【青天白雪、紅の君。2072】 〜2072年夏、僕は無口な少女と出会った〜

凜 Oケイ

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第二部

@33 藍色戦線

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 計画実行当日、僕たちは数十人もの戦士たちと同じテントに集められた。全員の視線の先には演台があった。演台の後ろには立派な旗が掲げられており、その旗には青い背景に鍵を咥えた狼が描かれていた。鍵は拘禁からの解放を象徴しており、狼は何事にも屈しない強靭さを象徴している。その演台に基地司令がやってきて立つ。基地司令は堂々とその胸を我々に向けた。
「戦士たちよ」
 低い声が拡声器を通してテントじゅうに響き渡る。僕はいまさら彼の英語がイギリス訛りだと気づいた。
「明日世界は変わる。我々はようやくこの監視社会に打撃を与えることができる」
 藍色戦線はここ数年、反共産主義を前面に押し出してきた。理由は簡単で、反共産主義を支持する人間は多いが、反監視社会を支持する人間は少ないからだ。藍色戦線は支援を取り付けるために反監視主義の露出を抑えてきた。実際に反共産主義を支持する民主主義国家の非公式な支援がなかったら藍色戦線はこの基地のようなハイテク技術を駆使できなかっただろう。
「監視社会を我々が危惧する理由は何だ。それは三つの言葉に集約できる。萎縮効果、格差の固定、そして不可逆性…諸君らはすでにこれを何万回も反芻しているだろう。しかし私はあえていま一度それを言葉にする」
 周りの若き戦士たちはみな砂漠色の制服を着ていた。私服の僕たちはすこし疎外されているように感じた。
「萎縮効果。監視の可能性に晒された人間は無意識にその行動を制限してしまう。それは犯罪の抑制に大きな効果を発するだろう。しかし犯罪と自由は紙一重でもある。自由な行動を制限された人間は自由な思想をも喪う。監視社会は人類の多様性を破壊するのだ!」
 僕はウェイの話を思い出した。彼はケーブルだらけの部屋のなかで僕にこの思想を説いた。
「格差の固定。個人証明の最大の特徴は個人情報を企業が管理するところにある。個人証明企業はその個人情報を審査し契約者に職の斡旋をする。よくできた仕組みだろう。契約者は自分に最適な仕事を苦労することなく得ることができる。企業は最適な人材を苦労することなく得ることができる」
 現在の職はほとんどが国際的に行われている。同じ条件でインド人とアメリカ人が同じ企業で働くのだ。国籍に囚われない雇用は一見公平に見える。
「それで雇用の機会は完全に平等になったと思われてる。そしてそれは事実だ。しかし教育の機会は平等か? 優秀なアフリカのエンジニアはEUのエンジニアと同じ給与を受け取ることができる。では平凡なアフリカ人は? 彼らは未だに充分な教育を受けることができていない。しかし地元の職はほとんどが優秀な外国人で代替されている。そしておまけに物価まで上昇している。彼らはどうすれば?」
 度々指摘されてきた問題だ。完全な能力主義は近接した地域に富裕層と貧困層が同居するような社会を形成した。それが21世紀初頭だったなら犯罪が絶えなかったことだろう。しかし今は監視がある。富裕層を狙った犯罪は行動に移す前に逮捕されてしまう。
「そして不可逆性。これが我々が行動する最大の理由だ。一度監視が広まった社会は元に戻れない。問題点を一考する暇もなく監視は広まった。2057年時点での個人証明の加入は世界全体で30%だった。しかし今は90%を超えようとしている。わずか15年だ。我々はこれを止めるか遅延させ、社会に回復の選択肢を与えなくてはならない」
 彼は続ける。
「環華人民銀行は中国共産党と繋がっており、共産主義と個人証明を兼ね備えた我々の最大の敵だ。そして本計画は我らが誇る同志、魏邏陽の推奨によって実行される」
 僕はウェイを横目に見た。彼は他の戦士と同じように微動だにせず立っていた。
「彼女は他二人の同志と共に危険を顧みず潜入を試みる。それらは全て人類社会のためだ」
 ユヅハの親への復讐という動機は僕たち四人の暗黙の秘密だった。そして僕たちはここでは事あるごとに三つの理由を口にした。萎縮効果、格差の固定、不可逆性…。僕は未だに完全にこの思想に完全に賛成しているわけではない。しかしそれを態度に出す必要はない。僕は基地では完全な思想の尖兵として振る舞った。
 僕は一昨日に昼食を共にした青年を思い出す。彼は物腰が柔らかく教養があった。しかし僕は彼との会話でかなり気を遣った。彼はどこかで新米の僕を信用していなかったのだ。彼は会話のところどころに思想を試すような話題を巧妙に織り込んだ。幸い僕は彼の機嫌を損ねはしなかったようだったが、僕はここの人間の思想の強さに恐怖に近いものを感じた。ウェイや李閲慕のような、思想と距離を置いた人間の方がここでは少数派なのだ。
「審査所の襲撃は環華人民銀行とフィネコン社、両方に対する攻撃となる」
 しばらくすると演説は環華人民銀行と中国共産党に対する批判へと移った。
「───十年前の屈辱を我々は忘れない。2062年、北京で演説していたFRCの大統領は爆弾を搭載した小型無人機によって爆殺された」
 僕たちがまだ小学校低学年だった頃の事件だ。大統領がとある広場で演説しているとき、近場の建物に隠されていた十数台の小型ドローンが一気に大統領の方へと向かった。無論そのほとんどが警察によって撃墜された。しかしそれを掻い潜った二台が大統領を殺すことに成功した。この事件をさらに悲惨なものにしているのは撃墜された小型ドローンによるものが大きい。警察によって撃墜された大量の小型ドローンは大統領の手前十数メートルで自爆した。その場所は観客に埋め尽くされていたのだ。あたりは一瞬にして地獄絵図と化し、爆発は多数の死傷者を出した。中華人民共和国ではこの事件は単なる個人によるテロとして扱われているが、組織的すぎるこの暗殺は旧人民解放軍によるものというのが世論だった。
「環華人民銀行は事前にこの暗殺を察知していた。しかし彼らはこれを黙殺したのだ!」
 FRCは2064年までは契約件数こそ少ないものの個人証明は違法ではなかった。つまり環華人民銀行には監視能力があったのだ。違法となった原因は明確で、この陰謀論によってFRC人は個人証明に対する信用を完全に失ったからだった。実際、藍色戦線はFRC国内ではかなりの支持を得ている。個人証明企業の公平性を担保するための仕組みである公平審査が始まったのもこの事件が起こってすぐだった。
 基地司令の演説は当初の落ち着いた口調から段々と熱を帯びてきた。終わりに近づくに連れ、内容は具体的なものから抽象的な内容へと移っていった。
「人類文明は過去に類を見ない最大の危険に面している。自分で自分の首を絞め、築き上げてきた自由という素晴らしい財産を破壊しようとしている。それは幾万の先人たちの流血を踏みにじる行為だ!」
 基地司令の身振り手振りや話術は巧みだった。それは彼を大きく見せ、そして演説の説得力を何倍にも増幅した。
「人類の明日のために我々は行動する。我々は恐れを知らず死地に赴き、そこに拠点を構築し敵に攻撃する。これこそが藍色戦線の本領である! 誇り高き戦士諸君! 前進せよ!」
 基地司令は勢いよく右手を突き上げた。戦士たちはそれを真似て同時に手を突き上げた。服の擦れる音が何重にも重なりそれは銃声のような勢いを持って空気を震わせた。演説が終わると戦士たちはお互いの身体を叩いたり大声を上げたりしていた。激励のようなものだろう。
「コズさん、行きましょう」
 ウェイの声が僕を浮ついた空気から連れ戻した。彼は湯の中に投げ込まれた氷のように一人だけ冷静だった。僕たちはユヅハや李閲慕にも声をかけて場から抜け出した。
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