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8. そーゆーわけで…ってどーゆーわけですか!?

そーゆーわけで…ってどーゆーわけですか!? ③

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 母にじっと見つめられ、半身を起こした篤志が喉を鳴らして息を呑んだ。
 その妙な緊張感に沙和たちが注目していると、戸口で腰に手を当てた母が沙和をチラリ見て何やら言いたげに溜息を吐き、「さっきの話だけれど」と篤志に視線を戻した。
 先刻の話って何だろう、と首を傾げた沙和が視界に入ったのか、母が眩暈を覚えたかのように額に手を当てて瞑目する。

(なんだ。そのリアクション、ちょっと腹立つんですけど)

 むうっとして母を見れば、もう一度溜息を吐かれた。
 そんな娘を一先ず放って置くことにしたらしい母が、憐憫を刷いた眼差しを篤志に送りつつ口を開く。

「沙和も、同意の上なのかしら? こう言っては何だけれど、私の目から見る限り、まだ友達の域も脱してないんじゃない?」

 母の言葉にそうだったと思い起こし、沙和の眉間に深い皺が寄せられた。
 どさくさに紛れて、色気も雰囲気もないプロポーズを思い出す。しかもデリカシーもない三重苦ときたもんだ。

「それは……」

 言い淀んで篤志が沙和を見た。しばし目を合わせ、項垂れると大仰な溜息を吐く。

「お母さんにこんな事を言うのもなんですけど、超絶に鈍くて、外堀から埋……んぐっ……んーんーッ!!」

 言葉途中で遮られ、真っ赤な顔をした篤志が後ろに倒れ込んだ。馬乗りの椥に口を封じられ、力尽くで押し倒された篤志がジタバタと暴れる様子を見て、何を思ったか母がつかつかと歩み寄って行く。
 蚊帳の外状態の沙和たちが成り行きを眺めていると、母は腕を大きく横に振って空を薙いだ。

『いてーっ!?』

 叫んだのは椥だ。
 無敵だと信じていた彼の思わぬ声に、母以外が唖然として椥を見た。

「あら。なんか、当たったみたい…?」

 きょとんとした母が自分の手を眺め、そんな母を椥が信じられないと言った風に見上げている。

(だよね……誰も、お兄ちゃんを打てるとか、思わないよ。普通)

 母はまったく視えない人だから尚更。
 唖然としている沙和たちを一巡し、母が困惑した笑みを浮かべる。それ以上に椥は動揺しているようで、フリーズしたまま母を見上げていた。
 母は先ほど薙いだ辺りに目を凝らす。沙和たちの目には、椥と母が見合っているように映っているけど、やはり母には視えていないようで首を傾いだ。

 そんな母に向かって、篤志が自分の鼻先を指さした後、右手を上げて見せた。それを真似するように母を促し、同じように手を掲げると、篤志が空を薙いだ。間髪入れずに母も薙ぐ。
 すると次の瞬間、面白いくらいに椥の頭がぶれ、体勢を崩して床に手を突いた。茫然と床を見つめる椥に、篤志がしてやったりと笑みを浮かべている。
 母はまんまと乗せられた事に気付いて、篤志をちょっとだけ睨んだけど、それ以前に息子の非道な行いを視えてはいないけど目撃しているので、苦々しい笑みを浮かべた。

『何すんだ、クソババァ!!』

 ようやく正気を取り戻した椥が吠える。すると母が口角を下げ、ムッとした。

「何か面白くない事言われてないかしら?」

 尋ねる物言いをしながら、母は微妙に怖い笑顔で両手をぶんぶん振り出した。しかし何度も同じ手を食らうほど、椥も馬鹿ではない。母の手を避けて篤志から遠く離れると、篤志を睨んで舌打ちを残し、天井を突き抜けて逃げて行った。



「お母さん。お兄ちゃん、逃げてった」

 目だけ天井を見、手を振り回す母にそう告げると、彼女も天井を仰ぎ見た。

「あの子、絶対に私の悪口言ったわよね? なぎーっ! 戻ってらっしゃいッ‼」

 余程鈍感でもない限り、霊感はなくとも、そう言うことは感じるらしい。
 以前カフェでも、凹んだ椥の傍に居た客がお通夜みたいに沈んでいた事を思い出し、沙和は眉尻を下げて乾いた笑いを漏らす。
 ましてや椥の実の母だ。他人よりも感じるものはあるだろう。
 しかし。

「お兄ちゃんを打てる人がいるなんて」

 不思議で仕様がない。
 一同が大きく頷くと、パチパチと瞬きした母が沙和たちを見回した。

「普通は、叩く以前に触れないよ。お兄ちゃんから触れてくれば別だけど」
「そうなの? 美鈴ちゃんも?」

 彼女が昔から霊感少女だったことは、母も知っている。

「あたし程度の霊力では無理です。踏ん捉まえてでも除霊する叔母なら兎も角」
「そう。でも私は霊感なんてさっぱりよ?」

 眉を寄せて顔を顰める。
 だからそれが不思議なのだ。
 全員で唸って考え込んでいたら、隼人が「お母さんだから?」と疑問形を口にした。視線を集めた隼人は少し居心地悪そうに身を竦め、目は母を見ながらそろそろと沙和に抱き着いてくる。弟を抱きしめ返し頭に頬擦りすると、母が呆れたように溜息を吐いた。

(姉弟の仲が良いのは、良いことだと思うのよ……?)

 母には母なりに思う所はあるのだろうけど。
 逃げて行った前例を追うように天井を眺める。

「お母さんの、愛の鞭……だから、じゃないのかなぁ?」

 やっぱり疑問形で隼人が言うと、篤志が「なるほど」と相槌を打った。

「何にせよ助かりました」

 居住まいを正した篤志が言うと、母も恐縮して向かいに正座し、「椥がごめんなさいね」と深々頭を下げた。

「だけど」

 そう言って母が僅かに顔を上げ、じっと篤志を見る。たじろいだ彼に言を継いだ。

「結婚云々は、また別よ」
「そ、そうよ。そうだわ。付き合ってもないのに、いきなり結婚とかって有り得ないでしょっ」

 椥のせいでまたうっかり忘れかけていた。
 隼人を離し、篤志に対峙する。と、篤志はムッとして沙和を見据えて来た。

「結婚とでも言わなきゃ気が付かないだろ!」
「なっ、なにがよ」
「好きだって言っても気付かない。付き合ってって言ったら “何処に?” “何に?” って素っ呆けた返事を返してくる。しかも幽さんが邪魔してくるしで、俺にどうしろって言うんだよ。結婚とでも言わなきゃ、一生気付かないだろ!?」

 確かに、間違いなく、その鈍感発言をした……日常的に。
 返す言葉もない。
 母の冷ややかな視線が痛い。

(や……だって…ねえ?)

 腕にしがみついて「断っちゃえば」と小悪魔の囁きが聞こえる。この小悪魔が可愛いくて、つい従いそうになってしまう。
 とは言え、いろいろと頭の中を駆け巡り、即答できるものでもなく。

 篤志を見る目が落ち着きなく右往左往する。
 隼人の後ろで「あたしと結婚するに決まってるわよねっ」と美鈴が、沙和の思考をかき回してきて、許容量一杯一杯になった沙和は、脱兎の如く意識を飛ばし現実逃避した。

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