Archaic Almanac 群雄流星群

しゅーげつ

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第一部 揺動のレジナテリス

戦史1 レインフォール交戦 JAC,22th,AD121

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 閉じる視界が深紅から橙色へと変わる、ほんの一瞬―― 
――斜め前から飛びついて来た何かが、


 リコの小さな身体を勢いごと地面に押し倒した。



 背中を強打しながら仰向けに見た炎は、先ほどよりも広範囲の空気と雨を一息で燃やした。

 
 熱風に持ち上げられ炎に吸い込まれそうになるのを、必死に五指で雑草を掴み堪える。
 

 既に隣で膝をついて備えているカイルを、霧と汗と涙で滲んだ景色の中で見上げた。 
 「起、きろ。死……ぬ、ぞ」 

 リコには分からなかった。カイルの淀みない言葉、迷い無い動きに裏付けされた自信の根拠。
緊張や動揺、恐怖といった感情を置き忘れたようにすら見えて、言葉が出てこなかった。


 手を引かれるがままに立ち上がり、投げ落とした弓を手元に手繰り寄せる。
 「あ……の傷、では、何……度、も、火は、出せ……ない」

 根拠は無いが妙に説得力を持ったカイルのたどたどしい言葉に、リコは早打つ小さな心臓と、
駆け巡る血の流れが少しずつ静まるのを感じて、雨音に耳を澄ませ、それを助けようと試みた。


 強く息を吐いて湿った唇についた雨粒を飛ばし、額を拭い立ち上がる。

 「……ここは僕の森……いつもの雨――そして……退屈な毎日とは、少し違うだけの……」

 ただの退屈な、『今日』!!

 二射目を構えて、大地に捕らわれた足を、今度は自ら根を張るように、大きく歩幅を取る。

 目で合図を送ると、カイルはふっと笑うような顔をして、槍を構え敵に正対した。
 


 リコは少し可笑しくなって、全身の強張りを溶かした根拠をカイルに問いかけた。
 「ねぇ、どうしてそんなに落ち着いてるの?」
 
 ありのままをぶつけると、集中を少しだけ割いた相棒が迷いながら答える。
 

 「……獣、より、怖いの、は、人間……だから、だ」

 風のようにしなやかに、何の強さも弱さも持たず、静かに、そして絞り出すように言った。
 

 「それって……」
 「……来、るぞ」

 獣はゆっくりと歩行を始め少しずつ距離を詰めようとしている。

 炎によって焼かれた空間は余り広くはなく、お互いの背後に藪が見える程度でしかない。

 背を向けて森に飛び込んでも、ついでに焚き木になるだけだろう――
と思考を取り戻したリコは集中を更に深めていく。  


 今まで持っていなかった――反復練習を本番で出す為の意識誘導と、
出来ないことを認めて他人に任せる状況判断を手にしたリコにとって、
眼前の翼獣は一回りも二回りも小さく見えた。

 何より、恐怖と対峙して平静に立ち向かう自信を得た事が重要だった。

 
 今まで通り相手の動きを見て矢を放つ。普段やっていることと何も変わらない――とリコは、
今度は指の力を抑え的中を重視する。もしこの距離で外せば炎に巻かれて骨も残らないだろう。
握る拳が硬直し、弛緩し、矢羽が細かく震える。

 そんなリコの恐れを察したのか、カイルが次の指示を出した。
 「……左」
 無言で頷いたリコは、翼獣の左前方に距離を保ったまま横移動をする。
次いでカイルが構えたまま右前方に摺り足で回りこみ、丁度対象を挟んで反対側に位置取った。


 大きな敵の向こうに立つカイルの、空ろな眼光の奥にある『意図』を見た時、
不安と興奮、そして信頼に対する使命感が、小さな雷となって、
雨で冷えたリコの背中を熱く、駆け抜けた。


 
 獣は羽を広げ飛び立とうとしているが、左翼を貫いた矢が折れたまま刺さっているようで、
右翼だけで身体を持ち上げようと、よろけるばかりで飛び立てる状況ではない。
それを自身でも理解したのか、諦めて再度、臨戦態勢を選択する。


 左右を確認しながら後ずさる獣を見て、リコの脳裏に選択肢が駆け巡る。


 こちらに背を向けるなら――速射で雑に狙っても当たるだろう。
 無理に飛ぼうとするなら――集中して右翼にも撃ち込んでやる。
 森に逃げようとするなら――距離を置いて樹上の優位を取ろう。


 けど、こちらに向かってきたら……
 そんなリコの迷いが伝わったのか、翼獣の右腕先端――
火花が灯る鋭利で長い数本の爪が、小さな獲物を確実に狩ろうと標的をリコに定め、
嘲笑うように長く、深く息を吐く――

 ――次の瞬間、翼を収めた獣は両腕を地面に付き、交互に繰り出してドスドスと蹴って走る、
垂れさがった翼が地を擦るのも意に介さず猛然とにじり寄る姿は、まるで蜥蜴のように素早く、
その巨大さから、小柄なリコに取っては迫りくる恐怖の塊にすら感じられた。


 レインフォールは木々が密集している事もあり、素早い動物は多いが巨大生物は存在しない。
リコに取って速さは脅威では無かったが、未知の大きさは思考を遮るのに十分すぎる程だった。

「えっ、ちょ、ちょっ待っ――」
 語尾が発せられるよりも早く眼前に迫った大蜥蜴は、上体を大きくのけ反らせ右腕を振りかぶる――
が、続けてリコの眼に映ったのは、あっという間に距離を詰めたカイルの刺突。

 背中に突き立てた槍を、グッとカイルが押し込むと、怒声を堪えた火獣が尻尾を横に薙ぐ。


 長槍を引き抜いて下がったカイルに向かって、ゆらりと右足を踏み出した獣が、直後――



 ――ガサッ と鳴る藪、獣のほぼ真左に、リコの視界、左前方に突如現れる何らかの影――





 「……な! なんだこれは!」

 漆黒の髪色をした少年が驚愕の表情を顔に張り付けたまま、咄嗟に左腰に右手をやった。

 
 その動作に反応したのか、獣はその巨躯にそぐわない速さで回転し、振り返り少年を捉える。
 
 
 ――リコが放つ。
 弾かれるように放たれた必中の二射目は、丁度目の前にさらした左翼の根本に突き刺さり、
至近距離からの低音を合図に、カイルが再度一足で跳躍した。


 真っ直ぐ、肩――腕――槍――穂先と、目一杯射程を伸ばした一撃は、

 まるで光が一直線に伸びるかのように、力強く翼獣の右脇腹を深く貫く。 



 声にならない呻きの音の中で、首を大きく左右に振り、痛みと怒りを全身から発するように、
周辺から炎をかき集め、今までで一番深く、多く、そして長く空気を飲み込み始め――


 危ない――と、リコがそう感じる時間は無かった。


 黒髪の少年は迷わず一歩前へ大きく踏み出すと、翼獣が振りかぶった尖爪よりも速く
右手を左下から右上へ振り上げ――


 空を薙いだ。
 

 今までで一番大きな悲鳴を上げた翼獣は、吐き出そうとした炎をボッボッと漏らしながら、
斜めに割かれた右眼からの流血を押さえ、反対側の鋭利な爪先を漆黒の少年の顔に突き向けた。
 
 そこからの黒髪の章ねんの一連の動きは――ほんの一呼吸だった。


 突き出された左腕を真逆に斬り下げ、後ろによろめいた翼獣との距離を一気に詰め、
左胸を一突き、揺らめく巨体から剣を引き抜くと、血が噴き出すのも待たずに首元を左から右に払う。

 
 全てを少し離れて目の前で目撃していたリコは、凝縮された時間の開放を思考で追いかける。



 頭部を失った首から溢れ出るような炎が、黒い飛沫を噴き散らし――

 放たれた赤熱と共に蒸発したそれらが、辺り一面を赤く煙らせる――

 滲んだ巨体はぐるりと円を描き、斬り飛ばした首が落下し転がる――

 それを待って確かめるかのように、大きく重い音を立てて倒れた。


 雨は赤い霞が収まるのを待っていたかのように止み始める。

 周囲の静けさと共に収まる鼓動と微かな吐息の中で、
白刃を汚す黒血を振り落とした少年は、リコを見て一瞥して剣を鞘に納めた。


 「……お前らは何だ。ここで何をしている?」
 

   ***


 思いがけない強敵との交戦により、森を抜けられず再び野営をするリコとカイルだったが、
既に尽きかけていた食料が確保出来たのは不幸中の幸いと言えた。

 鱗は無いが表皮が硬いために捌き辛く、筋肉質で歯ごたえが強すぎることと
可食部が少ないことに不満を漏らして居たリコの背後には、山積みの骨と――

目を合わせないように地面に伏せさせた異形の頭、現状では使い道のない大きな両翼が散乱している。
それらの後始末を後回しに黒髪の少年からの詰問は長く続いた。


 エリアスと名乗った――翼獣の首を斬り飛ばした――少年は、王都の護衛兵長だと言った。

 ぎこちない自己紹介を交わして敵意が無いことを大前提とした上で、翼獣に燃やされて出来た
広場から外周縁寄りの倒木を椅子に、残火を種火に、消炭を燃料に、野営を始め今に至る。




 「レインフォールの奥から来たと言っていたが……この森が立入禁止なのは知っているな?」 
 「そうなの? けど僕、一度も森を出たことがないよ??」
 「な……それはどういう意味だ?」
 問いかけるエリアスの目を真っ直ぐに見て、事も無げに言い及ぶリコの言葉に驚きながらも、
嘘は感じられなかったようで、少し離れて座り、枯枝をくべるカイルを一瞥して続けた。

 「それで……お前たちはどこへ行くつもりだ?」 
 「えーっと、父さんに頼まれて……城? に……向かってる……んだっけ?」

 吸い寄せられるようにカイルを見たリコは、軽く首を傾ける。

 再度反対に首を傾けたリコを見て、カイルがゆっくり頷いた。


 「城……王城の事か? なんの用でだ……?」
 「よく分かんないけど……誰かに会うように言われて……るんだよね?」


 「こい……つ……リ、コと、同……じ、髪色、をし……た人、に……会う」
 間を置いたカイルの言葉を受け、エリアスはリコの軽やかな栗毛を見て訝しそうに目を細めた。


 「髪……女王か?」
 「じょおぅ? 何それ?」
 リコにとって聞き慣れない言葉、見慣れない人物は全てが初めてのことで、
何かしら情報を得ようとするエリアスとの会話は、もどかしく絡まった。

 呆れたような顔をして、無造作に薪を追い焚きしたエリアスは、一時思案する。


 「お前達、ギルドカードを見せろ。俺は護衛兵だから拒否は出来ないぞ」
 「ぎる……何それ?」
 「ギ、ギルドカードはギルドカードだ、持ってるんだろ!?」
 「カイル持ってる?」
 「い……や」


 しばしの沈黙のあと、エリアスは語調を強くしてまくしたてる。
 「どういうことだ! 王都近くに住み付いてる癖に住録をしたことが無いとは言わせんぞ!?
Else FermerだのDrifterならまだ分かるが、登録すらしてないなら連行する必要があるぞ!?」


 「そう言われても……知らないものは知らないし……あ、カイルはここの人じゃないよ?」
 「どこから来たというんだ」
 「なんだっけ?? マル……何とか」
 「……マル、モ……アルバ、ロ」

 「マルモ・アルバロ……、《区外》どころか《未開》じゃないか! 
ギルドカードも無くそんな最果てから、ここまで来れる訳が無いだろ! 馬鹿にしてんのか!?」
 
 「そうなの?? カイル、嘘なの?」
 「……嘘、じゃ、な……い。裏……を、通っ……た」
 
 「……裏って何だ! お前達、本当に何者だ? 怪しすぎるぞ!!」
 面倒そうにエリアスを見るリコと、無表情で炎を見つめるカイルを交互に見て、
エリアスは何かを考えていた。二人の言葉は意味不明だったが、現状で脅威となる様子は無い。

 その上で最低限の確認をしておく必要があると、思考を切り替えるまでに時間は要しなかった。
 「……幾つか質問する、正直に答えろ。事と次第では王都入りに協力しても良い」

 「いいよ? なに?」
 「お前はレインフォールで生まれて、一度も森を出た事が無いと言ったな? 一人か?」
 「ううん、父さんがいるけど、昨日どっかに言っちゃったんだよね」

 「ふん……すれ違いか。そっちのデカいのとは元々の知り合いか?」
 「ううん、昨日会ったばかりだよ」

 「……なぜ昨日会ったばかりの奴と、今日突然王都に向かうなんて話になるんだ」
 「さぁ……僕は寝てたから知らないんだよ。カイルが父さんに言われた……んだよね?」
 「……そ、うだ」

 「その父親と言うのは、森の奥地に住んで居るのか?」
 「ううん、なんかカイルに色々頼んでどっかに行ったらしいんだよ。勝手だよね、まったく」

 脹れ面になってそっぽを向くリコに、毒気を抜かれた王子エリアスは、
打算と妥協と興味が入り混じった感情を隠して、足を組み替える。

 「まぁいい……王都まで連れて行ってやる。だがもし、お前達が――」

 そこまで話した時、三人の鼓膜に振動を伝えた異様な音が、エリアスの不問を妨げた。



 闇に包まれた深い森の中で唯一の光源に集う未だ見知らぬ3人は、互いの表情を順に伺うと、
それでも不思議と疎通した意識に無言で従い、警戒の度合いを火勢に反して強めていった。

 
 この時、後の三つの大国の運命を担う三人が、一人の重要人物と出会う事により、


 世界を巻き込んだ時代の流れが――大きく加速していくこととなったのだと、
 

 当然ながら誰も気づくことは出来なかった。
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