きみの嘘。ぼくの罪。すべてが『おもいでだ』としても

寄賀あける

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 しつこく鳴るインターホンの音に、とうとう懐空かいあの目が覚める。時計を見ると八時を回ったところだ。こんな時間に誰だ? と、いぶかりながらベッドから起きようとする。するとすぐそこにジョイが寝ていて、踏みそうになって慌てる。いつもは由紀恵ゆきえの部屋で寝るジョイがここにいる――あぁ、そうだ、母さんは熱海に花火を見に行くって言ってたっけ、ぼんやりした頭で思い出す。

 インターホンを鳴らしていたのは満里奈まりなだった。
「懐空、おはよう、まだ寝てたの?」
「あっちぃなぁ……」
満里奈に答えず、夏の暑さを懐空がぼやく。

 本当はウザいと言いたかった。何時なんじまで寝ていようが干渉されるいわれはない。でも性分で、喧嘩腰の言葉は言えない。
「ンで、何の用?」
「由紀恵おばさん、留守なの?」
「なんだ、母さんに用事か。夕方には帰るって言ってたよ」
「ううん、こんなに待たされるのって、おばさんがいないんだなと思ったの」

 面倒だな、と思いながら、
「庭に回って……ダイニングの戸を開けるよ」
と、玄関扉を閉める。このまま長話になると、どんどん蚊が入ってきそうだ。ダイニングに回り、蚊取り線香に火をつける。掃き出し窓を開けると満里奈に線香を渡し、麦茶、飲むか? と聞いた。

「それで、今日は何?」
冷えた麦茶を満里奈に渡しながら懐空が問う。暑さにグラスも汗をかいている。
「今日はね!」
満里奈が嬉しそうに声を大きくする。
「どっかーーーん! 江の島の花火大会の日です!」
「行かないよ」

「ブーッ! まだ誘ってない」
「そうか、なら誘ったりするなよ」
自分の麦茶を飲み切って、ポツリと懐空が言う。

「ンっとに、懐空、冷たい」
「ンっとに、麦茶冷たい、よく冷えてる――お代わりする?」
返事も待たずに懐空は冷蔵庫のほうに行ってしまう。満里奈の麦茶はまだ一口も飲まれていなかった。

 掃き出し窓に腰かけて満里奈が言う。
「毎日家にいっぱなしで、よく飽きないねぇ」
「仕事してるからね、飽きる暇なんかないよ――僕が家でごろごろしてるとでも思ってるの?」
「思ってないけど……」

 麦茶を注ぎ足したグラスをテーブルに置いたまま、冷蔵庫をのぞき込む懐空に満里奈が、
「朝ごはん? 何か作ろうか? 遠慮しないで」
と、嬉しそうに言う。

「いーや、遠慮もしないし、頼みもしない」
白いトレーを冷蔵庫から出して、ガステーブルに向かうと、魚焼きグリルに火をつけた。白いトレーからサケを一切れ出して焼き始める。

「大学のころ、家を出てるのは知ってるよね。家事全般、自分でできるよ」
「ふーーん、それ、嫁はいらねぇって聞こえる」

 え? と懐空がつい笑って満里奈を見る。
「満里奈の発想って、面白いね。ちょっと飛び過ぎじゃない?」
「飛び過ぎって?」

「だいたいさ、家事をして欲しくって結婚するわけじゃないしさ」
「それじゃあ、懐空、結婚はしたいって思ってるんだ?」
「そりゃあね」
「だったら家にいてばかりじゃ相手が見つからないよ」

 薬缶やかんに水を入れて火にかける。棚からインスタントの味噌汁を出してくると
「なんだ、お味噌汁、インスタントじゃん」
と、満里奈が笑う。

「一人分だからね、作るまでもないだろう?」
「夜も食べればいいじゃん――それより朝ごはん、サケだけ?」
「おにぎりにするんだよ。あと、トマトがある」
「なるほどね」
何が『なるほど』なんだか。そう思ったが言わずにいた。

 ジョイの食器にドッグフードを入れていると、満里奈がおずおずと、また訊いてきた。
「本当に懐空、結婚したいと思ってる?」
「思ってるよ」
来たか、と心の中で懐空は思うがそんなことはおくびにも出さない。頻繁にくる満里奈に、まさかね、とは思いつつ、ひょっとしたらと思い始めていた懐空だ。

 できれば巧くはぐらかしたい。でも、はっきりさせなければあとを引くだけだ。どうしようか?

「どんな相手がいいの?」
「相手?」
「そうそう、結婚する相手。どんな人が好き?」
魚焼きグリルをのぞき込み、焼けているのを確認して火を消す。皿にサケを取り出して身をほぐす。

「どんなっていうか、もう相手は決まってるよ」
「え?」
「婚約者がいるんだ――いつ結婚するかは決めていないけどね」
予想が当たっていれば、これでももう、用事もないのに満里奈がここに来ることはなくなるだろう。

「そう……なんだ」
あからさまに満里奈の元気がなくなる。
「どんな人?」

「どんな人ねぇ……年上で綺麗な人」
「懐空って面食いだったの? あぁ、由紀恵おばさん、美人だものね」
「別に、美人だからって好きになったわけじゃないよ」
「じゃあ、なんで?」

 サケを解し終わり、握った後に巻く海苔のりを用意する。ジャーを開けて茶碗に白飯を盛り、そこに解したサケを乗せる。

「心が揺れたから――」
「心が揺れたの?」
「うん――僕の心が揺れて、崩れそうになった。それを彼女が支えてくれた。僕も彼女を支えたいと思った」
「……懐空って、やっぱり作家なんだね」

 サケを盛った白飯を、水で濡らして塩を全体に広げた掌に取る。何度か握りしめてから形を整え、最後に海苔を巻き付けた。

「作家だなんて嘘だと思ってた?――食うか?」
出来立てのおにぎりを満里奈に差し出す。受け取りながら満里奈が言う。

「優しいからとか、楽しいからとか、そんな返事が来ると思ってた」
軽く笑いながら『そうか』と懐空は答えた。

「わたしさぁ……」
おにぎりにかじりつきながら満里奈が言う。
「懐空、大学卒業して帰ってきたとき、様子がおかしかったじゃん。随分心配したんだよ」
うん、と懐空が応える。だけど余計なことは言わない。

「だんだん懐空は元気になって、わたしも安心した。でも、安心すればするほど、懐空のこと好きなんだって、気が付いたの」
今度も何も答えない。

「でも、判ってた。懐空は絶対わたしを好きになってくれないって。嫌いはしないけど、女としては見てくれないって――なんでだろうって思ってた。そんなにわたしって魅力ないのかなって、泣きたくなった。でも、違ったんだね。懐空には大事だいじな人がいたからなんだね」
そう言って、また一口おにぎりを頬張る。
「いい塩加減だね」

「うん、彼女、おにぎりが大好きでね。よく作った」
「懐空が彼女のために作るの?」
「僕が作ったり、彼女が作ったり。彼女のほうが上手だ」
「そっかぁ」

 おにぎりを食べ終えて満里奈が立ち上がる。
「ごちそうさま――それじゃまた来るね」
「おう、気を付けて帰れよ」
「今度は恋愛相談に来るから。覚悟しておいて」
満里奈の明るい声が庭を駆け抜けていった。

 食事を終え、一息つくと懐空はジョイを連れて散歩に出かけている。人の多い海岸を避け、なるべく木陰の多い道を選んだ。

 満里奈の話で、六月に行った鹿児島のことを思い出していた。大学の時からの親友忠司ただしの結婚披露宴に出席するため、一泊で出かけた。

 宮崎空港には忠司の兄が迎えに来てくれたが、思った通り忠司は忙しく、結局ろくに話はできなかった。新郎なのだからそりゃそうだと思う。

 忠司の兄は穏やかにのんびり話す人で、見た目は忠司を丸くしたみたいだと思った。が、披露宴に登場した忠司を見て、そっくりだと思い直した。五年の間に忠司も丸くなっていた。

 それに引き換え、新婦の梨々香りりかは美しくなったと懐空は感じていた。ウエディングドレスのせいだけじゃないと思った。二人とも幸せなんだ、だから忠司は丸くなり、梨々香さんは美しさが増したんだ……

 必ず愛実に相応ふさわしい男になる。だから待ってて――愛実に言った言葉を懐空は思い出す。僕は愛実に相応しくなれただろうか?

 僕に相応しいかどうかは僕が決める。そうも懐空は言った。愛実に僕が相応しいかは愛実が決めることだ。

 幸せそうな笑顔を見せる友人夫婦を眺めながら、愛実の答えが聞きたいと懐空は強く願っていた。
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