きみの嘘。ぼくの罪。すべてが『おもいでだ』としても

寄賀あける

文字の大きさ
24 / 32

24

しおりを挟む
 へぇ、と懐空かいあが嘲笑する。
懺悔ざんげを僕に聞かせたい? そりゃあいいや。さぞかし、そちらは気持ちいいことだろうね」
「やめて、懐空」
由紀恵ゆきえの声は泣きそうだ。

風空ふくも! わざと話をややこしくしないで! あなたも座って!」
ふく、と呼ばれた杉山すぎやま苦笑にがわらいの後、ゆっくりとソファーに腰をおろす。

「ふく?」
「杉山の本名よ――いいから懐空も座って」

 杉山の対面に押し出され、しぶしぶ懐空も腰掛けた。正面を見ると杉山が余裕のある笑みを見せている。
「キミはなぜ由紀恵がキミに、ふところに空と書いて『懐空』と名付けたのか知っているかい?」

 由紀恵が回り込んで杉山の隣に腰をおろす。
「わたしのデビュー作のヒロインからだと思っているのなら、それはきっと違うよ」

「どう違うと? だれが見たって一目瞭然だ」
「うん、他人ならそう思うだろうね。でもね、当事者しか知らない事実がある」
「当事者……」

「わたしのペンネームの由来は誰にも話したことがない。でも由紀恵は判っているんじゃないかな?」
懐空から視線を外し、杉山が静かに由紀恵を見る。杉山を見つめて由紀恵がそっとうなずいた。

「出会ったのは真夏の海岸、わたしのサーフボードを由紀恵が覗き込み、海なのに風と空なのね、と言った――風と空と書いて『ふく』と読ませる。それがわたしの本名で、ボードに書いていたんだ」
由紀恵の口元が僅かに笑みを浮かべる。その時のことを思い出しているのだろうか。

「それがわたしの名だと知ると、由紀恵は『あなたのそばにいればどんなに暑い夏でも涼しい風が吹いてきそうね』と言った」
「涼しく成る……」
懐空がぽつりと呟く。

「初めて抱き合った時、由紀恵は『空の懐に包まれた』と言った。それに応えてわたしは、懐が海で満たされた、と言った――小説を書き始め、ヒロインの名を考えた時、懐に海、それしかないとわたしは思った。キミの名を決めるとき、きっと由紀恵もその時のことを思い出した、違うのかな?」
それに応える由紀恵の言葉はない。ただ杉山の顔を見つめている。きっと杉山の言う通りなのだろう。

 それにしても、と懐空は思う。きっとこのまま黙って聞いていたら、聞かされるのは懺悔なんかじゃない。二人の恋の顛末てんまつ、言わば惚気のろけだ。だって母さんの顔が幸せそうだ。昔を思い出して嬉しそうにしている。

 思い出だけで、母さんにこんな顔をさせる恋、なのになぜ母さんはこの男の前から姿を消した?

「出会った時、わたしは十九、もうすぐ二十になるころだった。由紀恵は三十四だったか」
「えっ?」
思わず懐空が声を上げ、杉山が苦笑する。

「うん……由紀恵とわたしは随分ととしが離れている。あの時、由紀恵から見ればわたしはほんの子どもにしか見えなかっただろう。わたしにしても、由紀恵と深い仲になるなんて想像もしていなかった」

 由紀恵は毎日のように海を見に来ていた。わたしは由紀恵を見つけると、海から出て由紀恵のところへ走った。なぜかはよく判らないが、由紀恵が待っているような気がした。

「そうね、待っていたわ」
呟くように由紀恵が言った。そして続けた。
「初対面の翌日には、わたしを『由紀恵』って呼び捨てにした。生意気な坊やって思った。でも、嬉しかったの。わたしを由紀恵って呼んだのは、両親とこの人と、もう一人だけだった。今までずっと、よ」
ちらりと杉山が由紀恵を盗み見る。

「懐空、うちには親戚がいないでしょう? わたしが中学二年の時、両親は揃って交通事故で他界しているの。わたし、兄弟もいなかったから……」

「中学二年、って……それから母さん、どうしてたの?」
つい懐空が由紀恵に問う。話がれて、誤魔化されてしまいそうだと思いながら。

「両親が死んだとき、親戚は誰もわたしを引き取ってくれなかった。それきり縁は切れたのね。父の……懐空にとってはお祖父ちゃんの友人が里子としてわたしを引き取ってくれて、高校卒業までは一緒に暮らした。お世話になりっぱなしで、なんのお返しもできていない。事情があって今はどこにいるか判らないの」
「事情って?」

 さらに懐空は由紀恵に尋ねる。まずいと思った。向こうのペースに乗せられている。でも、由紀恵が自分の身の上話をするのは初めてだ。もう二度と、聞けるチャンスはないかもしれない。

 すると杉山が横から入る。
「言いたくないことは言わなくていい。直接は関係のない話だ」
由紀恵がそんな杉山を見つめ首を振る。

「ううん、懐空だけじゃなく、あなたにも聞いて欲しいのよ。この話になるとあなたはいつも逃げる。一度くらいちゃんと聞きなさい」
そして由紀恵は懐空に向き直る。
「その家には母さんより一つ年上の男の子がいた。ぶっきらぼうだけど、優しい人だった。母さんはその人を好きになった。わたしを由紀恵と呼ぶ、もう一人……初恋だった」

 その人もサーファーで、母さんはよく海岸で帰ってくるのを待ってたわ。互いに思いを打ち明けたことなんかなかったけれど、どこかで信じてた。彼もわたしを好きだ、って。

「でもね、彼は海に消えた。帰ってきたのはボードだけ。海岸に打ち寄せられたの」

 なぜ彼があんな無茶なことをしたのか、最初は誰にも判らなかった。荒れる海にサーフボードで乗り出したの。それきり彼は海から帰ってくることがなかった。

「一年半が過ぎ、わたしは進学しないで、地元での就職を決めた。そしたら彼のご両親がわたしに言った」

 この家は売る。近くにアパートを借りてくれないか。そして二度とわたしたちに近寄らないで欲しい。

「ご両親ともわたしに親切にしてくれていた。わたしは二人に感謝していた。就職したら、亡くなった彼の分まで親孝行したいと思っていた。でも、話を聞いて無理だって判った」

 わたしはその時まで知らなかったけれど、彼は日記を残していたの。そこに『もうすぐ嵐が来る。その波に一度でも立てたなら、由紀恵に思いを伝えよう。一度でも立てたらきっと勇気が出るはずだ』って。

「由紀恵ちゃんのせいじゃないって判ってる、でも、由紀恵ちゃんを見ると辛い。この子のせいで自分たちの息子は……違うと判っていてもそう思ってしまう」

 だから、自分たち夫婦は、もう由紀恵ちゃんとは暮らしていけない。一年半、我慢してきた。それで勘弁して欲しい――そうだったのかって、に落ちることもあったわ。優しかった二人が、どことなく他人行儀になったと感じてた。一人息子を亡くしたショックで落ち込んでいるんだと思ってた。そうじゃなく、こういうことだったんだ。

「彼が海に挑む前日、東京の大学に行ったら向こうで一人暮らしだって言う彼に、わたしね、『好き』っていったの。いなくなってしまうのが寂しくて、悲しくて。ただ一言だけ、好きって。彼は何も答えてくれなかった。でも、『由紀恵が好きだって僕も言いたい、でも勇気が出ない』、そう日記に書いてた。わたしの思いが彼を追い詰めたんだ、って思った」

 日記には、わたしがあの家に引き取られた日から、一日も欠かさずわたしのことが書いてあった。

 最初はいけ好かないヤツが家に来た、だった。悪口ばかり書かれてた。それがだんだんこんないい所もある、に変わって、可愛いヤツだ、に変わっていった――

「里親の二人は家を売り、引っ越した。多分、海の気配を感じない場所、海は辛いだけの場所になったから」

 引っ越し先は教えて貰えなかった。わたしも訊かなかった。訊けば教えてくれたと思う。困った事があれば頼りなさい、と、きっと言いたかったと思う。でも、言えなかったんじゃないかな。

「わたしは決まっていた就職先で働き始め、里親の世話で借りたアパートで暮らした。そして毎日、海を見に行った。もしかしたら、ひょっとしたら、彼が帰ってくるかもしれない」

 そして海が彼を奪ってから十七年経った――

 いつもと同じ夏、いつものようにサーファーが海にいて、今年も同じことの繰り返し、きっと彼は帰ってこない。そう思っていたのに。

「一人の男の子が波から上がって、わたしに向かって駆けてきた。一瞬、彼が帰ってきたってわたしは思った」

 それはその前日、わたしに名前を教えてくれ、わたしの名前を聞いた子だった。

「やぁ、由紀恵、って、いきなり言った。由紀恵、よ? びっくりしたわ。でも、嬉しかったの」

 由紀恵の隣で静かに話を聞いていた杉山が腕を組んで目を閉じた。

「で、『明日も来る?』って聞かれて、多分ね、って答えたら、判った、ってニッコリ笑ってまた海に行っちゃったの。何しに来たんだろう、って思った」

 それから毎日同じ。走ってきては、また来る? って聞いて行っちゃう。わたしは、わたしはね。

「もっと彼と話がしたい。もっと一緒に居たい。そう思った。わたしが先に風空を好きになったのよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

サンスクミ〜学園のアイドルと偶然同じバイト先になったら俺を3度も振った美少女までついてきた〜

野谷 海
恋愛
「俺、やっぱり君が好きだ! 付き合って欲しい!」   「ごめんね青嶋くん……やっぱり青嶋くんとは付き合えない……」 この3度目の告白にも敗れ、青嶋将は大好きな小浦舞への想いを胸の内へとしまい込んで前に進む。 半年ほど経ち、彼らは何の因果か同じクラスになっていた。 別のクラスでも仲の良かった去年とは違い、距離が近くなったにも関わらず2人が会話をする事はない。 そんな折、将がアルバイトする焼鳥屋に入ってきた新人が同じ学校の同級生で、さらには舞の親友だった。 学校とアルバイト先を巻き込んでもつれる彼らの奇妙な三角関係ははたしてーー ⭐︎第3部より毎週月・木・土曜日の朝7時に最新話を投稿します。 ⭐︎もしも気に入って頂けたら、ぜひブックマークやいいね、コメントなど頂けるととても励みになります。 ※表紙絵、挿絵はAI作成です。 ※この作品はフィクションであり、作中に登場する人物、団体等は全て架空です。

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?

すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。 お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」 その母は・・迎えにくることは無かった。 代わりに迎えに来た『父』と『兄』。 私の引き取り先は『本当の家』だった。 お父さん「鈴の家だよ?」 鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」 新しい家で始まる生活。 でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。 鈴「うぁ・・・・。」 兄「鈴!?」 倒れることが多くなっていく日々・・・。 そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。 『もう・・妹にみれない・・・。』 『お兄ちゃん・・・。』 「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」 「ーーーーっ!」 ※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。 ※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 ※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。 ※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)

【完結】男の後輩に告白されたオレと、様子のおかしくなった幼なじみの話

須宮りんこ
BL
【あらすじ】 高校三年生の椿叶太には女子からモテまくりの幼なじみ・五十嵐青がいる。 二人は顔を合わせば絡む仲ではあるものの、叶太にとって青は生意気な幼なじみでしかない。 そんなある日、叶太は北村という一つ下の後輩・北村から告白される。 青いわく友達目線で見ても北村はいい奴らしい。しかも青とは違い、素直で礼儀正しい北村に叶太は好感を持つ。北村の希望もあって、まずは普通の先輩後輩として付き合いをはじめることに。 けれど叶太が北村に告白されたことを知った青の様子が、その日からおかしくなって――? ※本編完結済み。後日談連載中。

処理中です...