抒情小編⋆収納箱

寄賀あける

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秘密

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 同棲中の彼女にはどうやら秘密があるらしい。

 俺がそれに気が付いたのは同棲を始めていくらも経たないうちだ。真夜中――と言うよりは、明け方と言ったほうが正確だろう。ふと覚醒した俺が見たのは彼女の後姿だった。薄闇に、女の白い背中が浮かび上がっている。愛の名残に俺が腕を伸ばそうとしたとき、その背中がすっと宙に舞い上がった。

 滑らかな臀部、それに続く陰り、すらりとした足……俺が見ていることに気付きもせずに、どこへ行こうというのだろう? 音を立てることもなく曲線が移動する。

 ドレッサーの前で止まると、静かに引き出しを開け、何かを取り出している。カチリとかすかに聞こえたのは気のせいかも知れない。

 本? 暗がりで明かりも点けずに? ぱらぱらとページをめくっている。そして不意にまんじりともせず見つめると、次には開いたままの本を胸に抱きしめた。

 それだけだ。たったそれだけなのに、俺の心はなぜかうずいた。見てはいけないものを見たような気がして、後ろめたさに眠ったふりをしていた……

 友人と映画を見に行くといって彼女が出かけたある日、俺は誘惑に負けてドレッサーを開けてみた。

 こまごまとしたものが雑然と並んでいる。化粧水の瓶や口紅、マニキュア――おおよそ俺には興味のないものばかりだ。一目見て、目的の物がそこにないことはすぐ判った。引き出しは一つきりだ。どこか別の場所に『隠した』のだと思った。

『隠した』……隠さなくてはならないものがそこにあるのだ。あいつはなにを隠したいのだろう? それを確かめたい思いが抑えられるはずもなく、俺はたいして広くもない部屋のあちらこちらを探し回った。でも見つからない。

 持って出たんだな。そこまでして隠しておきたいこととはなんなのだろうか……?

 言いようのない不信感を抱いたまま、時間だけは確実に流れていく。その間、彼女が俺に向ける微笑は以前と変わりなく、ただ俺の内部のしこりは出口のない水と同じ腐臭を放っていく。

「このごろ沈みがちね?」
薄闇の中、腕の中で女が呟く。おまえのせいだ、とは言えない。

「仕事が忙しいからね。疲れているんだよ」
自分の声が、知らない他人の声に聞こえる。

 俺の言い訳に納得したのかしないのか、背中にまわされた腕に力がこもり、生温かな身体がぴたりと寄り添ってくる。突き放したい衝動と乱暴に抱きしめたい衝動が同時に俺を襲う。身動きできずにいると、くちづけを求めて女の唇が近づいてくる。

「タバコ……買ってくるよ」
その表情を知るのが怖くて、女の顔を見ずにその場を逃れた。

 一歩外に出ると凍った空気が、いかに俺が暖かな場所にいたかを思い知らせてくれる。

 行くあてもなくふらついていると、人気のない公園が眼にとまった。ジャケットのポケットに手を突っ込むと、タバコが入っていた。そう言えば財布を持ってきていない。苦笑いを浮かべ、ブランコに腰掛けた。

 月のない夜だ。薄闇が、いつかの女の後姿を俺に思い出させる。

 本を抱きしめて涙を流す行為が尋常なものであるとは思えない。何があの本には書いてあるのだろうか? しかも、俺に知られたくない何か……あれ? 泣いていたのを俺は見たか? でもあの雰囲気、あの時アイツは泣いていた。そう、多分、きっとそうだ。でも、本当に?

 考えてもらちのあかないことをぐるぐると繰り返す。俺が腰をかけるのに選んだのがブランコというのも皮肉だ。微かに軋む音が耳につく。錆付いた、そして引き裂かれるような叫び声が、俺の心に反響する。

 タバコのための炎に、部屋の暖かさを連想した。

 不自然な形で部屋を出た俺を思い、あいつは今ごろどうしているだろうか? あの光景を見てからの、俺の変化に気がつかないほど鈍感ではなく、それでいて、今、戻っても、いつもとなんら変わりなく迎えてくれる、そんな柔軟さを持った女。だからこそ、愛しいと思っていたのに、それをと受け止め始めている俺がいる。

 深く煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
(こうやって眺めると、紫煙というのは本当だったのだな)
ヘンなことに感心しながら、心の片隅でふと『枕草子』を暗誦していることに気付く。同時に複数の動きをする心理を笑った。

 部屋に帰るといつもどおり、ベッドに横たわる姿がある。多分眠ったふりだ。神経は鋭く俺に向けられているはずだ。

 同じベッドに入ることに躊躇ためらいを感じながら、そうしないわけにも行かず、ぬくもりの中に潜り込むしかなかった――



 薄闇に、女の後姿が浮かびあがっている。淡いピンク色はパジャマの色だ。そう言えば愛し合った最後はいつだったろうか? そんな惚けたことを思いながら、ぼんやりと眺める。

 桜色が宙を移動する。忍び足で台所へと消えていく。暫くすると冷たい風が流れ込んできた。ドアを開けたのだ。

 半覚醒だった俺の体はいきなり飛び起きていた。どこへ行こうというのだ? まだ、夜は明けたばかりじゃないか!

 何も考えていなかった。行くな、どこへも行かないでくれ――それだけを心の中で叫んでいた。台所を見ると、やはり玄関の戸がうっすらと開いている。慌てて俺は飛び出した。

 朝日が鋭く俺の目に差し込む。ひるんだ俺を笑っている。

「どうしたの?」
すぐそこに屈み込んだ女が、不思議そうに俺を見上げた。そのすぐそばに、俺をいぶかしげに見る猫の姿がある。

「なにしてる?」
「あら、聞いてなかったの?」
昨日、話したじゃないの。毎朝、餌をねだりに来る猫がいるのよ……

 可笑おかしそうにくすくす笑う女と、彼女にまとわりつく猫を眺めながら、身体から力が抜けていくのを感じていた。

 そう言えば今までもこんなこと、いくらもあったじゃないか。俺が聞いてないだけで、こいつは俺に話しているのかもしれないじゃないか。あの本のことだって、きっと――

「なぁ……」
ひとりでに言葉が出てくることを不思議だとは思わなかった。ずっと前から考えていたことを、やっと言えた気がした。

「結婚してくれないか?」
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