Archaic Almanac 群雄流星群

しゅーげつ

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第二部 擾乱のパニエンスラ

39.夜凪に揺蕩う模月

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 イベリス港湾部は東河の畔に設置された隔離区で、北一番埠頭から南一番埠頭へと連なる。
中心では大門が市街からの往来を制限し、厳重に衛兵が監視していたが――例外はあった。


 地下を抜け排水口から港へ侵入したクロエは、岸壁沿いに最南に位置する大商館へ向かい、
倉庫裏に並んでいる空樽に潜み、夜が更けるのを寝息と共に静かに待った。


 大山猫が夜に輝く頃――

 人の気配が最も静かになる時を見計らい、月明りを頼りに倉庫の壁を登り始めたクロエは、
幼少に叩き込まれた《登攀》技術で軽快に屋根に達し、
庇へと降りて手慣れたナイフ捌きで、通風口の格子窓を外すと、
スルっと小柄な身体を滑り込ませた。

 薄暗い庫内を窓から入る明かりだけを頼りに、屋根梁を縦横に這い各部屋を探す。


 かつて南一番埠頭に存在していた商館、それこそ領主イサーク・エスパニョールが所有し、
裏で繋がっていたモドバル商会へと貸与していた、《奴隷交易》の拠点だった。

そして、結論から言うとクロエは探し人――オリビアを見つける事が出来なかった。


 出荷を待つ子供の姿は影も形もなかった。間に合わなかったのだ。


 失意のクロエが唯一見かけたのは――流れる灼熱のような髪を乱して――横たわる人の影。
囚われの皇女リアーナ・ガーランドだった。


 リアーナが商館の《交易庫》に連れて来られるまで、特にこれということは無かった。

 ただ《粗雑》に扱われただけ――正門で彼女を引き取った衛兵達は、
上役の指示に従って、商館へ送り、
枷をして引きずり降ろして、放り込んで見張りに立った。ただそれだけだった。


 怒りと憤りで罵詈雑言を放つリアーナを無言で放置する兵士。
やがて夜も更け疲れて眠る。

この時の彼女の心境は――訳が分からないだった。


 元老イサークは帝国とは深い繋がりがあり、王国侵入の手引きすら厭わなかった男である。
もてなさないまでも不遜な扱いで敵意を示すような事をして、何の意味があるのか。

 リアーナはこの時、全く事態が把握出来ていなかった。


 後に知られる、皇女リアーナと王子エリアスが別々に収監されていた事実から推測するに、
イサークの過剰なまでの慎重さと、身の丈に合わない野心に端する稚拙な策謀が垣間見える。


 政敵は自らの懐で事が起こる前まで留め置き、同盟相手の捕虜は目の届かない場所に置く。
これらに共通しているのは『責任からの逃避』であり、
王子を部下が害してくれれば切捨て、港湾で皇女に何かあれば《共同主権》を貸与した帝国に

問題の一端を押し付ける事が出来る。


 そしてその全てが裏目に出るという結果こそが、彼の《粗忽》を露呈させてしまった。


 
  ***


 クロエの休息と時を同じくして――場所は港湾の城壁を挟んだ市街に屹立していた領主館。

 傾斜地で河畔沿いの低地でありながら、他の下層民と同じ高さでは居られないとばかりに、
不自然に盛土され造営された高台にその豪奢な建物は存在していた。


 貴族が多く住む上層にある元領主館より、新造された下層の別宅を好み本拠とした理由は、
恐らくだが利便性というよりは歪んだ心理性によるものだろう。

 結果高所にある領主館への坂道を駆け上った――パストル・トビアス・ディアナの3名は、
雷鳥が羽を休める頃、外門を対で立哨する守衛に詰め寄っていた。


 「はぁはぁ、こ、ここに王子が居ると聞いたんだ! 急用があるので取り次いで欲しい!」

 「何だ! お前らは! ここをどこだと思っている!」

 「お、お仕事ご苦労様です。ウチら一応領主様の募兵に参加してるパーティーなんですが、
是非この機会に王子に謁見したくて……何とか会う事は出来ないでしょうか?」

 「はぁ? 話がバラバラだろうが! とっとと失せろ! ここに王子なんて奴は居ない!
今はイサーク様が客人を招いて晩餐会を開いておられる! ひっ捕らえるぞ!!」


 言葉通り二叉槍――キャッチバイデントを突き付ける守衛に、不慣れな槍を交差させ迫る。
焦ったディアナは、気まずそうに仲裁しながら周囲を見渡した。
 



 「おい! 俺等は同じ雇い主、言っちゃ仲間だろ! ケチくせぇ事言うんじゃねぇよ!」
 「誰が仲間だ! お前ら野良犬と正規兵が同じな訳無いだろうが!」

 「んだと!! なんだその言いぐさは! こっちは領主の――」
 「――騒がしいな。何やってんだ、手前ぇら」

 激昂するトビアスを制止しようとしたディアナの視界に現れた二人――アンテとボイド。
アンテは衛兵に武器を降ろすように指図して、そのまま手を振った。
 それに呼応するかのように閉ざされた門扉は左右に重い口を開く。

 「お! おい! なんでコイツらは入れるんだ! 同じ戦人だろうが!」
 「おいおい、一緒にすんじゃねぇよ下っ端。俺等は正式に邸内護衛として雇用されてんだ。
手前みてぇな三下は酒場でナッツでも齧ってろや」
 「おいこら!! ナッツをバカにすんじゃねぇよ!」

 「ま、待てトビー! ア、アンテ、行ってくれ。悪かった、僕たちはもう帰るよ」

 ハッと見下したような鼻息を叩きつけ、邸内に入って行く2人を3人は見送った。


 「おい! パット、どういうことだよ!! お前が頼むから来てやったんだろうが!!」
 苛立ちを隠せずにパストルの首根を捻り上げるトビアスの肩に、ディアナが飛びつく。

 「ちょ! お、落ち着きなよトビー! な、なんか訳があんでしょ!?」

 舌打ちと共に振り抜かれた手から脱したパストルは、咳き込みながら目で合図し坂を下る。
先行するパストルに付いて一行は領主館と港湾壁の間にある――何も無い空き地へ移動した。



 「んだよ、こんなとこに連れてきて!」

 「しっ……上からは見えないけど聞こえるかも知れないから、声は潜めて」
 「け、けど何なのパット。ここに何かあるの?」

 「人が居なければどこでも良かったんだけどね……トリデプレタドールの2人が来た事で、
領主が何を考えてるか……分かった。事態は思ったより逼迫してる」

 「どういうこったよ? 護衛がどうの言って無かったか?」
 「領主館の邸内護衛なんて、あの人が戦人に依頼すると思うかい? 必要だと思えない」

 「そ、そりゃ……ウチも何か変だなとは思ったけど……結局、それが何なの?」
 真剣な眼差しで待つディアナと、不貞腐れた顔を見せるトビアスに、パストルは続けた。


 「多分……いや、かなりの確率で、領主はあの2人に王子を……」
 「え? ウソ!? そ、そんな事……有り得るの!?」

 「あの豚ならやりかねないだろ。アイツが今まで自分の手を汚さずに色んな政敵を消して、
尻尾切りしてるなんつー噂は昔からあるしな。別に不思議でもなんでもねぇよ」

 「うん……トビーの言う通り、そういう人だ。彼の指示に従わなきゃならなくなった時も、
父さんを裏で操ってたのは……あの人は外面だけは崩さないように細心の注意を払うんだ」


 「何それ……気持ち悪っ。生理的に受け付けないんだけど」
 「ったくだな。って、それこそどうすんだよパット。ますます時間がねぇじゃねぇか」

 「けど、考えて見てくれ。あのトリオ……今は2人だけど、彼等もそこまでバカじゃない。
領主の思惑通りに汚名を引き受けると思うかい? 気づかないとも思えない」

 「確かに弟のボイド、ありゃ見た目に反してただの脳筋だが兄貴の方は悪知恵の働く奴だ。
あっちも見た目に合ってないのが皮肉だけどよ、弟が暴走しようとしても止めるかもな」

 「へぇ……ウチはあんましアイツ等知らないけど、そんな感じなんだ?」
 「うん……だから、夜が更けたら、二人がこの辺で火を――」
 
 陽動と救出――パストルが立てた作戦は、その担当により結末を大きく違える事となる。


  ***


 クロエの侵入と時を同じくして――場所は領主館の地下、ではなく更に階下にある地下道。
リコは静まり返った鉄扉の裏で息を潜めて小さな白鍵を握りしめていた。


 リコがクロエから貰った――白鍵。後に《マスターキー》と称され国中で悪用された鍵は、
骨と粘液、特殊な粉鉱を用いて形成された盗賊ギルド《ニンブルラビッツ製》違法具だった。
やがてギルドと共に規制された、この特殊な鍵の製法は謎に包まれている。
 
 リコがクロエから教わった――使用法。『ゆっくり挿して軽く回す』

 言われた事を思い出し、そのまま言う通りリコは白鍵を扉の鍵穴に――ゆっくり挿し込む。
鍵はズブズブとまるで粘りのある生き物のように、鍵穴に合わせて――その形を変える。

折れるかと思うくらいに抵抗感が無い鍵は、丁度奥に突き当たったと同時に――硬く固まり、
軽く捻る手首と合わせて、小さな開錠音と破砕音を鳴らし

――粉々に宙を舞った。

 この鍵の恐ろしい所は、どんな筒鍵にも使用出来て、そしてその痕跡が残らない事にある。
変形――凝固――開錠――破砕――これら一連の流れを寸刻で行う為である。

 カチャっという音の直後に、バタン! という大きな音が響き、リコは思わず飛び退いた。
段を踏み外しそうになりながら這い、耳を澄ませながら再度扉へと近づく。

 見た目よりも軽い扉を軋まないようにソッと開き滑り込むと、松明に照らされた牢屋の奥、
暗がりの中に人影が見えた。


 「……エリアス? だ、大丈夫?」
 呻くだけで答えない男の髪でエリアスであることを確かめたリコは、周囲を見回しながら、
《抜足》で格子扉へと近づく。
錠に白鍵を挿しこむと、速やかに錠を外し静かに床に置いた。


 「エリアス? ひ、ひどい顔……」」
 殴打され続けて変形した顔面に手を当て、リコは《トリート》を唱えた。

 淡い光が辺りを包み、緩やかに傷を癒していき、目につく打撃痕を大まかに治療する。

 「うっ……」
 「あ、エリアス、気がついた?」

 「お、お前……どうやってここに……い、いや、か、監守の鍵は持ってるか!?」

 エリアスは自身の両足を封じている枷を見せて牢内の様子を見て取った。
 「鍵? これで開くんじゃないかなぁ」
 白鍵を挿しこむリコに違和感を感じなかったエリアスは、次いでリコに後ろ手を向けた。

 「こっちの縄も切ってくれ。あと監守室に俺の剣があるはずだ。急いで回収しないと……」


 気力を振り絞ったエリアスは愛剣を握りしめ、リコの先導で共に地下へと下って行った。


   ***


 「ま、待ってエリアス!」

 「な、何だ!? 早くここから脱出するぞ! お前の記憶が頼りなんだ!」
 「何か……出口の方から、足音が聞こえる」

 「ど、どういう事だ!?」
 「分からない……けど戻った方が良いよ。クロエが言ってたけど、港に出るらしいから」

 「クロエ? 誰の話だ……ま、まぁ良い。他の道はどこかに繋がってないのか?」
 「他は分からないよ。行き止まりかもしれないし、止めた方が良いんじゃないかな?」

 「そ、そうだな……聞きたいことは山ほどあるが、とにかく港に行ってみるか。行くぞ!」


 エリアスの号令にリコはコクッと頷いて、頼りなくなった灯りを頼みに正確に引き返した。
領主館への分岐を奥へ駆け抜け、梯子を下りた先、排水口の傍に小さな扉が現れた。

 何故か開錠されていた扉を押し開けると、港の擁壁沿いに左右に道が続いて居る。


 「ど、どっちだろ……右は……なんか壁が見えるけど」
 「街の南の方に出たようだな。右に進んでも壁にぶつかって結局行き止まる可能性が高い。
どっちにしろどこかで小舟でも手に入れないと、港から抜け出しようがないからな」

 「うーん……何だろ、右が気になるけど。よく分からないからエリアスに任せるよ」

 
 エリアスの言葉に従って湾曲した港湾を北側へ向かう。
 夜間で往来は無かったが、当然ながら小舟は見当たらなかった。

 領主と商会が管理する港に、個人の船が入り込む余地は無い為である。

 「どうすんの……エリアス。舟だっけ? 何も無いけど?」

 「……ここには交易船しか入ってこないんだろ……こうなったら道は一つしかないぞ」
 「道ってどこ?」

 「船が来たら忍び込む。港を出てしばらくしたら飛び込んで岸まで……泳げるか?」
 「泳げるけど……本当に大丈夫なの? それ」

 「分からん、デカい船なら隙くらいあるだろ。とりあえずこの辺で夜が明けるのを待つ」

 「うん。わかった。クロエ……大丈夫かな」
 「だからクロエってのは誰だ? 俺の剣と一緒に置いてあったあの女の鞭……邪魔だな」
 「持っといてあげなよ」

 イベリス港湾部中央区に唯一備えられていた突堤式埠頭。

 船底清掃に設置された埠頭下部の作業通路、二人が潜んだのは普段人が来ない死角だった。
身を隠すにも、夜を明かすにも絶好の穴場だったと言える。



 この埠頭が――帝国の大型船専用の中央埠頭であることを除けば。  
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