イシャータの受難

ペイザンヌ

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第3部 佐藤の試練

第33話 JUDAH【最後の晩餐】

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「そうだフライ。佐藤のやつを見かけなかったか?」

 フライの心臓が跳ね上がった。

(きた──)

 フライは平静を装い、おおげさにならないようにサラリと演じる。

「佐藤? おまえと一緒に帰ったんじゃなかったのか?」
「いや。おかしいな、俺はてっきり……」

 言葉尻が下がったことをいいことにフライはヴァンの耳に口を近づけた。

「それよりヴァン、ザンパノからの伝言を持ち帰ってきている」

『向こうで話そう』と首で合図を送りフライは歩き出した。

(──これから先、俺はいつまでこんな嘘をつき続けなければならないのだろう……?)

 そんなことを考えながら。



 ざらついた舌で水をすくい上げる。エサ場で喉を潤したフライが一息ついた。

「ふーーっ。もうが沈んだってのに暑いな、今日は。ヴァン、覚えてるか? クローズをめぐっておまえと闘った日もこんな暑い日だったっけ……なあ」

 ヴァンはきょとんとフライを見つめている。

「な、なんだよ」
「いや、おまえがそんな風に一方的に喋るなんて珍しいなって思っただけさ」

 フライは一瞬ドキリとしたがヴァンの悪意のない苦笑を見て胸を撫で下ろした。

「き、急に緊張がほぐれたからかな……」と、言い訳のようなことをまたペラペラ喋り出しそうになったのでフライは意識して口を閉ざすことにした。

(──いかんいかん、いつもと違う言動は疑心のもとだ)

 フライはそうガードを固めると本題に入った。

「ザンパノはボスの座をかけた勝負を受けるそうだ。日時は明日の夜、十時。場所はオレたちが今日、昼飯を食ったところだ」
氷川神社ひかわじんじゃか?」
「そうだ」
「ふむ」
「どうした?」
「妙だな」
「な、何がだ?」

 フライの目が泳いだ。

「だって氷川神社はN区だろ? どうして自分のテリトリーのS区を選ばない? 通常ボス猫ってやつらは『アウェイ戦』を嫌う。いらんプレッシャーやストレスを感じるから勝率が下がるんだ」

(──さすがに鋭いな)

 フライは腹の中で舌打ちした。

「よほどの自信があるのか、それとも……何か企んでいるのか……?」

 実のところザンパノにこの提案をしたのはフライだった。この策をより磐石ばんじゃくにするためにはS区よりN区の方が理想的なのだ。

 だが、疑念を持たせはしたもののヴァンはこの策略の核心にはまったく到達しきってはいない。それで十分だった。

 ▼▲▼▲▼▲

 夜になると皆はうたげを始めた。それは、この『猫屋敷』で夜を明かすのはひょっとしたら今日明日が最後になるかもしれない──そういう感傷もあってのことだったが、フライにしてみればとてもそんな気分にはなれなかった。

 ヴァンといえばつい先ほどまで食っては笑い、歌っていたがいつの間にかその姿はなかった。

 フライはのそりと起き上がり、ヴァンを探し始めた。

(ヴァンを見つけてどうしようというんだ、俺は?)

 やはり──

『やはり俺には無理なのではないか? あいつを裏切るなんて、そんな大それたこと……』

 その時、誰かが叫んだ。
「おーい、佐藤じゃないか! どこ行ってたんだ?」

 フライは全身の毛が逆立った。

(──まさか……!)

 だが、振り返ってみるとどうやらそいつは他の子猫と佐藤を勘違いしただけらしい。

 ドキドキしていた。

(今ならまだ遅くない。今だったら……全て本当のことを話して佐藤を救出できる……! その結果、皆に白い目で見られようが、どれだけ罵られようが──)

 そんなことを考えながら歩いている時、フライはヴァンの姿を見つけ、その勢いで「ヴァン……!」と、歩みだそうとした。──が、フライの目に映ったのはヴァンと楽しげに話をしている妻のクローズの姿だった。

 ▼▲▼▲▼▲

 少しばかりほろ酔いとなってしまったがヴァンは群れから離れ一匹佇んでいた。満月に一番近い月。その圧倒的な力を得たいがために夜空を見上げていたのだ。

──とにかく……皆を救うためだとか誰かを守るためだとか、そんなな看板を抱えるのはもうやめだ。ただただ本能に従う。従って、闘って、そして勝つ。御託ごたくなどいらない。ただ勝てばそれでいい。だから……勝つ。俺は勝つ……!

 そう、結果など所詮は行動の後ろにぶらさがってついてくるでしかないのだ。そうでも思わなければ逆に重みを増す。重みを増せば守りに入る。守りに入れば自由がきかない。自由がきかなければさらにがんじがらめになる。ヴァンはそう腹をくくった。

「縄張りだのプライドだの……オスってのは本当に面倒くさい生き物ね」

 クローズがそばにやってきたのはそんな時だった。

「その面倒くさいオスをポンポン産むのはおまえらメスだろ」
「怖いんでしょ?」
「そりゃ怖いさ。できることなら代わってほしいくらいだ」

 クローズは屈託のない顔で笑った。

「本当だぞ。おまえが闘った方がまだ勝つ見込みがあるかもしれん」
の喧嘩に母親が出ていっちゃ反則でしょうに」
「まあ、そりゃそうか」

 ヴァンも笑った。あっはっはと笑った。

 ▼▲▼▲▼▲

 クローズのあんな笑顔を見たのはいつ以来だろう。フライは思い出そうとしていた。 

(オレと一緒にいる時にはもう決して見せてくれない顔だな。なのに、ヴァンの前では、あんなに……)

 フライはヴァンと闘ったあの日のクローズを思い出す。

(大丈夫、フライ?──)

 結局あれはヴァンに負けた俺を哀れに思っただけだったのか。単なる同情だったのか。本当は……クローズはこんな俺なんかより、やっぱりヴァンのことが──

 オセロ。その最後の一枚が盤上に置かれた気分だった。

(ヴァン──)

 フライは自分の中に残されていた『白』の陣地がパタリパタリとどんどん『黒』にひっくり返されていくのを感じずにはいられなかった。

(──わかったよ。みてろ……ヴァン。必ず貴様に吠え面をかかせてやる……! 必ずな!)


 闇の力はこの時、フライを完全に支配したことを確信した。
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