Archaic Almanac 群雄流星群

しゅーげつ

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第二部 擾乱のパニエンスラ

40.邂逅し交錯する眸

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 河岸の斜面を利用して計画的に建造された街イベリスの、港湾中央区は扇の要に位置する。

都市の形状がまさに扇形を成しており、外縁にそびえ立つ城壁を包むように、外水堀が覆う。
用水は傾斜に沿って街の西から地下水路を下り、やがて港へと流れ着く。


 幾艘かが平行して並ぶ埠頭の中でも、一際大きく中央に備えられた帝国用の突堤式埠頭は、
大型船の接岸用に喫水を上げるべく、水路の排水口近くに設けられていた。

 地下水路の排水口と帝国用埠頭が近かった事は――偶然という名の必然だったと言える。


 澄み渡り抜けるような青空と河風の心地よい好天下、
この中央埠頭でふくよかな男が二人の護衛兵と共に今やと到着する船を待っていた。


 後ろでは褐色で赤髪の女が衛兵に後ろ手を拘束され、幅広い肉厚の背に睨みを叩き付ける。
何かを察した男は振り返り下品た笑みを浮かべながら、二重顎を覆い隠す髭を指で擦った。

 「おやおや、皇女とあろうお方がそのような顔をするもんじゃありませんねぇ」
 「黙れ! 帝国皇女に対する無礼、必ず後悔させてやる!」

 男はきょとん、とした直後、咄嗟に噴き出し歪んだ顔で吐き捨てた。

 「おバカさんですねぇ、これは帝国の指示ですよ。『逃がすな』というリアーナ様の兄君、
ジャスパー様直々の……ね。でなければこのような扱いする訳がないでしょう」
 「な……そ、そんなこと――あるはずがない!」

 ピンッと張った縄で手首が軋むのも意に介さず、勢いで衛兵を引き釣りながら、詰め寄る。
鬱陶しいそうに一歩下がった巨漢は埠頭へ向き直った。

 「さぁ……私は知りませんが? 貴女何かヘマでもやらかしたんですか?」
 イサークの手で払うような仕草を受けて、兵士に強く引き倒されたリアーナが呻く。

 「……まぁ縄を解いた所で、ここは隔離された港湾ですから逃げ場はありませんがね……
とはいえ、万が一はありますから」
 そう言うと、親指の爪を噛みながら潰すように苛立って見せた。

 「クソ……あの鬱陶しいガキをやっと始末出来ると思ったのに、小火を起こしおって……
使えん奴等め……まとめて処刑してやる!」
 縄を手にする衛兵と、男の隣に立つ護衛兵が気まずそうに眼を合わせて下を向いた。

 「そういう訳でぇ、縄は……解けません! ごめんなさいねぇ」
 おどけた物言いをする醜悪な男の濁った声を、降りしきる汚水のように頭から受けながら、
リアーナは歯を食いしばって、掃き清められた地面を掻きむしる。


 「ほぅら、来ましたよ。お む か え が」

 防波堤を越え侵入してきた一隻の船は、帝国でもまだ正式に配備されていない三段櫂船で、
下層二段から伸びる櫂を漕ぐ苦力と、上層船橋で腕を組み接岸の指揮をしている士官の姿が、
厳格に階級分けされた帝国の身分制を如実に表していると言えた。

 右舷から突き出た何十という櫂が、大きめの半鐘の音で挙手するように天へ突き立てられ、
整列しながら水滴を垂らす。
 緩やかに接岸する舳先から一人の船乗りが、ロープを手に岸壁に飛び降り手早く係留する。
手旗で降ろされた舷梯を二人の兵士が駆け足で降り、両脇で直立し右手を胸に当てた。



 しばらくして――漆黒の帝国士官服を身に纏った男女が、踏板を靴底で手荒に蹴りつける。
 ほどなくして――恰幅の良い中年男は、体を左右に揺らしながら早足で桟橋へ駆けつけた。


 「はぁはぁ……これはこれは、船旅ご苦労様で御座います、ジャスパー様」

 男は風に揺れる金長で陽光を跳ね返して、王国の埠頭を踏みしめ、眼下の男を見下ろした。
後ろに立つ白髪の女は、表情一つ変えず男の後に付いて音もなく歩く。


 「イサークか。愚妹はどこだ」

 イサークが落ち着きなく右手を振り合図をすると、二人の護衛兵が前後を挟むようにして、
抵抗するリアーナを引きずり出した。勢い余って膝を付く皇女に、気まずそうに手を貸す。

 「も、申し訳ございません。逃亡の怖れがありまして……すぐに縄をお解きしますので」
 何度も薄い頭を下げるイサークを、金髪の男はリアーナと共に見下ろした。

 「必要ない」
 そう言って静止し、ジャスパーと呼ばれた男は妹の元へ歩み寄り、冷笑する。

 「無様だな。リアーナ」

 「……大兄様……申し訳御座いません! 此度の失態は必ず――」
 リアーナの真横を通り過ぎたジャスパーは事も無げに周囲を、そして大門を順に――見た。
微動だにしない副官らしき白髪の女は、跪くリアーナを無表情で見据えていた。


 「あ……あの、大兄様……?」

 「ああ、良い。お前の始末は皇帝から一任されている。好きにしろ、とのことだ」 
 「そんな……そんなはずはありません!」
 駆け寄ろうとするリアーナは、再び縄の縛めによって前のめりに崩れ落ちた。

 「お前、疑問に思わなかったのか?」

 「な、何を……」
 「騎竜なんぞで単騎海越えをさせられ、その挙句森を焼け――そのような馬鹿げた指示に、
本当に――なんら一切、一度たりとも疑問を持たなかったのか?」

 「そ、それは……」
 感情の篭らない瞳で見下ろしたジャスパーは俯く妹の波髪を握り締め、乱暴に引きあげる。
苦痛に歪む目に自らの眼光を被せて、静かに明瞭に言い放った。

 「だとすれば、実に愚かだな」
 不意に手を離され落下したリアーナは、地に突いた手を砂礫と共に握り締めた。

 「お前は囮――正確には《捨て石》だ」
 「そ……そんなことは! ち、父上は私に任せたと――」
 見上げる妹の懸命な言葉の語尾を踏み潰すように、ジャスパーが上身で覆い捲し立てる。 

 「皇帝が! あの男が、他人――ましてや自分の子に、大事を託す人間だと思うのか!? 
あの父が他人を信じると本気で思ってるのか!? だからお前もロニーも愚かなのだ!!」

 感情の爆発を抑えるように一息ついて、ジャスパーは背を向けた。


 「俺は父の言葉を信じたことは一度も無い。王として学ぶ所はあるが、それは自分の為だ。
盲信するだけのお前や、逃げ回っている愚図に重責を担う資格など無い」


 力を失い膝をつき項垂れる半分だけ血の繋がった妹を、唾棄するような眼差しで吐き付け、
ジャスパーは動静を卑しい表情で探っていたイサークに近づいた。


 「イサーク、先の伝令にあった王子というのはどこだ。連れて来い」
 イサークは聞かれたく無かった事を聞かれ、身振り手振りを右往左往させ笑顔を歪める。

 「え……ああ、あの……そ、その……申し訳御座いません! 愚鈍な部下めが――」
 「逃がしたのか」


 「は、ははははい……奴等の、ふ、不始末……ほほ本当にく、屑で、もも申し訳……」


 ジャスパーは、眼前に下げられた薄く脂ぎった額を無言で見つめ――
腰の長剣を抜き、撫でるように、左下から右上へ一振りに斬り上げた。



 「ギャアアアアアアアアアア」


 イサークを斜めに裂いた一閃は、巨体の下腹から肩口に至るまで、
一直線の痕跡を残して、少しの間を置き――赤黒い血が染み出る。


 「ジャ……スパ……様……な、なに……を」
 手で傷口を押さえ一歩、また一歩石畳に血痕を残しながらにじり寄ろうとするイサークを、
ジャスパーは雑に蹴り倒して、濡れた愛剣で風を薙ぎ血脂を埠頭に叩き付けた。


 「使えん部下は使うな――用いるなら、その責任はお前が負え」



 「う、うわあああああ」
 火元の傍で誘爆した爆弾のように、炸裂した恐怖で二人の護衛兵は散り散りに逃げ出す――


と、ほぼ同時にジャスパーの両隣をかすめるように通り過ぎる真空の刃が、
風切り音を携えて、二手に分かれ、

一方の背中と、一人の腕を切り裂いた。

 


 風精術を放った白髪は、それでも表情を変えずに地面に転がり物言わぬ塊と化す男の姿と、
項を垂れる赤髪を、ただ――眺める。

 「……んな……バカな……こんなと……こで……わ、ワタシ……この国……――」

 イサークの末期を追うようにリアーナは落涙し、糸の切れた人形のように力を失う。


 「さてリアーナ、お前に対して特段何の感情もないが、お別れだ」

 慈悲も親情も篭らないジャスパーの白刃が、リアーナの頭上に掲げられ、
刀身に今なお残り、くすみ始めた血の痕が鈍く日の光を吸い込んで――

怪しく光る。


 「……兄様」
――無慈悲で残酷な言葉と、高速飛来する矢羽音は、ほぼ同時に発せられた。

渡し橋の袂に立つ兵士が腕を抑え呻き声と共に海へ落ち、盛大な水柱が上がる。

 「何だ?」
 望外の方角からの異変に気を取られ、ジャスパーは海側へと歩きだした。

 「――あ、当たっちゃった!?――」
 「――くそ、仕方ない……よし――」
 「――…………sprash! いけぇ――」

 突如埠頭の下から蛇のように膨れ出した水が増幅し上昇すると、急激に密度を微細にして、
破裂――四散し霞がかかる。煙った世界が一帯を包み、埠頭に居る全ての者の視界を奪う。


 人知れず昇降路から飛び出した二つの小さな影が、広がる靄の中に勢いよく飛び込んだ。

 ジャスパーは数歩下がって副官の前に立ち、煙幕にかざした掌全体に薄く付着する水滴を、
指で擦りながら軽く口角を上げる。

 「……水精術か」

 「うわっなんだ!」
 「馬鹿、気をつけろ!」
 「敵襲か!?」
 「ジャスパー様! ご無事ですか!」
 様々な声が交錯する中で、脱力するリアーナに何者かの手が伸びる。


 「……構うな。高位の水精術士が紛れてるぞ、捕えろ」

 靄に紛れた黒髪の男は、掴んだ細腕を一気に引き上げ肩にリアーナを担ぎ上げた。


 「き、貴様……!」
 「黙ってろ! 舌噛むぞ! いいぞ! やれ!」

 「……そ……こか!」


 突如横薙ぎに放たれた切っ先が、エリアスの眼前ほんの先を横切る。


 切り裂かれた空の裂目越しに、エリアスとジャスパーは再び靄が覆い隠すまでの一瞬の間、
見開いたブラウンと――細めたダークブルーを交錯させた。


 再度詠唱を唱えたリコが放つ濃霧の中へ、エリアスはリアーナを担いで駈け込んだ。

 「……追いますか?」

 「構わん。どうせこの町に居る限り結果は同じだ。それとも話でもしたかったか?」
 茶化すように微笑むジャスパーに、上申した女士官は一瞬だけ眉間を動かした。


 「御冗談を……配置は完了したと報告が入っております。現在作業中との事です」

 「よし、邪魔な警備兵を一掃しろ。あと豚の商館も制圧しておけ。
先遣隊の話ではあそこに保管されているらしいからな。後々補充が必要になる」

 司令の言葉と掲げられた副官の合図を受け、数十名の兵士は駆け足で埠頭へ降り、散った。
 「……あの目……面白い。温い王国にあんな奴が居たとは、な」


 「あの……ジャス……様。私……も、もう」
 ジャスパーは虚ろな目で袖を掴む女の白髪を一瞥して嘆息し、懐から小さな包みを手渡す。

 「任務に支障が出る……やり過ぎるなよ、セラフィナ」


 セラフィナと呼ばれた女は、自らの掌の上に開いた包みの中の白い粉を、
鼻に手の甲を当て、片方から一息に吸い込んだ。


 「……うふふふふふふうふふふふうう、あははははあははあははあはは!!」


 付着して残った粉を舐め上げてから、背中の長杖を掴み、目を見開いて早口で詠唱する。 

 「ego! coget! srash!!  srash!! srash!!  rash!  rash!  raaash!」  



 巻き起こる気流によって白い髪が棚引き、鬱陶しそうに横一線に杖を払うと、
轟音と旋風が薄く留まる水霞を吹き飛ばした。
パッと鮮明になる景色は、再び晴天と清澄を取り戻す。


 横たわり既に事切れているイサークの血だまりが揺れる傍らで、
突風によって吹き倒されたもう一人の護衛兵は、怯えた目でセラフィナを見た。


 セラフィナの放った二杖目は、千畳の薄い風の刃となり、まるで意識を持つ獣のように
――逃げようと足掻く衛兵を弧を描いて追い、無残に切り裂く。


 「てめぇ等!! 薄汚い○○〇野郎共を焼き尽くすよ!!!」
 流れるように肩に戻らんとする綺麗な髪をグシャグシャ掻き乱しながら、
不確かな足取りで前進するセラフィナの両翼に数名の術師が慌てて付き従い、横一列に並ぶ。


 大門を警備していた帝国兵は、事の成り行きから事態の進行を悟り、急いで列を開けた。


 港湾は閉門で完全に隔絶され、ジャスパーはセラフィナの横に立ち彼女の横顔を見つめる。
別の小さな包みの膨らみを握り絞めて、忌々しそうに上着のポケットへ押し込んだ。



 「さぁ、盛大にもてなしてやろう」

 セラフィナの肩に手を置いて引き寄せたジャスパー――白を包み込む黒。無垢を従える悪。


 蒼天から降り注ぐ白光すら吸い込んで、未だ何も知らない知るすべもないイベリスの民に、
未曽有の危機を知らせるかのように一際に輝く天意を、

暗い悪意が塗り潰していった。
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