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後編
24.最後の手段-2
しおりを挟む「皆さんは、通路を塞ぐように立ってしまっている友人を見て、どうしますか? 声をかけるか、自分がぶつからないよう避けて通るでしょう。その警察官も、正常なら同僚へ声をかけるに留まるか、大した問題はないので放置したはずです。しかし彼は、同僚を殺してしまうことで問題を解消しました。同僚が嫌いだったのではないかと思うかもしれません。ですがそれはおそらく真逆で、二人は子供のころからの友人でもあり、お互いの結婚式へ参列し、休日も家族ぐるみで付き合いがあったといいます」
イリスは、人の頭の中には、本能、感情、理性、記憶などが、多少揺らぎはすれど、おおむね均衡を保って存在していると考えている。そしてその均衡を保たせているのが、正気と呼ばれる箍なのだろうとも。
セムラクの反作用で増幅した感情に襲われ、警察官は正気を失った。記憶があるために目の前の任務を遂行しようとするが、同僚が少し邪魔に感じた。
その他の記憶の中の人を殺せば裁かれるという情報や、道徳的に許されないという理性、同僚は大切な友人だという感情。均衡を損なっているため、任務の記憶だけが前へ出て、他の要素は見えなくなっていた。
もはや同僚は、ただの障害物だった。だから、破壊した。今となっては分からないが、イリスはそう考えている。
「些細なことを、絶対に取り得ない選択肢で解決してしまったのです。それが、セムラクの術が破れる、ということです。あなたも実技試験中に、相手を殺してしまうかもしれません。もちろん、あなたの術の精度の方が勝り障壁は破れなかったり、破れても正気を失うほどの反作用にはならない可能性もあります」
「どうして、こんな魔術が精神魔術の教本の序盤に出てくるんですか……」
話に怯えた顔の生徒は、当たり前の疑問を呈した。
「教本に記載されている魔術の順序は、難易度と必要性から決められています。セムラクは比較的容易で、そして必要性が高いと判断されているのです。この国が戦争になった時や、例えば間近で犯罪者が周囲へ危害を加え始めた時、魔力を持つ私たちが真っ先に戦わなくてはなりません。それが力ある者の義務です。ですがいざという時、感情に気を取られ体が動かなければ、何も守ることができなくなります。この術は、あなたたちが成すべきことを成し、そして自分を守るために、早くに学んでいるのです。決して、怖いことから逃げるための手段ではありません。だから、セムラクは命の危険がある場合の、最後の手段にしてください」
彼らにそう説きながら、イリスは安易にセムラクへ頼り始めた、かつての自分を恥じた。イリスも当時の教師の心からの訴えを聞いている。だが、自分の命ではなく、心を守るために、誤った選択をしてしまった。
セムラクが何をもたらすのか、身をもって知っているイリスだからこそ、生徒たちには術の恐ろしさをよく理解してほしかった。
「……それに、セムラクは濫用すれば普通の感情を失わせます。努力して目標を達成しても、その喜びがわからないまま流れて行ってしまうでしょう。誰かが自分を思いやってくれても、それを受け取れなくなります。セムラクはいざというとき自分を助けてくれますが、恐ろしい一面があることを忘れないでください。皆さんには、不安なことや怖いことから逃げず、そして今しか得られない喜びを見過ごさないでいてほしいと思っています」
以前のイリスであれば、生徒たちに事例の話だけして突き放しただろう。使用自体は違法ではないから、自分で判断するようにと。
だが、治療が進み、セムラクを使わずに過ごす時間が増えるにつれ、イリスは彼らに安心して日々を過ごしてほしいと思うようになった。
相応しい話をできているのかは、まだよく分からない。それでも、自分の心を乗せた言葉をできる限り伝えるようにしている。
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