51 / 69
過去編 王女殿下の初陣
23 号持ち魔術師
しおりを挟む
魔術師にとっての“号”とは、その魔術師の特性を表す二つ名である。
一般的に“号”は高位魔導師に対して付けられることが多い。“号”は当然ながら自ら付けるものではなく、周囲の者たちが呼んでいく中で“号”として定着していくのである。
基本的には、その魔術師に対する畏怖の念が“号”には含まれている。
その意味で、北ブルグンディア宮廷魔導師エルネスト・フランソワ・ド・アルベール伯爵に付けられた“人形師”という二つ名は、彼の魔術師としての特徴を正確に表しているといえるだろう。
彼の作り出した自動人形は、術者である魔術師が常に操らなければ緻密な行動が出来ないような凡百のものではない。
術者による操作など必要なく、命令を与えれば後は自動で動く自律型の自動人形。
しかも、一体を動かすだけでも相当の魔力を消費するというのに、アルベール伯爵は二桁を越える自動人形を自在に展開出来るという。
人形に刻まれた術式の高度さと、術者自身の身に宿す魔力量によって、彼は“人形師”の二つ名を奉られているのである。
鍛冶の神が青銅製自動人形を作り上げたという伝説もあり、魔術師にとって完全自律型の自動人形の作成は、ある意味で神へ近付く行為でもあった。
それをアルベール魔導師の傲慢と捉えるか、飽くなき探究心と捉えるか、それは人それぞれだろう。
ただ少なくとも、リュシアンはそうした感慨を抱く立場にはなかった。
「……」
自動人形たちを観察すれば、中世の兵士のように槍や剣、弓で武装していた。
一瞬、リュシアンの唇が嘲りを意味するように片方だけ吊り上がった。
どうやら、銃で武装させてはいないらしい。
どういうこだわりなのかは知らないが、銃を科学的で無粋とする魔術師は一定程度存在する。恐らく、アルベール伯爵もそうした魔術師の一人なのだろう。
とはいえ、銃ではないにせよ、飛び道具を持っている自動人形がいることには変わりない。
「……」
リュシアンは双剣を一旦鞘に戻し、指貫手袋の魔法陣から〈フェイルノート〉を召喚する。
彼から発せられた魔力に反応したのか、森を進行する自動人形が立ち止まり、彼らの頭部が一斉にリュシアンのいる木の上へと向けられた。
その頭部には、単眼の怪物を思わせる水晶がはめられていた。恐らく、術者に対して自動人形の見ている映像を届けているのだろう。
リュシアンはかっと目を見開くと、〈フェイルノート〉を構え、視界内の自動人形すべてに照準を合わせる。
魔力を矢の形に凝縮し、発射。
同時に、弓を持った敵自動人形が矢を放ってくる。
鏃が空気を切り裂く音。
さっとリュシアンは枝を蹴って飛び降りた。
森の中に響く複数の爆発音。爆裂術式込みの誘導弾は、一撃で八体の自動人形を破壊していた。
いかに外れることなき矢を放つ弓である〈フェイルノート〉であっても、術者の視界外の対象に照準を合わせることは出来ない。
リュシアンは再び己の魔力を矢として〈フェイルノート〉に番え、視界に映る七体の自動人形に向けて矢を放つ。
弓だけでなく、槍を投擲してくる自動人形もいた。
リュシアンは木の陰から木の陰へと、素早く動き回る。それを追うように、ザク、ザクと木の幹や地面に槍や鏃が突き突き刺さっていく。
「どれだけこの森に投入しているんだ」
自動人形は爆砕しても爆砕しても次々と現れてくる。
二十体ほど破壊したところで、敵自動人形の防御力があからさまに変化した。〈フェイルノート〉の矢を受け付けなくなったのだ。恐らく、自動人形への供給魔力を強化して、防御力を増大させたのだろう。
ならばこちらも〈フェイルノート〉に込める魔力を強化すればいいが、それだとこちらの攻撃力と向こうの防御力の上昇合戦になる。
完全なる泥仕合、消耗戦に突入する。
まだ逃走経路の半分も来ていない状況で、体力・魔力共に消耗するのは拙い。
「やるしか、ないか」
低く、リュシアンは呟いた。
瞼を閉じ、そしてゆっくりと開ける。
視界が、切り替わった。
色を認識出来なかったモノクロの世界の中に、鮮やかな色彩が浮かび上がる。
赤に、青に、黄に、緑に、紫に―――。
精巧な織物のように、幾重にも色が重なり合い、絡み合い、混ざり合う不思議な線が森中に延びている。
魔力を“視る”ことの出来る、リュシアンの魔眼。
彼の世界から色が失われた代償として得た力。
虹色に輝く魔術師の瞳は、鮮やかな魔力の糸が伸びる先へと向けられていた。
〈フェイルノート〉を魔法陣の中に戻し、両手を腰の後ろに回す。さっと二振りの小剣(ショートソード)を抜き払った。
「真名解放、〈モラルタ〉、〈ベガルタ〉」
ただの小剣に見えた二振りの剣の刀身が、それぞれ黄と赤に染め上げられる。
リュシアンは獲物に飛びかかる寸前の獣のように姿勢を低くした。
刹那、一気に地面を蹴る。
足に身体強化の魔術をかけ、木々の間を駆け抜けた。
行く手を阻もうとする自動人形を斬り払い、術者と自動人形を繋ぐ魔力の“線”を薙ぎ払い、リュシアンは相手の自動人形を行動不能にしていく。
様々な色を取り込んで輝く瞳が、一際大きく魔力を放出する対象を捉えた。
無数の魔力の糸が方々に伸びる、人の影。
鮮やかな金髪の、貴族然とした服装のまま森の中を泰然と歩く男性。
その男が、音楽の指揮者のような優雅さでさっと手を振る。すると、即座に自動人形たちが男の前に立ちはだかった。
まるで古代の重装歩兵のような楯や剣を持ち、密集隊形のように壁を形成する自動人形。
ザザッと地面を削るようにしてリュシアンは停止した。
「“人形師”エルネスト・フランソワ・ド・アルベールか」
リュシアンは、魔術師にとっての共通言語ともいえる上古高位語で問いかけた。
「いかにも」
密集隊形を形成していた自動人形がまるで閲兵式に臨む兵士のように割れ、その間から彼らにとっての王、アルベールが一歩、前に出た。
彼もまた、リュシアンに応じて上古高位語を用いていた。
正直なところ、上古高位語は文法が複雑で、魔術師の中にも習得を諦めてしまう者すらいる。だが、古の魔導書を原語で読むためには、必須の知識でもあった。
逆にいえば、上古高位語を自在に操れる魔術師は、それだけで多くの修練を重ねてきた者であると判断出来た。
リュシアンがあえて上古高位語を用いたのは、それ自体が一種の威嚇行為になるからであった。
「一応警告しておくと、我が国と貴国との間では停戦が発効している。あんたの行動はそれに違反していると思うんだけど?」
「停戦は現地軍同士の合意でなされたものであり、我ら宮廷魔導団には関係ない」
ああ、とリュシアンは思った。そういう理屈で来るか。
使節団襲撃が北ブルグンディア政府・軍部内のどの段階で決定されたのかは定かではないが、今まで戦場にまったく姿を現さなかった宮廷魔導団がこの段階になって投入されたということは、北王国の宮廷・政府の意向が反映されていると見ていいだろう。
となれば、彼らは執拗にエルフリードを追ってくるに違いない。
本来であれば停戦合意違反の行為を掣肘すべき者たちが、逆に違反行為に手を染めているのだから。あるいは、それだけの覚悟を以てエルフリードの身柄を狙いにきているということか。
「まあ、そういう理屈で来るなら、こっちも遠慮する必要はないよね」
エルフリードに害を及ぼそうとするならば、リュシアンに躊躇はない。
「身の程を知れ、小僧」
一方、まるで自分と少年が対等であるかのような言い方に、アルベールの顔が不快げに歪む。
「魔術師でありながらその神聖さを理解出来ぬ愚か者が。これだから最近の若い魔術師どもは」
「……」
高位の魔術師から放たれる殺気に、リュシアンは眉一つ動かさなかった。
あまり長くエルフリードの傍から離れる気はない。敵魔術師がアルベールだけとは限らないのだ。
多少、自分の魔術師としての手の内が知られても構わない。
ぐっと足に力を込めた。地を蹴る。いや、蹴ろうとした。
「っ……!?」
咄嗟に、リュシアンは後方に跳んだ。
刹那、彼の目の前を薄赤色の光線が駆け抜けた。地面を抉り、自動人形を粉砕し、木々を薙ぎ払っていく。
光線のもたらす熱波が、リュシアンの顔面に伝わる。
「どういうつもりだ、ロタリンギア魔導師!?」
アルベール魔導師の憤慨した声が、ブルグンディア語で響き渡る。
自動人形ではない、生身の人影が突進してきた。赤く長い髪を後頭部の高い位置で括った、エルフリードよりも二、三は年上だろう少女。
軍記物に出てくる女騎士のような出で立ちであるが、リュシアンの魔眼は彼女がれっきとした魔術師であることを見抜いていた。
「覚悟!」
少女が叫ぶ。
ギン、と鈍い音と共に互いの剣が交わった。
相手の剣を、リュシアンは交差させた双剣で受け止めている。
「……」
「……」
醒めた表情のリュシアンとは対照的に、ロタリンギアと呼ばれた少女の表情は親の仇に出くわしたかのように歪んでいた。その激情に影響されてか、彼女の体からは刺々しい魔力が放出されている。
相手も自らの体に身体強化(エンチャント)の魔術をかけているらしく、リュシアンはようやく両手で相手の剣を受け止めているほどであった。
刹那、ひゅん、と少年の鋭い蹴りがまともに相手の少女剣士の腹に刺さった。
「かはっ……」
肺の中の空気が、唾液混じりに少女の口から吐き出される。身体強化の術式をかけてあるリュシアンの蹴りによって、彼女の体は簡単に吹き飛んだ。地面を転がるように弾んでいき、その勢いを殺すようにして少女は体勢を立て直した。
「足技を使うなど、この卑怯者め!」立ち上がった少女が、怒りの叫びを上げた。「あなたも剣を持つ者ならば、正々堂々となさいまし!」
「……」
他国の魔導書を原書で読む必要上、ある程度ブルグンディア語にも通じているリュシアンは少女の叫ぶ内容が理解出来た。
とはいえ、それに賛意を示す必要はない。
リュシアンは少女を無視して、アルベールの方へと駆け出す。多くの自動人形を操り、人海戦術めいた方法がとれる“人形師”の方が、逃走においては脅威なのだ。
「待ちなさい!」
だが、剣士の少女の標的はあくまでリュシアンのようであった。
さっと魔眼の少年は、少女の持つ剣を“視る”。刀身に、毛細血管のように魔力が走っていた。
魔導具。その中でも、いわゆる「魔導剣」と呼ばれる類のものだ。
古の魔術師たちが造り出した魔剣ではない、現代を生きる魔術師たちが古の技を再現しようとして鍛え上げた剣。
親から受け継いだものか、それとも少女自身が鍛え上げたものか。それによって、この少女剣士の脅威度は変わるが、宮廷魔導団の一員であるとするならば、この魔導剣は彼女自身の鍛え上げたものなのだろう。
と、すれば、この少女も油断出来ない相手となる。
「……」
たん、とリュシアンは地を踏みしめる足から魔力を地中に流し込む。
「なぁっ!?」
背後で、少女の叫びが上がった。そして、転倒する音。
足場崩しの魔術である。
この場合は、地中の水分を魔力によって定められた座標に集めることで、地面を泥濘と化す。
「ほぉう、無詠唱とは」
自動人形の密集隊形の後ろに隠れるアルベールが、見下すような口調のまま賞賛する。
基本的に、魔術師は呪文を詠唱して魔術を発動させる。魔術とは精神の動きによって世界の理に影響を与える技術であり、そうであるからこそ言葉という形にして明確に術式の発動を脳裏に描こうとする。
呪文の詠唱とは、魔術の発動を可能とするまでに己の精神を昇華させる、一種の自己暗示なのである。
だが、リュシアンは魔術の発動に際して詠唱を必要としていない。
それは、魔術戦において、術式の発動を相手に察知されないという強みを持つ。
「だが、我が自動人形には通用せんよ」
アルベールの声は泰然としていた。
実際問題、足場崩しの術は、足場を固めるための対抗術式を組まれてしまえば、それまでである。
所々湿地もあるはずの森の中を重装備で進むアルベールの自動人形は、そのあたりも対策済みなのだろう。
だからこその、余裕。
しかし直後、森の中に、重々しい爆発音が連続する。
アルベールを守るように密集隊形を形成していた自動人形が一斉に宙を舞う。
「くっ、爆裂術式をそのように……!」
アルベールは即座にリュシアンのやったことを見抜いたのだろう。
地中からいきなり噴き上がった爆風。足を吹き飛ばされ、その機能を停止させる自動人形。
リュシアンのやったことは、陸軍が要塞戦にて使う坑道戦術を爆裂術式に応用したものだ。地中に爆薬を仕掛ける坑道戦術と同様、地中に魔力を流して爆裂術式を発動させる。
純粋に魔術だけを学んだ人間は、爆裂術式をこのようには使わない。その発想が出てこないのだ。
アルベールを守っていた自動人形は、三体にまで減っていた。
楯を構え、なおも主人を守ろうとする自動人形。だがリュシアンは地を蹴って跳躍。
自動人形の構えた楯を踏み台のようにして、自動人形使いの背後に出る。
「不可視の壁よ、我が身を守れ」
だが、アルベールは熟練の魔術師のようだった。己を守るための防衛線を突破されたにも関わらず、動揺に声を震わせることなく障壁魔術の呪文を詠唱する。
リュシアンの魔眼に映る、様々な色を取り込んだ魔力の壁。
斬、と〈ベガルタ〉と名付けられた赤剣を振るった。
ガラスを割るような、破砕音。
初めてアルベールの顔に焦燥じみた動揺が浮かぶ。
リュシアンの手に伝わる、肉を裂く感触。
噴き上がる赤黒い液体。
人形師の悲鳴。
すべては同時だった。
リュシアンの霊装〈ベガルタ〉は、魔力障壁を展開するために突き出されたアルベールの腕を深く抉っていた。
白髪の少年は体を捻り、もう一振りの剣―――黄剣〈モラルタ〉をアルベールの体に突き立てようとし……。
「っ!?」
しかし、背後に感じた魔力反応故に果たせなかった。
リュシアンはその場から跳び退く。
森の中を突き抜ける、薄赤の魔力光線。
「私を忘れてもらっては困りますわ!」
少女魔剣士は泥濘から脱出していたらしい。
とはいえ、アルベールを仕留め損なったものの、リュシアンの目的は果たされた。
「おのれ、小僧が……っ!」
額の血管すら浮き出しかねない形相で、アルベールはリュシアンを睨み付けていた。
森の中で、活動を停止している自動人形たち。
リュシアンは表情を変えないまま、満足していた。
いかなる魔術式をも破壊する、破魔の魔剣〈ベガルタ〉。
それに斬られたアルベールの身からは、自動人形を操作するための術式が失われてしまったのである。ここからすべての自動人形を再起動させるためには、一体一体と魔力回線を繋ぎ直さなくてはならない。それは、短時間で済ませることの出来ない、根気の要る作業である。
それだけで、今後の逃走の負担が減る。
問題は、とリュシアンは思った。何故か自分に鋭い感情を向けてくる少女魔剣士だ。
こいつも狂信的魔術原理主義者で、レーヌス河事変で自分のやったことが気に喰わないのか。
まあ、相手の感情などどうでもいい。
「あなた、名は何とおっしゃいますの?」
詰問するように、剣を構えた少女が訊いてきた。
リュシアンは彼女の意図が理解出来なかった。自分の名前など聞いて、どうするというのか?
「私はリリアーヌ・ド・ロタリンギア。魔導貴族ロタリンギア侯爵家の……」
だが、彼女は最後まで名乗りを上げることは出来なかった。その前に、リュシアンが斬りかかってきたからである。
「まったく、無粋ですわ! これだからロンダリア人は!」
殺し殺されの場で名乗りを上げる馬鹿がどこにいるのか。
リュシアンは少女の感情に何ら頓着することなく、二振りの魔剣を振るう。だが、リリアーヌという少女は赤剣〈ベガルタ〉の効果を見抜いたのか、直接斬り結ぼうとはしなかった。
己の魔力を流すことで術式を発動するらしい彼女の魔導剣は、当然ながら〈ベガルタ〉と刃が触れている間はただの剣にしかならない。
やっていることは中世の騎士じみているが、魔術師としての才能は悪くないらしい。
一定の距離を置いて、二人は対峙する。
エルフリードを別れて、十五分は経っているか?
時計を見ることの出来ないリュシアンは、体感時間からそう思った。エルフリードはまだそれほど距離を稼げていないだろう。
やはりリリアーヌという少女にも、一定程度、追撃を断念させるだけの傷を負わせないといけない。
リュシアンが、そう判断した時だった。
空気を切り裂く音と共に、何かが飛来した。
リュシアンの視界に、黒い緞帳のようなものが広がる。
彼が常にまとう自動防御霊装〈黒の法衣〉。
それがリュシアンを覆うように広がり、飛来した物体から彼の身を守ったのだ。
「ロタリンギア魔導師、何をやっている!?」
緞帳のように展開していた〈黒の法衣〉が元のフード付き大外套に戻ると同時に、少女剣士を叱責する声が飛んできた。年若い男性の声だった。
「ベルトラン様、邪魔しないで下さいまし!」
見れば、リュシアンの周囲の地面や木の幹には、氷の槍が刺さっていた。
ベルトラン。“水の哲学者”オリヴィエ・ベルトランか。
火焔系統の魔術を得意とするリュシアンにとっては、相性の悪い相手だった。
それにしても、北ブルグンディアはこの森に最低三人は宮廷魔導師を投入しているのか。
リュシアンから見て左手側の森から、一人の若い魔術師が現れた。この男が、オリヴィエ・ベルトランだろう。右手を突き出すような恰好をしてこちらに対峙し、その周囲には氷で形成された槍が浮遊していた。
「少年、降伏を勧める。君の身柄は宮廷魔導師、オリヴィエ・ベルトランの名において保証しよう」
ベルトランが、上古高位語で勧告した。
確かにリュシアンは小柄な少年で、アルベール魔導師が脱落したとはいえ、二対一の状況を打開出来るとはベルトランからすれば考えにくい。だからこその、降伏勧告だった。
「何言ってんの?」一方、相手の正気を疑うようなリュシアンの声。「最初に合意を破ったのはあんたらでしょ? こっちとしては、むしろあんたらに停戦合意を守るように要求したいところなんだけど?」
リュシアンの考えはベルトランとは違う。二対一は確かに不利だが、だからといってここで降伏するという選択肢はない。
それに見たところ、三名の魔導師の連携はまったく取れていない。少女魔剣士など、アルベールの自動人形を吹き飛ばしてすらいる。
三人で功績の取り合いでもしているのだろうか? 本気でそう疑いたくなってくるほどであった。
リュシアンは素早く彼我の位置関係を確認する。前に剣を構えるリリアーヌと名乗る魔剣士。少し離れた右斜め前にアルベール魔導師。そして、左にベルトラン魔導師。
「……」
「……」
「……」
負傷したアルベールを除く三者は、互いに相手の出方を窺っていた。だが、リュシアンの見たところ、ベルトラン魔導師はむしろリリアーヌという少女の行動に警戒感を抱いているようだった。
なら、ここは少女の暴発を誘うべきか。
リュシアンがそう考え、双剣を握る力を強めたその時だった。
森の木々に木霊する銃声。
リュシアンの目の前で、リリアーヌという少女の体勢が崩れる。
「なっ!?」
突然の銃声に驚きの声を上げたのは、ベルトランだった。そして、その声は直後にくぐもった悲鳴に変わった。
「ぐぅぁ……っ!」
銃声をもたらした闖入者の方を咄嗟に振り向こうとしたのだろう。上体を後ろに向けようとした恰好のまま、腹部に銃剣が突き立てられていた。
「っ―――! エル、何してんの!?」
北ブルグンディアの魔術師に銃剣を突き刺している人物、それは、先ほど逃げるように言っておいたはずのエルフリードであった。
一般的に“号”は高位魔導師に対して付けられることが多い。“号”は当然ながら自ら付けるものではなく、周囲の者たちが呼んでいく中で“号”として定着していくのである。
基本的には、その魔術師に対する畏怖の念が“号”には含まれている。
その意味で、北ブルグンディア宮廷魔導師エルネスト・フランソワ・ド・アルベール伯爵に付けられた“人形師”という二つ名は、彼の魔術師としての特徴を正確に表しているといえるだろう。
彼の作り出した自動人形は、術者である魔術師が常に操らなければ緻密な行動が出来ないような凡百のものではない。
術者による操作など必要なく、命令を与えれば後は自動で動く自律型の自動人形。
しかも、一体を動かすだけでも相当の魔力を消費するというのに、アルベール伯爵は二桁を越える自動人形を自在に展開出来るという。
人形に刻まれた術式の高度さと、術者自身の身に宿す魔力量によって、彼は“人形師”の二つ名を奉られているのである。
鍛冶の神が青銅製自動人形を作り上げたという伝説もあり、魔術師にとって完全自律型の自動人形の作成は、ある意味で神へ近付く行為でもあった。
それをアルベール魔導師の傲慢と捉えるか、飽くなき探究心と捉えるか、それは人それぞれだろう。
ただ少なくとも、リュシアンはそうした感慨を抱く立場にはなかった。
「……」
自動人形たちを観察すれば、中世の兵士のように槍や剣、弓で武装していた。
一瞬、リュシアンの唇が嘲りを意味するように片方だけ吊り上がった。
どうやら、銃で武装させてはいないらしい。
どういうこだわりなのかは知らないが、銃を科学的で無粋とする魔術師は一定程度存在する。恐らく、アルベール伯爵もそうした魔術師の一人なのだろう。
とはいえ、銃ではないにせよ、飛び道具を持っている自動人形がいることには変わりない。
「……」
リュシアンは双剣を一旦鞘に戻し、指貫手袋の魔法陣から〈フェイルノート〉を召喚する。
彼から発せられた魔力に反応したのか、森を進行する自動人形が立ち止まり、彼らの頭部が一斉にリュシアンのいる木の上へと向けられた。
その頭部には、単眼の怪物を思わせる水晶がはめられていた。恐らく、術者に対して自動人形の見ている映像を届けているのだろう。
リュシアンはかっと目を見開くと、〈フェイルノート〉を構え、視界内の自動人形すべてに照準を合わせる。
魔力を矢の形に凝縮し、発射。
同時に、弓を持った敵自動人形が矢を放ってくる。
鏃が空気を切り裂く音。
さっとリュシアンは枝を蹴って飛び降りた。
森の中に響く複数の爆発音。爆裂術式込みの誘導弾は、一撃で八体の自動人形を破壊していた。
いかに外れることなき矢を放つ弓である〈フェイルノート〉であっても、術者の視界外の対象に照準を合わせることは出来ない。
リュシアンは再び己の魔力を矢として〈フェイルノート〉に番え、視界に映る七体の自動人形に向けて矢を放つ。
弓だけでなく、槍を投擲してくる自動人形もいた。
リュシアンは木の陰から木の陰へと、素早く動き回る。それを追うように、ザク、ザクと木の幹や地面に槍や鏃が突き突き刺さっていく。
「どれだけこの森に投入しているんだ」
自動人形は爆砕しても爆砕しても次々と現れてくる。
二十体ほど破壊したところで、敵自動人形の防御力があからさまに変化した。〈フェイルノート〉の矢を受け付けなくなったのだ。恐らく、自動人形への供給魔力を強化して、防御力を増大させたのだろう。
ならばこちらも〈フェイルノート〉に込める魔力を強化すればいいが、それだとこちらの攻撃力と向こうの防御力の上昇合戦になる。
完全なる泥仕合、消耗戦に突入する。
まだ逃走経路の半分も来ていない状況で、体力・魔力共に消耗するのは拙い。
「やるしか、ないか」
低く、リュシアンは呟いた。
瞼を閉じ、そしてゆっくりと開ける。
視界が、切り替わった。
色を認識出来なかったモノクロの世界の中に、鮮やかな色彩が浮かび上がる。
赤に、青に、黄に、緑に、紫に―――。
精巧な織物のように、幾重にも色が重なり合い、絡み合い、混ざり合う不思議な線が森中に延びている。
魔力を“視る”ことの出来る、リュシアンの魔眼。
彼の世界から色が失われた代償として得た力。
虹色に輝く魔術師の瞳は、鮮やかな魔力の糸が伸びる先へと向けられていた。
〈フェイルノート〉を魔法陣の中に戻し、両手を腰の後ろに回す。さっと二振りの小剣(ショートソード)を抜き払った。
「真名解放、〈モラルタ〉、〈ベガルタ〉」
ただの小剣に見えた二振りの剣の刀身が、それぞれ黄と赤に染め上げられる。
リュシアンは獲物に飛びかかる寸前の獣のように姿勢を低くした。
刹那、一気に地面を蹴る。
足に身体強化の魔術をかけ、木々の間を駆け抜けた。
行く手を阻もうとする自動人形を斬り払い、術者と自動人形を繋ぐ魔力の“線”を薙ぎ払い、リュシアンは相手の自動人形を行動不能にしていく。
様々な色を取り込んで輝く瞳が、一際大きく魔力を放出する対象を捉えた。
無数の魔力の糸が方々に伸びる、人の影。
鮮やかな金髪の、貴族然とした服装のまま森の中を泰然と歩く男性。
その男が、音楽の指揮者のような優雅さでさっと手を振る。すると、即座に自動人形たちが男の前に立ちはだかった。
まるで古代の重装歩兵のような楯や剣を持ち、密集隊形のように壁を形成する自動人形。
ザザッと地面を削るようにしてリュシアンは停止した。
「“人形師”エルネスト・フランソワ・ド・アルベールか」
リュシアンは、魔術師にとっての共通言語ともいえる上古高位語で問いかけた。
「いかにも」
密集隊形を形成していた自動人形がまるで閲兵式に臨む兵士のように割れ、その間から彼らにとっての王、アルベールが一歩、前に出た。
彼もまた、リュシアンに応じて上古高位語を用いていた。
正直なところ、上古高位語は文法が複雑で、魔術師の中にも習得を諦めてしまう者すらいる。だが、古の魔導書を原語で読むためには、必須の知識でもあった。
逆にいえば、上古高位語を自在に操れる魔術師は、それだけで多くの修練を重ねてきた者であると判断出来た。
リュシアンがあえて上古高位語を用いたのは、それ自体が一種の威嚇行為になるからであった。
「一応警告しておくと、我が国と貴国との間では停戦が発効している。あんたの行動はそれに違反していると思うんだけど?」
「停戦は現地軍同士の合意でなされたものであり、我ら宮廷魔導団には関係ない」
ああ、とリュシアンは思った。そういう理屈で来るか。
使節団襲撃が北ブルグンディア政府・軍部内のどの段階で決定されたのかは定かではないが、今まで戦場にまったく姿を現さなかった宮廷魔導団がこの段階になって投入されたということは、北王国の宮廷・政府の意向が反映されていると見ていいだろう。
となれば、彼らは執拗にエルフリードを追ってくるに違いない。
本来であれば停戦合意違反の行為を掣肘すべき者たちが、逆に違反行為に手を染めているのだから。あるいは、それだけの覚悟を以てエルフリードの身柄を狙いにきているということか。
「まあ、そういう理屈で来るなら、こっちも遠慮する必要はないよね」
エルフリードに害を及ぼそうとするならば、リュシアンに躊躇はない。
「身の程を知れ、小僧」
一方、まるで自分と少年が対等であるかのような言い方に、アルベールの顔が不快げに歪む。
「魔術師でありながらその神聖さを理解出来ぬ愚か者が。これだから最近の若い魔術師どもは」
「……」
高位の魔術師から放たれる殺気に、リュシアンは眉一つ動かさなかった。
あまり長くエルフリードの傍から離れる気はない。敵魔術師がアルベールだけとは限らないのだ。
多少、自分の魔術師としての手の内が知られても構わない。
ぐっと足に力を込めた。地を蹴る。いや、蹴ろうとした。
「っ……!?」
咄嗟に、リュシアンは後方に跳んだ。
刹那、彼の目の前を薄赤色の光線が駆け抜けた。地面を抉り、自動人形を粉砕し、木々を薙ぎ払っていく。
光線のもたらす熱波が、リュシアンの顔面に伝わる。
「どういうつもりだ、ロタリンギア魔導師!?」
アルベール魔導師の憤慨した声が、ブルグンディア語で響き渡る。
自動人形ではない、生身の人影が突進してきた。赤く長い髪を後頭部の高い位置で括った、エルフリードよりも二、三は年上だろう少女。
軍記物に出てくる女騎士のような出で立ちであるが、リュシアンの魔眼は彼女がれっきとした魔術師であることを見抜いていた。
「覚悟!」
少女が叫ぶ。
ギン、と鈍い音と共に互いの剣が交わった。
相手の剣を、リュシアンは交差させた双剣で受け止めている。
「……」
「……」
醒めた表情のリュシアンとは対照的に、ロタリンギアと呼ばれた少女の表情は親の仇に出くわしたかのように歪んでいた。その激情に影響されてか、彼女の体からは刺々しい魔力が放出されている。
相手も自らの体に身体強化(エンチャント)の魔術をかけているらしく、リュシアンはようやく両手で相手の剣を受け止めているほどであった。
刹那、ひゅん、と少年の鋭い蹴りがまともに相手の少女剣士の腹に刺さった。
「かはっ……」
肺の中の空気が、唾液混じりに少女の口から吐き出される。身体強化の術式をかけてあるリュシアンの蹴りによって、彼女の体は簡単に吹き飛んだ。地面を転がるように弾んでいき、その勢いを殺すようにして少女は体勢を立て直した。
「足技を使うなど、この卑怯者め!」立ち上がった少女が、怒りの叫びを上げた。「あなたも剣を持つ者ならば、正々堂々となさいまし!」
「……」
他国の魔導書を原書で読む必要上、ある程度ブルグンディア語にも通じているリュシアンは少女の叫ぶ内容が理解出来た。
とはいえ、それに賛意を示す必要はない。
リュシアンは少女を無視して、アルベールの方へと駆け出す。多くの自動人形を操り、人海戦術めいた方法がとれる“人形師”の方が、逃走においては脅威なのだ。
「待ちなさい!」
だが、剣士の少女の標的はあくまでリュシアンのようであった。
さっと魔眼の少年は、少女の持つ剣を“視る”。刀身に、毛細血管のように魔力が走っていた。
魔導具。その中でも、いわゆる「魔導剣」と呼ばれる類のものだ。
古の魔術師たちが造り出した魔剣ではない、現代を生きる魔術師たちが古の技を再現しようとして鍛え上げた剣。
親から受け継いだものか、それとも少女自身が鍛え上げたものか。それによって、この少女剣士の脅威度は変わるが、宮廷魔導団の一員であるとするならば、この魔導剣は彼女自身の鍛え上げたものなのだろう。
と、すれば、この少女も油断出来ない相手となる。
「……」
たん、とリュシアンは地を踏みしめる足から魔力を地中に流し込む。
「なぁっ!?」
背後で、少女の叫びが上がった。そして、転倒する音。
足場崩しの魔術である。
この場合は、地中の水分を魔力によって定められた座標に集めることで、地面を泥濘と化す。
「ほぉう、無詠唱とは」
自動人形の密集隊形の後ろに隠れるアルベールが、見下すような口調のまま賞賛する。
基本的に、魔術師は呪文を詠唱して魔術を発動させる。魔術とは精神の動きによって世界の理に影響を与える技術であり、そうであるからこそ言葉という形にして明確に術式の発動を脳裏に描こうとする。
呪文の詠唱とは、魔術の発動を可能とするまでに己の精神を昇華させる、一種の自己暗示なのである。
だが、リュシアンは魔術の発動に際して詠唱を必要としていない。
それは、魔術戦において、術式の発動を相手に察知されないという強みを持つ。
「だが、我が自動人形には通用せんよ」
アルベールの声は泰然としていた。
実際問題、足場崩しの術は、足場を固めるための対抗術式を組まれてしまえば、それまでである。
所々湿地もあるはずの森の中を重装備で進むアルベールの自動人形は、そのあたりも対策済みなのだろう。
だからこその、余裕。
しかし直後、森の中に、重々しい爆発音が連続する。
アルベールを守るように密集隊形を形成していた自動人形が一斉に宙を舞う。
「くっ、爆裂術式をそのように……!」
アルベールは即座にリュシアンのやったことを見抜いたのだろう。
地中からいきなり噴き上がった爆風。足を吹き飛ばされ、その機能を停止させる自動人形。
リュシアンのやったことは、陸軍が要塞戦にて使う坑道戦術を爆裂術式に応用したものだ。地中に爆薬を仕掛ける坑道戦術と同様、地中に魔力を流して爆裂術式を発動させる。
純粋に魔術だけを学んだ人間は、爆裂術式をこのようには使わない。その発想が出てこないのだ。
アルベールを守っていた自動人形は、三体にまで減っていた。
楯を構え、なおも主人を守ろうとする自動人形。だがリュシアンは地を蹴って跳躍。
自動人形の構えた楯を踏み台のようにして、自動人形使いの背後に出る。
「不可視の壁よ、我が身を守れ」
だが、アルベールは熟練の魔術師のようだった。己を守るための防衛線を突破されたにも関わらず、動揺に声を震わせることなく障壁魔術の呪文を詠唱する。
リュシアンの魔眼に映る、様々な色を取り込んだ魔力の壁。
斬、と〈ベガルタ〉と名付けられた赤剣を振るった。
ガラスを割るような、破砕音。
初めてアルベールの顔に焦燥じみた動揺が浮かぶ。
リュシアンの手に伝わる、肉を裂く感触。
噴き上がる赤黒い液体。
人形師の悲鳴。
すべては同時だった。
リュシアンの霊装〈ベガルタ〉は、魔力障壁を展開するために突き出されたアルベールの腕を深く抉っていた。
白髪の少年は体を捻り、もう一振りの剣―――黄剣〈モラルタ〉をアルベールの体に突き立てようとし……。
「っ!?」
しかし、背後に感じた魔力反応故に果たせなかった。
リュシアンはその場から跳び退く。
森の中を突き抜ける、薄赤の魔力光線。
「私を忘れてもらっては困りますわ!」
少女魔剣士は泥濘から脱出していたらしい。
とはいえ、アルベールを仕留め損なったものの、リュシアンの目的は果たされた。
「おのれ、小僧が……っ!」
額の血管すら浮き出しかねない形相で、アルベールはリュシアンを睨み付けていた。
森の中で、活動を停止している自動人形たち。
リュシアンは表情を変えないまま、満足していた。
いかなる魔術式をも破壊する、破魔の魔剣〈ベガルタ〉。
それに斬られたアルベールの身からは、自動人形を操作するための術式が失われてしまったのである。ここからすべての自動人形を再起動させるためには、一体一体と魔力回線を繋ぎ直さなくてはならない。それは、短時間で済ませることの出来ない、根気の要る作業である。
それだけで、今後の逃走の負担が減る。
問題は、とリュシアンは思った。何故か自分に鋭い感情を向けてくる少女魔剣士だ。
こいつも狂信的魔術原理主義者で、レーヌス河事変で自分のやったことが気に喰わないのか。
まあ、相手の感情などどうでもいい。
「あなた、名は何とおっしゃいますの?」
詰問するように、剣を構えた少女が訊いてきた。
リュシアンは彼女の意図が理解出来なかった。自分の名前など聞いて、どうするというのか?
「私はリリアーヌ・ド・ロタリンギア。魔導貴族ロタリンギア侯爵家の……」
だが、彼女は最後まで名乗りを上げることは出来なかった。その前に、リュシアンが斬りかかってきたからである。
「まったく、無粋ですわ! これだからロンダリア人は!」
殺し殺されの場で名乗りを上げる馬鹿がどこにいるのか。
リュシアンは少女の感情に何ら頓着することなく、二振りの魔剣を振るう。だが、リリアーヌという少女は赤剣〈ベガルタ〉の効果を見抜いたのか、直接斬り結ぼうとはしなかった。
己の魔力を流すことで術式を発動するらしい彼女の魔導剣は、当然ながら〈ベガルタ〉と刃が触れている間はただの剣にしかならない。
やっていることは中世の騎士じみているが、魔術師としての才能は悪くないらしい。
一定の距離を置いて、二人は対峙する。
エルフリードを別れて、十五分は経っているか?
時計を見ることの出来ないリュシアンは、体感時間からそう思った。エルフリードはまだそれほど距離を稼げていないだろう。
やはりリリアーヌという少女にも、一定程度、追撃を断念させるだけの傷を負わせないといけない。
リュシアンが、そう判断した時だった。
空気を切り裂く音と共に、何かが飛来した。
リュシアンの視界に、黒い緞帳のようなものが広がる。
彼が常にまとう自動防御霊装〈黒の法衣〉。
それがリュシアンを覆うように広がり、飛来した物体から彼の身を守ったのだ。
「ロタリンギア魔導師、何をやっている!?」
緞帳のように展開していた〈黒の法衣〉が元のフード付き大外套に戻ると同時に、少女剣士を叱責する声が飛んできた。年若い男性の声だった。
「ベルトラン様、邪魔しないで下さいまし!」
見れば、リュシアンの周囲の地面や木の幹には、氷の槍が刺さっていた。
ベルトラン。“水の哲学者”オリヴィエ・ベルトランか。
火焔系統の魔術を得意とするリュシアンにとっては、相性の悪い相手だった。
それにしても、北ブルグンディアはこの森に最低三人は宮廷魔導師を投入しているのか。
リュシアンから見て左手側の森から、一人の若い魔術師が現れた。この男が、オリヴィエ・ベルトランだろう。右手を突き出すような恰好をしてこちらに対峙し、その周囲には氷で形成された槍が浮遊していた。
「少年、降伏を勧める。君の身柄は宮廷魔導師、オリヴィエ・ベルトランの名において保証しよう」
ベルトランが、上古高位語で勧告した。
確かにリュシアンは小柄な少年で、アルベール魔導師が脱落したとはいえ、二対一の状況を打開出来るとはベルトランからすれば考えにくい。だからこその、降伏勧告だった。
「何言ってんの?」一方、相手の正気を疑うようなリュシアンの声。「最初に合意を破ったのはあんたらでしょ? こっちとしては、むしろあんたらに停戦合意を守るように要求したいところなんだけど?」
リュシアンの考えはベルトランとは違う。二対一は確かに不利だが、だからといってここで降伏するという選択肢はない。
それに見たところ、三名の魔導師の連携はまったく取れていない。少女魔剣士など、アルベールの自動人形を吹き飛ばしてすらいる。
三人で功績の取り合いでもしているのだろうか? 本気でそう疑いたくなってくるほどであった。
リュシアンは素早く彼我の位置関係を確認する。前に剣を構えるリリアーヌと名乗る魔剣士。少し離れた右斜め前にアルベール魔導師。そして、左にベルトラン魔導師。
「……」
「……」
「……」
負傷したアルベールを除く三者は、互いに相手の出方を窺っていた。だが、リュシアンの見たところ、ベルトラン魔導師はむしろリリアーヌという少女の行動に警戒感を抱いているようだった。
なら、ここは少女の暴発を誘うべきか。
リュシアンがそう考え、双剣を握る力を強めたその時だった。
森の木々に木霊する銃声。
リュシアンの目の前で、リリアーヌという少女の体勢が崩れる。
「なっ!?」
突然の銃声に驚きの声を上げたのは、ベルトランだった。そして、その声は直後にくぐもった悲鳴に変わった。
「ぐぅぁ……っ!」
銃声をもたらした闖入者の方を咄嗟に振り向こうとしたのだろう。上体を後ろに向けようとした恰好のまま、腹部に銃剣が突き立てられていた。
「っ―――! エル、何してんの!?」
北ブルグンディアの魔術師に銃剣を突き刺している人物、それは、先ほど逃げるように言っておいたはずのエルフリードであった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
54
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる