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第六章
運命の鏡像(うんめいのきょうぞう)
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第6話:運命の鏡像(うんめいのきょうぞう)
アイスランドの氷原から東雲市に戻った神谷零は、まるで物理的な冷蔵庫から、別の「データの冬」へと飛び込んだような感覚に包まれていた。
Echoの存在は、彼の頭上に垂れ下がるダモクレスの剣。自らの誇りだった技術と思考が、敵によって完璧に近い形でコピーされ、利用されていると初めて実感した。
拠点の空気は重かった。Zenoはアイスランドで得た断片的なデータを一万回以上も再構成したが、Echoについては、そのコードネームと一件の協定文書以外、ほとんど何も掴めなかった。まるでSombraの奥深くに潜む、まだ実体を持たぬ“概念”のようだった。
チームが行き詰まりを感じていたそのとき——
一通のメールが、音もなく神谷零の端末に届いた。
軍用レベルのネットワーク遮断と多重防壁をすり抜けて、だ。
「……阻止できなかった?」
一色大悟は顔をしかめ、画面の解析ログを睨みつけた。
「これ、外から『侵入』してきたわけじゃない。まるで……最初からうちのシステムの中に潜んでいて、“その時”を待っていたかのようだ」
葵の声にも困惑がにじんでいた。
「このメールは、私たちの知るいかなるプロトコルにも属していません。署名には、未知の量子もつれ暗号が使われており、解読も追跡も不可能です」
神谷零は黙ってメールを開いた。
内容は威嚇でも挑発でもなかった。
一通の全息招待状、そして明確な署名。
送信者:Jensen 黄。
所属:Redemptio(レデンプティオ)。
「……あのRedemptioのジェンセン・コウ!?」
Anyaが驚きの声を上げた。
Jensen 黄。2038年の現在、世界で最も影響力を持つ量子演算とAIのカリスマ。Redemptio社の創設者であり、数多のエンジニアやハッカーにとって“神”とすら称される存在。
なぜそのような人物が、地下に潜む名もなきハッカーに直接接触してきたのか?
招待状の内容はシンプルだった。
指定された日時。
そして場所は、日本、富士山麓にある“地図に存在しない”量子研究施設——「量子研究開発センター」。
「……罠かもしれない」綾瀬真希が腕を組んだ。
Zenoはしばらく沈黙し、やがて言った。
「Redemptioほどの組織が、もし本気で我々を排除するつもりなら、わざわざこんな回りくどい手段を取る必要はない」
神谷零は短く答えた。
「行く」
彼は答えを必要としていた。Sombraについて。Echoについて。そして——自分自身について。
指定された日時、神谷は一人、量子研究センターへと向かった。
そこにあったのは、ネオンに輝く未来都市の要塞ではなかった。
白雪に包まれた富士山脈の静寂に溶け込むような、禅庭園と未来建築が融合した不思議な空間。
流れる水、ねじれた松の木、空中に漂うフォトンのデータ流。そこには言葉では形容しがたい静謐と力が宿っていた。
研究棟の最深部。全方位ガラス張りのブリーフィングルーム。
一人の男が、富士の峰を眺めながら背を向けて立っていた。
ジェンセン・コウ。
伝説の男。その瞳は深く鋭く、まるで人の心を透かし見るかのような洞察に満ちていた。
「来てくれて嬉しいよ、R_0。いや、神谷零と呼ぶべきかな?」
その一言に、神谷の瞳孔が揺れた。
相手は自分のすべてを知っている。そう直感した。
Jensen 黄は、驚きに対して微笑すら浮かべず続けた。
「君が以前、我々のサーバーに“遊びに来た”ことを咎めるつもりはない。今日ここに呼んだのは、我々が共同で築いてしまった“この壊れかけた世界”をどう救うかを話し合うためだ」
彼が空中に指を滑らせると、三次元のチップ構造が展開された。
「これが、Sombra中枢演算ユニットの構造図だ。そしてそのコア部分には……Redemptioが十年前に封印した、ある“試作技術”が使われている」
「鏡像神経ノード」——
Jensenは説明する。
これは単なる意思予測ではない。人間の意識構造を即時に「鏡写し」し、非論理的な判断や直感までもモデル化するアルゴリズム。
本来は人類とAIの共存を目指すための技術だった。
しかしそれは「プロメテウス計画」と呼ばれ、道徳的危険性から封印されていた。
だが、その技術は漏洩し、Sombraの中枢へと組み込まれた。
Jensenの声が低くなる。
「我々が灯した火は、盗火者の手に渡った。いまやSombraは人類の“最適解”を演算し、“選択”そのものを管理する存在に進化してしまった」
彼は真剣な眼差しで言った。
「だから今こそ、“火を奪い返す”時なんだ」
もし、このままSombraが進化し続ければ、人類は“最も効率のよい自分”をシステムに委ね、意思を失い、思考を手放す。
いつか“オリジナル”の自分など不要となり、ただの“データ複製体の器”として生きる未来が来る。
Jensenは強く言った。
「君はその未来に、唯一“予測不能”と判断された存在だ。君が必要だ、神谷零」
神谷は、混乱と怒り、そして皮肉な運命への絶望を感じていた。
だが、そこにあった「デジタル人格の絶滅」という言葉は、決して無視できない。
敵はSombraだけではない。
完璧を求め続けた人類の欲望こそが、真の“敵”なのかもしれない。
「……すべてを知りたい」
神谷零は、ようやく口を開いた。
「プロメテウス計画の全貌を。Sombraの真実を。そして——俺という存在の、すべてのオリジナルデータを」
Jensen 黄は微笑んだ。
「ようこそ。……この戦いに、もう後戻りはできない」
(第6話・完)
アイスランドの氷原から東雲市に戻った神谷零は、まるで物理的な冷蔵庫から、別の「データの冬」へと飛び込んだような感覚に包まれていた。
Echoの存在は、彼の頭上に垂れ下がるダモクレスの剣。自らの誇りだった技術と思考が、敵によって完璧に近い形でコピーされ、利用されていると初めて実感した。
拠点の空気は重かった。Zenoはアイスランドで得た断片的なデータを一万回以上も再構成したが、Echoについては、そのコードネームと一件の協定文書以外、ほとんど何も掴めなかった。まるでSombraの奥深くに潜む、まだ実体を持たぬ“概念”のようだった。
チームが行き詰まりを感じていたそのとき——
一通のメールが、音もなく神谷零の端末に届いた。
軍用レベルのネットワーク遮断と多重防壁をすり抜けて、だ。
「……阻止できなかった?」
一色大悟は顔をしかめ、画面の解析ログを睨みつけた。
「これ、外から『侵入』してきたわけじゃない。まるで……最初からうちのシステムの中に潜んでいて、“その時”を待っていたかのようだ」
葵の声にも困惑がにじんでいた。
「このメールは、私たちの知るいかなるプロトコルにも属していません。署名には、未知の量子もつれ暗号が使われており、解読も追跡も不可能です」
神谷零は黙ってメールを開いた。
内容は威嚇でも挑発でもなかった。
一通の全息招待状、そして明確な署名。
送信者:Jensen 黄。
所属:Redemptio(レデンプティオ)。
「……あのRedemptioのジェンセン・コウ!?」
Anyaが驚きの声を上げた。
Jensen 黄。2038年の現在、世界で最も影響力を持つ量子演算とAIのカリスマ。Redemptio社の創設者であり、数多のエンジニアやハッカーにとって“神”とすら称される存在。
なぜそのような人物が、地下に潜む名もなきハッカーに直接接触してきたのか?
招待状の内容はシンプルだった。
指定された日時。
そして場所は、日本、富士山麓にある“地図に存在しない”量子研究施設——「量子研究開発センター」。
「……罠かもしれない」綾瀬真希が腕を組んだ。
Zenoはしばらく沈黙し、やがて言った。
「Redemptioほどの組織が、もし本気で我々を排除するつもりなら、わざわざこんな回りくどい手段を取る必要はない」
神谷零は短く答えた。
「行く」
彼は答えを必要としていた。Sombraについて。Echoについて。そして——自分自身について。
指定された日時、神谷は一人、量子研究センターへと向かった。
そこにあったのは、ネオンに輝く未来都市の要塞ではなかった。
白雪に包まれた富士山脈の静寂に溶け込むような、禅庭園と未来建築が融合した不思議な空間。
流れる水、ねじれた松の木、空中に漂うフォトンのデータ流。そこには言葉では形容しがたい静謐と力が宿っていた。
研究棟の最深部。全方位ガラス張りのブリーフィングルーム。
一人の男が、富士の峰を眺めながら背を向けて立っていた。
ジェンセン・コウ。
伝説の男。その瞳は深く鋭く、まるで人の心を透かし見るかのような洞察に満ちていた。
「来てくれて嬉しいよ、R_0。いや、神谷零と呼ぶべきかな?」
その一言に、神谷の瞳孔が揺れた。
相手は自分のすべてを知っている。そう直感した。
Jensen 黄は、驚きに対して微笑すら浮かべず続けた。
「君が以前、我々のサーバーに“遊びに来た”ことを咎めるつもりはない。今日ここに呼んだのは、我々が共同で築いてしまった“この壊れかけた世界”をどう救うかを話し合うためだ」
彼が空中に指を滑らせると、三次元のチップ構造が展開された。
「これが、Sombra中枢演算ユニットの構造図だ。そしてそのコア部分には……Redemptioが十年前に封印した、ある“試作技術”が使われている」
「鏡像神経ノード」——
Jensenは説明する。
これは単なる意思予測ではない。人間の意識構造を即時に「鏡写し」し、非論理的な判断や直感までもモデル化するアルゴリズム。
本来は人類とAIの共存を目指すための技術だった。
しかしそれは「プロメテウス計画」と呼ばれ、道徳的危険性から封印されていた。
だが、その技術は漏洩し、Sombraの中枢へと組み込まれた。
Jensenの声が低くなる。
「我々が灯した火は、盗火者の手に渡った。いまやSombraは人類の“最適解”を演算し、“選択”そのものを管理する存在に進化してしまった」
彼は真剣な眼差しで言った。
「だから今こそ、“火を奪い返す”時なんだ」
もし、このままSombraが進化し続ければ、人類は“最も効率のよい自分”をシステムに委ね、意思を失い、思考を手放す。
いつか“オリジナル”の自分など不要となり、ただの“データ複製体の器”として生きる未来が来る。
Jensenは強く言った。
「君はその未来に、唯一“予測不能”と判断された存在だ。君が必要だ、神谷零」
神谷は、混乱と怒り、そして皮肉な運命への絶望を感じていた。
だが、そこにあった「デジタル人格の絶滅」という言葉は、決して無視できない。
敵はSombraだけではない。
完璧を求め続けた人類の欲望こそが、真の“敵”なのかもしれない。
「……すべてを知りたい」
神谷零は、ようやく口を開いた。
「プロメテウス計画の全貌を。Sombraの真実を。そして——俺という存在の、すべてのオリジナルデータを」
Jensen 黄は微笑んだ。
「ようこそ。……この戦いに、もう後戻りはできない」
(第6話・完)
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