おいでませ あやかし旅館! ~素人の俺が妖怪仲居少女の監督役?!~

矢立まほろ

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○3章 家族のかたち

 -9 『お礼』

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 それからは他愛のない会話ばかりが続いた。

 最近あった面白いこと。悲しかったこと。楽しかったこと。
 言葉を重ねるごとに二人の距離は目に見えて縮まっていった。

 まあ当然だろう。
 もともととても近しい親子なのだから。

 母親に、一日の出来事を子どもが話す。そんなどこの家庭にもある光景。
 一年分以上も話題が溜まっているのだから、そうそう簡単に尽きるはずもない。

「それで、サチが変なことを言ってきたんです。さっきやって来たお客様の顔がかまぼこみたいだったって」
「あらあら。どういうことかしら」

 柵の向こうから賑やかな談笑が聞こえてくる。
 これ以上耳を傾けるのは無粋というものだろう。

 もたれかかっていた柵から背を離し、俺は静かにその場から離れた。

 ――逃げることはただの『逃げ』じゃない。新しい道を探すための出発点だ。

 クウの母親の言った内容を、俺は何度も反芻するように頭の中で思い返した。

 一年前のクウは辛いことに耐えられず、確かに逃げ出した。けれども逃げたその先で、新しい自分を再スタートさせたのだ。

 逃げることは悪いことではない。
 大切なのは、逃げた後でどうするか。

 塞ぎこんで足を止めるのか、新しい道を歩き始めるのか。

「俺も、ただ逃げてるばかりじゃ駄目……か」

 いつまでもこのぬるま湯に浸かってばかりはいられない。

 休憩所の自販機でブラックコーヒーを買って一服ついた。
 なんとなく選んだそれは思ったよりも苦くて、美味しいとは思えない大人の味をしていた。

 露天風呂での親子の会話を思い出しながら、暗闇に浮かぶ自販機の明かりをぼうっと眺めた。

 少し時間が経ってから部屋に戻ると、扉の前に風呂上りのクウが待っていた。
 どうやら風呂場での件は終わったようだ。変化していない元の姿に戻っている。

「もうよかったのか」

 尋ねると、クウは素直に頷いた。そして目を逸らしながら口を尖らせると、

「……ありがとう」と消え入るような声で呟いた。

 礼を言ってもらうようなことを俺はしていない。
 なにしろクウも、クウの母親も、お互いにお互いを見捨てていなかった。

 切っ掛けは作ったかもしれないが、遅かれ早かれこうなっていたことだろう。

 親子の絆と言うものは粘ついた蜘蛛の糸ように頑丈なものだ。形は変われど、簡単に切れるはずがない。

「前に、ボクのことをしっかり者ですごいって言ってくれたでしょ」

 枕をぎゅっと抱いて足に挟み、顔を半分埋めて表情を隠しながらクウが言う。

「ボクはさ……なんていうか、嬉しかったんだ。女将さんはボクたちにはけっこう厳しくてあまり褒めてくれないし。もとより実家では一番の出来損ないで怒られてばかりだったから。褒められ慣れてないっていうか。だから、素直に嬉しかった。実家を出て、進むべき道もわからずにここでがむしゃらに働いて。前に進めてるって、この道であってるって思えたのは、あの時が初めてだったのかもしれない。だから、一応……そういうとこも感謝してる」

「なんだ。そんなことで喜んでたのか」
「う、うるさいな。いいでしょ」

 クウが頬を膨らませてつんとそっぽを向く。だが、すぐに視線だけを戻した。

「たぶん、ボクは認められたかったんだと思う。誰にでもいいから、逃げ出したボクを肯定してくれる言葉が欲しかったんだと思う」

 それが俺の言葉だったというわけだ。
 安い言葉だが、心の渇きに飢えていたクウにとってはそれだけでも恵みの一滴のようなものだったのかもしれない。

「なんならもっと褒めてやるぞ。ほら、すごいすごい。可愛い可愛い」

 からかって頭を撫でてやる。
 クウは顔を真っ赤にして手を振り払った。
 本当に女の子みたいで、男ということを忘れてしまいそうになる。

「こ、こら。せっかく礼を言ってやったのに。なんでそんな変な言い方なんだ」
「なんだよ。事実じゃないか」
「ば、ばか。うるさい。台無しだあ」

 興奮してクウの声が上擦る。本気で照れているらしい。
 これで女の子ではないのだからもったいない。いや、普段は体もちゃんと女の子なのだから、実質女の子なのではないだろうか。

 クウが、頭を撫でようとする俺の手を何度も払いのける。
 ようやく元々のクウらしい機敏さが戻っていて、俺はそれになんだか安心した。

 クウだって頑張っているのだ。
 俺も、前を進む努力をしなければならない。

 いつまでも、この旅館を逃げ場所にしないように。
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