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第一部 揺動のレジナテリス
戦史2 ミューズガーデン討伐 JAC,26th,AD121
しおりを挟むガーン!! という鈍く重い音が河畔に響き、
最後尾に居たニコの目に数多の情報が飛び込んだ。
飛び出して来た二本のスパイラルスピア――のような長い鋭角を持つ大きな山羊。
一撃を小さなバックラーで弾く、リコよりも小柄なヒーラーであるはずのアイユ。
アイユの喚起に即応して、低い体勢からダガーでの刺突を一足飛びで放つリーゼ。
数歩飛び退き全ての動作を一瞬で終え、番えた矢を目一杯引き絞らんとするリコ。
出遅れたと思う暇も無くニコはウェストポーチに手を突っ込んで――それを探す。
「ふぅううぐううぅぅ! ぅぅん……にゃろおお」
重戦士よりも文字通り巨体なメガアイベックスの双角は、
刺突武器というよりは、《打撃武器》と言える。
形状のお陰で衝撃が多少逃げるものの、体ごと叩きつける一撃は
並のタンクでは受け止められないだろう。それを小柄なアイユが――
弾いた。
「アイユ、ナイガ!! リコ、ニコ! 準備し――」
剥き出しの首筋を目掛けて突き出したリーゼの攻撃が敵に到達せんとする――
まさにその時、首を軽くひねったアイベックスがダガーを右角で軽く弾く――
と、同時に反発を失った左角に引っ張られるように受け流されたアイユが――
小盾ごと巨体に吸い寄せられる――
「んにゃぁ!!」
「アイユ!」
跳ね上がったダガーをリキャストしようと踏ん張るリーゼ――と相対するアイベックス。
敵を挟む形で態勢を崩されたアイユを狙う蹴り脚――よりも、飛来する矢を見て叫んだ。
「あ! アイュ……危ない!」
ニコが恐れた《後ろ矢》の悲劇を、まるで嘲笑うかのように――リコの一矢は、
クンッと左上から右下に迂回するかのように、大山羊の背に――突き刺さった。
ベェェェェェと重く大きい唸り声を上げた敵は、攻撃を止めて後ろに飛び退き、
腰を引いて二本の角を突き立て、右足で地面をガリガリと掻いて牽制を始める。
「ちょ! リコ、危ないよ! こっち来て!」
最前列のリーゼが大山羊の正面に回り込んで、手で後ろへ下がるように指示をする。
アイユは硬直するニコと、残心中のリコにサムズアップし後退を促した。
「ほいほい、予定通り陣形組みなおすよー、リーゼ怒ると怖いからねー」
「別に怒ってない! ほら、ちゃっちゃと動く、向こうは待ってくれないよ!」
ブリーフィング通り、リーゼ――リコ――アイユ・ニコの隊列に並び、
川を背にする地勢で樹林の前で浅く刺さった矢を振るアイベックスと対峙する。
「ちょい立地悪いけど、あっちも迷ってるぽいから……少し様子見て対処するよ」
「リーゼさん、さっきの……」
「解ってる。けど今は余裕無いから……ニコ、その話は後」
メガアイベックスの迷い――それは次の行動が《突撃》と《逃走》で揺れていることだと、
既に4人全員が理解していた。流血と息遣いが、狩りの素人でも解るほどに端的に語っている。
しかし考察には全員多少のズレがあった。それが展開に大きな影響を与える。
リーゼは考えた、手傷を追っていても相手は腐ってもCランク、逃げはしないと。
アイユは思った、一度引いてくれた方が改善し対応出来るから、逃げて欲しいと。
ニコは随った、格上の相手に素人考えは邪魔になるから、せめて逃げはしないと。
リコは解った、あの程度で逃げるような体格差ではない、絶対に逃げはしないと。
似て非なる4つの思考は構成より歪でありながらも、奇妙な融合を見せる事になる。
「相談する暇ないから、声出して動き合わせていくよ!」
「おっけー! 水薬持ったから怪我したら後ろ下がってー」
「えっと……矢をカタライズしますんで、10秒ください」
順に次動を伝えるメンバーの中でリコだけが矢を番えたまま、アイベックスを凝視する。
「リコ??」
二度見で視線を外したリーゼを見逃さず、アイベックスは力強く大地を蹴って跳躍する――
真後のリコを見たリーゼは、鏃が自分の眉間を焦点に捉えていることに気づき、驚愕する――
「ちょ! ちょっ!!」
「動くと危ないよ?」
静かに落ち着いて言うリコは、迷わず右手を振りぬいて手元から矢を放つ――
ヒィィと、しゃがむリーゼの頭上を弧を描いて一本の線条が大山羊を穿つ――
迫る矢を、双角を左右に振って捉えたアイベックスは、遠距離攻撃を弾き落としたが、
持ち前の突進力を大幅に削がれてしまい、野生動物として致命的な隙を晒してしまう。
「リーゼ!」
アイユの声に即座に反転して傾注を取り戻したリーゼは、二足を一気に詰める。
「リバースワイプ!!」
仲間に聞こえる程度に声を発したリーゼは、突進の最中、
目の前に構えたスチールダガーを左から右へ真一文字に振り抜き――
アイベックスの両目を軽く薙いでバックステップで退がる。
ピィィィィィと、初めて甲高い悲鳴と共に動きを止めたアイベックスの巨体にとっては、
軽傷と言える斬撃でも的確に急所を薙いだ攻撃は、戦意を奪うには十分過ぎた。
「ニコ! 行ける!?」
「は、はい! リコ、止まって!」
「え、なに?」
準備を終えていたニコは、右掌に握っていた金属玉を携えて、数歩前に出ると、
左斜め前に立ち動揺するリコの後方に移動し、番えている矢の先に左手を添えて目を閉じ、
唱える。
「Ego…Affectio… Saxum…Spiritus…metallization」
カッと光る手が開かれると、不格好で小さな金属は、その姿を流形―涙滴―球状と変化させ、
薄いダークグレーの皮膜と化したそれを、ニコは鏃に被せるように塗布した。
数秒で行われた一連の手慣れた動作と発声は、アイベックスの唸り声で掻き消されていたが、
術式は正常に発揮し――リコの木矢はアイアンアローへと姿を変えた。
「うわっ なにこれ! すごい!」
「リコ! どこでも良いから急所狙って! 私に当てないでよ!」
牽制しながら指示するリーゼの声を受けて、リコはいつもより幅広く強く右手を引き絞ると、
パンッと弦音だけ響かせ強撃を放つ――
後ろで始終を見たアイユが小さく漏らす。
「うわ……エグッ」
異常な速さ異様な振りで弧を描いた矢は、当然のように眼前のリーゼの頭上左上を通過して、
右下に叩きつけるように格上の強敵――メガアイベックスの右目を――正確に貫いた。
ギョァァァァァァと、まるで人間のような最期の声を上げ、フラフラと左右に揺れた巨体は、
大きな音を立てて草の上に倒れ込んで――痙攣し、間を開けて、活動を終えた。
「ふぅ……危な」
擦り傷一つ負っていないリーゼに、駆け寄ったアイユが呆れ顔で嘆息する。
「何言ってんすか……全然余裕そうじゃないですか。私なんて……!」
アイユがヒラヒラと振った左腕の肘付近には、中央が大きく凹み歪んだ盾があった。
「そりゃあんな使い方すりゃね……けど助かったよ、割と危なかったから」
「リーゼさん……あ、終わったんでさん付けしますけど問題ありますよね、色々」
「うん……何をどう言えば良いのか分からないけど、やらないとなぁ。反省会」
後ろでスゴイを連呼するリコと、突然土精術の講義を求められて困惑するニコを見やって、
ベテラン冒険者は同じ思いを抱いていた。
しかしリーゼは軽く右手で静止して言う。
「まぁけど……とりあえずは依頼継続ね、これ……まだまだ奥に居そうだわ」
***
「おいしかったね!!」
依頼を終え河畔に出た4人はキャンプを張り、捌いたアイベックスは夕食の食材となり、
リコが持っていた香辛料を振りかけた良質な部位の肉は、全員に好評で一気に完食した。
無邪気にはしゃいでいるリコを見ながら、どことなく優しい眼差しを向けて居たリーゼは、
表情を切り替えて隣のアイユに目配せをして――ゆっくりと重い口を開いた。
「さて……リコ、今回の討伐だけど……正直今のままだと合格はあげられない」
「えー! なんで!? 一杯倒したよね!?」
確かに『一杯』倒した。
一匹目の後、樹林の中に入った一行は次々とアイベックスに遭遇し、
時には戦術的に撤退しながら戦を強いられ、
そして大半をリコがヘッショで仕留めた。
それは紛れもない事実で、昇格には何も問題が無いほど大活躍だったと言える。
「そう、討伐数17、これは異常だよ。リコの弓とニコの付与の相性が良かったのもあるけど、
戦果に関しては有り得ない。それこそBランクでもおかしくないくらい」
「え?? じゃぁなにが駄目なの??」
うーん、と困ったような顔をして言い淀むリーゼに、アイユは一息ついて助けを出す。
「ねね、リコ君って、今まで誰かと一緒に狩りとかしたことある?」
「え? あるよ、父さんと」
「ほうほう、で、そのお父さんと一緒に狩りをするときって、声かけたりしないの?」
「え? 声? なに?」
もどかしく話が通じない駆け出し戦人に、リーゼが意を決して言う。
「仲間と一緒に狩りをする時は、声かけしないと危ないでしょ。後ろ矢を当ててしまったり、
間違って仲間を傷つけてしまうことになりかねないから」
「そそ、ほら、リーゼさんが攻撃してた時もニコ君が詠唱してた時も、声に出してたでしょ?
《発声》って言って、これって大事な技術なんだよ、お互い連携する為にね」
先輩2人が続けて説明する姿に対して首をかしげるリコを、不安そうにニコが見守る。
「え? けどさ、こっちが隠れてたりしたらどうするの? 気づかれちゃうよ?」
「えっと、もち、そういう時は身振り手振りで指示したりするよ……ね? リーゼさん」
「父さんと狩りしてた時は、家に帰るまで声出さないけど……なんでわざわざ話すの?」
リコとアイユの問答を聞いて、リーゼはハッっと何かに気づいて二人を両手で止めた。
「ああ……そっか、そういうことか……分かった……うん、リコが正しいわこれ」
「えええー! リーゼさん! そりゃないよー!!」
「ごめんごめん、アイユ、私達の言ってる事が間違ってるって意味じゃない」
「えっえっ? どういうこと??」
リーゼはある意味で勘違いしていた。
EランクのリコをCランクへ昇格させようとしたら、自分たちの主張は至極当然で、
まず真っ先に教え込まないといけない決まりのような話なのだ。
しかしリコは恐らく遥かに高いレベルで経験を積んでいるからか、それが理解出来ない。
「うーん……例えばアイユはシャークのメンバーと狩りをする時に、声掛けってする?」
「え? そ、それは……あんましないかな。 みんなの事は良く知ってるし……」
「そういうことなんだよね。多分この子はそういうのを必要としてこなかったんだよ」
「えええ、普通小さい時に教わりませんか? リコ君ってどこの人なの?」
「どこ? ウチのこと? レインフォールだけど」
リコ以外の三人が目を合わせて気まずそうな表情を交換し、自然と視線はリーゼに集まった。
「あのさリコ……レインフォールって強力なホットスポットで獣も多い区外って知ってる?
あんなとこに住んでる人なんて普通居ないはずなんだけど……」
「え? 父さんと一緒に住んでたよ? エリアスにも同じこと言ったけど」
「エ、エリアスって……王子のこと? リ、リーゼさん、アタシこれ以上はちょっと……」
問答を断念したアイユと、情報量が多すぎて固まるリーゼの奇妙な間を、ニコが引き取った。
「リコ、君は実家の近くでこのメガアイベックスより強い猛獣を見た事があるかい?」
「うーん……こんなに大きいと体が木でつっかえるよ。これよりも大きいのは居ないけど、
もっと早かったり、もっと硬かったりっていうのは一杯いるかな、毒があったり」
「その獣の名前とか知ってる?」
「はやい狼とか、かたい亀とか、長蛇って呼んでたし……狩ったらただの肉だもん」
「リーゼさぁん、アタシのキャパじゃこれ以上は無理ですぅ、何ですかこの子ぉ」
「わかったアイユ。考えるの一旦止めよう。リコは文句なく合格。Cランは全然問題ない」
「え? いいの? やったー! そういえばさ、一杯しとめた山羊はどうするの?」
「うん、来る前にポーターに依頼出してあるしタグも付けてあるから大丈夫だよ。
帰ったらみんなで分配しよ。私達は素材とか要らないからリコとニコで分けていいよ」
半ば無表情で深く考えるのを止めたリーゼは、てきぱきと獲物の耳にタグを打っていく。
「ねぇリーゼさん……私らかなり重大事に巻き込まれてるんじゃ……リコ君って何者?」
「考えちゃダメ、知らない方が良い事も……ってかアイユ……あの子、男の子?」
「……えっ?」
沈黙と喧騒と瀬音と虫音の中で、ミューズガーデンの深い夜は謎と共に更けていくのだった。
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