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Second Chapter
秘密を分かち合う
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それからだった。ヴェドは己が常に無表情である事を神々に感謝した。秘密が露呈しない事、無慈悲な者の手によって謎かけを暴かれない事、それだけを一途に願った。
地方貴族の三男坊である己がこの苦しみを抱えているのならば、皇族であるシューヤドリックはどれほどに苦しいのだろうか。
想像も出来なかった。
シューヤドリックが夜な夜な誰かに謝りながら泣いている嗚咽を毎晩聞きながら、ヴェドは黙っていた。
迂闊な好奇心で――秘密を、謎を暴く事がどれほど残忍で酷い仕打ちかを彼は理解していたから。
ある日、女官からヴェドを通してシューヤドリックに私的な文が届けられた。送り主の名を見てシューヤドリックの顔が少し強ばったが、文を読み終えた時には、安堵のため息を漏らした。
「良かった、子が生まれたのか……本当に良かった」
ほろりと涙をこぼしたシューヤドリックの顔は本当に晴れやかだった。長年の憂いが取れたような顔をして、昼間だが酒が飲みたいと言い出して、ヴェドに相手をするように命じた。
「あの文は私の結婚相手だった姫の、兄君からのものだ」
ヴェドは何時ものように無言で話を聞いていた。シューヤドリックはご機嫌であった。
「私は彼女を結局、愛せなかった。当然ながら彼女は傷ついて怒り、離縁となった。でも今は良い男と出会えて、子も生まれたそうだ。良かった、ああ、本当に良かった。兄君は意趣返しのつもりで文を送ってきたのだろう、けれど私にとっては一番の吉報だったよ……」
「……」ヴェドは小さな、シューヤドリック以外には聞こえない声で言った。「殿下も秘密を抱えられていたのですね」
「……」シューヤドリックは哀しそうに笑って、頷いた。「そうか、君もか」
最初は、恋愛と言うより、二人が抱える謎と秘密によってそれまでに負った傷のなめ合いのような関係だった。
それが何年も続く内にシューヤドリックの穏やかな眼差しや少し寂しそうに笑う横顔、繊細なようで一途な性格が、ヴェドにとってかけがえのないものに変わっていった。シューヤドリックも、ヴェドをよく側に置いて絵を描いた。
お互いに、謎のために沈黙する事と秘密を暴かない事だけは徹底して守り、気付けば二人の関係は何年も続いていた。
時々悪し様に、見目の良い若い『燕』を囲った『道楽者』とシューヤドリックを嘲る者はいたが、二人の間に流れる空気が哀しいくらいに清浄なので、いつしかそう言った悪い噂は消えていった。
あまり己の主張を強硬に貫こうとしない上に、病がちなシューヤドリックは『赤斧帝』の粛正や後宮の悪意から逃れて、危うい所で生き延びていたが、ある日ヴェドだけにこう告げた。
「私もヴァンに味方する。君は念のために私から離れていてくれ」
「お断りします」
「もしも敗れれば君も、ノルシンの一族郎党も巻き添えになりかねないのだよ」
「勝てば良いでしょう」
思わずシューヤドリックはヴェドの肩を掴んでいた。
男の癖に剣さえ握る事が不得意だ、と事あるごとに馬鹿にされている、長く細い指をしていた。
過去に皇族の義務として軍に放り込まれた時、己が何を握っても役立たずであったがために何度も命が危うくなったと苦笑いで語っていた事を――今になってヴェドは思い出した。
「私は、君が側にいてくれて何度救われたか分からない。だから君だけは最期まで私の救いであって欲しいのだ!」
「埒が明かない」
と言うなりヴェドはシューヤドリックの手を軽く引き離し、その一室を出て行こうとした。シューヤドリックは顔色を変えた。
「ヴェド、何処へ行く!?」
「……」
もうヴェドは答えなかった。
代わりにシューヤドリックには到底追いつけない程の速さで走り出した。
皇子ヴァンドリックはやって来たヴェドを見て、丁度良かった、と告げるように頷いた。
「私は、貴官のような優秀な配下を求めていたのだ」
「……褒賞を頂けませんか」
「何が望みだ」
そこでミマナ姫がそっと耳打ちした。
「ヴァン様、この場でヴェドに言わせてはなりませんわ。シューヤドリック様とヴェドは数年来の恋仲です。そして今になってヴェドが来たと言う事は……シューヤドリック様も、ヴァン様の御味方をなさるお覚悟なのでしょうから」
一瞬だけ、瞳に動揺の色を僅かに見せたものの、ヴァンはあっさりと受け入れた。
二人の仲が、幼い子供に手を出した訳でも暴力による支配の関係でもないとすぐに理解したのだ。
第一、文化人として有名なシューヤドリックと猛者で名高いヴェドが彼らに味方すれば、今後においてどれほどの助けになるか。
他国ではともかく、帝国では同性を愛する事は『罪』ではない。しかし、推奨されてもいない。特に政略結婚が多い貴族の間では嫌煙されがちだ。
多少の好奇心の眼差しに耐えて、密かに静かに生きていくならば、石を投げつけられる事はない。
『彼らは変わった趣味をお持ちなのだ』――その程度の認識である。
ヴァンドリックはすぐさま決断した。
父帝のように残酷な処刑を楽しむ嗜好や、処刑場に集い、これから首を落とされる者に罵声を浴びせる民衆達の残忍性と、一々比べるまでもなかった。
幸いにも、彼にも静まっている水面に石をあえて投げ込んで荒らす下品な癖はもう無かった。
あの時、テオドリックの処刑の時――可愛がっていた同母弟の自己犠牲によって――ヴァンドリックは人心にとっては付き物であるはずの悪意や残忍さえ、一欠片も抱く事が出来無くされてしまったのだから。
「私の側近となり働く代わりに、貴官が心から慕う者の側に侍る事を許そう」
この瞬間、彼はこの皇子ヴァンドリックのため生きている限りに忠誠を尽くす事と、同じようにシューヤドリックのために死ぬまで真心を捧げる事を決めた。
『慕わしい人』との決して触れられたくない秘密を『君主』が庇護する限りにおいて、この男には怖いものなど何処にも無かったから。
「……はっ」
地方貴族の三男坊である己がこの苦しみを抱えているのならば、皇族であるシューヤドリックはどれほどに苦しいのだろうか。
想像も出来なかった。
シューヤドリックが夜な夜な誰かに謝りながら泣いている嗚咽を毎晩聞きながら、ヴェドは黙っていた。
迂闊な好奇心で――秘密を、謎を暴く事がどれほど残忍で酷い仕打ちかを彼は理解していたから。
ある日、女官からヴェドを通してシューヤドリックに私的な文が届けられた。送り主の名を見てシューヤドリックの顔が少し強ばったが、文を読み終えた時には、安堵のため息を漏らした。
「良かった、子が生まれたのか……本当に良かった」
ほろりと涙をこぼしたシューヤドリックの顔は本当に晴れやかだった。長年の憂いが取れたような顔をして、昼間だが酒が飲みたいと言い出して、ヴェドに相手をするように命じた。
「あの文は私の結婚相手だった姫の、兄君からのものだ」
ヴェドは何時ものように無言で話を聞いていた。シューヤドリックはご機嫌であった。
「私は彼女を結局、愛せなかった。当然ながら彼女は傷ついて怒り、離縁となった。でも今は良い男と出会えて、子も生まれたそうだ。良かった、ああ、本当に良かった。兄君は意趣返しのつもりで文を送ってきたのだろう、けれど私にとっては一番の吉報だったよ……」
「……」ヴェドは小さな、シューヤドリック以外には聞こえない声で言った。「殿下も秘密を抱えられていたのですね」
「……」シューヤドリックは哀しそうに笑って、頷いた。「そうか、君もか」
最初は、恋愛と言うより、二人が抱える謎と秘密によってそれまでに負った傷のなめ合いのような関係だった。
それが何年も続く内にシューヤドリックの穏やかな眼差しや少し寂しそうに笑う横顔、繊細なようで一途な性格が、ヴェドにとってかけがえのないものに変わっていった。シューヤドリックも、ヴェドをよく側に置いて絵を描いた。
お互いに、謎のために沈黙する事と秘密を暴かない事だけは徹底して守り、気付けば二人の関係は何年も続いていた。
時々悪し様に、見目の良い若い『燕』を囲った『道楽者』とシューヤドリックを嘲る者はいたが、二人の間に流れる空気が哀しいくらいに清浄なので、いつしかそう言った悪い噂は消えていった。
あまり己の主張を強硬に貫こうとしない上に、病がちなシューヤドリックは『赤斧帝』の粛正や後宮の悪意から逃れて、危うい所で生き延びていたが、ある日ヴェドだけにこう告げた。
「私もヴァンに味方する。君は念のために私から離れていてくれ」
「お断りします」
「もしも敗れれば君も、ノルシンの一族郎党も巻き添えになりかねないのだよ」
「勝てば良いでしょう」
思わずシューヤドリックはヴェドの肩を掴んでいた。
男の癖に剣さえ握る事が不得意だ、と事あるごとに馬鹿にされている、長く細い指をしていた。
過去に皇族の義務として軍に放り込まれた時、己が何を握っても役立たずであったがために何度も命が危うくなったと苦笑いで語っていた事を――今になってヴェドは思い出した。
「私は、君が側にいてくれて何度救われたか分からない。だから君だけは最期まで私の救いであって欲しいのだ!」
「埒が明かない」
と言うなりヴェドはシューヤドリックの手を軽く引き離し、その一室を出て行こうとした。シューヤドリックは顔色を変えた。
「ヴェド、何処へ行く!?」
「……」
もうヴェドは答えなかった。
代わりにシューヤドリックには到底追いつけない程の速さで走り出した。
皇子ヴァンドリックはやって来たヴェドを見て、丁度良かった、と告げるように頷いた。
「私は、貴官のような優秀な配下を求めていたのだ」
「……褒賞を頂けませんか」
「何が望みだ」
そこでミマナ姫がそっと耳打ちした。
「ヴァン様、この場でヴェドに言わせてはなりませんわ。シューヤドリック様とヴェドは数年来の恋仲です。そして今になってヴェドが来たと言う事は……シューヤドリック様も、ヴァン様の御味方をなさるお覚悟なのでしょうから」
一瞬だけ、瞳に動揺の色を僅かに見せたものの、ヴァンはあっさりと受け入れた。
二人の仲が、幼い子供に手を出した訳でも暴力による支配の関係でもないとすぐに理解したのだ。
第一、文化人として有名なシューヤドリックと猛者で名高いヴェドが彼らに味方すれば、今後においてどれほどの助けになるか。
他国ではともかく、帝国では同性を愛する事は『罪』ではない。しかし、推奨されてもいない。特に政略結婚が多い貴族の間では嫌煙されがちだ。
多少の好奇心の眼差しに耐えて、密かに静かに生きていくならば、石を投げつけられる事はない。
『彼らは変わった趣味をお持ちなのだ』――その程度の認識である。
ヴァンドリックはすぐさま決断した。
父帝のように残酷な処刑を楽しむ嗜好や、処刑場に集い、これから首を落とされる者に罵声を浴びせる民衆達の残忍性と、一々比べるまでもなかった。
幸いにも、彼にも静まっている水面に石をあえて投げ込んで荒らす下品な癖はもう無かった。
あの時、テオドリックの処刑の時――可愛がっていた同母弟の自己犠牲によって――ヴァンドリックは人心にとっては付き物であるはずの悪意や残忍さえ、一欠片も抱く事が出来無くされてしまったのだから。
「私の側近となり働く代わりに、貴官が心から慕う者の側に侍る事を許そう」
この瞬間、彼はこの皇子ヴァンドリックのため生きている限りに忠誠を尽くす事と、同じようにシューヤドリックのために死ぬまで真心を捧げる事を決めた。
『慕わしい人』との決して触れられたくない秘密を『君主』が庇護する限りにおいて、この男には怖いものなど何処にも無かったから。
「……はっ」
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