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5. 梓、なんか色々とツライので……
梓、なんか色々とツライので…… ③
しおりを挟むその日、翔が遅い時間に帰宅すると、家は蛻の空だった。
郁美の所にでも行ってるのかと思いながら、梓に電話を掛けてみたが全く出ない。近くに電話がないのか、と半分八つ当たり気味に廊下をドカドカと歩き、リビングに向かった。ソファに鞄を置き、その足でキッチンに行く。冷蔵庫からミネラルウォーターを出して踵を返した時、ふとダイニングテーブルの上の物に気が付いた。
白い長封筒に首を傾げた。梓はいつも未読の手紙は専用のウォールポケットに差しておく。不思議に思いながら手にして、翔は硬直した。
翔宛の手紙と退職願と書かれた封筒。
慌てて開封し、開いた便箋には短い文章が残されていた。理由など一文字もなく、感謝と謝罪と翔の幸せを願う言葉だけ。
頭の中を “どうして?” の言葉ばかりがグルグル巡る。
最近、真面に口を利いては貰えなかったが、家出する素振りなど見えなかった。
翔は走って二階に上がり、梓の部屋に飛び込んだ。ぱっと見た感じ特に変わった様子はない。直ぐにクローゼットを開け、踵を返してチェストの中身を確認した。
僅かな身の回りの物だけが、すっぽり抜けている。
「…ふざけるなッ!」
余りのことに身体がわなわなと震えた。
梓が居なくて何の幸せか!?
二人きりになった時、梓は絶対に守ると両親の墓前に誓った。それを違えさせる時点でもう既に不幸だ。梓はそれを解ってない。
翔は再び梓に連絡したが、やはり出なかった。
直ぐ郁美と香子にも電話したが、どちらも一緒ではないと言う。そしてお目付け役の剛志から報告を聞くために連絡して、梓が会社を休んだと言われて茫然となった。
忙しいからと連絡を後に回してしまった事を激しく後悔した。
最近の梓の様子がおかしいと気付いていながら、何も出来なかった自分が恨めしい。
どんなに拒絶されたって、もっと関わるべきだったのに。今までどんなに嫌がったって、翔は梓を構う事を止めなかったし、梓だって文句を言いながら許容していた。
それがある日を境に変わってしまった。
(…そうだ。福岡出張から帰ってきたら、体調が悪いと言って部屋に篭ってて…)
翌日顔を合わせた梓は、額に大きなガーゼを張っていた。大丈夫かと伸ばした翔の手を驚いたように振り払い、妙におどおどして「転んでテーブルに打つけただけだから」と直ぐにまた部屋に篭ってしまった。
何かがあったと察して梓に詰め寄ったが、彼女がそれを素直に話すこともなく、翔が何とかしようとすればするほど、梓は耐えられないと言った悲し気な顔で翔を見るのだ。
翔が梓の為に何かをしようと動くことが、彼女を却って傷付けているようで、気が付けば何もすることが出来なくなっていた。
梓は怜のことも悉く避けていた。翔に対するよりも、もっと酷かったように思う。
原因を知らないか怜に訊いてみたが、彼は頭を振るばかりで、何の解決策も講じることが出来ないまま、時間ばかりが過ぎていく。
三人の関係が歪になっている、そう感じた。
そこまで振り返って、怜に連絡しないとと、不意に思い出す。
三コール目で怜が出た。
「梓が、家を出て行った」
『……え?』
「置手紙残して、いなくなった」
『!? 今からそっち行く』
そう言って電話はすぐ切れた。
歩いて十分の距離をダッシュで走って大石宅に来ると、ソファに項垂れて座る翔がいた。手にはスマホが握られ、テーブルの上には開かれたままの卒業生名簿。
ほんの僅かな時間の間に、翔はすっかり憔悴しているようだった。
今朝、体調が悪いと由美に連絡があったのは聞いていたが、まさか家を出て行くなんて想像していなかった。
「…翔」
呼び掛ければ、彼はゆっくり顔を上げて「ああ」と返事をする。そして怜に手紙を差し出した。それを受け取り、目を落とした瞬間「たったこれだけ?」と思わず訊き返してしまった。
たった三行の別れの挨拶。
本来の彼女は、こんな薄情な手紙で終わりにするような子ではなかった筈だ。翔が相手ならなおのこと。
梓がこんな行動を取り、簡素な手紙しか残せなかった理由は一つしか思いつかない。
全ては自分のせいだ。自分の身勝手で梓を追い詰めた。
(翔を裏切って、平然といられる子じゃないの知ってたくせにッ!)
目先の嫉妬に駆られ、欲望のまま梓を凌辱した。
怜はその場にへたり込んだ。
「……僕のせいだ」
「…え?」
怜の掠れた呟き。訊き返した翔に答えず、ブラックデニムのバックポケットからスマホを取り出し、電話を掛け始めた。
「誰に掛けるんだ?」
ソファから見下ろしてくる翔をチラッと見、目を画面に戻す。
「郁ちゃん」
「とっくに掛けた」
「聞きたいことがあるんだ」
向こうで応答の声がして、怜は慌てて耳に当てた。
『なに。今度は怜くん?梓なら「郁ちゃんに聞きたいことある!」
郁美の言葉に被せた怜の声の必死さに、彼女はしばし黙り込み『なに?』と訊き返した。
「アズちゃんが最近知り合った男、正体知らない!?」
そう言った怜の言葉に、翔が「男ってどういうことだッ!?」と食って掛かって来たのを手で制した。電話の向こうで呆れた声がする。
『それ訊いてどーするの?』
「アズちゃんの所在、知らないか訊く」
『相手が知る訳ないでしょ』
ホント嫌になる、微かにそう言ったのが聞こえ、郁美が溜息を吐いた。怜はその様子に少しイラっとして眉間に皺を寄せると、まるで見えているかのように突き放した物言いの声が返って来た。
『怜くんの子、妊娠してるかも知れないのに、他の男の人に助けてくれなんて、あの子が言えると思う?』
「……郁ちゃんそれ…」
冷水を浴びたかのようだった。
二人の仲なら、梓が怜とのことを話していてもおかしくない。そして郁美は、翔と怜の関係も知った上で責めて来る。
『梓はねぇ、自分一人で何とかするって』
「…一人でって……そんな」
怜の顔から血の気が引き、唇が微かに震える。
梓が妊娠すれば、今はどんなに腹が立って許してくれなくとも、何れは怜を頼り、このまま離れて行かない事を願っていたのに。
まるで逆のことをする梓に言葉がない。
電話の向こうで郁美が舌打ちしたのが聞こえる。今は彼女の言葉がショックで、そんな事に目くじら立てる余裕もなかった。
『怜くんの力は死んでも借りたくないって。あの子が出てったの、怜くんが全部悪いんだからね! ホント最低な男よね。今まで怜くんが蹴散らして来たどの男よりもサイテーよッ!!』
郁美の言葉が胸の深くまで抉った。
(……うん。僕は本当に最低だ)
心臓がバクバクして苦しいのに、郁美の言葉に素直に頷いている。
それでも何もしなかったら、梓を横から掻っ攫われてしまいそうで、焦燥感に襲われた。梓が離れていくなんて許せなくて、でも怜の言葉など素通りしてしまいそうで、繋ぎ止めたいと心底から願った時、身体がする筈のない反応して、もう抱くしかないような気になっていた。
『そんな事だから、あの子あたしにも所在言ってないわよ! 梓に会って謝りたいなら、死に物狂いで探しなさいよねッ!!』
最後にそう怒鳴って電話は切れた。
暫らく耳に当てたまま茫然自失でいた怜の手がパタリと下に落ちるのを見、「男って何?」と翔が話を蒸し返してくる。のろのろと顔を上げ、怜は自分の罪をようやく告白する機会を得たことに、ホッとするのだった。
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