姫ぎみと「鏡のなかに棲む男」

寄賀あける

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 夜明けとともに宿を出た。しっかり者のバーテンは、もう起き出して朝飯の支度を始めていた。

「よぉ、フィル、随分早いじゃないか」
「あぁ、あんたと同じで仕込みを始めるのさ」

「こんな時間からか? おまえの生業なりわいを見誤ったかな?」
バーテンが苦笑いする。

「百ダム、ここに置いてくよ」
「おぅ、今夜も部屋をけとくぞ」
それには答えずフィルは街に出た。

 昨日、目星を付けておいた路地を張っていると、案の定、桃を欲しがっていた少女が姿を現した。思っていたよりも早い時刻だ。夜明けに動き出してよかった、とフィルが胸を撫で下ろす。

 路地を抜け、少女は飲食店が立ち並ぶ方向へ進んでいく。気取られないようにやり過ごし、少女が来た方向を見るともなしに眺めると、井戸端に洗濯物を持って初老の女が出てきた。

「やぁ、朝早くから働き者だね」
まずはこの女から話を聞き出そう。どうせ少女の仕事先はすぐ判る。

「なんだい、見ない顔だね――貧乏人は朝早くから働かなきゃ、すぐ生活が立たなくなるさ」
「そうだよなぁ……今さ、女の子が出て行ったけど、あの子も働きに行ったんだろう?」
「マナの事かい?」
初老の女が胡散臭うさんくさそうにフィルを見る。

「そう、黒髪の子。俺のご主人があの子にご執心でね、素性を調べろって言われたんだ。あの子、何だったっけ、レストランで働いているよね」
「北町通りの『エスカルゴ』ってレストランの事だろう? そんな事より、あんたのご主人? 娼館を経営しているとかじゃないだろうね?」
「いいや、貴族さ。たまたま、その『エスカルゴ』でマナを見かけて気に入った。うちのご主人、若い女が好きでね。で、大事にする。が、せいぜい二十歳までだ。若くなくなりゃ興味もなくなるが、お役御免と言っても、たいそうな慰労金を持たせる。店を始められるくらいは出す」

「本当かい?……」
女が少し考え込む。

「本当さ。俺の姉貴も実は世話になった。この街じゃあないが、今じゃ袋物の店を始めてそれなりに繁盛している。姉貴が世話になったときから俺の面倒も見てくれるようになって、半端仕事だけど食うに困らない程度はくれる」
「確かに半端仕事だね」
女がケラケラと笑う。

 そしてフィルをまじまじと見つめ、
「なるほど、よく見ればおニイさん、なかなか可愛い顔をしているじゃないか。あんたの姉さんなら、さぞかし男に気に入られそうだ」

 なんだったらわたしと遊んでくれるかい? 初老の女の冗談に一瞬、もう一つの商売を見破られたかとヒヤリとするが、フィルは笑って誤魔化した。

「あの子はね、マナと言うんだ。母親が病気でね、もう長くないかもしれない」
「そいつはいけないね」
本心からフィルがそう言うと、女の目に涙が浮かぶ。

「結局マナも母親と同じ運命なのかもしれないね。こうなったら娼婦になるよりは貴族のお抱えのほうがいい」
「母親と同じって?」
「マナの母親は貴族の屋敷にメイドに出たのはいいものの、はらまされて帰って来たんだよ。で、マナを生んで一人で育てた。それから病気になるまで、商売人の家で働いてたんだけどさぁ……あるじも女房も苦労を重ねたとかで、そりゃあいい人さ。でもさ、働けない女の面倒をみられるほど裕福じゃあなかった。だからあの母子おやこの生活は、今じゃマナが支えるしかない――貴族さまの世話になどなりたくない、それがわたしら貧乏人の本音だけれど、世話にならなきゃ、あんな子ども一人でどうしろっていうのかねぇ」

「貴族の世話になるのはイヤか……そりゃあそうだよな」
フィルが軽くため息を吐く。

「いや、お待ちよ。イヤだと言って、飢えて死ぬよりイヤってわけじゃない。娼館に身売りするよりまだマシだ。しかも、あんたの話が本当なら、こんないい話はない」
「そうだろう? 俺もそう思うよ」
本当の話なら、だ。チクリとフィルの胸が痛む。そして本音が『違う、いい話なモンか!』と叫ぶ。

 本来なら誰にも従属せず、蹂躙されず、そうやって人は生きるものだ。少なくとも魂の姿はそうだったはずだ。いつの間にやら貧富の差が生まれ、多く持てる者が持たざる者を従属し始める。そしてそれが日常となった。

「まぁさ、何しろマナの意向を確かめなきゃね。エスカルゴを訪ねてみるよ」

 話してくれて、ありがとう……そう言うとフィルは、初老の女の手に小銭を握らせ路地を後にした。
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