王女殿下の死神

三笠 陣

文字の大きさ
上 下
50 / 69
過去編 王女殿下の初陣

22 森の中で

しおりを挟む
 アルデュイナの森は、晩春だったことが幸いしてか、それほど暗くはなかった。
 薄緑の葉が太陽光を透過したり反射したりして、それなりに明るかったのだ。それでも、木の密度が高い場所であることには変わりがなかったが。
 とはいえ、それなりに見通しが付くことは一長一短だった。こちらも進みやすいが、敵側もこちらを発見しやすい。

「私たちは、今どのあたりにいるのだ?」

「アルデュイナの森の西端付近で襲撃されて、そのまま空戦を続けていたから、正確な位置は判らないけど、恐らく森の西端から十キロから十五キロは東に入っているはずだよ」

 こちらを襲ってきた敵竜兵は、墜落地点周囲を旋回しながら確認して西に去っていった。彼らが魔導通信を使えたかどうかは判らないが、いずれにせよ、墜落地点は特定されてしまっていると考えて間違いない。
 そして、墜落地点に翼竜の死体以外が残っていなければ、王女とのその護衛は生きていると考えるのが普通だろう。
 ロンダリア側は護衛の竜兵も含めて使節団名簿を北ブルグンディア側に提出しているというから、王女の護衛が勅任魔導官であることは知っているはずだ。そうなれば、追撃には魔導師が投入されるだろう。
 そして、戦地となったレーヌス河流域には、北王国の宮廷魔導団が派遣されているという。
 つまり、敵の高位魔導師と戦闘になることは、覚悟しておいた方がいい。
 リュシアンはそっと腰の後ろに交差させるように差している二振りの小剣ショートソードの柄を撫でた。

「国境線までは、どのくらいだと思う?」

「直線距離で大雑把に見積もって、一〇〇キロから一五〇キロ。しかも森の中を逃走しながら突っ切ろうとするわけだから、実際の距離はもっと長くなる」

「そうか」

 長い距離とはいえ、具体的な数字が示されたことでエルフリードの声には安堵と納得の色が滲んでいた。ただ闇雲に逃げ回っているわけではないのだ。
 まもなく十五になろうとするリュシアンもエルフリードも、肉体的には成長途中であるが、それなりに訓練は積んでいる。エルフリードも少女とはいえ、士官学校でしごかれてきた身である。
 ある程度の装備を背負って、一日二〇キロ程度は歩くことは出来る(なお、大人の兵士であれば一日最低三〇キロは歩けるだろう)。
 現在、エルフリードはリュシアンから渡された小銃を肩に掛けて歩いていた。腰には鋭剣サーベルを差し、銃嚢ホルスターにはリボルバー式拳銃。

「なあ、ところでこの銃は何なのだ?」

 エルフリードは、リュシアンから渡されたままになっている銃について尋ねた。

「ああ、それはヴァルトハイム帝国製のエッカートG38っていう銃」

「エッカート社の作った三八年式Gewehrガヴェール(「小銃」の意)ということか。ん、ということは今年開発された最新型ということではないか!?」

 思わずエルフリードは己の肩に掛けている銃を見てしまった。
 今年は大陸歴五三八年なのだ。三八年式とは、つまりはそういうことになる。

「エルが軍務に就いている間、伯父さんの伝手を頼って一丁、手に入れた。使えそうだったから」

 何に、とはエルフリードは訊かなかった。
 彼が使えると言うことは、つまりはリュシアン・エスタークスの勅任魔導官としての任務、法や倫理を犯してまで真理の探究を行おうとする非道な魔術師たちの抹殺に使うことを意味する。

「万が一のために、君にも使い方は説明しておく。貸して」

「うむ」エルフリードは肩から外したエッカート銃をリュシアンに渡す。「これは、後装式銃なのか?」

 渡しながら、エルフリードはリュシアンに確認した。

「ああ、やっぱり知っていたか」

「軍でも研究が進められていると聞くが、実用化されたという話は聞かん」

 リュシアンは、歩きながら説明した。
 メイフィールド銃などの前装式銃は銃口から紙薬莢に包まれた銃弾を装填するが、エッカート銃は銃身の最後部に銃弾を装填するための薬室があった。

「これは槓杆コッキングレバーって言うんだけど……」

 銃身の脇についている把手を引くと、遊底が開き、薬室が現れる。

「ここに……ああ、弾薬盒を開けてごらん」

「うむ」

 そう言って、エルフリードは己の革帯に取り付けてある弾薬盒を開けた。

「……これは、薬莢が金属で出来ているのか?」

 取り出した弾丸を見て、エルフリードは薬莢が紙ではないことに気付いた。

「ああ、そっちを開発したのはうち。二、三年前に陸軍のとある少佐が発案したらしい」

「ふむ」

「で、これを装填して薬室を閉鎖。あとは狙いを定めて引き金を絞ればいい。金属薬莢だから紙薬莢と違って燃焼しない。だから射撃後は同じく槓杆を引いて空薬莢を排出、これの繰り返し。特に難しいことはない」

「装填方法が簡単なのは判ったが、閉鎖機構はどうなのだ? 後装式銃は、燃焼ガスが漏れ出して射手の顔にかかるから実用化されていないんだが?」

「エッカート銃は蝶番式閉鎖機構を採用して燃焼ガスが漏れ出るのをほぼ防いでいる」

狙的鏡スコープはどう使えばいい?」

「ああ……」リュシアンは何かに気付いた顔になり、銃から狙的鏡を外した。「これは目盛の仕組みが理解出来ていないと使えないから、外しておく」

 そう言って、彼はエッカート銃をエルフリードに返した。再び少女は銃を左肩にかける。
 後は、黙々と歩くだけだった。





 リュシアンが懐中時計を確認すれば、午後二時を回っていた。墜落から、およそ四時間以上は経っている。
 道なき道を進んでいるのだから、進めた距離は十キロもいけばいいところだろう。
足跡が連続しないように、時々張り出した木の根なども踏みながらの移動だったので、整地された道を歩くようにはいかないはずだ。
 先に息が切れてきたのは、エルフリードの方だった。女性であるというよりも、恐らく朝食をしっかりと摂っていなかったことが原因だろう。
 リュシアンの方も、徐々に足がきつくなってきている。恐らく、軍の行軍でも三時間に一回は休止を挟むだろう。
 一旦、二人は休憩を取ることにした。
 喉の渇きを覚えたのか、エルフリードは水筒の水を飲んでいた。
 水は互いの持つ水筒に入っているだけだ。軽銀アルミニウム製の軍用水筒で、容量は一キロリットル。どこかで水を補給出来なければ、早晩、脱水症状に陥ってしまうだろう。
 いや、水系統の魔法で空気中の水分などを集めることは出来るが、逆探知を避けるためにそれは最後の手段としておきたい。

「出来れば、今日中にムーズ川は越えたい」

「ああ、そうだな」

 上がった息の中で、エルフリードが同意する。彼女は今、木の幹に背を預けて休んでいた。流石にへたり込むようなことにはなっていないが、それなりに体力を消耗しているようだった。
 ムーズ川は北ブルグンディア南部の山から湧き出て、アルデュイナの森西部を通り、北海に注ぐ川であった。
 リュシアンは再び方位磁針を確認した。それほどおかしな方角には進んでいないはずだ。
 正直なところ、軍の捜索隊が森に入ってくるのであれば、魔術師であるリュシアンにとって対処はたやすい。認識阻害の術式や光学系術式を使って自分たちの身を隠したり、逆に相手を森の中で遭難させることが出来るだろう。
 だが、相手が高位魔術師となると、流石に通用しない。
 魔導封鎖をして魔力による逆探知を防いでいるとはいえ、どこまで時間を稼げるか……。
 休息を開始して十分が経とうとする頃だった。

「……?」

 その時ふと、地面の落ち葉を踏みしめるような音が聞こえたような気がした。それも複数。
 森の中に棲む獣か、追っ手か。
 楽観的に考える気には、リュシアンはなれなかった。

「エル」

 小声で、リュシアンは呼びかけた。

「君も、コンパスは持っているよね?」

 将校である彼女は、そうした装備を持っているはずなのだ。
 エルフリードは何事かを感じたのか、黙って頷いた。

「ちょっと、じっとしていて」

 そう言ってエルフリードに近づいたリュシアンは、己の右手親指の皮膚を歯で噛みちぎった。一瞬、エルフリードがぎょっとした顔をする。
 リュシアンは血の流れ出した己の指をエルフリードの額に押し付け、紋様を描いていく。

「認識阻害の魔法。一切声を上げなければ、それなりの強度はある。そのまま、東に体力が続く限り向かって」

「お前は、どうするのだ?」

「何かが近付いている気がする。確認して、問題なければエルを追いかける。排除した方がいい追っ手なら、排除してから向かう」

「この森の中で、再び合流できるのか?」

 気丈に振る舞いつつも、エルフリードの声は不安に揺れていた。敵地の森の中に一人取り残されるのは、確かに恐怖を覚えるほどの不安だろう。

「大丈夫。エルは、俺が守護の術式を刻んだお守りを持っている。だから、ある程度の距離になれば君がどこにいるのかは判る」

「私は、力になれんのか?」

 どこか懇願するような声だった。

「相手が魔術師だったら、エルは魔術を使えないでしょ?」

「……」

「だから、行って。早く」

「……判った。後で、必ず合流してくれ」

 逡巡がありつつも、どうにか納得してくれたようだ。
 リュシアンはエルフリードの背を見送りつつ、耳を澄ました。
 背後から聞こえるのは、エルフリードの足音。
 そして、森の西側から聞こえる複数の足音。
 人数からして、軍の捜索隊だろうか? 流石に足跡を完全に消し切ることは出来ないので、それを辿ってきたか?
 リュシアンは素早く近くの木の上に昇った。そして、腰の後ろに交差して差している二振りの小剣を抜く。
 足音は、どんどん近付いてくる。

「……ああ、そういうこと」

 リュシアンは、悪い方の予測が当たったことに舌打ちをしたい気分だった。

自動人形オートマタ

 ぼそりと、リュシアンは呟く。
 森の中を進行しているのは、素描デッサン用人形のような形状をした無数の自動人形たち。さっと確認すれば、見渡せる範囲でも十三体はいる。
 軍隊の通過が困難といわれるアルデュイナの森でなければ、もっと数を揃えられていたかもしれない。
 これらを、エルフリードのいる方へ進めさせるわけにはいかない。
 リュシアンは脳裏に刻んだ情報から、一人の魔術師の名を弾き出した。

「“人形師”エルネスト・フランソワ・ド・アルベール」

 それは、北ブルグンディア王国宮廷魔導団に所属する“号持ちネームド”魔導師の名であった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
  あとがき

 アルミニウムの大量生産が可能となったのは、実際には十九世紀末のことです。つまり、純粋に時代考証の点から考えると、十九世紀中頃のヨーロッパをモデルとした作中世界で、アルミニウム製の水筒が存在することはおかしなことになります。
 しかし作中は魔術の存在する世界で、錬金術や電気系統の魔術なども存在しますので、現実世界よりも早期にアルミニウムの利用が可能になったとの設定から、このような形となりました。
 なお、後装式銃と金属製薬莢は史実でも十九世紀中頃にはすでに発明されておりましたので、こちらは問題ないと思います。
しおりを挟む

処理中です...