【青天白雪、紅の君。2072】 〜2072年夏、僕は無口な少女と出会った〜

凜 Oケイ

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第二部

@19 八月十九日

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 無人タクシーの広い座席に腰掛け、窓から見える都会の景色を頬杖をつきながら眺める。
 朝陽に照らされた白く高い直方体が地面から無数に生えており、その壁面の至るところに黒く幾何学的な模様が描かれていた。この白い直方体は全て建物だ。表面は平坦でところどころに窓が開いていなければ大きさの感覚を喪失してしまいそうだった。
 僕は慣れない眼鏡をつけ、ビルの方を向く。さっきまで何もなかったビルの壁面は色鮮やかな画面に覆われていた。そのほとんどが広告だ。黒い模様は表示位置の調整用で、僕たちがこの眼鏡のような情報拡張機器を通して見ることで初めて広告が表示されるのだ。こういった眼鏡はGDAIグラスというもので、GDAIはGrasses to Display Augmented Information(拡張された情報を表示するための眼鏡)の略だ。僕は日本語のGDAIグラスという呼び方に違和感を覚えずにはいられなかった。Grassesという言葉が既に入っているのにどうして”グラス”をつけるのだろう。
 広告は誰にでも同じ広告が表示されるわけではなく、その個人に最適化された広告が表示されている。僕のGDAIグラスには旅行や学習塾の広告が表示されていた。
 僕は騒がしい視界から逃れるためにグラスを外した。さっきまでの騒々しさは消え、また模様の描かれた静かな都市風景に戻った。
「日本から広港(グアンガン)市への直行便はない」
 前に座っているユヅハの声だ。彼女は両目の繋がった独特なデザインのGDAIグラスを着けていた。彼女はレンズの透過度を下げており彼女の目は見えなくなっていた。彼女の視界には何が表示されているのだろうか。
「成田から北京まで飛び、陸路で国境を超えてFRCの広港市まで行く」
 広港市というのが今回ユヅハが行こうとしているところだ。僕はインターネットに接続して広港市について調べた。
 できたのは2053年、旧中華人民共和国政府が行政区分を再編する際にできたと書かれている。記事にはいくつも注釈が設けられており、それらの多くは様々な主張を併記するものだった。
 中華はいま非常に敏感な状況に置かれている。旧中華人民共和国と呼ばれる共産主義体制は2056年に民主化されて中華連邦共和国(FRC)となったが、60年代に軍によるクーデターが起こり政権を奪取、その軍事政権は再び中華人民共和国、中国を自称している。しかしその軍部も完全に全土を掌握したわけではない。FRCは抵抗を続けながら南下し、今は中華の南部を実効支配している。そしてそのFRCの首都が広港市だった。
 そしてそういう地域に行くにあたって僕は政治的な不安を感じた。数年前に人民共和国とFRCの間で一時的な講和がなされ広大な緩衝地帯が作られたものの、いつまた衝突が起こってもおかしくなかった。しかしそれよりも大きな不安はユヅハが親との問題を解決できるか、それに僕が上手く協力できるかだった。
 段々と建築物の敷地が大きくなり、間隔が広くなっていく。人口密集地から離れていることを示していた。平坦な高速道路を走り抜け、僕たちは空港に着いた。
 空港は隅々まで清潔だった。僕が立ち止まって辺りを見回していると背の低い案内用のロボットが話しかけてきた。頭についたスクリーンに顔のようなものが表示されている。
「ようこそ、成田空港についての案内は必要ですか?」
 ロボットの顔は刻一刻と変化したが、最終的に猫のような顔に落ち着いた。カメラで僕の微細な表情の変化を見て、僕が最も好感を抱く顔に変えたのだろう。僕は案内を拒否した。
「海外に行くのは初めて?」
 周囲の人間は皆GDAIグラスを付けていた。僕も周囲に合わせるようにグラスを付ける。市街地と違って広告は少なく、広い空港を案内するための矢印があちこちに飛んでいた。
「ああ、初めてだ」
 彼女は複雑な構造の空港を迷うことなく進んでいった。
[十一時半発、北京空港行き人民航空3007便に搭乗の方は午前十時半までにJ-263搭乗口にお越しください]
 どっちの性別とも取れる合成音声でアナウンスが流れた。中国語や英語で同じアナウンスが繰り返され、僕の視界にも同じ内容が表示された。僕たちが乗る便だ。
 きっかり十時半、J-263搭乗口が目の前にそびえ立っていた。客は何人かいたが、他の搭乗口に比べて圧倒的に少なかった。外交省から観光目的での訪中は自粛してほしいとの声明が出されたばかりだ。新中華人民共和国政権との外交はまだ模索段階にある。その中で日本人が問題に巻き込まれれば厄介なのは自明だ。
 僕は大きな窓から外を眺めた。巨大な白い鳥が僕に顔を向けている。尖った鼻が今にも突っ込んできそうだった。雲のない青空を見上げてみる。遠くに大きな鳥が瞬いていた。それは甲高い鳴き声を立てながら段々と高度を下げ、遠くに見える滑走路に降り立った。大型旅客機だ。百メートルの巨体が軽々と飛び立ったり降り立ったりするのを僕は子供のように眺めた。
「あれに乗るの?」
 雪は僕の隣で呟いた。雪はすこし小ぶりな飛行機を指差している。小ぶりと言ってもちょっとしたビルほどの大きさがある。
「人民航空って書いてある、きっとそうだ」
 赤い五芒星が誇らしげに刻まれたその飛行機はスタイラスのように細く尖っていた。収容量より速度を重視しているのだろう。飛行機は搭乗通路に接続するためにゆっくりと動いていた。
「あれに乗るのちょっと怖いかも」
「幽霊にも怖いものが?」
 僕はすこし意地悪げに言った。雪は一瞬キョトンとしたがすぐに笑い出した。
「萩原 ユヅハ」
 ユヅハが近くにいた係員にそう言うと係員は耳を指で抑えて何かを話した。おそらく耳に業務用の通話機か何かを入れているのだろう。そうするとどこからか紳士的な老年の男性が現れた。
「お待ちしていました。こちらへどうぞ」
 男性は僕とユヅハを裏口のようなところへと連れて行った。無骨な扉を見て僕は単なる業務用の運搬通路だと思っていたが、なかに入ると長い豪奢な廊下だった。壁には何枚も高級そうな絵画が掛かっており、床はビロード地だった。
「成田にこんなところがあったなんて…」
「特別なお客様に限って入れる場所です」
 僕は男性の発音がすこしだけ訛っていることに気がついた。おそらく中国人なのだろう。
「まさかファーストクラスを?」
 僕は隣にいるユヅハに耳打ちした。
「VIP室、ファーストクラスより上」
 VIP”席”でなくVIP”室”? 僕は深く気にかけなかった。
 廊下を出ると大きな四角い金属製の筒があった。扉はなく天井や壁とも触れていなかった。田舎の観光地でたまに見る鳥居というやつを奥向きにずっと伸ばしたような風情だ。
「スキャナーです、お通りください」
 僕たちは言われた通りに金属製の筒の中を進んだ。ところどころからオーンという重低音がした。
「お疲れ様です、空の旅をお楽しみください」
 筒を抜けると飛行機の中が見えた。もう飛行機に乗れるのだろうか。
「荷物検査やパスポートの提示は?」
 僕は振り返って男性に聞いた。安全のためにも必要なはずだ。
「さきほどの走査(スキャン)で全て済んでいますよ」
 納得できなかった。ただの金属の筒を通っただけだ。
「疑うならば、そうですね…仁山コズ。2054年6月6日東京生まれ。病原体の有無は陰性。上着の内ポケットにフィネコン社製のMFD(多機能端末)が」
 僕は思わず上着の上から端末を撫でた。
「メーカーまで…」
 僕の驚きを男性は嬉しそうに受け止めた。
 本来ならば一時間近くかかるであろう搭乗手続きは十分ほどで終わり、僕たちは飛行機の扉をくぐった。意外なことに並んだ座席はなく細い廊下が奥に向かって伸びており、横向きに扉がいくつかあった。最も奥の扉の前に暗い緑色の制服を着た女性の服務員が立っていた。
「ようこそ、こちらが客室になります」
 VIP ROOMの看板が掛かった扉が開かれ、流れ出た冷房が僕の身体を冷やした。中に入るとそこは文字通り部屋だった。
「VIP席ではなくVIP室とはこういうことか」
 部屋はソファが向かい合って置かれており、ちょっとした机もあった。机の上には今やほとんど見ない紙製の新聞や雑誌が置いてあった。演出のためかは知らないが、確かに紙があるだけで一気に古き良きという雰囲気が感じられた。僕はいくつかの中から日本語で書かれているものを手にとった。
  書かれているのは昨日の出来事だった。環華人民銀行のシステムがオンライン上で何者かにより攻撃を受け、一部の機能が二秒間停止したとのニュースだ。昨晩のインターネット・ニュースで見たのと全く同じ内容だった。数年前からよく聞く類のニュースだ。評論家はある組織の仕業でないかと疑っている。その組織は藍色戦線(Blue Front)と呼ばれている。
 藍色戦線は反中共系の非正規武装組織だ。先の衝突の際にも遊撃戦を積極的に仕掛け人民解放軍を苦しめていた。現在は表立った戦闘を起こしてはいないがそれは現実空間に限った話だ。仮想空間では毎日のように共産党や共産党と繋がりが深い環華人民銀行と苛烈な戦いが繰り広げられている。藍色戦線は反監視社会の思想も掲げており、熱狂的な支持者もいる。日本でもこの組織の名を刻んだシャツが売られていたりもする。
 僕たちの空間は他の旅客とは完全に隔離されていた。ユヅハは荷物を放り投げてソファにどすんと座った。僕も座ってみるとソファは想像以上に沈み込み、座り心地の良さに僕はまた驚いてしまった。
「飛行機に乗るのも初めて?」
 ユヅハはソファの上で足を組んでサングラスを外し、襟にかけた。
「いや、沖縄に行った時に乗ったことがある」
 ほんの小さい頃だ。父親に連れられて沖縄の自衛軍の基地を見学した。軍人たちが火力演習なんかもやっており、僕はその大きな砲声に驚いた。
「でも経済(エコノミー)クラスだったよ。VIP室なんていうのは初めてさ」
 僕は丸い小窓から外を眺める。灰色の滑走路の上で鮮やかな色の作業服を着た人間やトラックがちょこまかと走り回っている。
「煙草がないと落ち着かない」
 気を紛らわすためなのかユヅハはガムを大きな音を立てながら噛んでいた。さすがの彼女でも禁輸品をポケットに入れて飛行機に乗るほど無思慮ではなかった。
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