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第四部
@67 速度
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今日はたった一人でバイクを乗り回していた。
服が風に吹かれてばたばたと暴れる。モーターが静かに出力を増していく。僕はハンドルをいっそう強く握り締める。制限速度内とはいえ、僕はいつもよりスピードを出していた。行く宛もない、ただの電力の無駄遣いだった。
真昼間の太陽はヘルメットのバイザー越しでも眩しく、僕は目を細める。この長い道には他に車両はなく道は静かだった。
邏陽の遺書は藍色戦線に入ったところから始まっていた。2070年に彼は李閲慕の助けを借りてFRCに移住した。そしてしばらくは両親の仇を討つような気持ちで働いたという。彼は持ち前の技術と才能で藍色戦線内の階級を前例のない早さで登っていった。
遺書には李閲慕へ宛てた部分もあり、そこでは短く感謝と別れの言葉がまとめられていた。李閲慕の持っていた邏陽に対する好意への言及はなく、それは彼女をひどく傷つけただろうと僕は予想する。
彼がFRCに移住して二年後、2072年夏に僕たちがFRCに渡航して彼の助けを乞うた。彼は僕とユヅハに会ってすぐに「すべての優先順位が入れ替わった」そうだ。既に”安寧”にいる家族の仇を討つよりも、いま苦しんでいるユヅハを助ける方がより彼の価値観に沿っていたのだろう。
幼少期からの親友と、死んだ兄に似た青年からの頼み事…彼の心境の変化は理解に難しくない。彼はその時からすべてを裏切る覚悟を決めていたという。家族を全員失くした彼にとってはこれ以上何を失くすとしても怖くなかっただろう───ユヅハと僕を除いて。彼は文字通り命を賭して僕とユヅハを救った。
彼は遺書の最後で僕たちへの感謝を述べていた。
「居場所を失って死を待つだけだった残り少ない日々に、一瞬だけ居場所を与えてくれてありがとうございます」
ユヅハは一つ目と二つ目の”居場所”が同一のものではないと解釈した。一つ目の”居場所”は死んだ彼の家族たち。二つ目の”居場所”がまさに僕たちだというのだ。彼は家族のような目線で僕たちを見ていた。母が命を賭して我が子を守るように───彼は僕たちを救った。それはただただ愛情だったのだ。純粋すぎる愛情だ。
警察によって検死が済んだ邏陽の遺体は李閲慕が受け取り、彼の家族と共に埋葬されたそうだ。…ハルビンでの李閲慕との格闘は痛みも含めて昨日のことのように思い出せた。
青い空がバイクの計器盤に反射する。僕は嫌になるくらいの青空に向かってスピードを上げる。
───ここ一、二年で社会には変化があった。
遺伝子編集はまだであるが、ようやく人工子宮が日本で合法化された。人工子宮は女性がキャリアを中断しないための手段として社会で注目され始めている。
生活は更に便利になった。街中の監視カメラは2072年から何割も増えた。僕たちはその利便性と安全性に溺れるようにフィネコン社のサービスを次々と受け入れていった。日本だけではない。環華人民銀行のサービスも更に拡大した。彼らにとって天敵だった藍色戦線がほとんど壊滅したのも一因だ。藍色戦線は2072年の九月を境に滅亡の一途を辿った。そしてそれは邏陽とユヅハを含む僕たち三人のせいだ。藍色戦線の中華人民共和国内の拠点は次々と検挙され、藍色戦線は手足を失ったも同然の状態となった。そこからFRC政府が藍色戦線の活動を違法化すると発表するまでそう時間はかからなかった。社会は力を失った者に興味などないのだ。
邏陽はこんな世界を望んだだろうか、あるいは僕たちが幸福ならそれで良いと微笑むだろうか。李閲慕は今も監視社会や共産主義と戦っているのだろうか。
よく考えていたことがある。それは僕やユヅハ、魏邏陽の行動が”悪”だったかどうかだ。僕たちは銃を持って企業の施設を占拠しようとした。邏陽は萩原夫妻を惨殺した。ここのみを聞いた者はきっと僕たちを悪だと言うだろう。しかし動機を聞いたならどうだろう、百人、いや千人の中に一人ぐらいは僕たちの行動に理解を示しはしないだろうか。
客観的な善悪など存在しない。善悪は個人や共同体の中での何らかの基準に過ぎない。国家や社会の中では僕たちは悪かもしれない、しかし僕たちにはこれが最善だったのだ。だから銃を向けた。だから邏陽は萩原夫妻を殺した…。
この結論はある種の危うさを孕んでいる。善悪が主観的なものに過ぎないという考え方はもはや善悪の存在そのものを否定しているのと同義ではないだろうか。しかし僕には確実に言えることがある。それはもし善悪という倫理的基準が僕たちの幸福の邪魔をするならば…それを無視する必要がある。しかしこれは僕が見境のない反社会的な人間であるということを意味するわけではない。“善行”にもメリットがある。見返りがあったり、それがなくても周囲の人間からは好印象を受ける。そして何よりも自分で自分を肯定しやすくなるだろう。だから僕はできる範囲で善人であろうとする。しかし僕は僕自身や僕が愛するもののために生きる、決して国家や社会のためではない。もしどちらかしか選べないのならば、他者の幸福よりも自分たちの幸福を優先しなくてはならない。時にそれが社会では”悪”と呼ばれる行為であってもだ。
僕たちは自分自身が何を求めているかしっかりと知るべきだ。そして大抵の場合、それが行動する目的でなくてはならない。善行も悪行も手段に過ぎない。目的のための手段でしかないのだ。いま僕の目的はユヅハと僕の幸福だ。死の直前の魏邏陽の目的もまたそうだった。手段は目的のために使うものであり、目的とは自分が本当に求めているもの───。僕がこの結論に達するのはあまりに遅すぎた。ユヅハや邏陽はずっと前からこの結論を持っていた。特にユヅハはこれを熟知していた。彼女は自分自身を親から解放するためにあらゆる手段を使った。僕を手に入れるためにあらゆる手段を使った。
彼女の選んだ手段のうち、いくつかにはまだ嫌悪感が残っているのは事実だ。例えば彼女は僕を同情させるために、自傷の傷跡を親からの虐待の跡であると嘘をついた。しかし彼女がその嘘をつかなかったなら僕が自発的に彼女と共にFRCや中国に行っただろうか、彼女の乾きは癒やされただろうか。
雪との半年間で学んだことがある。それは自分自身に嘘をつくべきではないということだ。自分の感情を押し殺して無いものにしてはならない。その感情が例え目を背けたいものであったとしてもだ。一時的に押し殺せたとしてもいずれは爆発する。その爆発は時として身を滅ぼす。
僕はそんなことを考えながら帰り道へと入った。誰かが待つ家への帰り道だ。
服が風に吹かれてばたばたと暴れる。モーターが静かに出力を増していく。僕はハンドルをいっそう強く握り締める。制限速度内とはいえ、僕はいつもよりスピードを出していた。行く宛もない、ただの電力の無駄遣いだった。
真昼間の太陽はヘルメットのバイザー越しでも眩しく、僕は目を細める。この長い道には他に車両はなく道は静かだった。
邏陽の遺書は藍色戦線に入ったところから始まっていた。2070年に彼は李閲慕の助けを借りてFRCに移住した。そしてしばらくは両親の仇を討つような気持ちで働いたという。彼は持ち前の技術と才能で藍色戦線内の階級を前例のない早さで登っていった。
遺書には李閲慕へ宛てた部分もあり、そこでは短く感謝と別れの言葉がまとめられていた。李閲慕の持っていた邏陽に対する好意への言及はなく、それは彼女をひどく傷つけただろうと僕は予想する。
彼がFRCに移住して二年後、2072年夏に僕たちがFRCに渡航して彼の助けを乞うた。彼は僕とユヅハに会ってすぐに「すべての優先順位が入れ替わった」そうだ。既に”安寧”にいる家族の仇を討つよりも、いま苦しんでいるユヅハを助ける方がより彼の価値観に沿っていたのだろう。
幼少期からの親友と、死んだ兄に似た青年からの頼み事…彼の心境の変化は理解に難しくない。彼はその時からすべてを裏切る覚悟を決めていたという。家族を全員失くした彼にとってはこれ以上何を失くすとしても怖くなかっただろう───ユヅハと僕を除いて。彼は文字通り命を賭して僕とユヅハを救った。
彼は遺書の最後で僕たちへの感謝を述べていた。
「居場所を失って死を待つだけだった残り少ない日々に、一瞬だけ居場所を与えてくれてありがとうございます」
ユヅハは一つ目と二つ目の”居場所”が同一のものではないと解釈した。一つ目の”居場所”は死んだ彼の家族たち。二つ目の”居場所”がまさに僕たちだというのだ。彼は家族のような目線で僕たちを見ていた。母が命を賭して我が子を守るように───彼は僕たちを救った。それはただただ愛情だったのだ。純粋すぎる愛情だ。
警察によって検死が済んだ邏陽の遺体は李閲慕が受け取り、彼の家族と共に埋葬されたそうだ。…ハルビンでの李閲慕との格闘は痛みも含めて昨日のことのように思い出せた。
青い空がバイクの計器盤に反射する。僕は嫌になるくらいの青空に向かってスピードを上げる。
───ここ一、二年で社会には変化があった。
遺伝子編集はまだであるが、ようやく人工子宮が日本で合法化された。人工子宮は女性がキャリアを中断しないための手段として社会で注目され始めている。
生活は更に便利になった。街中の監視カメラは2072年から何割も増えた。僕たちはその利便性と安全性に溺れるようにフィネコン社のサービスを次々と受け入れていった。日本だけではない。環華人民銀行のサービスも更に拡大した。彼らにとって天敵だった藍色戦線がほとんど壊滅したのも一因だ。藍色戦線は2072年の九月を境に滅亡の一途を辿った。そしてそれは邏陽とユヅハを含む僕たち三人のせいだ。藍色戦線の中華人民共和国内の拠点は次々と検挙され、藍色戦線は手足を失ったも同然の状態となった。そこからFRC政府が藍色戦線の活動を違法化すると発表するまでそう時間はかからなかった。社会は力を失った者に興味などないのだ。
邏陽はこんな世界を望んだだろうか、あるいは僕たちが幸福ならそれで良いと微笑むだろうか。李閲慕は今も監視社会や共産主義と戦っているのだろうか。
よく考えていたことがある。それは僕やユヅハ、魏邏陽の行動が”悪”だったかどうかだ。僕たちは銃を持って企業の施設を占拠しようとした。邏陽は萩原夫妻を惨殺した。ここのみを聞いた者はきっと僕たちを悪だと言うだろう。しかし動機を聞いたならどうだろう、百人、いや千人の中に一人ぐらいは僕たちの行動に理解を示しはしないだろうか。
客観的な善悪など存在しない。善悪は個人や共同体の中での何らかの基準に過ぎない。国家や社会の中では僕たちは悪かもしれない、しかし僕たちにはこれが最善だったのだ。だから銃を向けた。だから邏陽は萩原夫妻を殺した…。
この結論はある種の危うさを孕んでいる。善悪が主観的なものに過ぎないという考え方はもはや善悪の存在そのものを否定しているのと同義ではないだろうか。しかし僕には確実に言えることがある。それはもし善悪という倫理的基準が僕たちの幸福の邪魔をするならば…それを無視する必要がある。しかしこれは僕が見境のない反社会的な人間であるということを意味するわけではない。“善行”にもメリットがある。見返りがあったり、それがなくても周囲の人間からは好印象を受ける。そして何よりも自分で自分を肯定しやすくなるだろう。だから僕はできる範囲で善人であろうとする。しかし僕は僕自身や僕が愛するもののために生きる、決して国家や社会のためではない。もしどちらかしか選べないのならば、他者の幸福よりも自分たちの幸福を優先しなくてはならない。時にそれが社会では”悪”と呼ばれる行為であってもだ。
僕たちは自分自身が何を求めているかしっかりと知るべきだ。そして大抵の場合、それが行動する目的でなくてはならない。善行も悪行も手段に過ぎない。目的のための手段でしかないのだ。いま僕の目的はユヅハと僕の幸福だ。死の直前の魏邏陽の目的もまたそうだった。手段は目的のために使うものであり、目的とは自分が本当に求めているもの───。僕がこの結論に達するのはあまりに遅すぎた。ユヅハや邏陽はずっと前からこの結論を持っていた。特にユヅハはこれを熟知していた。彼女は自分自身を親から解放するためにあらゆる手段を使った。僕を手に入れるためにあらゆる手段を使った。
彼女の選んだ手段のうち、いくつかにはまだ嫌悪感が残っているのは事実だ。例えば彼女は僕を同情させるために、自傷の傷跡を親からの虐待の跡であると嘘をついた。しかし彼女がその嘘をつかなかったなら僕が自発的に彼女と共にFRCや中国に行っただろうか、彼女の乾きは癒やされただろうか。
雪との半年間で学んだことがある。それは自分自身に嘘をつくべきではないということだ。自分の感情を押し殺して無いものにしてはならない。その感情が例え目を背けたいものであったとしてもだ。一時的に押し殺せたとしてもいずれは爆発する。その爆発は時として身を滅ぼす。
僕はそんなことを考えながら帰り道へと入った。誰かが待つ家への帰り道だ。
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