【完結】ガン=カタ皇子、夜に踊る

2626

文字の大きさ
180 / 297
Second Chapter

第二の母①

しおりを挟む
 ギルガンド・アニグトラーンには年老いた乳母キバリがいる。
アニグトラーンの直系が今際の際の乱詛帝に呪われ、代々仕えた召使いでさえその呪いに恐れおののいて次々と辞めていく中、最後まで残った一人だった。
小柄な老婦人であるが、この小さな痩せた体でどうやってと驚くほどに気丈な、いわゆる烈女であった。 

 ギルガンドが生まれるよりも前に、キバリがやって来た。雨の日、ギルガンドの祖父が当て所も無く道を流離っていた彼女を拾ってきたのだ。
『身分卑しからぬご婦人が、傘も差さずに身一つで雨に打たれていた。事情を聞いても決して話そうとしない。よんどころない訳があって――きっと子を産めなかった等の理由があって、離縁され、実家からも追い出されたのであろう』とアニグトラーンの一族は噂した。
そのままキバリは召使いとして、嫁いだばかりのギルガンドの母親に忠実に仕えていた。

 直後に一族を乱詛帝の呪いが襲っても、それは変わらなかった。
何度も何度も飛び散った血の跡を黙ったまま拭き、泣きじゃくる母親の手を握って励ました。
本来ならば直系の跡取りとして待望の子であったはずなのに、今となっては悲運だけを背負わせてしまったギルガンドが生まれても、その忠誠は変わらなかった。
衰弱していく彼の母親を強く励まし、世話をし、彼女の代わりに乳母としてギルガンドを養育した。
並ならぬ教養と学がキバリにはあったが、ギルガンドへの教え方は尋常では無かった。
「それは弱者の行いにござりまする。坊ちゃまは強く、かつ天邪鬼にならねばなりませぬ!」
『強くなれ』は分かる。アニグトラーンは武の名門だ。だが『天邪鬼になれ』とは未だによく分からない。特殊な英才教育であったのだろうか?
しかし彼は若くして帝国十三神将が一人に選ばれた上に、帝国最強の一角を担うまでになった。

 「坊ちゃま、奥方様は常に正しくあれと仰有いましたが、私に言わせれば天邪鬼でいる方が難しゅうございまする」
母親を看取った後、広くなりすぎた屋敷をギルガンドは貸家にして、高等武官の手狭な官舎に引っ越した。近付けば呪いが移るぞ、惜しい事だが財物にさえ呪いがあるに違いないだろう、と誰も借りようとはしなかった。
己に残された猶予も3年を切った、もうここには二度と住めないだろうと彼は覚悟していた。
「婆や、まだ私にはよく分からん」
「では坊ちゃま、問題でございまする。『心』とは何でございましょうか」
「は?」
「よくお考え下さいまし」
そう言いつつ、キバリはてきぱきと最低限の荷物をまとめ、管財人を呼んで屋敷の手入れを任せたのだった。


 ――その日にギルガンドが官舎に帰ってきた時、夕飯時とあって何処の官舎からも炊事の煙が立ち上っていた。道では子供達が木剣を振るったり、駆けっこをしたりして遊んでいた。洗い場にかがみ込んで、焦げた鍋をタワシで擦っている若い召使いは涙目だった。きっと年かさの者に叱られたのだろう。日暮れたばかりの空には緩やかに夜の色が混ざりつつある。
キバリは夕食の魚を焼いていて、香ばしい匂いが部屋中にふんわりと漂っていた。

 「お帰りなさいませ、坊ちゃま」
「ああ。今日は魚か」
「すぐにご用意します」
手早くキバリが夕飯を食器に盛り付けて、二人だけで食卓を囲む。
しばらく灯りの下、心地よい沈黙の中で食していたが、
「実は今日……」
キバリが食器を置いて、目を伏せて話し始めた。
「私の古い知り合いに出会ったのです」
「知り合い……だと?」
彼もそっと食器を置いた。
キバリが己の過去や、その過去を知る者について話し始めたのは、これが初めてだったから。
「……今まで黙っていて申し訳ございませんでした、坊ちゃま。私はプファレの家の出でございます」
プファレ一族。この今でこそ没落しているが、由緒正しい大貴族である。
「道理で……」
一族が話していた以上に、教養があって卑しからぬ風情だった訳だ。
「私は長じて、さる御方の元へ嫁ぎました。ですが子が出来ず、私から離縁を申し出ました。何度も引き留めていただき、女一人生きてゆくに不自由無い財産も分けていただいたのですが、それは親族に奪われ、家を追い出された所をウルガンド様に拾っていただいたのです」
ウルガンドとは、ギルガンドの亡き祖父である。
「その時の知り合いか」
「はい。今日、市場で出会って立ち話をしました。私に会って欲しい者がいるそうです」
「駄目だ!婆やには悪いが、それは詐欺か何かの――」
「もう坊ちゃまの呪いは解けました。こんな老婆にかまけていてはアニグトラーンのお家再興も叶いませぬ。――ですので、これを」
差し出された辞職願をギルガンドはそのまま引き裂いた。
「駄目なものは駄目だ。その場所は何処だ、私も行く!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

無限に進化を続けて最強に至る

お寿司食べたい
ファンタジー
突然、居眠り運転をしているトラックに轢かれて異世界に転生した春風 宝。そこで女神からもらった特典は「倒したモンスターの力を奪って無限に強くなる」だった。 ※よくある転生ものです。良ければ読んでください。 不定期更新 初作 小説家になろうでも投稿してます。 文章力がないので悪しからず。優しくアドバイスしてください。 改稿したので、しばらくしたら消します

幸福の魔法使い〜ただの転生者が史上最高の魔法使いになるまで〜

霊鬼
ファンタジー
生まれつき魔力が見えるという特異体質を持つ現代日本の会社員、草薙真はある日死んでしまう。しかし何故か目を覚ませば自分が幼い子供に戻っていて……? 生まれ直した彼の目的は、ずっと憧れていた魔法を極めること。様々な地へ訪れ、様々な人と会い、平凡な彼はやがて英雄へと成り上がっていく。 これは、ただの転生者が、やがて史上最高の魔法使いになるまでの物語である。 (小説家になろう様、カクヨム様にも掲載をしています。)

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

高校生の俺、異世界転移していきなり追放されるが、じつは最強魔法使い。可愛い看板娘がいる宿屋に拾われたのでもう戻りません

下昴しん
ファンタジー
高校生のタクトは部活帰りに突然異世界へ転移してしまう。 横柄な態度の王から、魔法使いはいらんわ、城から出ていけと言われ、いきなり無職になったタクト。 偶然会った宿屋の店長トロに仕事をもらい、看板娘のマロンと一緒に宿と食堂を手伝うことに。 すると突然、客の兵士が暴れだし宿はメチャクチャになる。 兵士に殴り飛ばされるトロとマロン。 この世界の魔法は、生活で利用する程度の威力しかなく、とても弱い。 しかし──タクトの魔法は人並み外れて、無法者も脳筋男もひれ伏すほど強かった。

貧弱の英雄

カタナヅキ
ファンタジー
この世界では誰もが生まれた時から「異能」と「レベル」呼ばれる能力を身に付けており、人々はレベルを上げて自分の能力を磨き、それに適した職業に就くのが当たり前だった。しかし、山奥で捨てられていたところを狩人に拾われ、後に「ナイ」と名付けられた少年は「貧弱」という異能の中でも異質な能力を身に付けていた。 貧弱の能力の効果は日付が変更される度に強制的にレベルがリセットされてしまい、生まれた時からナイは「レベル1」だった。どれだけ努力してレベルを上げようと日付変わる度にレベル1に戻ってしまい、レベルで上がった分の能力が低下してしまう。 自分の貧弱の技能に悲観する彼だったが、ある時にレベルを上昇させるときに身に付ける「SP」の存在を知る。これを使用すれば「技能」と呼ばれる様々な技術を身に付ける事を知り、レベルが毎日のようにリセットされる事を逆に利用して彼はSPを溜めて数々の技能を身に付け、落ちこぼれと呼んだ者達を見返すため、底辺から成り上がる―― ※修正要請のコメントは対処後に削除します。

エレンディア王国記

火燈スズ
ファンタジー
不慮の事故で命を落とした小学校教師・大河は、 「選ばれた魂」として、奇妙な小部屋で目を覚ます。 導かれるように辿り着いたのは、 魔法と貴族が支配する、どこか現実とは異なる世界。 王家の十八男として生まれ、誰からも期待されず辺境送り―― だが、彼は諦めない。かつての教え子たちに向けて語った言葉を胸に。 「なんとかなるさ。生きてればな」 手にしたのは、心を視る目と、なかなか花開かぬ“器”。 教師として、王子として、そして何者かとして。 これは、“教える者”が世界を変えていく物語。

処理中です...