Archaic Almanac 群雄流星群

しゅーげつ

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第三部 崩墜のオブリガード

47.賢候亡き後の戦端

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 「お、おい! しっかりしろ!!」


 「ちょ、ちょっと! ど、どうしたのよ、その人……」

 イベリス郊外の馬房から一路クロスビレッジ内を――避難勧告を我鳴りながら――駆け抜け、
マドールへ直行したエリアスは、強権を振るい北門を押し通った。


 背後に載せたリコとリアーナから預かった手荷物を、共に避難してきた馬房主に預けて任せ、
リアーナを伴って一路領主館へと走る。

 制止する執事を押しのけ病床のディエゴの元へ駆け寄り、イベリス陥落と惨状を伝えた――


直後、エスパニ前全権代理者ディエゴ・エスパニョールは、

強く呻き――憤死したのだった。



 重い病を患って久しい老人には、愚息により被った民衆の災難を正面から受け入れる気力も、
体力も既に残っていなかったのだろう。

 無責任だと断ずることも出来るのだろうが、意図せず最期を看取ってしまったエリアスには、
今際の形相を前に責める気には到底なれなかった。

 エリアスにとっても長らく政敵だった男が、実に容易く眼前で肉塊となってしまった事実に、
言葉には出来ない思いが渦巻いているのを感じていたことも理由だった。


 「お、王子……! な、なぜディエゴ様にこのような……!」
 憤りを向ける執事は、喀血して突っ伏し、直後息を引き取った主よりは一回り若く見えるが、
それでもまだまだ壮健そうに見える。

そんな先達に気後れまいとエリアスは強く見返す。


 「火急の時に言い繕ってどうなる!? ここまで体調が悪かったのは……想定外だったが、
今はそれどころじゃない! 貴様はすぐに北門を封鎖して防衛体制を敷け!」



 「ディエゴ様、イサーク様亡き今、我らが主はラウル様ただ一人。指示はご遠慮願います」
 「呑気なことを! ならラウルはどこだ!? 領主に王命として直に下してやる!!」

 「ラウル様は……ディエゴ様の御指示を受けて、ロレル湖へと現地調査に行っております。
お戻りになるまでお待ち頂く他ありませ――」
 「――貴様はこの街を帝国に潰されたいのか!」


 四倍近く歳の離れた執事の襟締を掴んだエリアスは、捻り上げられず――強く引き寄せる。
見上げる真剣な眼差しに閉息した執事は、瞑目して追従の意を示した。


 「貴様が罪に問われるような事にはさせない……これは王子として正式に出す《王命》だ。
ギルドカウンターに差配したら俺もすぐに向かう。避難民を……受け入れろ」


 エリアスは重要な点にはあえて触れなかった。刻限には限界がある、という事に。


    ***


 マドール北門の門楼から城壁へと上がったエリアスは、
急遽編成した為に装備が多種多様な弓隊に等間隔に並ぶように指示し、
有志の手を借りてありったけの矢を掻き集めた。

 ディエゴの執事が町中を駆け回り人員を、ギルド職員が店舗を駆け巡って防衛の為の資材を、
そしてエリアスの依頼を受けた馬房主がクロスビレッジ方面へ斥候に出て情報を――集める。


 この《成り行きでイベリス郊外からエリアスと共に難を逃れた馬房主》名はモルドと言った。
後に名乗るまで、エリアスは彼の名も知らずに重要な任務を与えて居た事になる。

 エリアス・ノルドランドという王子には多くの瑕疵があったが、有能だった事は間違いない。


 「王子、資材は北門前に集めてあります。避難民も疎らではありますが到着しているようで、
王子の勧告を受けて即座に動いた戦人が大半のようです」

 「……そうか。報酬で動きそうな者たちは引き入れて防衛に当たらせろ。
それと……民衆、特に女子供は早急に撤退させた方が良いかもしれん」

 「み、民衆をですか!? 相当な数になると思いますが、受け入れられる町がどこに……」


 エリアスは執事の問いに背を向けて、億劫そうに北の地平に対して目を細めた。


 「……分からん。帝国の動きが読めない以上、最悪を想定して動いた方が良いというだけだ。
何事も無ければ戻ってくれば良いだけだからな……だが、時間がそう無いような気もする」

 「気……ですか? そのような予感で重要な決断を決めて宜しいのですか?」
 「決める者が居ないんだろ? なら俺の言う事を聞け。お前には選択肢なんて無いはずだ」

 「そ、それはそうですが……ところで、王子がお連れになった子供は如何しましょう?」 
 執事は門前にある馬屋の屋根を見下ろして眉をひそめる。


 「リコか……アイツはアイツで使える奴だからな。眼を覚ましてくれれば助かるんだが……
しばらくはリアーナに任せて様子を見よう。無理そうなら避難民と共に連れて逃げさせる」

 「分かりま……王子、何やら騎馬が全速でこちらに向かって来ますが、斥候でしょうか?」


 執事が手を額にかざし城壁から身を乗り出した先、
視界の奥から駆け寄って来る馬の上には明らかに馬房主の体格では無い輪郭――
どうみても女性が跨っていた。

 「誰だアイツは! ふざけるな!! おい! 門で捕まえるぞ! 来い!」
 負担を顧みず極端な前傾で襲歩させ、矢のように飛んでくる馬にエリアスは怒声を上げた。



 「おい! 貴様何を考えてんだ! 王道であんな速度を出す奴があるか! 見ろ馬を!!」
 執事が身を挺して強制的に速度を落とさせた馬は、助けとばかりに鼻息を荒く、
割れた蹄を気にするように潤んだ目を向ける。

 馬上に居る女は無言で突っ伏したままピクリともしなかった。

 「女! とにかく降りろ! おい! お前、コイツを引きずり降ろ――」
 エリアスが執事に言うよりも先に――女は馬上からずるりと、滑り落ちた。


 周囲で様子を伺っていた聴衆も、口々に心配や不審といった様々な声を撒き散らしており、
居心地の悪くなったエリアスは気遣うような素振りを見せ、女に近付く。

 「お、おい……女……大丈夫か? どうした!?」


 「……み、水」
 「お、おい……そこの! お前だお前! それ寄越せ!」

 観衆の中に居た戦人が携えていたボタバックを勢いよくひったくり、
エリアスはうつ伏せに倒れている女に手渡す。

女は気力を振り絞って起き上がり、喉に勢いよく流し込んだ。


 「……はぁはぁ。死ぬかと思った」

 「おい、女。何故あんな速度で馬を走らせてたんだ? 馬の脚が酷い事になってるぞ」
 「ふぅ……分かってるわよ。私だってこんなことさせたくは……って貴方、王子?」


 「誰だ? 見覚えがあるような気がするが……女の知り合いは余り居ない。名を名乗れ」


 「あー……そうか。参ったな……えっと、ちょっとこちらへ……」
 手招きを訝しげに見下ろしながら傍へ寄って膝を付くエリアスの耳元で、女は小さく呟いた。


 「……ん? ……っはー!?? お、おま……い、いや……貴方は!?」

 「はい、王子! そこまで! ホント色々マズいのでそこまででお願いします!」
 結論から言うと、エリアスが咎めた女は北オクシテーヌ領主メラニー・フォートレルだった。
面識があるのも当然だが、今の今までエリアスは彼女の事を男だと思っていた。

 面を食らうのも当然の話で、彼が彼女である事を知っている人間は屋敷のメイドしか居ない。
衝撃の事実に停止しかけた思考を、エリアスは自身の頬ごと無理矢理打って引き戻した。

 予想外の展開の連続で容量を超えかけていたが、真っ先に確認すべきことがあったからだ。

 
 「い、今は……置いておこう。と、とにかく何があったんだ? なぜここに!?」

 「私はある人の依頼で、避難を伝えに走ったんです。とにかく急ぎ撤退を……!」
 しかし、時既にクロスビレッジは陥落していた。猶予はもう残されて居なかったのである。


  ***


 「貴女がここに来た事はある意味で助かった……お願いしたいことがある……あります」


 「……お願い? 私なんかに何を?」
 気まずそうに並んで歩くエリアスとメラニーことメリーは、馬屋に居る黒馬の元へと向かう。

傍には敷藁に横たえられて草塗れになっているリコと、
馬の首筋を撫でているリアーナが居た。

 「あ、そっちはどう……ってその人は?」

 「……リコはまだ目を覚ましてないのか。この人は……まぁそれは良い」
 何と説明して良いかが分からずに話を切り上げたエリアスは、
鼻先を寄せる馬に薄く笑って、横目でメリーを伺った。
言葉を切り出せずに逡巡するエリアスを見てメリーは顔を顰める。


 「あの……なんです? 何か仰りたい事でも?」

 「……貴女に頼みというのは、コイツを連れて自領に戻ってくれないか?」

 「どういうことです? それよりも、この子供は誰……ん……?」
 飼葉が絡むリコの栗泡髪を見て、メリーは考えるように指を鼻頭に添えた。


 「そいつは……一応命の恩人だ。ただの衛兵見習いだがな、今のこの状況では邪魔なだけだ。
セビリスにラウルが居れば引き渡してくれて良い」

 「ラウル様ですか……ご不在の場合は?」
 「その時は……済まないがフォートレル領で預かっておいてくれ。後で迎えを寄越す」

 「それは構いませんが……この子……」
 記憶の中には無いはずの幼顔を覗き込んで、何となく、何か思い出しそうなメリーを余所に、
不安そうなリアーナがエリアスの背中を指先で突く。

 「ちょっと……それで、私はどうすれば良いのよ? 一応まだ捕虜なんでしょ?」
 「どうと言われてもな……正直もうどうでもいい。向こうに戻りたいなら止めんが――」

 次に会った時は敵になる――その事はどちらかが口に出さずとも、互いに強く理解していた。
そして《戻る》道を選ぶ方が、捕虜で居るより難しいことも。


 「埠頭の……見てたわよね? 今更戻っても……兄様は」

 「まぁアレがあったから、お前を疑う気はないが……何ならリコと一緒に行くか?」
 「一緒にって……一緒に……か」

 昏倒したままずっと意識がどこかを彷徨っているリコを見て、リアーナの心中は複雑だった。

一度目は王城の牢の中で、二度目は実兄の手にかかる間際で、二度も助けられた小さな身体を、
寄る辺なく漂う落ち葉のような今の自分では守れる気がしなかった。


 だから選んだ。帝国の、兄の目的を見届ける道を。たとえ茨の道だったとしても。

 
   ***


 「……行ったか?」

 「ええ、南門から出て行ったのを見送って来たけど……良かったの?」
 「良かったのって何がだ。使えん奴を後方に送っただけだ。お前の方こそ良かったのか?」

 「良かったのかって何が。帝国に私の居場所なんてもう無い。利用されていたのだとしても、
これから起こる事は私にも多分責任があるから……」

 お前も――と、エリアスは言いかけて、止めた。

 自分の居場所が無い、だから責任を理由に動き続ける。
理由が盾だろうと、言い訳だろうと、原動力であればそれでよかった。

そんな共感を口にして問える程、まだ大人では無かった。

 リアーナも同様に続きを、求めなかった。

 恐らく性格的には全く合わない、互いにいけ好かない相手だとしても、何か近い物を感じて。
責任を題目にしている事を打ち明けられる程、大人にはなれなかった。

 歪な協力関係は直視出来ない欠けた破片が重なるように、次第に軋みを静めていった。

 
 「――王子! 来ました! 北側から避難民が押し寄せています!」
 二人が待つ北門前に、階段を駆け下りて来た執事が飛び込んで声を張り上げる。

 「よし! 騎馬隊前に出ろ! 民衆を門内に引き込んで敵兵を牽制するんだ!」


 
 了解、ヨッシャー! 行くぞ! と、不揃いな号令で門を飛び出して行った、
間に合わせの部隊に過ぎない騎兵は、マドールに滞在していた数少ない戦人と、
現役を退いて隠居していた老シニア達だった。
後者の大半は前領主ディエゴを慕い古都まで付いて来たのだという。

 そんな貴重な戦力をかき集めても20名にも満たないほどに、マドールは無防備な街だった。
差し迫る帝国の内情を知っていれば、エリアスは騎兵もどきを前線には出さなかっただろう。


 そして運命の導火とも言うべき報告が届く。


 斥候に出した馬房主が民衆を追い越し駆け込んで来た時、既に遠方からは喧騒が轟いていた。

 「王子!! 大変でさぁ! クロスビレッジはあっという間に占領されて突破されやした! 
押し寄せてくる帝国兵は術師隊です!! 火精術を乱射しながら大群で押し寄せて来やす!」


 エリアスは耳を疑った。術師を集めた所で、遠距離飽和攻撃を行うような編成にはならない。しかしその時――
稲妻のように脳裏に走ったのは、エンリーチという男の石槍の投擲術だった。


 これまでの戦闘には無い術を、見た事も無い杖を使って用いていた怪しい男を思い出した時、
他の精霊術にも転用出来るであろうこと、


そして何より希少な存在である多重適正術師――
《マルチ》を容易に量産出来るということに、否応なく気づかされるのだった。
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