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-5 『竜馬』
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ジュノスを追ってたどり着いたのは町外れの小さな牧草地だった。
隣家とはやや離れた場所にぽつんと平たい厩舎が並んでおり、ぴょっこりと突き出た赤い三角屋根のサイロが特徴的だ。そこには多くの牛が飼われており、独特な糞のような臭いに鼻が曲がりそうだった。
つらい。
興味本位で訪ねてはみたけれど、もう帰りたいくらいだ。
「ふにゅ……」
ついてきたフェスはひしゃげたように鼻を曲げ、私たちよりずっとつらそうだった。耳も尻尾もしなだれ、泣きそうな顔をしている。
「ははっ。獣人は人間より鼻が良いからのう」とジュノスが笑いながら奥へと案内してくれた。
その厩舎の一角。
立ち並ぶ中でも最も新しそうな建物の中に目的のものはいた。
普通の馬が並ぶその隣に、とかげのような顔をした馬が数頭並んでいた。
緑色の硬そうな鱗。馬のように発達した脚。だが前脚は比較的ひ弱そうで、どちらかというと後ろ脚だけで走るのが得意なのだろう。
「こいつが竜馬じゃ」
ジュノスが自分の身の丈ほどはあるその竜馬の顔を撫でる。すると竜馬は、虫類特有の瞳孔が開いた黄色い瞳をきょろきょろさせ、鼻息を荒くしながら顔を擦り付けていた。
懐いているのだろう。
安心した様子で鼻先をジュノスへ向け、臭いを嗅いでいる。
「すごい。初めて見ました!」
ロロも竜馬を見て興奮気味にはしゃいていた。まるで子供のようだ。いや、まだ子供でもある年頃だ。旅館と従業員の将来を担うにはまだ若すぎる。
――私だったらその重圧で逃げ出したくなるわね。
実際、お父様の縁談から逃げ出してる訳だけど。
「ふーん、竜馬ねえ……きゃあっ」
やや色が黒っぽい子がいて、私も間近で見てみようと思って近づくと、その竜馬に顔を振るって威嚇された。ふるる、と喉を鳴らして、明らかに私を追い払おうとしている。
「ああ、すまんの。そいつは人一倍気が荒いんじゃ。わしにもなかなか懐いてくれんでの。竜馬は雑食で肉も食べるから、食われんように気をつけるんじゃぞ」
「も、もっと早く言ってよ」
「はっはっはっ」
一大事じゃない。
笑いながら言うようなことではないだろ、と怒りたくなったのを我慢する
一歩間違えれば伸ばそうとした手を食いちぎられていたかもしれないのだ。迫力は獰猛な犬よりずっと恐い。
肝が冷えた思いでいる私の横に、ふとロロがやってくる。
「あんまり危なそうな子には見えないけど。こんなに可愛いのに……」
そう言って無警戒に黒い竜馬へと手を伸ばす。
「あ、あぶないわよ!」と私が叫んだのも意味なく、ロロの手はそっと竜馬へと差し伸べられた。
――食べられる!
思わず目を背けようとした私だが、しかしロロの手は迷わず竜馬の鼻先へとたどり着いた。
彼の小さな手が優しく竜馬を撫でる。
――あれ?
鼻息の荒かった竜馬は落ち着いたように目を細め、おとなしくロロに撫でられていた。
「うん、いい子いい子」
「な、なによ。おとなしい子じゃない。びっくりして損したわ」
「びっくりしてたの?」
「し、してないわよ」
強がってつい否定してしまったが、まだ私は及び腰だ。けれどロロが触れたのだから、きっと私だって触れるはず。さっきはちょっと過剰に驚いてしまっただけだ。
うん、きっとそう。
もう一度、私もそっと手を伸ばしてみると――。
「ぐるるっ!」
「きゃあっ!」
やっぱり噛まれそうになった。なんでよ。
「よしよし。大丈夫だよ。シェリーは気が強いけど優しい良い人だから」
「褒めてるのかしら、ロロ」
「も、もちろんだよ」
ぎろりと私がロロを睨むと、うろたえるロロの代わりに何故か竜馬に睨まれた。
いや、おかしいでしょ。
悔し顔で私は後ずさり、フェスの側へと逃げ寄った。「フェスは好きですよ」とフェスが優しく頭を撫でてくれたのが唯一の癒しだった。
「ほっほっほっ」とジュノスが笑う。
「これは珍しいもんじゃ。そいつがわし意外の人間に懐くとはな」
「そうなんですか?」
「竜馬の中でも一番の荒くれ者じゃ。名前をクルシュという。先日もここの飼育員が腕を食いちぎられそうになったところじゃよ」
しゃれにならない被害じゃない。
呆れる私を余所に、ロロは気さくにクルシュを撫で続ける。クルシュのほうもとても気持ちよさそうだ。彼らの間にはもう何年も一緒にいるかのような親しみを感じさせる。
「これもあの子の力なのかしら」
「ふぇ?」
私の独白に、訳も分からないといった顔でフェスが小首を傾げた。
旅館の若旦那、ロロ。
私が初めて会った時もそうだし、ジュノスと知り合った今日もそうだ。そしてクルシュという竜馬も。
いつも彼は、すぐに誰かと親しくなっている。
初対面であるはずなのに、気さくに話しかけることができるし、いつの間にか距離を感じさせないほど近しく感じさせられる。
見るからに物腰の柔らかい人柄と、生まれ持っての聞き上手という性格のせいか。
「これは一つの才能ね」
ふむふむ、と私は噛みしめるようにロロを見ていた。
そんな折りのことだ。
「先生ー! 大変ですっ!!」
急にどこからか、そんな大声が飛び込んできた。
隣家とはやや離れた場所にぽつんと平たい厩舎が並んでおり、ぴょっこりと突き出た赤い三角屋根のサイロが特徴的だ。そこには多くの牛が飼われており、独特な糞のような臭いに鼻が曲がりそうだった。
つらい。
興味本位で訪ねてはみたけれど、もう帰りたいくらいだ。
「ふにゅ……」
ついてきたフェスはひしゃげたように鼻を曲げ、私たちよりずっとつらそうだった。耳も尻尾もしなだれ、泣きそうな顔をしている。
「ははっ。獣人は人間より鼻が良いからのう」とジュノスが笑いながら奥へと案内してくれた。
その厩舎の一角。
立ち並ぶ中でも最も新しそうな建物の中に目的のものはいた。
普通の馬が並ぶその隣に、とかげのような顔をした馬が数頭並んでいた。
緑色の硬そうな鱗。馬のように発達した脚。だが前脚は比較的ひ弱そうで、どちらかというと後ろ脚だけで走るのが得意なのだろう。
「こいつが竜馬じゃ」
ジュノスが自分の身の丈ほどはあるその竜馬の顔を撫でる。すると竜馬は、虫類特有の瞳孔が開いた黄色い瞳をきょろきょろさせ、鼻息を荒くしながら顔を擦り付けていた。
懐いているのだろう。
安心した様子で鼻先をジュノスへ向け、臭いを嗅いでいる。
「すごい。初めて見ました!」
ロロも竜馬を見て興奮気味にはしゃいていた。まるで子供のようだ。いや、まだ子供でもある年頃だ。旅館と従業員の将来を担うにはまだ若すぎる。
――私だったらその重圧で逃げ出したくなるわね。
実際、お父様の縁談から逃げ出してる訳だけど。
「ふーん、竜馬ねえ……きゃあっ」
やや色が黒っぽい子がいて、私も間近で見てみようと思って近づくと、その竜馬に顔を振るって威嚇された。ふるる、と喉を鳴らして、明らかに私を追い払おうとしている。
「ああ、すまんの。そいつは人一倍気が荒いんじゃ。わしにもなかなか懐いてくれんでの。竜馬は雑食で肉も食べるから、食われんように気をつけるんじゃぞ」
「も、もっと早く言ってよ」
「はっはっはっ」
一大事じゃない。
笑いながら言うようなことではないだろ、と怒りたくなったのを我慢する
一歩間違えれば伸ばそうとした手を食いちぎられていたかもしれないのだ。迫力は獰猛な犬よりずっと恐い。
肝が冷えた思いでいる私の横に、ふとロロがやってくる。
「あんまり危なそうな子には見えないけど。こんなに可愛いのに……」
そう言って無警戒に黒い竜馬へと手を伸ばす。
「あ、あぶないわよ!」と私が叫んだのも意味なく、ロロの手はそっと竜馬へと差し伸べられた。
――食べられる!
思わず目を背けようとした私だが、しかしロロの手は迷わず竜馬の鼻先へとたどり着いた。
彼の小さな手が優しく竜馬を撫でる。
――あれ?
鼻息の荒かった竜馬は落ち着いたように目を細め、おとなしくロロに撫でられていた。
「うん、いい子いい子」
「な、なによ。おとなしい子じゃない。びっくりして損したわ」
「びっくりしてたの?」
「し、してないわよ」
強がってつい否定してしまったが、まだ私は及び腰だ。けれどロロが触れたのだから、きっと私だって触れるはず。さっきはちょっと過剰に驚いてしまっただけだ。
うん、きっとそう。
もう一度、私もそっと手を伸ばしてみると――。
「ぐるるっ!」
「きゃあっ!」
やっぱり噛まれそうになった。なんでよ。
「よしよし。大丈夫だよ。シェリーは気が強いけど優しい良い人だから」
「褒めてるのかしら、ロロ」
「も、もちろんだよ」
ぎろりと私がロロを睨むと、うろたえるロロの代わりに何故か竜馬に睨まれた。
いや、おかしいでしょ。
悔し顔で私は後ずさり、フェスの側へと逃げ寄った。「フェスは好きですよ」とフェスが優しく頭を撫でてくれたのが唯一の癒しだった。
「ほっほっほっ」とジュノスが笑う。
「これは珍しいもんじゃ。そいつがわし意外の人間に懐くとはな」
「そうなんですか?」
「竜馬の中でも一番の荒くれ者じゃ。名前をクルシュという。先日もここの飼育員が腕を食いちぎられそうになったところじゃよ」
しゃれにならない被害じゃない。
呆れる私を余所に、ロロは気さくにクルシュを撫で続ける。クルシュのほうもとても気持ちよさそうだ。彼らの間にはもう何年も一緒にいるかのような親しみを感じさせる。
「これもあの子の力なのかしら」
「ふぇ?」
私の独白に、訳も分からないといった顔でフェスが小首を傾げた。
旅館の若旦那、ロロ。
私が初めて会った時もそうだし、ジュノスと知り合った今日もそうだ。そしてクルシュという竜馬も。
いつも彼は、すぐに誰かと親しくなっている。
初対面であるはずなのに、気さくに話しかけることができるし、いつの間にか距離を感じさせないほど近しく感じさせられる。
見るからに物腰の柔らかい人柄と、生まれ持っての聞き上手という性格のせいか。
「これは一つの才能ね」
ふむふむ、と私は噛みしめるようにロロを見ていた。
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