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アースの助言に従い、馬車を降りたどさくさに紛れて逃げ出すつもりだったフィルだが、そうもいかなくなった。馬車が止まると同時に屋敷の中からバラバラと武装した数人が出てきて取り囲まれる。オリレーズの屋敷の者たちが、荷台に乗る二人を不審に思ったのだ。それを見て、籠から出てきたオリレーズが慌てる。
「俺の客だ、丁重にご案内しろ」
丁重に扱い身の安全を保障する、アースが出した条件だ。詩人を怒らせたくはない。
「案内? オリレーズ、おまえが案内してくれるのではないのか?」
アースの問いに、
「まずはお茶など差し上げよう」
とオリレーズが答えれば、
「丁重に扱えとは言ったが、持て成せと言った覚えはない。さっさと用事を済ませよう」
とアースが言う。
「では、すぐにでも――そのあと食事……寝室に二人分、運ばせればよいか?」
なるべく表情に出さないようにしているのだろうが、オリレーズの声にはどうしても皮肉の匂いが漂うようだ。
「いや、それも不要――終わったらすぐに出て行く」
「うむ……ではこちらへ」
ほかに宿はとってあるのかもしれないな、早くそこに行きたいか。我が屋敷では俺や使用人の目や耳が気になるのだな――オリレーズが邪推する。だがどうでもいい。妻に美しい容姿を見せ、歌声を聞かせられれば、それでいい。何も知らない妻にはそれだけが残る。
オリレーズが屋敷に入りアースがそれに続けば、取り囲んでいた使用人がフィルに続けと顎で言う。逃げ出す訳にもいかないフィルはアースの後ろを行くしかない。フィルに顎で示した使用人ともう一人がついてくる。逃げる隙がなくなった。こうなったら、用事を済ませたアースとともに裏口から出してくれと頼むしかない。正面から出て行けるような身分ではないと言えば、きっと聞き入れてくれる。
オリレーズの先導で屋敷の中を進む。なるほど、さすが国王の妹を妻にするだけはある、屋敷も立派だが、そこかしこに置かれた装飾品や調度はどれも、街中では見られないような高価な物ばかりだ。もちろんフィルに頂戴しようなんて気はない。言われなくても手を出すものか、捌くのに困るだけだと判っている。
と、アースが立ち止まり、目の前の扉をじっと見る。気が付いたオリレーズが振り向いて、『どうした?』と声をかけた。
「この扉は? オリレーズ、おまえの寝所がある部屋ではないのか?」
「なぜ判った? 確かにそこは俺の部屋だが、それがなんだと言うのだ?」
「この部屋に鏡はあるか? 布で覆われているか、曇ってよくは映らない鏡だ――よく磨いて自分をちゃんと映し出せ」
「おまえ……何が言いたい? わたしの容姿を揶揄うつもりか?」
「自分を見失うなと言ったまで――判らないのならいい。おまえの妻はどこにいる? 妻にわたしの歌を聞かせたいのではなかったか?」
怒りで赤くなったオリレーズの顔の色が褪めていく。やはり妻に詩人の歌声を聞かせたい、その思いが怒りを鎮めさせたのだ。詩人の機嫌を損ねるのは拙い。平静を装ってオリレーズが扉を開く。
「妻はこちらの部屋にいる。夫婦であっても、下々のように同じ部屋にいるとは限らない」
オリレーズが開けたのはアースが立ち止まった部屋の隣の扉だった。途端に廊下に花の香が漂い始める。アースが頷いてその扉に向かう。
オリレーズの妻は侍女に髪を結わせていたようだ。手鏡やブラシを持った侍女たちが、オリレーズを見て後ろに退いた。
「姫、とうとう詩人を連れ帰ったぞ」
嬉しそうなオリレーズの声が響く。妻はそっと溜息を吐いたようだ。オリレーズはそれを妻が喜んでいるのだと受け取った。
「さぁ! 姫がお待ちかねだ。早く入って姿を見せろ、歌を聞かせろ」
「歌うのはやぶさかではないが……おまえの従者たちに聞かせる約束をした覚えはない」
「な――判った、おまえたち、下がれ、この部屋から遠ざかれ」
不満そうだが、オリレーズ、ここでも詩人の機嫌を損ねるのを恐れたようだ。館の入り口からついてきた従者も、妻の傍らにいた侍女たちも部屋を出て行く。
従者たちが廊下の向こうに消えるのを確認したオリレーズが扉を閉めようとする。するとアースが
「音が籠る、開けておけ」
と、それを止めた。そんなものか、と疑う事のないオリレーズだ。
「さぁ、早く――」
「そう急くな。竪琴の準備をする間くらい待て。この椅子を借りるぞ――フィル、手伝え」
急に名を呼ばれたフィル、慌ててアースに駆け寄った勢いで躓き、それをアースが支え、耳元でなにか囁いた。アースがわざと足を掛けたとフィルは気が付いてなどいない。
「えっ?」
思わずフィルが聞き返す。が、言うとおりにしろ、としかアースは答えない。そのまま椅子に腰かけると、竪琴の調弦を始めた。
「まだか?」
部屋の奥に進んだオリレーズが妻の傍らに立つと、再び催促した。
竪琴を手にして立ち上がり、アースが答える。
「あぁ、準備は済んだ。今、行くぞ」
するとオリレーズ、嬉しそうな顔で妻を見る。だが、どことなく不安そうだ。それでも
「やっとお聞かせできるようです」
と微笑んだ。
その隙にフィルが部屋を抜け出した。オリレーズの部屋に忍び込め――アースはフィルの耳元でそう囁いていた。
「俺の客だ、丁重にご案内しろ」
丁重に扱い身の安全を保障する、アースが出した条件だ。詩人を怒らせたくはない。
「案内? オリレーズ、おまえが案内してくれるのではないのか?」
アースの問いに、
「まずはお茶など差し上げよう」
とオリレーズが答えれば、
「丁重に扱えとは言ったが、持て成せと言った覚えはない。さっさと用事を済ませよう」
とアースが言う。
「では、すぐにでも――そのあと食事……寝室に二人分、運ばせればよいか?」
なるべく表情に出さないようにしているのだろうが、オリレーズの声にはどうしても皮肉の匂いが漂うようだ。
「いや、それも不要――終わったらすぐに出て行く」
「うむ……ではこちらへ」
ほかに宿はとってあるのかもしれないな、早くそこに行きたいか。我が屋敷では俺や使用人の目や耳が気になるのだな――オリレーズが邪推する。だがどうでもいい。妻に美しい容姿を見せ、歌声を聞かせられれば、それでいい。何も知らない妻にはそれだけが残る。
オリレーズが屋敷に入りアースがそれに続けば、取り囲んでいた使用人がフィルに続けと顎で言う。逃げ出す訳にもいかないフィルはアースの後ろを行くしかない。フィルに顎で示した使用人ともう一人がついてくる。逃げる隙がなくなった。こうなったら、用事を済ませたアースとともに裏口から出してくれと頼むしかない。正面から出て行けるような身分ではないと言えば、きっと聞き入れてくれる。
オリレーズの先導で屋敷の中を進む。なるほど、さすが国王の妹を妻にするだけはある、屋敷も立派だが、そこかしこに置かれた装飾品や調度はどれも、街中では見られないような高価な物ばかりだ。もちろんフィルに頂戴しようなんて気はない。言われなくても手を出すものか、捌くのに困るだけだと判っている。
と、アースが立ち止まり、目の前の扉をじっと見る。気が付いたオリレーズが振り向いて、『どうした?』と声をかけた。
「この扉は? オリレーズ、おまえの寝所がある部屋ではないのか?」
「なぜ判った? 確かにそこは俺の部屋だが、それがなんだと言うのだ?」
「この部屋に鏡はあるか? 布で覆われているか、曇ってよくは映らない鏡だ――よく磨いて自分をちゃんと映し出せ」
「おまえ……何が言いたい? わたしの容姿を揶揄うつもりか?」
「自分を見失うなと言ったまで――判らないのならいい。おまえの妻はどこにいる? 妻にわたしの歌を聞かせたいのではなかったか?」
怒りで赤くなったオリレーズの顔の色が褪めていく。やはり妻に詩人の歌声を聞かせたい、その思いが怒りを鎮めさせたのだ。詩人の機嫌を損ねるのは拙い。平静を装ってオリレーズが扉を開く。
「妻はこちらの部屋にいる。夫婦であっても、下々のように同じ部屋にいるとは限らない」
オリレーズが開けたのはアースが立ち止まった部屋の隣の扉だった。途端に廊下に花の香が漂い始める。アースが頷いてその扉に向かう。
オリレーズの妻は侍女に髪を結わせていたようだ。手鏡やブラシを持った侍女たちが、オリレーズを見て後ろに退いた。
「姫、とうとう詩人を連れ帰ったぞ」
嬉しそうなオリレーズの声が響く。妻はそっと溜息を吐いたようだ。オリレーズはそれを妻が喜んでいるのだと受け取った。
「さぁ! 姫がお待ちかねだ。早く入って姿を見せろ、歌を聞かせろ」
「歌うのはやぶさかではないが……おまえの従者たちに聞かせる約束をした覚えはない」
「な――判った、おまえたち、下がれ、この部屋から遠ざかれ」
不満そうだが、オリレーズ、ここでも詩人の機嫌を損ねるのを恐れたようだ。館の入り口からついてきた従者も、妻の傍らにいた侍女たちも部屋を出て行く。
従者たちが廊下の向こうに消えるのを確認したオリレーズが扉を閉めようとする。するとアースが
「音が籠る、開けておけ」
と、それを止めた。そんなものか、と疑う事のないオリレーズだ。
「さぁ、早く――」
「そう急くな。竪琴の準備をする間くらい待て。この椅子を借りるぞ――フィル、手伝え」
急に名を呼ばれたフィル、慌ててアースに駆け寄った勢いで躓き、それをアースが支え、耳元でなにか囁いた。アースがわざと足を掛けたとフィルは気が付いてなどいない。
「えっ?」
思わずフィルが聞き返す。が、言うとおりにしろ、としかアースは答えない。そのまま椅子に腰かけると、竪琴の調弦を始めた。
「まだか?」
部屋の奥に進んだオリレーズが妻の傍らに立つと、再び催促した。
竪琴を手にして立ち上がり、アースが答える。
「あぁ、準備は済んだ。今、行くぞ」
するとオリレーズ、嬉しそうな顔で妻を見る。だが、どことなく不安そうだ。それでも
「やっとお聞かせできるようです」
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