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○3章 旅館のあり方
-8 『理由』
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――住む世界が違う。
先ほどの話によって浮かんだ言葉がいつまでも俺の頭から離れないでいた。
考えれば考えるほど、その言葉がずっと脳内を堂々巡りしている。
中條が場を去った後も、まるで足元に彼の気配がこびりついているようだった。
「どうしたの、ハル」
エルナトが、気が滅入っている俺を見かねて恐る恐る顔を覗かせた。
「ああ、いいや。なんでもないよ」
俺は咄嗟に笑顔を浮かべて取り繕うが、ぎこちなさに頬が強張る。こんな調子では駄目だとわかっているが、どうにも気持ちが追いついてくれない。
エルナトやマリーディアの暴走があったとはいえ、問題を引き起こしたきっかけは俺のようなものだ。エルナトの件はともかく、シエラを押し倒したのは間違いなく俺の不注意である。
旅館の空気を悪くしてしまったのは俺だ。疫病神以外の何者でもない。
俺がいたから中條が来た。
従業員たちが堅苦しい空気に縛られるようになった。
俺が、いるから。
上の空な返事しか返せないに俺に、シエラまでが神妙な面持ちを浮かべる。
「あの、ハルさん」
「どうした、シエラ」
「実は……失礼かとは思ったのですが、お二人の会話を盗み聞きさせていただきました」
「え?」
「ちょっとした介入魔法です。本来は言葉を発した人が翻訳魔法を通して通訳するものですが、お二人の会話を独自に解読し、正確ではありませんが自分で理解できる範囲に無理やり翻訳させるものです」
「そんなこともできるのか」
「申し訳ありません。でも、ただ事ではないような様子でしたので」
シエラが頭を下げる。
「ということは、さっきの話の内容がだいたい知られてるってことか」
俺が落ち込んでいる理由もある程度は察してしまっているわけだ。
「今回の件、私たちにも大いに責任があります。もしよろしければお話をお聞かせください。なにかお助けできるかもしれません」
「そうだよ。ボクたちとハルの仲じゃん」
エルナトも、事情はわかっていない様子だったが心配そうに側に寄り添ってくれている。
旅館側の事情に客である二人を巻き込んでいいものかと思い悩んだが、俺に一人で抱えきるほどの強さはなかった。
彼女たちの優しさに甘え、俺は中條のこと、そして彼がどうしてここにやって来たのかなどを掻い摘んで説明した。
こんなことを一介の客に話すべきではないのはわかっている。
だが、シエラならば俺のどんな愚痴や弱音でも温かく受け止めてくれるだろうし、エルナトなら軽快な言葉で俺の沈んだ気分も蹴り飛ばしてくれるだろうと思ったからだった。
「――それでさ。俺、なんでここで働いてるんだろうって思ったんだ。ここで働いている理由ってやつ」
「理由ですか?」
「……そう、理由」
中條の言っていることは至極もっともで、反論の余地が無さそうに思える。
――お金が欲しい?
ならば別のバイト先を探せばいい。
この町は田舎だけれど、スーパーやコンビニくらいはある。
悪くない時給の深夜バイトの募集張り紙だって見たことはある。
――両親のコネでラクだから?
仕事の内容は決してラクでは無いし、何も考えずに一日五時間だけレジ打ちや品出しをしていたほうがずっとラクに違いない。馬鹿みたいに一日中働かされて、経営者の息子だからとこき使われて、そんな苦労を買う意味なんてないはずだ。
それなのに俺は、中條の言葉を受けて戸惑っている。
彼の言葉を認めたくないと必死に抗おうとしている。
別にいいじゃないか。
ここにいたっていいじゃないか、と。
俺は、ここに固執しようとしている。
でも俺にはここにいる理由がない。
ここで働き続ける理由がないのだ。
「曖昧な理由でしかここに居ない俺がこれ以上ここにいたら、もっとみんなの迷惑になるのかもしれない」
背負うものがなさ過ぎて、あまりにも軽すぎて、勢いだけが空回って転んでしまうような。
結局、俺のネガティブな呟きはシエラたちを余計に困惑させるだけだった。
やがて休憩時間が終わり、俺は仕事に戻ることにした。
シエラたちは最後まで俺を気遣ってくれていたが、ありがとう、と上辺だけのような言葉を送ることしかできなかった。
先ほどの話によって浮かんだ言葉がいつまでも俺の頭から離れないでいた。
考えれば考えるほど、その言葉がずっと脳内を堂々巡りしている。
中條が場を去った後も、まるで足元に彼の気配がこびりついているようだった。
「どうしたの、ハル」
エルナトが、気が滅入っている俺を見かねて恐る恐る顔を覗かせた。
「ああ、いいや。なんでもないよ」
俺は咄嗟に笑顔を浮かべて取り繕うが、ぎこちなさに頬が強張る。こんな調子では駄目だとわかっているが、どうにも気持ちが追いついてくれない。
エルナトやマリーディアの暴走があったとはいえ、問題を引き起こしたきっかけは俺のようなものだ。エルナトの件はともかく、シエラを押し倒したのは間違いなく俺の不注意である。
旅館の空気を悪くしてしまったのは俺だ。疫病神以外の何者でもない。
俺がいたから中條が来た。
従業員たちが堅苦しい空気に縛られるようになった。
俺が、いるから。
上の空な返事しか返せないに俺に、シエラまでが神妙な面持ちを浮かべる。
「あの、ハルさん」
「どうした、シエラ」
「実は……失礼かとは思ったのですが、お二人の会話を盗み聞きさせていただきました」
「え?」
「ちょっとした介入魔法です。本来は言葉を発した人が翻訳魔法を通して通訳するものですが、お二人の会話を独自に解読し、正確ではありませんが自分で理解できる範囲に無理やり翻訳させるものです」
「そんなこともできるのか」
「申し訳ありません。でも、ただ事ではないような様子でしたので」
シエラが頭を下げる。
「ということは、さっきの話の内容がだいたい知られてるってことか」
俺が落ち込んでいる理由もある程度は察してしまっているわけだ。
「今回の件、私たちにも大いに責任があります。もしよろしければお話をお聞かせください。なにかお助けできるかもしれません」
「そうだよ。ボクたちとハルの仲じゃん」
エルナトも、事情はわかっていない様子だったが心配そうに側に寄り添ってくれている。
旅館側の事情に客である二人を巻き込んでいいものかと思い悩んだが、俺に一人で抱えきるほどの強さはなかった。
彼女たちの優しさに甘え、俺は中條のこと、そして彼がどうしてここにやって来たのかなどを掻い摘んで説明した。
こんなことを一介の客に話すべきではないのはわかっている。
だが、シエラならば俺のどんな愚痴や弱音でも温かく受け止めてくれるだろうし、エルナトなら軽快な言葉で俺の沈んだ気分も蹴り飛ばしてくれるだろうと思ったからだった。
「――それでさ。俺、なんでここで働いてるんだろうって思ったんだ。ここで働いている理由ってやつ」
「理由ですか?」
「……そう、理由」
中條の言っていることは至極もっともで、反論の余地が無さそうに思える。
――お金が欲しい?
ならば別のバイト先を探せばいい。
この町は田舎だけれど、スーパーやコンビニくらいはある。
悪くない時給の深夜バイトの募集張り紙だって見たことはある。
――両親のコネでラクだから?
仕事の内容は決してラクでは無いし、何も考えずに一日五時間だけレジ打ちや品出しをしていたほうがずっとラクに違いない。馬鹿みたいに一日中働かされて、経営者の息子だからとこき使われて、そんな苦労を買う意味なんてないはずだ。
それなのに俺は、中條の言葉を受けて戸惑っている。
彼の言葉を認めたくないと必死に抗おうとしている。
別にいいじゃないか。
ここにいたっていいじゃないか、と。
俺は、ここに固執しようとしている。
でも俺にはここにいる理由がない。
ここで働き続ける理由がないのだ。
「曖昧な理由でしかここに居ない俺がこれ以上ここにいたら、もっとみんなの迷惑になるのかもしれない」
背負うものがなさ過ぎて、あまりにも軽すぎて、勢いだけが空回って転んでしまうような。
結局、俺のネガティブな呟きはシエラたちを余計に困惑させるだけだった。
やがて休憩時間が終わり、俺は仕事に戻ることにした。
シエラたちは最後まで俺を気遣ってくれていたが、ありがとう、と上辺だけのような言葉を送ることしかできなかった。
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