【青天白雪、紅の君。2072】 〜2072年夏、僕は無口な少女と出会った〜

凜 Oケイ

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第三部

@48 庭球

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 一人で考える。帰国してから三ヶ月、何度も考えたことだ。”夏休みの僕の行動は本当に正しかったのか?”と。そして導かれる結果はいつも同じだった。
“間違っていたとして、何ができる?”
 その答えもまたわかりきっている。何もできない。過去を変えることなどできはしない。僕は一生この結果を背負って生きていかなければならない。何も背負っていなかった頃の僕とはすべてが変わってしまったように思える。しかし後悔はない、するべきではない。
 僕は二度と会えないであろう藍色戦線の面々を思い出す。有能な基地司令、食事を共にした青年、そして反骨的な活力に溢れる若者たち───。彼らのいる監獄は寒いだろうか。彼らはそこで何を思うのだろう。後悔と絶望か、あるいは決して消えない怒りだろうか、それとも家族のことだろうか。
 僕は武装警備に囲まれたときのことを思い出す。夥しい数の銃口を向けられた中にユヅハが歩み出た。僕たちはあの時、武装警備の到着があまりに早すぎると感じていた。帰国後に邏陽に教えてもらったことだが、彼らは審査所の隣にあった集落に偽装していたのだという。武器や車両を巧妙に隠し、いつでも出動できるようにしていたというのだ。僕はそれを聞いた時、真っ先にありえないと口にした。屈強な男だけが住んでいる集落があったら誰もが怪しむだろう。しかし老人や子供の住人をアンドロイドで再現できていたとしたら? 環華人民銀行が全面的に協力して彼らの戸籍をいじっていたとしたら?
 彼らは藍色戦線がケイタス物流のフリをして審査所に接近を図ろうとしたときからこちらの意図に気づいていた可能性さえある。知っていて放流していたのだ。そのまま藍色戦線をおびき寄せるために。
 僕が収監されなかったのは運が良かったからに過ぎない。幸運が僕を生かしている。
 藍色戦線が偽物の審査所を襲撃したという事実はかなり歪曲して報道された。そもそも審査所という単語は出なかったし、襲撃先も環華人民銀行の大型事務所ということにされた。何よりも藍色戦線がいかに暴力的であったかが誇張されてニュースは世界中を駆け巡り、藍色戦線に支持的だった現FRC大統領も声明を出さざるを得なくなった。魏邏陽が僕たちを助けるために漏らした情報により、中華人民共和国内に潜伏していた他の構成員たちも次々と逮捕された。
 藍色戦線はFRC国内外において修復不可能なダメージを負った。摘発に際しては抵抗する構成員も多く、死者も出た。
 そして魏邏陽(ウェイ ルオヤン)と李閲慕(リ ユエムー)とはまったく連絡がつかなくなった。彼は僕が帰国して数週間後に「居場所を隠すために国外との連絡はできなくなります。すみません」とだけメッセージを送り、彼の連絡先は無効となった。萩原孔樹は彼を保護するという約束を守らなかったのだろうか、それとも彼が管理下から逃げ出したのだろうか。今となっては聞く術すらない。
 僕は自分の無力さを恥じ、嘆くことはできても実際に力をつける勇気はなかった。僕にできることといえば邏陽との約束通りにユヅハのそばにいることだけだった。
 僕は学校指定の赤いジャージ服に着替えて鏡の前に立ち、固くなった表情をほぐす。整える意味もない短いくせ毛を撫で付け顔を洗う。代わり映えしない僕の顔だ。
 今日は週末らしくユヅハとテニスをするのだ。ユヅハには未だに勝てないがそこそこ上達した気がする。寮から出ると骨に染みるような寒風が吹いた。僕は運動すればマシになるさと自分に言い聞かせ、速歩きでテニスコートへと向かった。
 テニスコートにはジャージの上に防寒着を羽織ったユヅハがいた。
「やぁ」
 僕が手を振ると彼女は駆け寄ってきた。
「寒くない?」
 彼女は防寒着を僕に着せようとした。
「いいや、身体を動かせば暖まるさ」
 もちろん本当は寒い。二人で簡単な準備運動を済ませ、僕は受付でラケットとボールをレンタルした。ユヅハは自前の本格的なラケットを持っている。
「どっちにする?」
 彼女はラケットを逆さまに地面に立てた。
「下で」
 彼女はラケットを回転させ、しばらく回ってからラケットが倒れた。彼女は持ち手の底を僕に見せた。スポーツブランドのロゴが上を向いている。僕の予想が外れたわけなので、彼女がサーブするかどうか、あるいはコートを決めることができる。
「じゃあ、私がサーブ」
 僕は頷いてコートを決めた。
「今日も何か賭けるかい?」
 僕はユヅハに尋ねる。といっても毎回負けるのは僕なので、実質あとでユヅハが食べたかったり飲みたいものを僕が奢る形だ。いつも何かとユヅハが奢る側なのでこれぐらいは僕も見栄を張りたかったのだ。ユヅハもそれを理解してくれており、あえて安いものを頼んだりはしなかった。
「カプチーノとチーズケーキ」
「わかった、楽しみにしておいてくれ」
 僕たちはそれぞれのコートに入る。彼女は僕の準備が整ったのを確認してボールを高く投げ、それを勢いよく打った。ユヅハの身躯がバネのように跳ねた。僕は左に走り、それを打ち返す。そしてこんどは彼女が走って打ち返す。それを繰り返すうちにしっかりと身体が暖まってきた。プレイしている最中は話す暇などなく、ボールが鳴らす音とショットのときに漏れる短い吐息だけが会話だった。
 彼女が打ち返したボールがコートの右側に落ち、僕はそれを取りそこねた。ボールは僕のラケットの先を飛んでいき、後ろの防球網に当たった。彼女がポイントを取ったのだ。
[フィフティーン・ラヴ]
 ビープ音のあとにスコア計算の人工音声が響き、得点板が更新された。
「いいショットだ」
 僕はボールを拾って手の中で弄んだ。
「ありがとう」
 彼女は微笑み、肩で汗を拭った。僕も汗をかき始めており動いていないと冷えた汗で凍えそうだった。
「冷えないうちに始めよう」
 僕は彼女にボールを投げ渡す。彼女はボールを左手(義手)に持ち、サーブの姿勢に入った。テニスでは一ゲームが終わるまでサーブ側とレシーブ側が交代しない。
 今度は僕がポイントを入れることができた。うまくネットの近くに落とすことができたのだ。
[フィフティーン・フィフティーン]
 僕は両手を挙げて喜びを表す。彼女はラケットを持ったまま拍手の身振りを見せた。ユヅハと会ってからスポーツの楽しさを知った気がする。それまでは体育は好きではなかった。でも彼女となら勝っても負けても楽しかった。
 そして結局彼女が一ゲームを取り、次のゲームに移った。こんどは僕がサーブをする番だ。
 本格的なルールでは六ゲームを先取するなどして得た一セットを二回先取することでようやくその試合の勝敗が決するのだが、さすがにそれでは長くて疲れるというので僕とユヅハは毎回一セットしかプレイしなかった。
 ボールを投げ、それをラケットで打つ。中空のボールは独特の音を立ててユヅハのコートへと飛んでいく。
 テニスをしていると意識が研ぎ澄まされる気がした。すべての思考がボールとラケットに向かい、身体をどう動かすべきかが自ずとわかる。こうして何かに楽しく没頭できる時間というのは素晴らしいものだ。
 休憩を挟みながら僕たちは一セット、計九ゲームをこなした。三対六で僕の負けだ。いつもは一か二ゲームしか取れなかったので僕は嬉しかった。
「おつかれ」
 汗ばんだユヅハがラケットを手の中で回す。
「ああ、おつかれさま。楽しかったよ」
 僕は服をそのまま持ち上げて汗を拭った。
「今回は三ゲーム取れた、上達してる」
「本当に? ならこのままテニス選手を目指すのもいいかもしれないな」
 ユヅハは冗談にくすりと笑った。僕はラケットとボールを返却し、そのまま僕たちは運動後の食欲を満たすためにカフェへと向かった。半地下構造のこのカフェは温度を維持しやすく、暖房がよく効いていた。
「カプチーノとチーズケーキを二つずつ」
 僕はスキャナーに掌を当てて決済する。商品を受け取って僕たちは席に着いた。やはりこの場所は落ち着く。ここカフェは学園で最も人気のある場所だ。
 いつもならすこし多めに感じるチーズケーキも運動後の今は美味しく平らげることができた。
「コズといると楽しい」
「僕もだよ、君と一緒にいることより素晴らしいことなんてない」
 これがユヅハの手に入れた幸福だ。彼女は数十人の人生と、反監視主義というひとつの思想の将来を犠牲にして親から解放された。充分じゃないか。
 しかしすべてがうまくいったわけではない。僕たちにいくつか心配事が増えたのも事実だ。
 藍色戦線は僕とユヅハが釈放されたことは知っているが、邏陽と李閲慕が釈放されたことは把握していない。しかし藍色戦線は漏れた情報から邏陽が何らかの形で裏切ったと考えるだろう。あれだけの情報を持っている人間は限られているためだ。そして僕たちはその魏邏陽と大変親しかった。つまり僕たちは藍色戦線の敵として彼らに命を狙われる恐れがあった。
 帰国したあと、邏陽からの指示通りに僕たちは藍色戦線にある文書を送った。その内容とは、「僕とユヅハが釈放されたのは環華人民銀行に寝返ったからではなく、魏邏陽が勝手に僕とユヅハに入れ込んでおり、私情で僕たちの釈放を交渉したからである。そして僕たちは藍色戦線とは今後関わらないものの、反監視主義、反共産主義という思想は捨てない」という趣旨のものだった。僕たちはそんな文書を送ることに嫌悪感を示したが、辻褄を合わせるにはこの言い訳しかないのも事実だった。
 邏陽と李閲慕を除く藍色戦線のメンバーは審査所の責任者がユヅハの父親であるとは把握しておらず、僕たちは藍色戦線にとってはすぐに脱退した新米という取るに足らない存在でしかない。邏陽が入れ込んでいた存在とはいえ、わざわざリスクを犯してまで僕たちの命を狙いに来たりはしないだろうというのが僕たちの目論見だった。しかしそれは論理上の話だ。藍色戦線のなかには心情的に僕たちを憎ましく思う一派もいるだろう。あるいはどこかから萩原孔樹の名前が漏れる可能性も低くない。それが僕たちの”心配事”の一つだった。
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