【青天白雪、紅の君。2072】 〜2072年夏、僕は無口な少女と出会った〜

凜 Oケイ

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第二部

@44 朝霧

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 早朝、僕の腕環が通知を受信して振動した。当局に没収されたものの代わりについ最近買ったものだった。発信者はユヅハだ。僕は隣に眠る魏邏陽(ウェイ ルオヤン)の安らかな寝顔を見た。MFD端末を手に取り、彼を起こさないように服を着て屋上へと向かう。
 ホテルの屋上からは朝霧に包まれる街の景色が一望できた。屋上にはバーや観光客向けの有料望遠鏡などがあったが、今は誰もいなかった。僕は冷たい手すりに身体を預け、通話を開く。
「おはよう」
 ユヅハの声がスピーカー越しに響く。
「ああ、おはよう」
「起こしてしまった? その、連絡がなかったから…旅行は順調?」
「大丈夫だ、邏陽も良くしてくれている。明日までには帰るよ」
 今日は邏陽と万里の長城に行く予定だった。
「そう、良かった。待ってる」
「…一人にしてすまない」
 いまや僕は彼女との間に物理的な隔たりと共に精神的な隔たりをも感じた。
「大丈夫。楽しんで」
「そうだ、その…一つ聞いてもいいかい?」
「うん、なに?」
「僕に…何というか、隠していることはないかい?」
 僕は自分の尋問じみた言い方を自分で嫌悪した。
 長い沈黙。
「…邏陽から聞いたの?」
「ああ、」
「隠してたわけじゃない。ただ、誤解されるのが怖かった」
 彼女の声は震えていた。
「君は邏陽の兄が好きだった。しかし彼、雷進は死んでしまった。…君が教会で経馬じゃなくって僕に声をかけたのはきっと───」
「違う!」
 彼女の叫びが僕の言葉を切った。
「違う…本当に…コズが好きで…」
「…僕も君が好きだったよ」
「お願い、何でもする…これからは何も隠さない、だから…離れないで…」
 ユヅハはついに泣き出した。僕まで目頭が熱くなる。愛する人間にこれほど必死に懇願されているのだ。彼女をこの場で許せたならどんなに楽だろうか。でもそれを僕の心のどこかが拒絶していた。僕は意地悪だろうか。偏狭だろうか。
「わからないや、自分の心がわからないんだ。僕はどうすればいい? 君を…許せないんだ…君を信じたいのにできない…」
 自分で自分の言葉をもはや止められない。
「君と違って、邏陽は君に唆(そそのか)されていただけなんだ…彼は僕に嘘をつかなかった、」
「コズ…もしかして邏陽となにか…」
「なあ、魏雷進はどんな人だったんだい? きっと有能で、社交的で、格好良くて…」
「コズ、聞いて…雷進と君は関係ない…」
「僕は彼の真似をすればいいのかい?」
 彼女はもはや言葉にならない声を出していた。僕は今にも溢れ出しそうな言葉とそれに対する葛藤でおかしくなってしまいそうだった。
「ごめん…これ以上話すと更に君を傷つけてしまう…君を傷つけたくないんだ…」
 僕は無理やりに通話を切った。スピーカーが無音になると、押し潰されそうなほどの罪悪感を感じた。後悔の念が湧き上がる。僕は地面にへたり込んだ。
「選ばなくてはいけない」
 邏陽かユヅハか。北京か東京か。そしてそれはどちらかを裏切るという選択になる。
「どっちを選ぶの?」
 白い空を背景にして雪が浮かぶ。
「わからない…二人とも僕を必要としているんだ」
 雪が笑顔を浮かべる。子供を相手にするような笑顔だ。幼い容姿の雪がそういった表情をすると、僕は雪より更に幼い存在であるかのように感じられた。
「お兄ちゃんはどっちと居たいの?」
 当たり前のように雪はそう言う。
「僕は…」
 言葉に詰まる。選べないから困っているのだ。
「じゃあ…どうしてユヅハお姉ちゃんや邏陽お姉ちゃんが好きなの?」
「どうしてだって?」
「うん、どうして?」
 物事にはすべて理由がある、誰の言葉だっただろうか。何にせよ残酷な言葉だ。
“どうして?”
 僕は彼らといると安心した。足りなかったものが埋められたような気がした。僕に足りなかったものは何なんだろうか。
 僕は雪の赤い眼を見て、ある日の夢を思い出した。ソファに両親が座り、僕は満点のテストや賞状を彼らに見せびらかした。しかし彼らは反応せず…認めてくれたのは雪だけだった───
「認めて欲しかった…そうだ、認めて欲しかった。僕はここにいるんだって確かめたかった」
 涼しい風が頬を撫でる。
「雪…君は本当に僕より僕を知っていたんだね」
 こんな小さな子供に僕は多くのことを気付かされた。もっとも、幽霊に見た目の年齢が通用するのかはわからないが。
「そろそろ彼が起きる…戻らなくては…」
 僕は服で顔を拭ってエレベーターに乗り込んだ。おかしな話かもしれないが、彼のそばにいればこのぐちゃぐちゃとしたまとまらない思考もどうにかなる気がしたのだ。
 昨夜のことを思い返す。魏邏陽の傷は全身に及んでいた。そしてそのうちのいくつかは普段ならば見えないようなところにも及んでいた。例えば彼は男性器の一部を損傷していた。それを彼が女性として振る舞うようになったことと結びつけるのは早計だろうか。
 今の医療技術では治せない傷はほとんどない。ユヅハのような肢体の欠損であっても培養して移植することができる。邏陽はきっと意味があって傷を残しているのだ。
 905号室、僕は部屋番号を確かめてそっと扉を開けた。
「おはようございます」
 邏陽が笑顔を浮かべる。彼はもう起きていた。僕は洗ってもいない顔を彼に見せることを途端に恥じた。
「…おはよう」
 彼はマグカップを二つ用意してコーヒーを淹れた。
「早起きだったんですね」
「電話があって…その、起こしたらいけないと思って屋上まで行っていた」
「ユヅハからですか?」
 彼の口調は優しかった。単に友人の話に耳を傾けるような口調だ。
「ああ、よくわかったね」
 彼は僕に温かいコーヒーを渡した。僕は礼を言ってそれを一口啜った。すこし冷えた身体に沁みる。
「昨日のことは忘れてください」
 ウェイが呟く。僕は思わず彼の顔を見た。
「あなたはユヅハといるべきです」
 彼のあまりに急な心変わりに心が揺らぐ。
「…理由を聞いても?」
 僕はできるだけ動揺を隠す。
「私といてもあなたは不幸になるだけです」
 彼は理由をあまり話したくはなかったようだったが、それでは不誠実だと考えたのか諦めたように口を開いた。
「二つの理由があります。一つ目は、私は兄の幻影から逃れることはできなかったことです。私は…やはり心のどこかであなたを兄と結びつけています。それはあなたの望むことではないでしょう?」
 僕は彼の言葉を遮ろうとした。しかし彼は二本の指を立てた。
「二つ目の理由は…ユヅハのためです。ユヅハにはあなたが必要なんです」
「そんな…でも君に僕が必要じゃないってわけじゃないんだろう? 少なくとも…君の兄の代わりにはなれる」
 邏陽はその言葉を聞いて目を逸らした。
「あなたに苦労させたくないんです。私の夢は非現実的すぎました。それに…ユヅハのもとに戻るか私と共になるか、迷っているんでしょう?」
 彼の言う通りだった。
「───だったら、ユヅハのもとに戻ってください」
 僕は彼の表情を見て驚いた。悲痛な覚悟の表情、ユヅハという親友のための覚悟だ。
「そんな顔をされたら…君といたくたって叶わないじゃないか…」
 僕は彼の手を握った。盛り上がった瘢痕を感じる。
「せめて…僕に何かできることはないかい?」
「…今日の旅を楽しむことです」
 彼は表情を明るいものに変えて僕の肩を優しく叩いた。
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