《零界駭客》

三木圭章

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第五章

レイキャビク暗網追跡(あんもうついせき)

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 第5話:レイキャビク暗網追跡(あんもうついせき)
「記憶の亀裂」は、神谷零の世界観を揺るがした。

だが、自己存在への哲学的な問いに沈んでいる余裕はなかった。

より直接的で、より危険な存在が、すでに彼の“匂い”を辿って近づいてきていた。

数週間前——。

自らが“覚醒”した後の限界を試すため、また地下世界で匿名性を確保するため、神谷零は「R_0」のコードネームで、ある特異なハッカー競技場に足を踏み入れた。

その名は「NullSpace(ナルスペース)」。

通常のフォーラムでもウェブサイトでもない。量子ブロックチェーンに隠された“仮想闘技場”だった。

アクセスアドレスは毎時変化し、複雑な暗号クイズを突破しなければ入場すらできない。IPもログも存在せず、接続の切断すら許されない。

参加者は自らの仮想通貨を賭け、一対一の攻防戦を繰り広げる。
勝者はコードネームと誇示するコードスニペットをブロックチェーンの「名誉壁」に刻むことができ、名声と報酬を手に入れる。
敗者は、痕跡ごと「Null」にされ、この世界から完全に消去される。

神谷の初戦の対戦相手は、「コブラ(Cobra)」のコードネームを持つベテランハッカーだった。

暗網では、DDoSと動的偽装の使い手として知られていた男。少なくとも4つのネット人格を持ち、手段を選ばない冷酷なスタイルで有名だった。

「NullSpace マッチ、開始」

無機質なシステム音声が神谷の意識に響いた瞬間、視界に広がる仮想空間が、模擬銀行のデータセンターへと変化した。

Cobraの攻撃は名の通り、鋭く迅速だった。

開始からわずか0.1秒。

彼は10万件を超える偽取引リクエストを一斉に放出。

悪意あるコードを含むデータの洪水が四方八方から押し寄せ、神谷の分析ノードを即時に飽和させようとした。

脳映鏡の警告インジケーターが赤く点滅し、警報が鳴り響く。

だが、神谷は静かだった。

淡々と、画面に乱舞するログを見つめながら、チェスの初手を読み解くように全体を把握していた。

そして、意識の中で命じる。

「葵、イリュージョン・フィードバック・コアを起動」

「起動完了。Cobraの攻撃ロジックを解析中——
同調率78%...89%...95%に到達」

わずか10秒。

葵はCobraのロジックを模倣し、それに合わせた神谷オリジナルの“鏡像干渉ウイルス”を注入した。

名は「信用ミラー(クレジット・ミラー)」——

攻撃ではなく、幻影の鏡だった。

それは、相手の“認識”を歪める。

遠く離れたネットの対岸、Cobraは歓喜していた。

彼の目には、R_0の防御システムが完全に崩壊し、ファイアウォールの警報が狂ったように鳴り響き、銀行の仮想資金が自分のウォレットに流れ込んでいるように映っていた。

「ざまぁ見ろ……」

Cobraは冷笑を漏らし、攻撃をさらに加速させた。

——だが、彼は知らなかった。

見えているもの、聞こえるもの、感じているすべてが、神谷零の“鏡”に映された幻であることを。

画面に一行の冷たい通知が表示された。

【試合終了——あなたは敗北しました】

勝者:R_0。

神谷零は勝利記録を暗号化された形式でブロックチェーンの「名誉壁」に刻み込んだ。

コメントはひとつだけ——

「蛮力は、弱者の武器だ。」

この試合以降、「R_0」の名は暗網で徐々に語られ始める。

だが、栄光とともに、毒のような敵意も忍び寄っていた。

それから数週間後。

Echoの拠点に設置された警報システムが、低く唸るような音を上げて作動した。

「異常アクセス検知。起点IPは量子プロキシを通じて最低5カ国を経由。追跡不可能。攻撃パターンは、Cobraの乱暴な特性とSombraの構造的戦略が融合しています」

葵の声が戦術室内に響き渡る。

神谷は即座に理解した。

「これは政府じゃない。……“私設ハンター”だ」

Cobra——生き延びていた。

奴は「夜影協議(ナイト・シャドウ・アコード)」という闇の傭兵集団に加入し、R_0の正体と神経接続コードに500万仮想通貨の懸賞金をかけていたのだ。

ある晩、彼が顧客の脆弱性検査をしていた最中に、突如として攻撃が始まった。

強力なリモート・ジャミング波が個人ネットワークを襲い、葵との接続が強制的に遮断される。

次の瞬間、脳映鏡に表示された文字:

「R_0、俺は“敗北”が嫌いだ」

——Cobraだった。

葵の補助を失い、彼は視覚も聴覚も奪われたに等しい。

しかし、焦らない。

わずか90秒で、過去の記憶と経験に刻まれた“筋肉のロジック”を頼りに、3層からなる応急神経ファイアウォールを再構築。

Cobraの攻撃を、事前に用意した“ハニーポット”サーバに誘導。

偽の脆弱システムに仕込んだ監視トラップがCobraのログを完全捕捉した。

発信源:アイスランド・レイキャビク。

神谷は攻撃し返すことなく、匿名チャンネルを通じて、ただ一言を送った。

「お前の“負け”は一度じゃない。」

…それは、連鎖する復讐劇の始まりだった。

神谷は一色大悟と合流し、レイキャビクへ飛んだ。

目的地は郊外にある偽装発電所——夜影協議の欧州データ中継拠点。

任務名:「寒原レンダリング」。

極寒の風に晒されながら、二人は厚手の防寒服を着て進む。上空にはオーロラが蛇のように揺れていた。

彼らには18分しかなかった。極地磁嵐により、すべての星間通信が妨害される予報だった。

施設に潜入した彼らを待ち受けていたのは——

「行動予測地雷(ビヘイビア・マイン)」

センター内部の廊下に、青い光の壁が交差して展開。

それは侵入者の“行動”を先読みして動く。

「何だこれ……!?」

一色が驚愕する。

葵の通信が断続的に入る。

「……これは……生体データと行動記録の照合により……“次に起こす動作”を予測して先回りして遮断しています」

一色がジャミング装置を使うが、光壁は彼の動きを完璧に先読みし、すべてのルートを塞ぐ。

「俺たちのアルゴリズム、読まれてる……!」

神谷は静かに立ち止まり、目を閉じた。

彼はこの五年間の行動パターンを脳内で巻き戻す——ログイン時の癖、思考の時間差、危機回避の反応……。

そして彼は“逆”を選んだ。

自分の習慣を完全に裏切る行動。

右足ではなく左足、加速すべき場面で意図的に減速。

未使用のコード、存在しないフラグを偽装して入力。

光壁が揺れ出した。データ構造に“予測不能”というエラーが噴出。

やがて、壁は消えた。

神谷は言った。

「予測される世界で、予測不可能な選択をする。それが、抵抗だ。」

彼は葵のサポートを断ち、自らの直感だけでルートを進む。

「アルゴリズムに依存せず、正解を選べること。それが“自由”なんだ」

中枢サーバに到達した彼らは、Cobraの懸賞を削除し、バックドアを仕込んだ。

そして——

神谷は衝撃の文書を目にする。

「夜影協議」と「Sombra人格模倣部門」の協定。

内容は、神谷の行動データを元に、完璧な“デジタル・神谷零”——

コードネーム『Echo』

を作り出すという計画。

Echoの任務は、神谷が“人間性”ゆえに拒否した任務を、何の迷いもなく遂行すること。

Cobraの目的は、個人的復讐ではなかった。

——それは、遥かに巨大で、冷酷な“狩り”の始まりだった。
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