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1. 苦手
苦手 ①
しおりを挟む五月の麗らかな二週目の金曜日。
高校に入学して一ヶ月。斉木美空はイライラしていた。原因は分かっている。
真新しい制服に身を包み、少し学校生活に慣れてきたクラスメイトを見渡し、窓際の一番後ろの席で視線を止める。短い溜息を漏らし、うなだれた。
光を通すと金髪に見えるふわふわのくせっ毛は、あの頃よりだいぶ伸びた。
俯いたら顔を隠してくれるから。
(なんで選りにも選って……)
チラリと視線を運ぶ。
(やっぱ苦手だぁ)
セミロングのふわふわのくせっ毛で、ソプラノの可愛らしい笑い声をたてる女子生徒が親しげに、頬杖をついて相槌を打つ男子生徒の背中をバシバシ叩く。
この女子生徒が苦手なわけじゃなく、叩かれている男子生徒の方。
入学して二日目に、担任は彼の長身ゆえに有無を言わせず、窓際の一番後ろに席をあてがい、彼は彼で言われるがまま大人しく無表情で席に着いた。
基本、無表情。その表情を僅かに崩すのは、幼馴染みのソプラノ少女、橘苑子と同じく幼馴染みの江東太一が話しかけている時だけ。他のクラスメイトが話しかけてもその表情が揺らぐことはない。なのに、たまに美空と視線が合うと、微かに表情が動く。本当にささやかなのだが、目を細め、何か言いたげに唇が緩む。それがイラッとする。
サラサラの黒髪。すうっと通った鼻梁。黒目がちの二重。桜色の唇。そこいらの女子よりも断然美人だと思う。
見た目は、すごく良い。いわゆるイケメン。入学して間もなく女子生徒たちのアイドル的存在になったが、当の本人は我関せず、女子生徒たちは寡黙な彼をいつも遠巻きに眺めている。
三嶋十玖が彼の名前だと知ったのは、中学二年の終業式を控えたある日だった。
美空は知らなかったのだが、今よりは大分身長が低かったが、当時から彼は人気があった。
家庭科室に移動する途中で、じっと見つめる十玖と目があった。十玖は微かに頭を下げたが、美空は晩秋のことが思い出されて、足早に横を通り過ぎた。その時一緒だったクラスメイトが、十玖の事を教えてくれたのだった。
(あんな事がなかったら、もっと違った?)
しかし如何せんバツが悪い。
じっと見つめられるのも居心地が悪い。
美空の視線に気がついたのか、十玖が視線を寄越した。ふっと彼の口元が緩み、美空は慌てて前に向き直った。
(やっぱ苦手。ああイライラする)
いっそ馬鹿にして笑ってくれたら、反撃に出るのにと、何度思ったことか。
でも彼は何も言わない。
美空も自分からわざわざケンカを売りに行ったりしない。
彼女が溜息をつくと同時に、始業のチャイムが鳴った。
斉木晴日はツンツンに立てたひよこ色の頭をガックリと垂れて、夜道をトボトボと歩きながら、大きな溜息をつく。
さっきまで一緒だった幼馴染みの澤田竜助と別れて、帰路を辿っていた。
放課後、竜助と一緒にバンド仲間の渡来謙人とファミレスで会っていた。
竜助は同じ高校の二年だが、謙人は他校の三年のため平日はもっぱらファミレスか、彼の自宅で会うことが多い。
いつもは楽しい集まりも、今回ばかりは頭が痛い。
バンドのヴォーカル、冨樫涼が喉頭がんになった。
ずっと調子が悪そうだった。声が掠れて、出なくなる事も度々で、ここしばらく活動を休止していたが、インディーズ・レーベルとは言え、プロとしてやっている以上、このままでいいわけがない。
ヴォーカルを替える事に躊躇いを感じないではない。むしろ替えたくないのが本音だ。
(それじゃぁ解散だよなぁ)
ブルーグレイの瞳が天を仰ぐ。
事務所からせっつかれている。しかし誰でもいいと言うわけじゃない。仲良しこよしのサークル活動と違うのだ。
あちこちのライヴに行ってみたが、欲しいと思えるヴォーカルを探せないでいた。
事務所のお仕着せのヴォーカルは嫌だった。それは他のメンバーも同意見だ。だから何が何でも探し出さなければならないのに、焦りだけが募っていく。
「どっかにヴォーカル転がってないかなぁ」
詮無い言葉が口をつく。
転がっていたらこんなに苦労しない。
ライヴがしたい。あのグルーヴ、あの熱が恋しい。まるで恋人に恋焦がれるようだ。
まだ半月。活動休止してから、まだ半月しか経ってないのに、この飢餓感。
ふと、涼に思いを馳せる。
一年前まで、お世辞にも上手いとは言えないバンドで演奏していた晴日と竜助を誘ってくれたのは、涼だった。今の場所まで引き上げてくれた一歳上の大事な仲間で兄貴。
涼と謙人は中学からの付き合いで、今回の件は謙人が一番堪えてる。けれど涼が存続を望んでいるから、謙人は必死にこらえているのだ。
皆にとって失えない人なのに、何故こんなに無力なのだろう。
晴日は鼻をすする。
と、その時どこからか歌声が聞こえてきた。晴日は声を頼りに辺りを見回す。
普通の住宅街。
近くの公園かと思ったが、そこには人一人いなかった。声はどんどん遠くなって行く。
(どこだ?)
耳の良さには自信がある。追いかける方向は間違ってないはず。
なのにバリトンの声が遠くなって行く。掠れて行く。
晴日はとうとうこの日、声の主に会うことは叶わなかった。
今日もまた美空にことごとくそっぽを向かれた。
中学二年の晩秋。人には知られたくない事を、故意ではなかったにせよ盗み聞きされたら、誰だって気分はよくない。しかも泣いてる彼女に見入ってしまったのだから、印象は最悪だろう。
ここでフォローできるスキルでもあれば、良かったのだけれど。
基本、会話が苦手。トークという名前なのに、名前負けだと兄弟や幼馴染みによく笑われる。人見知りで、仲良くなるまでとにかく時間がかかる。
門扉を開け、玄関前で軽くストレッチをして扉を開けた。
日課のランニングをこなした十玖は、ランニングシューズを脱ぎながら、ナイロンのトレーニングウェアの上着を脱いだ。
「ただいまーッ」
奥のリビングに声をかけると、母親が風呂に入れと促してくる。
いつもの光景。五歳上の兄の天駆と一歳下の弟の亜々宮は、もうとっくに走ることを辞めてしまったが、十玖だけは幼稚園の年中の時から飽きもせず、ずっと続けている。
亜々宮に言わせると、この兄はバカ真面目で融通が利かないらしい。
十玖は風呂に直行し、洗面台の鏡に目を留める。見慣れた無表情に注視したまま、己の両頬を思い切り張った。じんじんと痛みが走るが、くっきりと手形が残った頬を睨みつける。
冗談言ったり、感情が表に出るのは、身内と幼稚園からの友である苑子と太一に接している時。あとは幼稚園の頃から通っている少林寺拳法の道院の昔馴染みと、たまに稽古を見ている子供たち。
他はどうしても表情が凍ってしまうのだ。好意を寄せられれば殊更に。
一度スイッチが入ったら、感情がボロボロ溢れてくるのだけれど。如何せんそこまで行くのが、日常生活では難儀する。
(……交際範囲せっまぁ)
我が事ながら呆れてしまう。
シャワーの蛇口をひねると、すぐに温かなお湯が叩きつけてくる。
頬を伝って落ちる水滴と、あの日の涙がかぶる。
見とれてしまったあの日の涙。
(タオルをあげる前に、なんで一言謝らなかったかなぁ)
いくら動転していたにしても、悪気がなかったことを意思表示していたら、今よりはまだマシだったかも知れない。
そっぽを向く一瞬前、鳶色の瞳が睨みつけてきた。
柔らかな外見と声の持ち主は、とても強い瞳を持っていた。
天性のポーカーフェイスと負けん気の強さで、絡まれることも多々あり、どんな輩に絡まれたってビビリもしないのに、彼女の瞳に睨まれると、柄にもなく動揺してしまう。と言っても、傍から見たらその違いがよく分からないかも知れないが。
今更この性格が自力でなんとかなるとは思ってない。これまで不便を感じたことがなったから、何とかしようとも思ってなかったのだけれど。
美空にそっぽを向かれるたびに、このままじゃいけないんじゃないかと、何となく考えるようになった。
これまでの事を鑑みれば、進歩だと言えなくもないのだが。
お湯を止め、髪を掻き上げて水分を切る。
水滴のついた鏡の向こうに映る自分を睨んで軽く拳を当て、十玖は風呂場を出た。
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