9 / 14
9
しおりを挟む
〝エスカルゴ〟はすぐ見つかった。表通りにあるわけでもないのに、そこそこ賑わっているのは『魚介料理専門』と看板を出しているからかもしれない。ターゲットを絞ることにより、却って客を呼ぶこともある。暫く出入りする客を観察していたが、庶民に化けた貴族が混ざっているのに気付いた。安くて旨い庶民の店、大いに利用したいところだが、出入りしているのを知られるのは貴族のプライドが許さない。そんなところだ。
頃合いを見て店の裏に回る。狭苦しい路地には思った通りゴミ置き場があった。少し離れて、ネズミが出てきそうな路地でじっと待っているとやがて勝手口を開ける気配がする。フィルは慌てて物陰に隠れた。
初老の女に話を聞いた後、街中を走り回りお膳立ては済ませた。あとはマナをその気にさせ、今日のうちにすべてを終わらせたい。嫌な予感がした。早くこの街を出たほうがいい。嫌な予感は当たると相場が決まっている。きっと追手がこの街に来たんだ――
勝手口から大きなゴミ箱を持ってマナが現れフィルをホッとさせる。マナが出てくるのを待っていたフィルだ。
「やぁ……」
物陰から出て、マナに話しかける。マナがきょとんとフィルを見た。
「重そうだね――ここに置けばいいのかい?」
ゴミ箱に手を伸ばすと、警戒してマナが身を引く。そのマナにフィルが微笑む。
「怪しいヤツだって思われたよな? そりゃあもっともだ。なんで馴れ馴れしく話しかけてくるんだって思うよな――あんたは俺を知らないだろうが、俺はあんたを知っている。グラップ通りの裏に住んでるマナ、そうだろう? 母ちゃんはルナだ」
フィルをじろじろ見てから、マナが面倒そうに言った
「それでなんの用? 変なことしたら人を呼ぶよ。大声出すよ」
「怖がらせてごめんよ――俺さ、あんたの父ちゃんに頼まれて、あんたと母ちゃんを探してたんだ」
「父ちゃん?」
「うん、本当なら父上って言わなきゃな、お貴族さまだ」
「……父ちゃんになんか会ったことない」
「だからさ、探してくれって。随分探し回ったんだよ」
「いまさらなにを?」
「父ちゃんはマナと母ちゃんを手放したことを後悔してるんだ。酷いことをしてしまったってね――今からでも償いたいって思ってる」
「償う?」
「うん、本当なら二人を引き取って一緒に暮らしたい。でも正式な奥方がいる。だからできない――その替わり、生活が立つよう手助けしたい」
マナの表情が目まぐるしく変わる。怒り、恐れ、そして安堵――でも、信じられないと目が言っている。
「あ、そうだ、これこれ――忘れるところだった」
手にした包みから、フィルが瓶を一つ取り出した。やっと見つけたシラップ漬けの桃の瓶詰だ。生のものが欲しかったが、季節柄、瓶詰がやっとだった。
「これを母ちゃんにって、父ちゃんから預かってきたんだ。ルナは桃が好きだったって。今は季節じゃないから生の桃は手に入らない。瓶詰で申し訳ないって」
「桃?」
マナの表情が今度は大きく変わった。
「これが桃? くれるの?」
「もちろんだとも。マナと母ちゃんのためのものだ」
「――本当に父ちゃんはわたしと母ちゃんを助けてくれる?」
瓶詰めとフィルを見比べながらマナが尋ねた。
「マナと母ちゃんのために家を用意した。そこに住んで、今までの生活を断ち切って欲しい――曲がりなりにも貴族の令嬢に、あんな暮らしをさせていたとは世間に知られたくない」
「貴族の令嬢?」
「令嬢ってのはお嬢さまって意味だ――できるかい? 今すぐエスカルゴをやめて、俺と一緒にその家に行く。そして今までの知り合いにはもう会わない」
「ここを辞めたら食べていけないわ」
「大丈夫、ちゃんと金は渡す。母ちゃんを医者に診て貰って二人で生活して、それでも十年は余裕がある金額だ」
「母ちゃんをお医者に?」
「うん、診て貰って早く元気になって貰おう――でもね、マナ、母ちゃんには父ちゃんが金を出してくれたなんて言っちゃダメだ」
「えっ? なんで?」
「母ちゃんはきっと父ちゃんを恨んでる。世話になりたくないはずだ」
「だったらわたしも……」
「よく考えろマナ、母ちゃんのためだ。父ちゃんの世話になったほうがいい――まぁ、どうしても嫌だというなら無理強いはしない」
「待って! 母ちゃんには言わない。でも、どうやって母ちゃんを家に連れて行くの?」
「母ちゃんにはこう言おう。マナは貴族の世話になることになった――まったくの嘘ってわけでもない」
本当は嘘だ、まったくの出鱈目だ。微かにフィルの胸が痛む。でも、他にいい考えが浮かばない。
ややあって、マナが顔を上げフィルに言った。
「判った、わたし、父ちゃんを信じる」
うん、とフィルが頷く。
「それじゃあ、今すぐ行こう」
「うん、店主に挨拶してくる」
「いやダメだ、マナは行方不明になるんだ。貧乏なマナはもう消えた。今日からは貴族のお嬢さんのマナだ。判るか?」
フィルが真剣な眼差しをマナに向ける。その目を見つめマナが頷く。
「判った。貧乏だったってこと、忘れる。母ちゃんを迎えに行こう」
「ごめん、マナ、母ちゃんはもう新しい家に行ってる。向こうでマナを待ってる」
「どうして?」
「マナを世話したいって貴族がいるがいいか、って先に母ちゃんの許しを取ったんだ。だって母ちゃんが嫌だって言ったら困ると思って」
「そっか……」
ルナにそんな話をしたのは本当のことだ。マナが哀れと泣くルナの背を撫でて、このままではもっと苦労すると説得した。そしてとうとうルナも頷いた。
「まず、宿に行ってバスを使って――服もお嬢さまに相応しいものを新しく用意した。それを着て母ちゃんが待っている家に行こう」
うん、とマナが頷くのを見てフィルが言う。
「もう一つ約束して欲しいことがある――これから知りあう人には、母ちゃんに言ったことと同じことを必ず言うんだ。貴族の世話になっている、と。本当のことを母ちゃんに知られるわけにはいかない。そして、マナを世話している貴族は忙しくてなかなか来れないってことにするんだ」
約束する、とマナが微笑む。そして大事そうに抱えた桃の瓶詰を嬉しそうに見た。
頃合いを見て店の裏に回る。狭苦しい路地には思った通りゴミ置き場があった。少し離れて、ネズミが出てきそうな路地でじっと待っているとやがて勝手口を開ける気配がする。フィルは慌てて物陰に隠れた。
初老の女に話を聞いた後、街中を走り回りお膳立ては済ませた。あとはマナをその気にさせ、今日のうちにすべてを終わらせたい。嫌な予感がした。早くこの街を出たほうがいい。嫌な予感は当たると相場が決まっている。きっと追手がこの街に来たんだ――
勝手口から大きなゴミ箱を持ってマナが現れフィルをホッとさせる。マナが出てくるのを待っていたフィルだ。
「やぁ……」
物陰から出て、マナに話しかける。マナがきょとんとフィルを見た。
「重そうだね――ここに置けばいいのかい?」
ゴミ箱に手を伸ばすと、警戒してマナが身を引く。そのマナにフィルが微笑む。
「怪しいヤツだって思われたよな? そりゃあもっともだ。なんで馴れ馴れしく話しかけてくるんだって思うよな――あんたは俺を知らないだろうが、俺はあんたを知っている。グラップ通りの裏に住んでるマナ、そうだろう? 母ちゃんはルナだ」
フィルをじろじろ見てから、マナが面倒そうに言った
「それでなんの用? 変なことしたら人を呼ぶよ。大声出すよ」
「怖がらせてごめんよ――俺さ、あんたの父ちゃんに頼まれて、あんたと母ちゃんを探してたんだ」
「父ちゃん?」
「うん、本当なら父上って言わなきゃな、お貴族さまだ」
「……父ちゃんになんか会ったことない」
「だからさ、探してくれって。随分探し回ったんだよ」
「いまさらなにを?」
「父ちゃんはマナと母ちゃんを手放したことを後悔してるんだ。酷いことをしてしまったってね――今からでも償いたいって思ってる」
「償う?」
「うん、本当なら二人を引き取って一緒に暮らしたい。でも正式な奥方がいる。だからできない――その替わり、生活が立つよう手助けしたい」
マナの表情が目まぐるしく変わる。怒り、恐れ、そして安堵――でも、信じられないと目が言っている。
「あ、そうだ、これこれ――忘れるところだった」
手にした包みから、フィルが瓶を一つ取り出した。やっと見つけたシラップ漬けの桃の瓶詰だ。生のものが欲しかったが、季節柄、瓶詰がやっとだった。
「これを母ちゃんにって、父ちゃんから預かってきたんだ。ルナは桃が好きだったって。今は季節じゃないから生の桃は手に入らない。瓶詰で申し訳ないって」
「桃?」
マナの表情が今度は大きく変わった。
「これが桃? くれるの?」
「もちろんだとも。マナと母ちゃんのためのものだ」
「――本当に父ちゃんはわたしと母ちゃんを助けてくれる?」
瓶詰めとフィルを見比べながらマナが尋ねた。
「マナと母ちゃんのために家を用意した。そこに住んで、今までの生活を断ち切って欲しい――曲がりなりにも貴族の令嬢に、あんな暮らしをさせていたとは世間に知られたくない」
「貴族の令嬢?」
「令嬢ってのはお嬢さまって意味だ――できるかい? 今すぐエスカルゴをやめて、俺と一緒にその家に行く。そして今までの知り合いにはもう会わない」
「ここを辞めたら食べていけないわ」
「大丈夫、ちゃんと金は渡す。母ちゃんを医者に診て貰って二人で生活して、それでも十年は余裕がある金額だ」
「母ちゃんをお医者に?」
「うん、診て貰って早く元気になって貰おう――でもね、マナ、母ちゃんには父ちゃんが金を出してくれたなんて言っちゃダメだ」
「えっ? なんで?」
「母ちゃんはきっと父ちゃんを恨んでる。世話になりたくないはずだ」
「だったらわたしも……」
「よく考えろマナ、母ちゃんのためだ。父ちゃんの世話になったほうがいい――まぁ、どうしても嫌だというなら無理強いはしない」
「待って! 母ちゃんには言わない。でも、どうやって母ちゃんを家に連れて行くの?」
「母ちゃんにはこう言おう。マナは貴族の世話になることになった――まったくの嘘ってわけでもない」
本当は嘘だ、まったくの出鱈目だ。微かにフィルの胸が痛む。でも、他にいい考えが浮かばない。
ややあって、マナが顔を上げフィルに言った。
「判った、わたし、父ちゃんを信じる」
うん、とフィルが頷く。
「それじゃあ、今すぐ行こう」
「うん、店主に挨拶してくる」
「いやダメだ、マナは行方不明になるんだ。貧乏なマナはもう消えた。今日からは貴族のお嬢さんのマナだ。判るか?」
フィルが真剣な眼差しをマナに向ける。その目を見つめマナが頷く。
「判った。貧乏だったってこと、忘れる。母ちゃんを迎えに行こう」
「ごめん、マナ、母ちゃんはもう新しい家に行ってる。向こうでマナを待ってる」
「どうして?」
「マナを世話したいって貴族がいるがいいか、って先に母ちゃんの許しを取ったんだ。だって母ちゃんが嫌だって言ったら困ると思って」
「そっか……」
ルナにそんな話をしたのは本当のことだ。マナが哀れと泣くルナの背を撫でて、このままではもっと苦労すると説得した。そしてとうとうルナも頷いた。
「まず、宿に行ってバスを使って――服もお嬢さまに相応しいものを新しく用意した。それを着て母ちゃんが待っている家に行こう」
うん、とマナが頷くのを見てフィルが言う。
「もう一つ約束して欲しいことがある――これから知りあう人には、母ちゃんに言ったことと同じことを必ず言うんだ。貴族の世話になっている、と。本当のことを母ちゃんに知られるわけにはいかない。そして、マナを世話している貴族は忙しくてなかなか来れないってことにするんだ」
約束する、とマナが微笑む。そして大事そうに抱えた桃の瓶詰を嬉しそうに見た。
10
あなたにおすすめの小説
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
招かれざる客を拒む店
篠月珪霞
ファンタジー
そこは、寂れた村のある一角。ひっそりとした佇いに気付く人間は少ない。通称「招かれざる客を拒む店」。正式名称が知られていないため、便宜上の店名だったが。
静寂と平穏を壊す騒々しさは、一定間隔でやってくる。今日もまた、一人。
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
包帯妻の素顔は。
サイコちゃん
恋愛
顔を包帯でぐるぐる巻きにした妻アデラインは夫ベイジルから離縁を突きつける手紙を受け取る。手柄を立てた夫は戦地で出会った聖女見習いのミアと結婚したいらしく、妻の悪評をでっち上げて離縁を突きつけたのだ。一方、アデラインは離縁を受け入れて、包帯を取って見せた。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。
蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。
これで、貴方も私も自由です。
……だから、もういいですよね?
私も、自由にして……。
5年後。
私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、
親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、
今日も幸せに子育てをしています。
だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。
私のことは忘れて……。
これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。
はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる