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10. 歪み
歪み ②
しおりを挟むA・Dが控え室に戻ってくると、呆けた筒井がスツールに腰掛けていた。
視線の先には二枚の名刺。
「筒井マネ?」
謙人が声をかけた。
筒井はのろのろと顔を上げ、「おつかれ」とは言ったものの心ここにあらずだ。
それぞれが飲み物を手にソファーに腰掛け一息ついた。
謙人はテーブルの上の名刺に目をやり、その一枚を手にすると、ふわりと名刺から品の良い香りが漂う。
「アバダンティア代表、本郷ディアナ…?」
謙人は鼻先で名刺を振りながら、何の香りか思い出そうとしている。香りを思い出す前に、名刺の主を思い出したのだが。
「アバダンティアって言ったら、大手のモデルエージェンシーですよね。そんな人が何の用ですか?」
各業界に精通している企業のお坊ちゃまは、こんな事にも明るかった。
メジャーレーベルのスカウトマンが来るなら話は分かるが、モデルエージェンシーは畑違いだ。名刺を置いて行き、それに依って筒井が呆けている理由が分からない。
筒井は、ハッとして顔を上げる。
「トーク。本郷社長が “華子が待ってるから顔を出しなさい” って言えば、分かるって言ってたんだけど、華子って誰? 社長とどう言う知り合いなの!?」
いきなり振られて、十玖は考え込んだ。
「トークにしか頼めないって言ってたんだけど」
「僕?」
そう言われてまた考え込んだ。
考え込むこと三分ちょっと。十玖は「ああっ!」と手を打った。
「あの華子さんか。久しぶりですっかり忘れてた」
「誰なの?」
「本郷ディアナ華子さん。社長と華子さんは同一人物で、イトコのマネージャー兼任してます」
「社長自ら?」
「イトコが曲者なんで」
「そこまでするモデルって…ちょっと待って。聞いたことある。……SERI?」
「です」
控え室に驚きの声が響き渡り、口をあんぐりと開けたマヌケ面が十玖を注視した。
SERIと言えば、グラビアだけでなくCM、ショーに引っ張りだこのモデルだ。
兄にイケメン小説家の三男 高本泰成、舞台俳優の四男 力、唯一の弟でモデル兼俳優の五男 淳弥がいる。長男の健と次男の基樹は、家業の病院医師をしている、煌びや家族だ。
一時期すごい話題になったことがある。
意図的だったのか素なのか図りかねる、このすっ呆けた十玖を、筒井は眉を寄せて見入った。
「トーク。今まで一度だって、そんな話したことないわよね?」
「僕には関係ないですから」
「関係なくないでしょ。従兄弟でしょ!?」
「そうですけど、彼らの仕事が何であれ、僕にはただの従兄弟ですし、自慢しても別に」
そこは普通自慢したがるもんだ、と全員の相違ない思いを十玖は感知していない。
しかし見事な男系一族は、間違いなく三嶋の血縁だ。見目麗しく、煌びやかな一族を鑑みれば、十玖のこの容姿も納得してしまう。
「で。トークにしか頼めないって、どういう事?」
筒井が話を戻した。
華子が直接来て、十玖にしか頼めないということは、SERI絡みということだろう。
「せっちゃん…SERIはえらく人の選り好みをするというか、危険?」
「危険?」
全員がオウム返しに訊いてくる。
どこまで話していいもんだか考えて、十玖は当たり障りのない言葉を探してみたものの見つからなかったので、微妙なオブラートに包みながら話すことにした。
「業界では有名らしいですが、SERIは大の男嫌いで、下手に近づくと身内でもかなり危険というか。三嶋の家系にたまに突出して運動神経いいのが出ますけど、彼女はそれです。僕でも手こずる強さですから」
「十玖が手こずるってどんなだよ」
十玖に連敗記録を尽く塗り替えられている晴日が呟いた。
かなり突出した身体能力を持っている十玖が、手こずるというSERIはどんな女性だというのか。考えると空恐ろしくなる。
十玖は返答に困ったようで、暫く唸ってから曖昧な笑みを浮かべた。そして綺麗に晴日の問いを抹消したらしい。話を戻して続けた。
「せっちゃ…SERIはとんでもない男嫌いですけど、何故か淳弥と僕だけは圏外扱いなんですよね。男のカテゴリーに分類されてない? そんな感じです。だから華子さんの用事って、ご機嫌取りでもして欲しいって事なんですかね…?」
「違う違う」
筒井は顔の前で手を振った。十玖はきょとんとする。
「正式にオファーしたいって事だったんだけど。モデル。それがなんで十玖にしか頼めないのかが分からなかったの」
十玖はすくっと立ち上がり、リュックを持って更衣室に入ってしまった。
「え…ちょっとトーク!?」
返事はない。
筒井が更衣室の前でオロオロしていると、間もなく十玖が不機嫌な顔をして出てきた。眉間に深い縦ジワを刻んで、筒井を見据える。
「その話、正式に断って下さい」
「どうして?」
「問題を増やしたくないんで」
(モデルなんて冗談じゃない。A・Dの事だってどうしようかと思っているのに)
目立つことは、これ以上遠慮したかった。
「問題って何?」
その言葉を無視し、「帰ります」と十玖は先に出て行った。
残された晴日たちは大きな溜息を吐き、いま学校で問題になっている事を筒井に話した。
一人BEAT BEASTを後にし、駅に向かっている途中で見知った顔を見つけた。相手も十玖に気付いて、手を振りながら近付いて来る。
「十玖先輩、お疲れ様でぇす。一人ですか?」
「…ん。智ちゃんも一人?」
亜々宮の彼女の早坂智子だ。
「いえ。クラスの子も一緒です。いまコンビニに行ってて。先輩。今日のライヴ、サイコーでした! “To be free” 良かったです」
「ありがと。でも亜々宮には内緒でしょ?」
「はあまあ。なんであんなにヒネくれてんですかね」
「何でだか嫌われてるんだよね」
腕を前で組み、弟の顔を思い浮かべて苦笑する十玖に、智子は心の中で頭を下げた。
十玖は心当たりが分からないから対処のしようもないだろうし、亜々宮の心中を知っている智子は苦い思いだ。いっそ教えてしまいたいけど、勝手な事をして亜々宮が怒り狂うのを見たくはない。
「智ちゃんはもう帰るの?」
「はい。駅まで友達と一緒に」
後方のコンビニを振り返った。ちょうど友達が出てきて、智子を探しているようだった。
「メグ。こっち」
智子が大きく手を振った。メグと呼ばれた子が小走りでやって来る。十玖の体に一瞬、緊張が走った。
「高橋?」
「先輩! お…お疲れさまでした。ライヴすごく良かったです」
「あ、そっか。メグ合唱部だっけ」
うん、と笑う高橋愛美。
最近高橋とよく遭遇する。気のせいかも知れないが、告白をされた頃から、ちょくちょく見かけるような気がしてならない。
振った手前、申し訳ないと思うから、余計にそう感じるのかもしれないが、何故か落ち着かない。
「智ちゃん。家まで送ろうか?」
言いながら、高橋の反応を見ている。
「やった。でも亜々宮には内緒ね」
「分かってる。高橋は? 家どこ?」
「うちは反対方向なんで」
「そお。じゃ駅まで一緒に行こう」
「はい」
高橋に特に変わった様子は見られない。考えすぎなんだろうかと、内心苦笑した。
三人は駅に向かって歩き出す。
「斉木先輩は一緒じゃないんですか?」
高橋が聞いてきた。十玖は微かに眉をひそめて彼女を見る。
「来てないからね」
「そうですか…ああ。そう言えば大変でしたよね」
全校集会で、問題提起された。
美空が被害者だという事は、瞬く間に広がった。人の口に戸は立てられないとは、よく言ったものだ。
何食わぬ顔で言った高橋が、何故こうも神経に障るのか?
高橋は首を傾いで、十玖を見上げてくる。
「先輩って、昔ちょっとだけキッズモデルしてませんでしたか? 高本淳弥と一緒に。確かみんなに “とおくくん” て呼ばれてた。珍しい名前ですけど、違います?」
他意のなさそうな笑顔で見入ってくる高橋を凝視した。
「えっ先輩ホント!? 高本淳弥って、あの俳優の!?」
智子が袖を引っ張って聞いて来る。十玖が小さく頷くと、智子は一人で大はしゃぎだ。
十玖の眼差しが自然と厳しくなった。高橋に対して、どんどん警戒心が高まって来る。キッズモデルをしていた事は、関係者と身内の記憶にしか残っていないもんだと思っていた。
彼女はふふと笑った。
「どうしてって顔ですね。父がアパレル関係者で、見学によく連れて行って貰ったんです。その頃から先輩、優しかったですよね」
これは何なんだろう。
華子からのオファーに引き続いて、昔を知る高橋。
彼女の事は全く記憶がない。
「先輩、いつの間にか辞めちゃって、そしたら今度はA・Dのボーカルで現れるんだもん。ビックリしちゃった」
嬉しそうに笑っているのに、十玖には空々しく見えてしまう。
高橋が何かをやったという訳じゃないのに。
一刻も早く駅に着き、高橋と別れたい。
「あの頃から、あたし先輩のこと好きだったんですよ」
くすくす笑う。
手を伸ばしてくる高橋を咄嗟に拒絶した。
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