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第二章 旅は魔本とともに
第6話 頑張ることで、少しでも喜んでもらえるなら
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現実逃避のための旅は、順調に始まった。
特急列車を使って二時間半。無事に終点に到着すると、アカリはミナトとともに駅の外に出た。
ここから先は車での移動だ。
東京に比べるとさすがに空気が違う。
少し涼しいし、おいしい。
「どうだアカリ? 少しは懐かしいと思うのか?」
そう言って伸びをしているミナトの左手には、魔本のほかに、市販のガイドブックが握られている。
普通の人間であればずっと持っているのはつらいはずなのだが、まるで重力を無視するかのように軽々と握り込んでいた。
なお、魔本はまた出し直してきたようで、表紙は焦げ茶色をしている。
「うーん。懐かしいような、そうでもないような、記憶がないような」
「そうか。前に来たのがまだ小さいころなら、忘れてても仕方ないよな。通り過ぎただけの町ならなおさらだ」
昔に祖父と一緒に来たときと、おそらく同じルートで来ているはずだった。
しかし、東京に比べてかなり高さ控えめなこの街並みを見ても、アカリは特に何かを感じることはなかった。
「じゃあ行こうぜ。レンタカー屋はこっちだ」
いつのまにかレンタカー屋の場所を把握していたミナトが、指でその方向を示した。
羽をしまっていることもあり、白い犬歯を少しだけ目立たせて笑っているその姿は、よく日焼けしたサーファーという感じだ。
「それとも、空飛んでくか? 俺につかまってもらえれば――」
「却下!」
「へーい」
特急列車の席では窓際を譲られていた。
さらに、頼んでもいないのになぜかガイドブックをいくつも持ってきており、窓から見える景色の説明までしてくれていた。
そして今。
彼は、肩にアカリのバッグ、背中に自身のリュックと、二人分の荷物をしょっている。アカリは手ぶらだ。
今回の旅についてきてもらったのは、単に一人だと行きづらいという理由だった。
空気のような感じでよかったのだが、彼はまるで付き人のように機能している。
相変わらず魔本をめくりながら説教めいたことを言ってくることを除けば、今のところは完璧な同伴者だ。
――ずいぶんと親切な悪魔さんだこと。
そう思いながら、アカリも彼に続いてレンタカー屋へと歩いた。
車を走らせること一時間強。
この地方では一番の観光名所である鍾乳洞、天岩洞の大きな看板が見えた。
そしてさらに進むと、「洞入口」と矢印付きで書かれている小さな看板も見えた。
だが、そこはいったん素通りし、車のまま坂道を登り続ける。
この坂道の途中にはキャンプ場があり、さらにそのまま登ると、車のまま山頂近くまで行くことができる。そこには高原を見渡せる展望台が設置されていることになっていた。
先にそちらに行く理由は、昔祖父と一緒にここに来たとき、鍾乳洞に入る前に見晴らしのよい場所に行っていたような記憶が残っていたからである。
車がすれ違えないほどの狭い登り道を抜けると、そこは山の頂というよりも、峠のような、平らでのどかなところだった。
ミナトの説明によれば、この山の名称は仙人平。名前のとおりということなのだろう。
道の終点にあった広い駐車場には、観光客と思われる車が数台とまっていた。
車から降りたアカリたちは、ゆるやかな斜面に設置されていた大きな展望台へと向かった。
「うわあ。なんか、何もかもが、なだらかだね」
展望台からの眺望も、やはり穏やかで優しい。夏空の下の稜線は切り立つことなく、柔らかなうねりが続いていた。
「でも不思議。なだらかなんだけど、どうしてか元気をもらえる気がする」
その手前に広がっている濃い緑や、流れている川のおかげだろうか。けっしてパワーを感じない眺めではなく、活力にもあふれている気がした。
――この感じ、少し記憶にあるような気がする。
アカリはそう思った。
昔の記憶が呼び起こされている感覚が、たしかにあった。
この展望台で、祖父が自分のすぐ右側に立っていて。その内容まではさすがに思い出せないが、景色を見ながら何かを話してくれていたような……。
……まあ、今右側に立っているのは祖父ではなく、得体の知れない悪魔さんなわけだけれども。
「この景色は隆起準平原、だな」
相変わらず魔本とガイドブックの両方を持ったままのミナトが、ガイドブックのほうを開きながら、そんなことを言ってくる。
「何それ」
「よーし、説明してやる」
「あんた、まるでガイドさんだよね。一度も来たことないくせに」
その突っ込みにもめげず、ミナトはガイドブックをチラチラ見ながら、説明を進めた。
河川の浸食――水のエネルギーによって作られた山と谷の地形は、その浸食がさらに進むと、最終的には『準平原』と呼ばれる地形となる。
準平原は平原と残丘が残るだけのなだらかな地であり、高度も海面に近づいているため、水の持つエネルギーも弱くなり、それ以上の地形の発達はなくなる。
つまり〝終わった地形〟なのだ。
だがその準平原も、地殻変動などで隆起して高度が復活すれば、そこに流れる水は再びエネルギーを持つようになり、それ以降は浸食が復活する。
この地形の若返りを『回春』といい、隆起した準平原を『隆起準平原』という。
ミナトの説明は、かなりたどたどしくはあった。
しかしアカリは前方を眺めながら、最後まで聞いた。
きちんと理解はできる話だった。
眼前の景色が優しくも力を感じるのは、この高原が若返りを果たした準平原であり、これから始まっていく地形だからという理由もあるのかもしれないと思った。
「私、高校のころの理科は地学じゃなくて生物を取ってたからなあ。全然知らなかった。でも、そういう知識ってさ、知っててもあまり役に立たないでしょ」
「そんなことないぞ? 人間だって自然の一部だからな。こういう自然の法則は、人生にもつながるんだ。特にアカリには参考になるはずだ」
首をひねるアカリの横で、ミナトが今度は魔本のほうを広げ、パラパラとめくる。
「ええとだな。ただ生きて同じことをしているだけだと、なだらかで起伏が少ない人生になるんだ。だから適度に刺激を求めていくことが大事なんだ。ほら、今の話と一緒だろ?」
「また説教臭い話に持っていく……。しかもそれ、魔本を読んでるだけでしょ? そんなのは全然響きませーん」
ミナトは「そう言われちまうとなあ」と、空いている右手で頭を掻きながら笑う。
「でも仕方ないだろ。俺、人間じゃないし。しかもまだ十七歳だぞ?」
「あ、やっぱり年下だったんだ。でも、悪魔なのに年齢があるとか、おかしくない?」
「おかしくないぞ。普通に年をとって、普通に死ぬ」
そこでまたミナトは魔本をチラッと見る。
「人生はロウソクのように限りがあるからな。だからアカリも無駄にしないで一生懸命――」
「ハイハイわかりました。鍾乳洞のほうに行くよ」
すでに一通り堪能した景色を見るのをやめ、アカリは展望台から降りようとした。
「あ、待てって。階段は俺が先に下りる」
「別にそんなの気にしなくていいって」
「いやいや。気にしないとダメだろ。男子たるもの紳士たれ、だな」
「どうせそれも本で見たのをそのまま言ってるだけでしょ」
「だから仕方ないだろって」
言い返してはくるが、やはり顔には爽やかな笑み。
彼の後に続いて、アカリも階段を下りていく。
「……」
下りる途中でも、展望台から景色を見たときに感じたものと同種の懐かしさが続いていた。
――昔に来たときも、こんな感じで祖父を眺めた気がする。
当時は背が低かったから、階段のおかげで祖父の肩が上から見られることを嬉しく思った。しかも見るだけでなく、上から飛びかかってもいたような――そんな記憶まで出てきた。
今思えば危険なことをしてしまったわけだが、祖父は笑っていたような気がした。
今見えているのは、彼の剥き出しになった褐色の肩。
祖父はどちらかというと色白だったし、ここまで筋肉もしっかりしていなかったと思う。
でもなぜか、それを見てもなお、懐かしかった。
特急列車を使って二時間半。無事に終点に到着すると、アカリはミナトとともに駅の外に出た。
ここから先は車での移動だ。
東京に比べるとさすがに空気が違う。
少し涼しいし、おいしい。
「どうだアカリ? 少しは懐かしいと思うのか?」
そう言って伸びをしているミナトの左手には、魔本のほかに、市販のガイドブックが握られている。
普通の人間であればずっと持っているのはつらいはずなのだが、まるで重力を無視するかのように軽々と握り込んでいた。
なお、魔本はまた出し直してきたようで、表紙は焦げ茶色をしている。
「うーん。懐かしいような、そうでもないような、記憶がないような」
「そうか。前に来たのがまだ小さいころなら、忘れてても仕方ないよな。通り過ぎただけの町ならなおさらだ」
昔に祖父と一緒に来たときと、おそらく同じルートで来ているはずだった。
しかし、東京に比べてかなり高さ控えめなこの街並みを見ても、アカリは特に何かを感じることはなかった。
「じゃあ行こうぜ。レンタカー屋はこっちだ」
いつのまにかレンタカー屋の場所を把握していたミナトが、指でその方向を示した。
羽をしまっていることもあり、白い犬歯を少しだけ目立たせて笑っているその姿は、よく日焼けしたサーファーという感じだ。
「それとも、空飛んでくか? 俺につかまってもらえれば――」
「却下!」
「へーい」
特急列車の席では窓際を譲られていた。
さらに、頼んでもいないのになぜかガイドブックをいくつも持ってきており、窓から見える景色の説明までしてくれていた。
そして今。
彼は、肩にアカリのバッグ、背中に自身のリュックと、二人分の荷物をしょっている。アカリは手ぶらだ。
今回の旅についてきてもらったのは、単に一人だと行きづらいという理由だった。
空気のような感じでよかったのだが、彼はまるで付き人のように機能している。
相変わらず魔本をめくりながら説教めいたことを言ってくることを除けば、今のところは完璧な同伴者だ。
――ずいぶんと親切な悪魔さんだこと。
そう思いながら、アカリも彼に続いてレンタカー屋へと歩いた。
車を走らせること一時間強。
この地方では一番の観光名所である鍾乳洞、天岩洞の大きな看板が見えた。
そしてさらに進むと、「洞入口」と矢印付きで書かれている小さな看板も見えた。
だが、そこはいったん素通りし、車のまま坂道を登り続ける。
この坂道の途中にはキャンプ場があり、さらにそのまま登ると、車のまま山頂近くまで行くことができる。そこには高原を見渡せる展望台が設置されていることになっていた。
先にそちらに行く理由は、昔祖父と一緒にここに来たとき、鍾乳洞に入る前に見晴らしのよい場所に行っていたような記憶が残っていたからである。
車がすれ違えないほどの狭い登り道を抜けると、そこは山の頂というよりも、峠のような、平らでのどかなところだった。
ミナトの説明によれば、この山の名称は仙人平。名前のとおりということなのだろう。
道の終点にあった広い駐車場には、観光客と思われる車が数台とまっていた。
車から降りたアカリたちは、ゆるやかな斜面に設置されていた大きな展望台へと向かった。
「うわあ。なんか、何もかもが、なだらかだね」
展望台からの眺望も、やはり穏やかで優しい。夏空の下の稜線は切り立つことなく、柔らかなうねりが続いていた。
「でも不思議。なだらかなんだけど、どうしてか元気をもらえる気がする」
その手前に広がっている濃い緑や、流れている川のおかげだろうか。けっしてパワーを感じない眺めではなく、活力にもあふれている気がした。
――この感じ、少し記憶にあるような気がする。
アカリはそう思った。
昔の記憶が呼び起こされている感覚が、たしかにあった。
この展望台で、祖父が自分のすぐ右側に立っていて。その内容まではさすがに思い出せないが、景色を見ながら何かを話してくれていたような……。
……まあ、今右側に立っているのは祖父ではなく、得体の知れない悪魔さんなわけだけれども。
「この景色は隆起準平原、だな」
相変わらず魔本とガイドブックの両方を持ったままのミナトが、ガイドブックのほうを開きながら、そんなことを言ってくる。
「何それ」
「よーし、説明してやる」
「あんた、まるでガイドさんだよね。一度も来たことないくせに」
その突っ込みにもめげず、ミナトはガイドブックをチラチラ見ながら、説明を進めた。
河川の浸食――水のエネルギーによって作られた山と谷の地形は、その浸食がさらに進むと、最終的には『準平原』と呼ばれる地形となる。
準平原は平原と残丘が残るだけのなだらかな地であり、高度も海面に近づいているため、水の持つエネルギーも弱くなり、それ以上の地形の発達はなくなる。
つまり〝終わった地形〟なのだ。
だがその準平原も、地殻変動などで隆起して高度が復活すれば、そこに流れる水は再びエネルギーを持つようになり、それ以降は浸食が復活する。
この地形の若返りを『回春』といい、隆起した準平原を『隆起準平原』という。
ミナトの説明は、かなりたどたどしくはあった。
しかしアカリは前方を眺めながら、最後まで聞いた。
きちんと理解はできる話だった。
眼前の景色が優しくも力を感じるのは、この高原が若返りを果たした準平原であり、これから始まっていく地形だからという理由もあるのかもしれないと思った。
「私、高校のころの理科は地学じゃなくて生物を取ってたからなあ。全然知らなかった。でも、そういう知識ってさ、知っててもあまり役に立たないでしょ」
「そんなことないぞ? 人間だって自然の一部だからな。こういう自然の法則は、人生にもつながるんだ。特にアカリには参考になるはずだ」
首をひねるアカリの横で、ミナトが今度は魔本のほうを広げ、パラパラとめくる。
「ええとだな。ただ生きて同じことをしているだけだと、なだらかで起伏が少ない人生になるんだ。だから適度に刺激を求めていくことが大事なんだ。ほら、今の話と一緒だろ?」
「また説教臭い話に持っていく……。しかもそれ、魔本を読んでるだけでしょ? そんなのは全然響きませーん」
ミナトは「そう言われちまうとなあ」と、空いている右手で頭を掻きながら笑う。
「でも仕方ないだろ。俺、人間じゃないし。しかもまだ十七歳だぞ?」
「あ、やっぱり年下だったんだ。でも、悪魔なのに年齢があるとか、おかしくない?」
「おかしくないぞ。普通に年をとって、普通に死ぬ」
そこでまたミナトは魔本をチラッと見る。
「人生はロウソクのように限りがあるからな。だからアカリも無駄にしないで一生懸命――」
「ハイハイわかりました。鍾乳洞のほうに行くよ」
すでに一通り堪能した景色を見るのをやめ、アカリは展望台から降りようとした。
「あ、待てって。階段は俺が先に下りる」
「別にそんなの気にしなくていいって」
「いやいや。気にしないとダメだろ。男子たるもの紳士たれ、だな」
「どうせそれも本で見たのをそのまま言ってるだけでしょ」
「だから仕方ないだろって」
言い返してはくるが、やはり顔には爽やかな笑み。
彼の後に続いて、アカリも階段を下りていく。
「……」
下りる途中でも、展望台から景色を見たときに感じたものと同種の懐かしさが続いていた。
――昔に来たときも、こんな感じで祖父を眺めた気がする。
当時は背が低かったから、階段のおかげで祖父の肩が上から見られることを嬉しく思った。しかも見るだけでなく、上から飛びかかってもいたような――そんな記憶まで出てきた。
今思えば危険なことをしてしまったわけだが、祖父は笑っていたような気がした。
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