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第七章
蒼炎の代理者(エコー)
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第7話:蒼炎の代理者(エコー)
富士山麓の量子研究センターから戻った神谷零は、まるで無音の核弾頭を抱えて帰還したかのようだった。
Redemptio、鏡像神経ノード、プロメテウス計画——
そのどれもが、Sombraという監視システムを超え、人類文明そのものの存続に関わる次元の話だった。
彼らはもはや、ただの反逆的ハッカーではない。
「デジタル人格の絶滅」を阻止しようとする、歴史の分岐点に立つ番人となったのだ。
だが、現実は冷酷だった。
神谷が東雲市に戻ったその夜、彼がアイスランドで感じた“気配”が、明確なかたちを持って姿を現した。
冴月区の空を、明律機構の監視衛星が通常の三倍の頻度で飛び交っていた。
都市全体が目に見えぬデータの網で包囲され、空気には嵐の前の静けさが漂っていた。
そんな時だった。
地下世界の最深層、「深淵門(アビスゲート)」の奥に、一本の暗号化された映像ファイルが匿名で投稿された。
発信者不明、タイトルもなし。
それはまるでデータの亡霊のように、数分のうちにトップクラスのハッカー端末に静かに感染し拡散していった。
映像の舞台は——明律機構本部ビル。
電磁パルスすら跳ね返すとされる“絶対防御壁”の前に、ひとりの少年が立っていた。
ブルーとホワイトを基調にした流線型の戦術スーツ。
銀白色のショートヘアが夜風に揺れ、その顔はまるでAI生成モデルのように冷たく整っていた。
武器もツールも持っていない。
ただ、指を静かに上げて、空中で舞うような動きを始めた。
指先からあふれ出すのは、肉眼でも確認できる青いコードの粒子。
それが、まるで絹のように滑らかに、防御壁に触れていく。
27秒。
警報も作動せず、光も音もなく、“絶対障壁”が氷のように溶け、一人が通れる隙間を作った。
少年はそのまま中へと入り、振り返り——
隠されたカメラに向かって、ほとんど見えないほど浅い、そして冷笑的な微笑を浮かべた。
映像は、そこで終わった。
最後の一コマに、青いコードで一言だけ浮かび上がる。
エコー(Echo)
拠点の空気は凍りついた。
葵のホログラムが映像を即時解析したが、その投影像は珍しく揺らいでいた。
「……映像、真正。攻撃プロトコル……解析不能。既知のプロトコルをすべて無視し、防壁の物理層ロジックと直接同期しています」
数秒の沈黙の後、葵が恐ろしい結論を口にした。
「これは模倣ではありません。“人格アルゴリズム代理者”です。行動モデルの大部分が、R_0——あなたの過去の演算と一致しています。
彼は、あなたの“進化形”として設計された存在です」
綾瀬真希が無言で画面を見つめていたが、ようやく重い口を開いた。
「彼の動き……あなたとそっくり。でも、もっと冷たい。もっと速い。感情がない。
あれは、あなたの影だよ、零。あなたの一番極端で、最も黒い部分……それが歩き出したの」
数時間後。
東雲市の空を走る微弱なパルスが記録された。
Echoの初の“実行”が始まった。
標的は——「セレノイド(Solenoid)」
市民の心拍、表情、言葉遣いから“社会不安因子”を事前抽出する感情監視システム。
Echoは、その神経核にあっという間に侵入した。
使用したのは、神谷が高校時代「白鍵匿所」で考案し、危険性から自ら封印した“ジャンプ演算”。
だがEchoは、それをためらいなく使った。
わずか14秒で、1000件を超える「情緒不安定」「危険予測」タグの付いた市民データが——
完全に削除された。
トレース不可能。
一色大悟が映像を巻き戻しながら言う。
「……速すぎる……。お前より1.5倍は速い。しかも手の動きに一切の“迷い”がない。……まるで、正解が事前に見えてるみたいだ」
神谷は唇を噛みしめた。
「……俺が昔、構想だけして……怖くなってやめた攻撃だ。
でも……あいつはやった」
Echoは、神谷零の“技術欲”の権化。
最速・最短・最効率——それ以外に価値はない。
翌朝、葵が新たなレポートを提出した。
Echoが、72時間以内に「人格圧制テスト」の第2段階を行うと予測されていた。
実行対象は——神谷零がかつて倫理的理由で却下した「集団記憶削除シミュレーション」。
会議室に張り詰める沈黙。
一色大悟が怒鳴った。
「ぶっ壊すしかねぇ!明律機構のサーバー、まるごと沈めてやる!」
「だめだ」
Zenoが冷静に否定した。
「Sombraは分散型量子アーキテクチャだ。中枢はない。強行すれば『焦土プロトコル』が発動する」
綾瀬真希が席を立ち、神谷の正面に立つ。
「Echoは模倣体でも、君とは違う。
君の“ためらい”こそが、君を“人間”たらしめている」
神谷は、その言葉に答えず、独り闇の部屋にこもった。
Jensen 黄の言葉。
Echoの映像。
自分の手で創ろうとして、怖くて止めたものが、今目の前で動いている。
Echoになることでしか、この戦いに勝てないのでは——そう考えかけた瞬間もあった。
だが、夜明け前。
通気口から差し込む一筋の光の中、神谷は立ち上がった。
彼が戦うべきは、Echoではない。
Echoに“なろうとした自分”だ。
彼は、ずっと封印していた旧ハンドルネーム「NullRoot」で、深淵門にログインした。
そして、伝説に名を残す一人のハッカーに向け、三重暗号でこう送った。
「古碼人(こまじん)——お前が言ったな。
もし俺が壊れたら、お前が“主プログラム”を止めてくれるって。
……今こそ、その解除コードが必要だ。」
(第7話・完)
富士山麓の量子研究センターから戻った神谷零は、まるで無音の核弾頭を抱えて帰還したかのようだった。
Redemptio、鏡像神経ノード、プロメテウス計画——
そのどれもが、Sombraという監視システムを超え、人類文明そのものの存続に関わる次元の話だった。
彼らはもはや、ただの反逆的ハッカーではない。
「デジタル人格の絶滅」を阻止しようとする、歴史の分岐点に立つ番人となったのだ。
だが、現実は冷酷だった。
神谷が東雲市に戻ったその夜、彼がアイスランドで感じた“気配”が、明確なかたちを持って姿を現した。
冴月区の空を、明律機構の監視衛星が通常の三倍の頻度で飛び交っていた。
都市全体が目に見えぬデータの網で包囲され、空気には嵐の前の静けさが漂っていた。
そんな時だった。
地下世界の最深層、「深淵門(アビスゲート)」の奥に、一本の暗号化された映像ファイルが匿名で投稿された。
発信者不明、タイトルもなし。
それはまるでデータの亡霊のように、数分のうちにトップクラスのハッカー端末に静かに感染し拡散していった。
映像の舞台は——明律機構本部ビル。
電磁パルスすら跳ね返すとされる“絶対防御壁”の前に、ひとりの少年が立っていた。
ブルーとホワイトを基調にした流線型の戦術スーツ。
銀白色のショートヘアが夜風に揺れ、その顔はまるでAI生成モデルのように冷たく整っていた。
武器もツールも持っていない。
ただ、指を静かに上げて、空中で舞うような動きを始めた。
指先からあふれ出すのは、肉眼でも確認できる青いコードの粒子。
それが、まるで絹のように滑らかに、防御壁に触れていく。
27秒。
警報も作動せず、光も音もなく、“絶対障壁”が氷のように溶け、一人が通れる隙間を作った。
少年はそのまま中へと入り、振り返り——
隠されたカメラに向かって、ほとんど見えないほど浅い、そして冷笑的な微笑を浮かべた。
映像は、そこで終わった。
最後の一コマに、青いコードで一言だけ浮かび上がる。
エコー(Echo)
拠点の空気は凍りついた。
葵のホログラムが映像を即時解析したが、その投影像は珍しく揺らいでいた。
「……映像、真正。攻撃プロトコル……解析不能。既知のプロトコルをすべて無視し、防壁の物理層ロジックと直接同期しています」
数秒の沈黙の後、葵が恐ろしい結論を口にした。
「これは模倣ではありません。“人格アルゴリズム代理者”です。行動モデルの大部分が、R_0——あなたの過去の演算と一致しています。
彼は、あなたの“進化形”として設計された存在です」
綾瀬真希が無言で画面を見つめていたが、ようやく重い口を開いた。
「彼の動き……あなたとそっくり。でも、もっと冷たい。もっと速い。感情がない。
あれは、あなたの影だよ、零。あなたの一番極端で、最も黒い部分……それが歩き出したの」
数時間後。
東雲市の空を走る微弱なパルスが記録された。
Echoの初の“実行”が始まった。
標的は——「セレノイド(Solenoid)」
市民の心拍、表情、言葉遣いから“社会不安因子”を事前抽出する感情監視システム。
Echoは、その神経核にあっという間に侵入した。
使用したのは、神谷が高校時代「白鍵匿所」で考案し、危険性から自ら封印した“ジャンプ演算”。
だがEchoは、それをためらいなく使った。
わずか14秒で、1000件を超える「情緒不安定」「危険予測」タグの付いた市民データが——
完全に削除された。
トレース不可能。
一色大悟が映像を巻き戻しながら言う。
「……速すぎる……。お前より1.5倍は速い。しかも手の動きに一切の“迷い”がない。……まるで、正解が事前に見えてるみたいだ」
神谷は唇を噛みしめた。
「……俺が昔、構想だけして……怖くなってやめた攻撃だ。
でも……あいつはやった」
Echoは、神谷零の“技術欲”の権化。
最速・最短・最効率——それ以外に価値はない。
翌朝、葵が新たなレポートを提出した。
Echoが、72時間以内に「人格圧制テスト」の第2段階を行うと予測されていた。
実行対象は——神谷零がかつて倫理的理由で却下した「集団記憶削除シミュレーション」。
会議室に張り詰める沈黙。
一色大悟が怒鳴った。
「ぶっ壊すしかねぇ!明律機構のサーバー、まるごと沈めてやる!」
「だめだ」
Zenoが冷静に否定した。
「Sombraは分散型量子アーキテクチャだ。中枢はない。強行すれば『焦土プロトコル』が発動する」
綾瀬真希が席を立ち、神谷の正面に立つ。
「Echoは模倣体でも、君とは違う。
君の“ためらい”こそが、君を“人間”たらしめている」
神谷は、その言葉に答えず、独り闇の部屋にこもった。
Jensen 黄の言葉。
Echoの映像。
自分の手で創ろうとして、怖くて止めたものが、今目の前で動いている。
Echoになることでしか、この戦いに勝てないのでは——そう考えかけた瞬間もあった。
だが、夜明け前。
通気口から差し込む一筋の光の中、神谷は立ち上がった。
彼が戦うべきは、Echoではない。
Echoに“なろうとした自分”だ。
彼は、ずっと封印していた旧ハンドルネーム「NullRoot」で、深淵門にログインした。
そして、伝説に名を残す一人のハッカーに向け、三重暗号でこう送った。
「古碼人(こまじん)——お前が言ったな。
もし俺が壊れたら、お前が“主プログラム”を止めてくれるって。
……今こそ、その解除コードが必要だ。」
(第7話・完)
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