【青天白雪、紅の君。2072】 〜2072年夏、僕は無口な少女と出会った〜

凜 Oケイ

文字の大きさ
13 / 78
第一部

@13 名前

しおりを挟む
「おはようお兄ちゃん、よく眠れた?」
 朝か。僕はベッドから起き上がる。
「久しぶりにね。良いベッドのおかげだ」
 僕はベッドを撫でた。寮のベッドは少し固かったが、ここのベッドは身体を包み込むような不思議な素材だった。
 僕は足元で何かが動いていることに気がついた。猫かと思ったがそれは自動掃除機だった。
「親への気持ちの整理はもうついているって、自分ではそう思っていた」
 僕は昨夜の夢を思い出しながらそう呟く。
「でもでも、心の底じゃついていなかった」
 幽霊が僕の心を代弁した。
「そう、父親ですら。小学四年生から一度も会っていないのに、棘のように心に刺さっている」
 僕は床を走る掃除機を踏まないようにして部屋を出て洗面所に向かった。この家の風呂場は一階だけだが、トイレは各階にある。
「過去に囚われてるんだね」
 僕は洗面台の鏡越しに幽霊を見つめた。ゆらゆらと揺れる白い服は何かに似ていた。
「そうだ、いいことを思いついた」
 僕がそう言うと幽霊はキョトンとした顔で首をかしげた。
「君に名前をつけよう。ただただ幽霊って呼ぶのはいささか味気ない気がするんだ」
 幽霊は浮かび上がって僕に顔を近づける。僕は振り向いて微笑んだ。
「どうだい、何か希望はあるか?」
「ううん、お兄ちゃんがつける名前なら何でもいいよ」
 僕は幽霊をまじまじと観察した。何か特徴になる要素はないだろうか。数分間の奇妙な空白ののち、僕は口を開いた。
「雪(ゆき)というのはどうだろう」
「ゆき、降りしきる雪?」
 幽霊は雪降る景色を思い浮かべるように目を上に向けた。
「そう、君は真っ白だから雪。すこし安直すぎたかな」
 僕は照れを隠すための笑みを顔に浮かべた。
「雪、気に入ったな。ボクは今日からそう名乗るよ」
 幽霊は目の前でスケート選手のように一回転した。
「そうか、うん、気に入ってもらえて良かった。あらためてよろしく、雪」
 僕は手を差し出した。雪と触れ合うことはできないと知っていても身体が勝手にそう動いた。雪はそれに応じて手を重ね合わせてくれた。
「夢の中とはいえ、君の言葉は確かに僕を励ましてくれた。僕に取り入るための作戦だったとしたら僕の負けだ」
 お兄ちゃん、すごいや。何て簡単な言葉だろう、でも僕が欲してたのはそういった言葉だったのかもしれない。今や僕の中の雪に対する嫌悪の感情は確実に薄まっていた。
「あれは作戦なんかじゃないよお兄ちゃん。本心なんだ」
 雪は本当に触れ合いそうになるくらいに僕に顔を近づけた。
「僕はお兄ちゃんに嘘をつかない」
 真剣な眼差しだった。紅い眼の奥に何か蠢くものを見た気がした。
「コズ?」
 ユヅハの声だ。僕は幽霊に目配せをしてトイレを出た。
「おはよう、顔を洗っていたんだ」
 そこには寝間着姿のユヅハが立っていた。でもよく考えたら僕だってそうだ。
「おはよう。部屋にいなかったからこっちに、朝食を用意したから呼びに来た」
 僕は感謝の言葉を述べて一階に戻る彼女の後を追う。彼女のすぐ後には猫も歩いていた。ユヅハに懐いているのだろうか。
「よく眠れた?」
 本日二回目の質問だった。
「ああ、おかげさまで」
「よかった、運動は好き?」
「嫌いじゃないけど、得意ではないかな」
「後で庭でテニスでもどうかなって」
 意外な提案だったが、僕には断る理由もなかった。
「もちろん、お手柔らかに」
 軽い朝食を済ませたあと、僕は彼女が用意してくれたテニスウェアに着替えた。
「似合ってる」
 ユヅハが言う。サングラスをかけたユヅハは表情が隠れて更に謎めいた雰囲気があった。僕はすこし安心した。今の彼女はそれほど悲観的な表情をしていなかったから。
 僕たちはラケットを持って濁りのない青空の下に立った。
「テニスのルールを知らない」
 僕はネットの向こうにいるユヅハにそう言った。
「じゃあ、先に五回ポイントをとった方が勝ちっていうのはどう?」
「そうしよう、わかりやすい方が助かる」
 ユヅハは頷いてボールをサーブした。僕は走ってそれを打ち返し、彼女もまた走ってそれを打ち返した。
 最初、僕は彼女の動きを緩慢だと思い、勝てると思っていた。しかしよく観察するとそれはあくまで最低限の動きでボールを取りに行っているのだと気づいた。
 後半戦になると僕は息切れが目立つようになった。自分の体力を全く把握できていなかったのが原因だ。
 結局二対五で僕は負けた。僕は負けた瞬間、綺麗なコートに寝そべった。真っ白な太陽が目に入り思わず目を閉じた。
「僕の負けだ」
「初めてにしては悪くない」
「ありがとう、自分の体力の無さに驚いたよ」
 僕は自嘲気味に笑った。
「仕方がない、寮生活じゃ身体も鈍る」
「体育プログラムだけじゃ健康に必要な運動量はこなせないからね」
 経馬みたいな人間なら休み時間や休日に友達とバスケットボールなんかもしているが僕がそれほど活発な人間じゃないのは自明だ。
「家の中にはジムもある、この夏休みのうちに体力をつけてもいいかも」
「至れり尽くせりだな、ここでの生活は最高だ」
 僕は立ち上がって地面から拾い上げたボールを思いっきり打った。小気味良い音を立ててボールが吹っ飛ぶ。
 僕の心は今やこの青空のように晴れ上がっていた。
「君が望むならいつまでもここに居てもいい」
「はは、できるならそうしたいね」
 僕はユヅハの冗談に笑顔でそう返した。しかし冗談ですら真顔で言うのは少し反応しにくかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

二重のカーテン (スカートの下の黒い意志)

MisakiNonagase
青春
洗濯物の隙間に隠したのは、母としての祈りと、娘のプライド。 かつて、女子高生という生き物はもっと無防備で、自由だった。 44歳の主婦、愛子が朝のベランダで手にするのは、娘たちが毎日履き替える漆黒のオーバーパンツ、通称「黒パン」。それは、令和を生きる娘たちが自らの尊厳を守るために身に着ける、鉄壁の「鎧」だった。 小学校時代のママ友たちとのランチ会。そこで語られるのは、ブルセラショップに下着を売っていた奔放な50代、無防備なまま凛と歩くしかなかった40代、そして「見せないこと」に命を懸ける10代の、あまりに深い断絶。さらには、階段で石像のように固まる父、生徒の背後に立たないよう神経を削る教師……。 一枚の黒い布を通して浮き彫りになる、現代社会の歪さと、その根底にある不器用なまでの「優しさ」。 ベランダに干された黒いカーテンの向こう側に、あなたは何を見ますか?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ト・カ・リ・ナ〜時を止めるアイテムを手にしたら気になる彼女と距離が近くなった件〜

遊馬友仁
青春
高校二年生の坂井夏生(さかいなつき)は、十七歳の誕生日に、亡くなった祖父からの贈り物だという不思議な木製のオカリナを譲り受ける。試しに自室で息を吹き込むと、周囲のヒトやモノがすべて動きを止めてしまった! 木製細工の能力に不安を感じながらも、夏生は、その能力の使い途を思いつく……。 「そうだ!教室の前の席に座っている、いつも、マスクを外さない小嶋夏海(こじまなつみ)の素顔を見てやろう」 そうして、自身のアイデアを実行に映した夏生であったがーーーーーー。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

処理中です...