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オリレーズから掏摸取った銭入れには驚くほどの大金が詰められていた。掏った瞬間、拙いと思ったフィルだが、今更引き返せない。多すぎる額の金、下手に使えば足が付く。盗られたほうも必死に盗人を探す。
マナのために使おうと最初から考えていた。いつもは戸口から部屋の中に金袋を投げ込んで『この金を使え』と呟いた後は、姿を見られる前に立ち去る。けれどこれほどの大金、下手に使えば出所を怪しまれるだろう。盗んだと決めつけられて罰せられるに決まってる。それを避けるため、考えに考えた台本をマナに語った。これならきっと巧くいく――
そう思いながら、たかが吟遊詩人への見せ金にこれほどの大金を積む貴族がいて、かたや桃の瓶詰一つでこれほど幸せそうな顔をする少女がいる……憤りを抑えきれないフィルだった。
手に入れておいた家にマナを連れて行き、あれこれ説明し終わった頃には宵闇が漂い始めていた。
オリレーズから奪った金の残りはすべて小銭に替え、いくつもの袋に入れてカラクリ戸のある小部屋に隠した。
「いいか、ここに金があることは誰にも言うな。母ちゃんにもだ。金は毎月、旦那さま――おまえの世話をしてくれる貴族から貰っていることにするんだ」
百二十枚の袋に分けてある。毎月一袋ずつ使っていれば十年持つ計算だ。大丈夫、充分な金額だ。
しっかり生きるんだよ……マナと別れ、泉水のある広場に向かった。このままこの街を離れようとも思ったが、もう一度あの吟遊詩人に会いたかった。なぜだか無性に気になって、だから宿まで尾行てしまった。別に用があるわけでも、訊きたいことがあるわけでもなかった。
会ったところでどうしよう? せいぜい『竪琴は何か言ったかい?』と訊くくらいしか思いつかない。きっとあの男は何も言わず、馬鹿にした目で俺を見るだろう。それでいいと思った。
だからこちらの顔を覚えているかもしれないオリレーズに遭遇する危険を冒してまで泉水広場に行ったのに、男の歌声も竪琴の音も聞こえない。でも、人垣がつい今まであった、そんな気配がある。バラバラと崩れ始めた、そんな感じだ。
「詩人よっ! これほどまでに頼んでいるのにっ!」
聞こえたのはオリレーズの声だ。なるほど……気づかれないよう、オリレーズの後方に回り込んだ。
オリレーズを眺めていたアースがフィルに気が付く。フン、と呆れ顔をしたのはオリレーズに対してか、フィルに対してか?
「オリレーズ、おまえが欲するものをわたしは持っていない」
詩人が高慢な態度でそう言い放つ。
「愚かなことはやめて、己の屋敷に帰り、自分を見つめ直せ」
「自分を見つめる? どんな鏡をもってしても、詩人よ、俺はおまえのように美しくは見えない。残酷なことを言うな」
「それは容姿を言っているのか? まったく、愚かな男だ……」
話を聞きながら、フィルが思う。アースさんよ、あんたが言っても説得力に欠けるってもんだ。確かにオリレーズは醜男だ。それを気にするのは、あんたが言うように愚かかもしれない。でも、本人にとっては気になるもんだ。それが人情ってもんなんだよ。ましてトンでもない美形のあんたに言われたって納得できるもんか。
と、不意にフィルがギクッと振り返った。同時にアースが顔色を変えた。
(なんだ? 今のは殺気だ。でも、誰もいない――)
フィルの背中に冷たいものが流れて落ちる。気のせいか? いいや、気のせいとは思えない――
「お願だ、詩人よ。一曲だけでいい。わが妻にその美しい歌声を聞かせてやりたいのだ」
オリレーズはなおも言い募っている。するとアースが、『ふむ』と唸った。
「オリレーズ、この近くに馬車を待たせているのか?」
「はっ? そうだがそれがどうかしたか?」
「ならばその馬車で、おまえの屋敷まで連れて行ってくれるという事だな?」
「来てくれるのか?」
オリレーズの声が急に明るい響きを帯びる。
「もちろん馬車でお連れしよう。帰りには望みの場所に送りもする。食事も用意させよう、宿泊してくれるならなお嬉しい――もちろん礼は弾む。言われただけ出す」
「礼はどうでもいい。むしろすでに貰ったようなものだ……条件は二つ、わたしの連れも同行すること。そしてその連れとわたしを丁重に扱い、身の安全を保障しろ」
「判った、約束する。この広場にいる全員が証人だ」
「では、行くとしよう」
アースが竪琴を入れたサックを持ち上げ、オリレーズが『馬車はこの先だ』と後ろを向いた。慌ててフィルが顔を隠すように俯き、オリレーズをやり過ごす。
(アースの連れって……今日、この街に着きでもしたのだろうか?)
すれ違うアースを盗み見るフィル、アースと視線があって慌てる。アースがフィルの腕を掴んだ。
「行くぞ、フィル。ご馳走してくれるそうだ――が、食す暇などないだろう。残念だな」
「えっ? えっ? ちょっと待て!」
ニヤリと笑うアース、じたばたするフィル。が、アースはフィルを逃がす気はないようだ。フィルの首に腕を回し、抱き込むように引き連れて行く。
振り返ったオリレーズがフィルに気が付いてアースに問う。
「その男が連れ? はて、どこかで見たような……」
「人違いだろうな。コイツは先ほどこの街に着いたばかりだ――わたしの大事な連れだ。暫く離れていたが、もう二度と離れたくない」
含みのあるアースの物言いに、オリレーズが顔を赤くする。さては詩人、その男に入れあげているのか?
「それにしても、なんでそんなに暴れているのだ?」
「人前なのが恥ずかしいのだそうだ」
アースの言葉の意味を理解したフィルの顔も赤く染まる。それが却って誤解を後押しし、オリレーズは完全に騙された。
(俺の屋敷を連れ込み宿に使う気か。それが心変わりの理由か)
感じるのは怒りだけだ。美しいと思っていた詩人が、急に薄汚く思えてくる。
だが……容姿と歌声は、それでもやはり美しい――妻の顔を思い浮かべ、馬車へと急ぐオリレーズだった。
マナのために使おうと最初から考えていた。いつもは戸口から部屋の中に金袋を投げ込んで『この金を使え』と呟いた後は、姿を見られる前に立ち去る。けれどこれほどの大金、下手に使えば出所を怪しまれるだろう。盗んだと決めつけられて罰せられるに決まってる。それを避けるため、考えに考えた台本をマナに語った。これならきっと巧くいく――
そう思いながら、たかが吟遊詩人への見せ金にこれほどの大金を積む貴族がいて、かたや桃の瓶詰一つでこれほど幸せそうな顔をする少女がいる……憤りを抑えきれないフィルだった。
手に入れておいた家にマナを連れて行き、あれこれ説明し終わった頃には宵闇が漂い始めていた。
オリレーズから奪った金の残りはすべて小銭に替え、いくつもの袋に入れてカラクリ戸のある小部屋に隠した。
「いいか、ここに金があることは誰にも言うな。母ちゃんにもだ。金は毎月、旦那さま――おまえの世話をしてくれる貴族から貰っていることにするんだ」
百二十枚の袋に分けてある。毎月一袋ずつ使っていれば十年持つ計算だ。大丈夫、充分な金額だ。
しっかり生きるんだよ……マナと別れ、泉水のある広場に向かった。このままこの街を離れようとも思ったが、もう一度あの吟遊詩人に会いたかった。なぜだか無性に気になって、だから宿まで尾行てしまった。別に用があるわけでも、訊きたいことがあるわけでもなかった。
会ったところでどうしよう? せいぜい『竪琴は何か言ったかい?』と訊くくらいしか思いつかない。きっとあの男は何も言わず、馬鹿にした目で俺を見るだろう。それでいいと思った。
だからこちらの顔を覚えているかもしれないオリレーズに遭遇する危険を冒してまで泉水広場に行ったのに、男の歌声も竪琴の音も聞こえない。でも、人垣がつい今まであった、そんな気配がある。バラバラと崩れ始めた、そんな感じだ。
「詩人よっ! これほどまでに頼んでいるのにっ!」
聞こえたのはオリレーズの声だ。なるほど……気づかれないよう、オリレーズの後方に回り込んだ。
オリレーズを眺めていたアースがフィルに気が付く。フン、と呆れ顔をしたのはオリレーズに対してか、フィルに対してか?
「オリレーズ、おまえが欲するものをわたしは持っていない」
詩人が高慢な態度でそう言い放つ。
「愚かなことはやめて、己の屋敷に帰り、自分を見つめ直せ」
「自分を見つめる? どんな鏡をもってしても、詩人よ、俺はおまえのように美しくは見えない。残酷なことを言うな」
「それは容姿を言っているのか? まったく、愚かな男だ……」
話を聞きながら、フィルが思う。アースさんよ、あんたが言っても説得力に欠けるってもんだ。確かにオリレーズは醜男だ。それを気にするのは、あんたが言うように愚かかもしれない。でも、本人にとっては気になるもんだ。それが人情ってもんなんだよ。ましてトンでもない美形のあんたに言われたって納得できるもんか。
と、不意にフィルがギクッと振り返った。同時にアースが顔色を変えた。
(なんだ? 今のは殺気だ。でも、誰もいない――)
フィルの背中に冷たいものが流れて落ちる。気のせいか? いいや、気のせいとは思えない――
「お願だ、詩人よ。一曲だけでいい。わが妻にその美しい歌声を聞かせてやりたいのだ」
オリレーズはなおも言い募っている。するとアースが、『ふむ』と唸った。
「オリレーズ、この近くに馬車を待たせているのか?」
「はっ? そうだがそれがどうかしたか?」
「ならばその馬車で、おまえの屋敷まで連れて行ってくれるという事だな?」
「来てくれるのか?」
オリレーズの声が急に明るい響きを帯びる。
「もちろん馬車でお連れしよう。帰りには望みの場所に送りもする。食事も用意させよう、宿泊してくれるならなお嬉しい――もちろん礼は弾む。言われただけ出す」
「礼はどうでもいい。むしろすでに貰ったようなものだ……条件は二つ、わたしの連れも同行すること。そしてその連れとわたしを丁重に扱い、身の安全を保障しろ」
「判った、約束する。この広場にいる全員が証人だ」
「では、行くとしよう」
アースが竪琴を入れたサックを持ち上げ、オリレーズが『馬車はこの先だ』と後ろを向いた。慌ててフィルが顔を隠すように俯き、オリレーズをやり過ごす。
(アースの連れって……今日、この街に着きでもしたのだろうか?)
すれ違うアースを盗み見るフィル、アースと視線があって慌てる。アースがフィルの腕を掴んだ。
「行くぞ、フィル。ご馳走してくれるそうだ――が、食す暇などないだろう。残念だな」
「えっ? えっ? ちょっと待て!」
ニヤリと笑うアース、じたばたするフィル。が、アースはフィルを逃がす気はないようだ。フィルの首に腕を回し、抱き込むように引き連れて行く。
振り返ったオリレーズがフィルに気が付いてアースに問う。
「その男が連れ? はて、どこかで見たような……」
「人違いだろうな。コイツは先ほどこの街に着いたばかりだ――わたしの大事な連れだ。暫く離れていたが、もう二度と離れたくない」
含みのあるアースの物言いに、オリレーズが顔を赤くする。さては詩人、その男に入れあげているのか?
「それにしても、なんでそんなに暴れているのだ?」
「人前なのが恥ずかしいのだそうだ」
アースの言葉の意味を理解したフィルの顔も赤く染まる。それが却って誤解を後押しし、オリレーズは完全に騙された。
(俺の屋敷を連れ込み宿に使う気か。それが心変わりの理由か)
感じるのは怒りだけだ。美しいと思っていた詩人が、急に薄汚く思えてくる。
だが……容姿と歌声は、それでもやはり美しい――妻の顔を思い浮かべ、馬車へと急ぐオリレーズだった。
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