れはしなかった。
視界へ入れることさえ震えるほど恐ろしい相手だったというのに、イリスは隣のアルヴィドを睨みつけていた。
「なら、どうしてあんなことを言えたんですか!?」
対等な人間であると心から理解していれば、あのような言葉を口にできたはずはない。
なぜあそこまでのことが言えたのか。その理由を真っ向から否定して、侮辱を取り消してほしかった。
だが、アルヴィドは正面を見据えるばかりで、イリスと向き合おうとしない。
「わからない」
「はぐらかさないで!」
一瞬、その唇が震えたように見えた。
すぐに顔を背けられて、隠れてしまう。
「覚えていないんだ……」
アルヴィドは逃げるようにベンチから離れた。
だが、イリスを置いては帰れないことを思い出したのか、すぐに立ち止まる。
「いや、違う。覚えている。君にどれほど酷い言葉を吐きかけたのか」
責任逃れのように記憶にないと言ったり、一方で反省しているかのように振舞ってみせたり、アルヴィドの行動は理解し難かった。それでいて、謝罪は決して口にしない。
謝ってもらって何か意味があるのか、自分が満足するかもわからない。しかしアルヴィドの態度はイリスの神経を逆なでした。
イリスはまた非難しかけて、握りしめた手の指輪の感触を思い出し、唇を引き結んだ。
今はセムラクで平静を保っていない。激高し、勢いあまってアルヴィドを殺すかもしれない。
「今日はもう帰ろう。課題は、最初はグンナル先生と進めればいい」
そうして二人は、お互いの顔を見ることもなく、無言で帰宅の途に就いた。
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