蒼海の碧血録

三笠 陣

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幕間 1943年の断片

4 絶対国防圏

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 一九四三年二月に行われたアメリカによるガダルカナル撤退作戦以後、ソロモン戦線では日本側が連合軍に対して優位に立っている状況が続いていた。
 ガダルカナル撤退作戦の過程でアメリカ海軍は太平洋方面における戦力をほぼ喪失しており、日本海軍の南西方面艦隊に対抗出来るだけの艦艇が存在していなかったのである。
 輸送船団の護衛に割いていた戦艦も多くが撃沈されるか損傷するかで戦線を離脱し、結果、日本海軍第八艦隊は、再度、水上艦艇による通商破壊作戦を敢行していた。
 特に一九四三年の四月から五月にかけては南太平洋の連合軍にとって悪夢の月となり、この二ヶ月だけで水上艦隊や潜水艦による襲撃、航空部隊による空襲などによって四〇万トン近い船舶を失っていた。
 だが八月以降、大西洋における対Uボート掃討戦の戦訓を受けて、アメリカ海軍が対潜警戒用に訓練された護衛空母部隊を投入すると、状況は変わった。日本海軍がこの方面に投入した最新鋭潜水艦、呂百型潜水艦が相次いで撃沈され、潜水艦による通商破壊作戦に限界が生じるようになったのである。
 なおも水上艦隊と航空部隊による夜襲的な船団攻撃は戦果を挙げていたが、日本側では燃料問題や航空機部品の補充が消耗に追いつかないなどの理由で、徐々に活動を低下させていった。
 このため、南太平洋方面に展開する連合軍航空部隊の活動が、再び活発化してくるようになったのである。
 アメリカ海軍の艦艇不足によって未だソロモン諸島の制海権だけは日本側が確保していたため、ニューギニア、ソロモン両戦線の陸上では膠着状態が続いていたものの、日本側ではこの方面に対する補給の限界を痛感するようになっていた。
 この当時、日本軍はソロモン諸島ではガダルカナル島までを確保し、ニューギニア戦線ではダンピール海峡以北、ニューギニア島北部のマダン、ウェワク、ニューブリテン島西端のツルブの線を保持していた。
 ソロモン方面は百武晴吉中将率いる第十七軍が、ニューギニア方面は安達二十三はたぞう中将率いる第十八軍が担当しており、これらを合わせた第八方面軍を指揮しているのがラバウルの今村均大将であった。兵力でいえば、ソロモン方面に一個師団規模、ニューギニア方面に三個師団規模が展開している。
 同時期に準備が進められていた重慶攻略作戦との兼ね合いもあり、この地域への補給は決して十分とはいえず、特に医療品の補給に大きな問題を抱えていた。ことにニューギニア方面の部隊ではマラリアやデング熱などの熱帯病が猖獗を極め、第二十師団長の青木重誠中将もマラリアで陣没するなど、部隊の指揮系統にすら深刻な被害をもたらしていた。
 つまり戦線が膠着状態にあるといっても、日々、熱帯地域の各種病気によって日本軍は消耗していたのである。
 こうした南太平洋戦線の状況に対して、以後の作戦計画を策定すべく八月十四日以降、大本営では陸海軍統帥部の課長級以上の者たちによる研究会が開かれることになった。
 二十四日には陸海軍両統帥部長が天皇に研究結果を報告することになっていたが、陸海軍間で議論が紛糾して結論が出ず、結果、中間報告に変更されている。
 この間、作戦用兵上の問題に関して特に紛糾を見たのは、陸海軍間ではなく、むしろ軍令部と連合艦隊司令部の間であったという。
 陸軍では、すでにソロモン全域およびニューギニアの大部分から撤退し、小笠原、マリアナ、パラオ、ニューギニア北西部の線を国防上絶対に確保すべき要域であるとの見解でまとまっていた。
 一方、海軍ではマーシャル、ギルバート方面を決戦海域と主張する永野修身軍令部総長と、陸軍とほぼ同じ線まで後退しマリアナでの決戦を目論む山本五十六連合艦隊司令長官の間で対立があった。
 参謀本部と軍令部の間では、戦線整理の地域について、実に二〇〇〇キロ以上の隔たりがあったのである。
 さらに軍令部と連合艦隊司令部との対立を深めたのは、撃滅すべき目標を敵艦隊にすべきか、敵輸送船団にすべきかといった問題であった。
 インド洋やソロモン方面での通商破壊作戦の結果、連合艦隊司令部は敵輸送船団こそ撃滅すべき目標であると考えていた。しかし、軍令部では敵情に応じて敵艦隊または敵輸送船団を攻撃目標にすべきと主張し、あくまで艦隊決戦の指向を捨てきれずにいた。
 山本はまた、海軍だけで遙か前方のマーシャル、ギルバートを確保するのは不可能と論じていたが、永野はこれら地域での決戦構想に拘っていた。
 こうした中で海軍内部の政変が起こり、嶋田繁太郎海相の辞表提出、山本五十六の海相就任という事件が発生する。山本の後任には横須賀鎮守府長官の古賀峯一大将が就任し、海相となった山本と、彼の作戦構想を支持する古賀、そして海相の人事権を利用して軍令部第一部長に送り込んだ宇垣纏中将らによって、永野の説得にかかった(なお、宇垣の前任者である中澤佑第一部長は、連合艦隊参謀長に転任している。また、樋端久利雄航空甲参謀は先任参謀に昇格)。
 ここに来て、永野もついに折れた。
 帝国陸海軍は、「絶対確保スヘキ要域」として、千島、小笠原、中西部内南洋、西部ニューギニア、スンダ、インドを設定し、これを「絶対国防圏」と称することになった。
 こうして、作戦用兵上の問題は解決したかに見えたのであったが、今度は別のところで対立が生じた。
 連合軍の反攻時期についての、情勢判断を巡る対立である。
 当初、陸海軍ともに連合軍の反攻時期を昭和十九年六月と見積もっていたが、東部戦線におけるドイツ軍の城塞作戦の成功とそれに伴う英米による援ソ支援物資の増大化により、十九年年末から昭和二十年以降にずれ込むのではないかという議論が起こったのである。
 大本営政府連絡会議ではさらに、独ソ和平を促進すべしと主張する参謀本部に対して重光葵外相が真っ向から反論。欧州歴訪の結果、独ソ和平の見込みなしと強く主張したのである。
 米軍の反攻時期については結局、陸海軍の間で意見の一致を見ることが出来ず、その中間である昭和十九年九月とし、「概ネ昭和十九年中期ヲ目途トシ米英ノ進攻ニ応スヘキ戦略態勢ヲ確立」することとなった。
 そのため、絶対国防圏の防備態勢が固められるまでの間、その外周地域、特にラバウル、マーシャル、ギルバート、カロリンなどを当面の間、確保することとなってしまった。また、海軍は南太平洋地域から撤退させる陸軍部隊を、一時的にマリアナの防衛に充てることを求めた。
 重慶攻略作戦によって遅れるであろうマリアナの防備態勢の強化を、少しでも進めるためである。
 陸軍としてはすでに重慶攻略作戦のための部隊の選定は済んでいたため、これに関しては陸海軍での対立は生じていない。
 また、独ソ和平の仲介に関しては議論の結果、明確な成算なしとして「独『ソ』間ノ和平ヲ斡旋スルニ努ム」という曖昧な文句となった。
 この他、国務と統帥の分裂状態を憂慮していた東条英機首相が「統帥ト国務トノ協調ヲ密ニスル必要益々大ナリ」と主張して、両者の「連繋ヲ益々緊密ニスル件」という文言が戦争計画に挿入された。
 また、決戦兵力の定義が曖昧であったため、「決戦兵力特ニ航空戦力」と明記されることになった。
 こうした細かな修正が続いたものの、二度目の「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」としてまとめられた戦争計画は、九月二十五日の大本営政府連絡会議を経て、三十日の御前会議において正式に決定された。
 加えて、「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」の御前会議決定と同時に「世界情勢判断」も決定されている。
 この「世界情勢判断」では、レイキャビク会談での英米による無条件降伏要求を受けて、「米国ノ戦争目的ハ自国ヲ中心トスル世界体制ノ確立ヲ期シ日独伊特ニ日本ノ完全屈服ニ在リ」と判断、「其ノ攻撃兵力ノ重点ハ東亜ニ指向セラルヘク又『ソ』ヲ対日参戦ニ導入スルニ努ムヘシ」と、米軍の反攻の重点が欧州ではなく太平洋方面との予測を示している。そしてその反攻作戦実施地域を中部太平洋方面と判断し、また南東方面からの攻勢も激化するであろうとしている、
 イギリスについては「概ネ戦前ニ於ケル勢力ヲ維持スル為日独伊特ニ独ノ完全屈服ニ在リ」としつつ、「米ト協力シテ東亜戦線ニ於ケル攻勢ヲ加重シ戦後ニ於ケル東亜処理ニ不動ノ地位ヲ確保セントスルナラン」との判断を行っていた。
 一方、ドイツについては「『ソ』聯ノ脅威ヲ芟除スルト共ニ英国ノ旧支配勢力ヲ打破シ大独逸民族国家ヲ組織シ其ノ生存ノ為欧洲広域生存圏ヲ建設スルニ在リ」として、独ソ戦は未だドイツが主導権を握っているものの、「英本土上陸ハ当分見込ナシ」との判断している。
 大日本帝国はこの二つの戦争指導方針を以て、一九四四年へと突入していくこととなった。
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