おしゃべりオウムに ようこそ

寄賀あける

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33 そしてインコは愛を謳う

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 いったん自室に戻り、山積みの本の中から読み終わったものを選び、講義棟最上階の図書室に向かう。室内に入ったところで本から手を離せば、書架が勝手に収容していった。それからめぼしい本を借り出し、一階のレッスン室に降りていく。

 三限目が終わり、学生たちが次の講義室へと移動を始めている。すれ違う学生たちは皆、アランを認めると挨拶を寄こし道を開けるが、それにアランが会釈を返す。きっと学生たちの中にはアランの目が見えていないことを疑う者もまだいるだろう。アランの動きは自然で、なんの迷いも感じさせない。

 迷いがないはずあるものか、とアラン自身は思う。いつも迷い、怯えている。だから先が知りたいんだ。先を先をと考えてしまうんだ。

 レッスン室に入ると、まず窓を全開にした。風を呼び、室内に溜まっていた埃を外に追いだしてから窓を閉める。いつかイタズラな魔女が幻惑術を使って、学内に花畑やシャボンを出現させてからと言うもの、すっかりやる気が失せてレッスン室を使っていなかったアランだ。

 この部屋でのレッスンは、並べられた席の一つ一つに座る学生を思い浮かべ、どう自分の講義を進めていくかをシミュレーションすると言うものだった。

 学内に現れたシャボンはアランには検知できないものだった。幻覚であり、そこに実在しないものだったからだ。なのにこの部屋で、いもしない学生一人一人の顔や体形や声を思い浮かべることになんの意味があるのだろう? 検知術が及ぶ範囲にいる人物、人でなくても生物、あるいはであろうと、今のアランにはしっかりと認知できるし姿をもできるのに、いない誰かを思い浮かべて感じる意味が判らなかった。

 校長ビルセゼルトが聴講生アラネルトレーネに、その聴講期間内にクリアするよう出した課題の最後の一つでもある。そして一番の難問だった。シミュレートを命じたビルセゼルトは合格基準を示さなかった。ふぅ、と軽くアランが息を吐く。

 一段高く設えられた教壇に立ち、部屋全体に神経を張る。もちろん誰もいない。廊下を移動する学生たちのおしゃべりがほんの少し聞こえてくるが、誰もこの部屋に、用もないのに入って来ない。

 整然と並べられた机と椅子を感じながらゆっくりとアランが歩き出す。
(この席はグランディンバッファ、赤金あかがね寮の一年、少しばかり強い力を持っていて、それを鼻にかけている。成績は悪くない。器用さはそこそこ――)
通り過ぎた席に座る学生の姿が脳裏に浮かぶ。

(そしてこの席は黄金こがね寮の一年キシティムシャナ。魔虫が大好きでその知識にはビルセゼルトも舌を巻く。魔導士としてはそこそこ、魔導生物学者の道を勧めるほうがいいかもしれない。多分本人もそのつもりだ――)

 その席では悪戯そうな赤毛の男の子がノートの端に腐虫の絵を描いていてる。土中に潜み、生き物の死骸を食べてくれる虫だ。通り過ぎるときアランは指先で、キシティムシャナのノートの端を軽く叩き『エクセレント』と書き込んだ。驚いたキシティムシャナがアランを見上げる。

(そして次の席は……)
思い浮かべようとしてアランの足が止まる。そして振り返る。すでにグランディンバッファの姿もキシティムシャナの姿も、彼らのノートもテキストも消えている。

『思い浮かべろ、アラン。この教室を埋め尽くすキミの学生たち。キミは彼らに何を教え、彼らをどう導く?』

(校長……)
それは実際に教壇に立ってからでは遅いのですか? 想像の中の学生たちは僕の想像を出てしまうことがない。笑いさざめく声や、ひそひそ話、こっそり回しあう秘密の伝言、そんなことも想像できる。でもそれはすべて僕のでしかない。

 胸元で両掌を合わせ、それをゆっくりと放して部屋の隅々に波動を行き渡らせる。するとアランの脳裏には、満席の教室が現れる。

 まだ来ない教師を待つ学生たち、おとなしく待っているはずもない。クスクス笑いに混じる教師の陰口、優等生の誰かが『言いつけてやる』とクラスメイトを揶揄からかっている。そこに『キミたち、煩いよ』自分の声が聞こえた。

(あぁ、これは僕が学生だった頃だ――新学年のガイダンスの時だ)
もう一度見たい顔、見たい風景、それを足掛かりにしろと言ったビルセゼルト、このシミュレーションに関して言ったわけではない。だけど、ふと思いついて『見たいもの』と念じて部屋を満たしてみた。その結果がこれか……アランが苦笑する。もう二年も前に過ぎた記憶。僕は全く前に進めていないのか? しかも自分が景色の中にいる。自分すら景色に他ならないのか?

 ガラガラとドアが開く音がして誰かが部屋に入ってくる。アラン! と明るい声が響く。しまった! と思った時は遅かった。

 誰かが実際のアランの手に触れる。少しヒンヤリした細い指がアランの手に絡みつく。瞬間、アランの脳裏で何かが弾け、広がっていた教室の景色が光を放ち始める。

 級友たちの笑い声は消え、代わりに深い眼差しが微笑みを湛えてアランを見詰めている。学生たちのローブがいつの間にか魔導士のローブに変わっていた――グリンがいてデリスがいて、サウズやカトリス、カーラにエンディー、おしゃべりオウムのメンバーが揃っている。そして目の前に立っているのは艶やかな栗色の髪のシャーン、アランが知っているよりも大人びたシャーンの笑顔だ。

「アラン?」
シャーンの呼びかけに、フッと大きくアランが息を吐く。途端に脳裏の面影が全て消え去った。

「あぁ、シャーン……集中し過ぎてた。入ってきたのに気が付かなくて」
「大丈夫? アラン、あなた、今、瞳の色が琥珀こはく色だったわ。もう、いつも通りのグリーンに戻ったけど」

「琥珀色? 琥珀色に光った?」
「ううん、光ったって言うより、琥珀色になっていたの」

「そうか――うん、集中し過ぎていただけだよ、心配ない。移動の途中だろう?」
「あ、そうそう、久々にこの部屋でアランを見かけたから嬉しくなっちゃって。もう行くわ、またね、アラン」

 シャーンの気配が遠のくのを待って、近くの椅子にアランは崩れるように腰を降ろした。

(シャーンが僕に触れたときに見えた景色、あれはいったいなんだったんだろう?)
思い返せば記憶の中にはない景色だ。では、未来の? それとも現在いまの?

 アランの瞳が琥珀色に変わっていたとシャーンが言った。琥珀色の瞳と聞いて真っ先に思い浮かべるのは地上に降りた太陽ロハンデルトだ。

(僕が結ばされた神秘契約は地上に降りた太陽と地上の月に関係するのだろう)
漠然とアランが思う。

 契約の内容が判り、成就されればアランの瞳も光を取り戻すかもしれないと偉大な魔導士ビルセゼルトはアランの父親に言った。

(そしてその二人に関係するという事は、きたるべき災厄に関係するという事だ)

 その災厄にシャーンを巻き込みたくない、アランの心に強い思いが沸き起こる。でもシャーンはそんなことを望んでいない。思えばシャーンは小さな少女のころから、守られる存在ではなかった。

『アランの髪と同じ色のトカゲが死んでしまうのはイヤなの』

 その言葉に感じた喜びを失いたくなくて僕は迷走を繰り返している――アランは溜息を吐き立ち上がる。窓辺に進み、開け放つと深く外気を吸い込み、学内を見渡してみる。

 三限目が始まった校内は講義棟の各教室から教授たちの生き生きとした声が聞こえる。学ぶ意欲に燃える学生の眼差しと、時に逸れてしまう集中と、それを嗜める教授の魔法がそこかしこに漂っている。

『その目で、なにが見たい?』
ビルセゼルトの声を思い出す。

(僕が見たいもの――)
それは未来だ、と思っていた。大切な人々が幸せに穏やかに暮らせる未来、それを僕は見たかった。でも、きっとそれは本心じゃなかった。もちろんではある。

(僕がこの目で見たいものは……)
何度も繰り返し、記憶に頼っては大事な人の微笑みを思い浮かべた。忘れまいと、まだ見えるときに瞳に焼き付けようとした。もちろん忘れたくなんかない。だけどそれは――
(既に過ぎ、存在しないものだ)

 胸のに再び溜息を吐き、そして深く息を吸い込む。

(僕がこの目で、見たいもの……)
ゆっくりと息を吐き出しながらアランが学内に気を張り巡らせる。

(僕が見たいものは――)
喫茶室パロットでインコたちが一斉に羽ばたいた。口々に愛を囁いている。

(僕が見たいのはだ。今、こうして生きて輝く世界の全てだ)

 昨日でもない、明日でもない、今この瞬間、次々に過去となる時間の流れ、それに遅れることなく僕は見ていたい――

 急激に意識の広がりが拡大していくのを感じた。自分が検知したものたちが躍動するのを感じずにはいられない。やっと探していた答えを見つけたんだと実感する。

 微笑みを浮かべアランが窓を閉じた。閉じられる瞬間、一葉の紙片が部屋に滑り込むのを感じたが、わざわざ確認しなかった。きっとビルセゼルトの字で『エクセレント』と書かれている。

 数年後か、数十年後か、僕は必ず視力を取り戻す。その時、僕は誰一人見間違えることなく、みんなの笑顔を見分けられるだろう。たとえどんなに記憶の中と変わっていたとしても。

 投げ込まれた紙片を拾い、部屋を出るときアランはパチンと指を鳴らした。喫茶室パロットのインコたちが、今度は歌い始めたようだ。
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