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3章 画家は絵筆を貪りつくす
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そうだ、コイツは魔物だった……気持ちが沈み込んでいく。
「魔物に付き纏われるのはイヤ?」
下手をすれば聞き漏らしてしまいそうなほど、クルテの声はか細い。その弱々しさがピエッチェの心を騒がせる。
「おまえなら、たとえ魔物でも傍に居ていい」
そう答えてから自分で自分に問う。傍に居て〝いい〟なのか? むしろ、居て〝欲しい〟じゃないのか? そんな迷いを感じるピエッチェ、クルテは何も言わず心臓の音でも聞いているかのようにピエッチェの懐に納まっていた。
どれほどそうしていただろう? 考え込んでいたピエッチェが、思い切ってこう言った。
「明日、この街を出よう」
胸元で、クルテが首を傾げるのを感じる。
「決着をつけるまではこの宿に居続ける」
「あんなヤツは放っておけばいい。これ以上おまえに辛い思いをさせたくない」
「ヤツを放置しておく方が辛い」
「ヤツの妄想だけでこんなに怖がっているのに? ギュームの件はどうでもいい。判ったところで必ずフレヴァンスに繋がる保証はない」
クルテが身体を離してピエッチェの顔をしっかりと見る。
「ピエッチェは自分さえよければそれでいい? 違うよね?」
「それはそうだけど……でも、誰よりもおまえが――」
おまえが、なんだって言うんだ? 自分の言葉に戸惑い、クルテの顔をまじまじと見つめて答えを探る。
「俺は誰よりもおまえが大事だ」
クルテがピエッチェに微笑む。
「うん、わたしも……わたしもピエッチェが何よりも大事。だからヤツから情報を引き出したい」
だったら辛い思いをさせたくないって俺の気持ちが判るだろう? そう言おうとしてやめる。話しが堂々巡りになりそうだ。ここは論点を変えよう。
「なんでヤツを懲らしめることが俺のためになるんだ? そうは思えないぞ」
「どうして? 彼はギュームがどこに居るかを知っているのに?」
「へっ? だってギュームは殺されて墓の中のはずだろう?」
「そうそう、その話をしようと思ってたんだ……あの給仕係、ギュームの息子」
「なんだって? って、話があるって言ってたのはこれか?」
「そうだよ、うっかり忘れるところだった――ギュームはね、パイナップルが好きだったらしい。食べたことがないようなこと言ってたけど、子どもの頃は父さんと一緒によく食べたって、アイツ、思ってた」
「お茶のセッティングをしてる給仕係の心を読んだか」
ピエッチェが苦笑する。
「でもさ、何もわざわざあいつに食わせることはなかったんじゃないか?」
「あいつ、わたしにキスしようか迷ってた。それを塞ぐため」
「なんだって!?」
「されなかったし、これからもさせない。心が読めるんだから回避できる」
「そりゃそうかも知れないが」
面白くないピエッチェだ。
気にすることなくクルテは話を続けた。
「その思い出から、少なくともあの給仕係が子どものころ、ギュームは裕福だったと推定できる。十年前だ」
「ギュームは大きな屋敷に住む金持ち、道楽が過ぎて財産を失くしたんだろう?」
「それがそうではない……給仕係の母親、つまりギュームの妻は早くに亡くなっていて、後妻を迎えている。その女は魔法使いだった」
「うん、それで?」
「その魔法使いがギュームを騙して屋敷やら財産を奪った。同時にギュームがこの街に居られないようにした。給仕係はギュームとともにこの街を出ている」
「街に居られないって?」
「それがこの街の建物のカラフルさに繋がっているのは判ったんだけど、理由までは考えなかったから判らない」
「給仕係の思考が中断したってことだな」
「でも、その件でこの宿に恨みを持っているのは判った。魔法使いの口車に乗ってギュームを街から追い出した首謀者がこの宿の持ち主」
「ちょっと待て。街から追い出されたって、ギュームは殺されたんじゃないのか?」
「殺されたとか行き倒れになったとか、それらは後から流したデマ。わたしたちがギュームのことを訊いても。街の人々がはっきりしたことを言わなかったのは真実が判らなかったからだ。それと、それらの噂を信じられない、信じたくないと思う気持ちもあった。あと、後ろめたさを感じている者もいたな。それはきっと、この宿の持ち主と同じ穴の狢だ」
「ふむ……建物の色については?」
「ギュームを思い浮かべる人が多かった。つまりギュームに繋がっている。でも、どう繋がっているのかまでは誰も考えてくれなかった」
「ふむ……判ったことはこれですべてか?」
ピエッチェの問いにクルテが首を傾げる。
「給仕係の名はシャイン、でもこれは偽名。サロンの女の名はグレーテ。グレーテは両親にシャインとのことを話し済み。シャインは機転が利く働き者、両親もグレーテには甘く、シャインとの仲を許している」
「ん? それならシャインは何も騙して権利を奪うこともなく、宿を手に入れられるんじゃないのか?」
「目的は復讐だよ、ピエッチェ。自分が味わった不幸をグレーテやその両親にも味わわせたい」
「なるほど……」
チラリとピエッチェがクルテを見る。するとクルテがクスッと笑った。
「シャインがわたしに向ける思いもある意味復讐だ。金持ちが気に入らない。幸せそうな金持ちがね。だからわたしを騙し、少しくらい痛い思いをさせたっていいはずだ。そう考えたようだね」
さっきあれほど怖がったクルテだ。シャインがクルテをどう考えているのかを話題にすれば、また怯えさせるのではないかと気遣った。ピエッチェのそんな思いやりは無用だったか?
「交尾は終わっている。もう、わたしを妄想の材料にしていないから、思念が暴力的に入り込んでくるほどではなくなった。だから怖くない――それと、話の流れで判るだろうが、シャインは魔法使いをとことん憎んでいる」
「え、ぇあ、そうか……うん、だよな。そもそもその魔法使いがヤツの苦労の始まりだろうからな。その魔法使いはこの街に?」
どぎまぎしたのを繕うピエッチェ、新たな問いを投げかける。
「父親を騙した魔法使いもそうだが、魔法使い全般をって意味だ。で、問題の魔法使いはこの街にはいない……チラッとだが『あの魔法使いから父さんを取り返す』とシャインは考えていた。ギュームは捕らえられ、魔法使いに閉じ込められているのだろう」
「フレヴァンスを連れ去った魔法使いと同じ魔法使いか?」
「そこまでは判らない……ひょっとしたら、とは考えられる」
「うん――ここまで来たらギュームを助け出して、その魔法使いと対決したいところだな」
「シャインを懲らしめることがフレヴァンスに、そしてザジリレンへの近道だって判った?」
「あぁあぁ、おまえには敵わないよ。それで、話したいことはこれで終わりか? 訊きたいことがあるとも言っていたよな?」
やっぱりクルテが首を傾げた。そして少し顔を赤くして答えた。
「ピエッチェに言っておかなくちゃと思っていたことは全部言った、多分――それから訊きたいことはもういいや」
「もういいって、何を訊くつもりだったんだ? 気になるから話せ」
「マデルがくれたメモに判らないことがあったんだけど、マデルに訊いたらピエッチェに訊けって。でも、さっき判ったからもういい」
「さっき判った?」
「グレーテが……」
「グレーテが?」
クルテの顔がますます赤くなる。
「口の中でどんどん硬くなるって喜んでた――もう終わり、寝る!」
「へっ?」
怒ったようにベッドに向かうクルテ、訊くんじゃなかったと後悔するピエッチェ、が後の祭りだ。
なんだか気恥しい。すぐにはクルテの隣に潜り込んでいけず、クルテが寝付くのを待った。起こさないようにそっと隣に横になると、すぐにクルテが腕にしがみ付いてきた。
コイツ、寝たふりなのか? クルテはそのまま眠り続けている。まぁいいか、とピエッチェも目を閉じた。
翌朝――寝ていたのに起こされたマデルがイヤそうな顔で答えた。
「ソファーから扉まで金を飛ばす? できなかないけど、したくないねぇ」
「こっちには魔法使いもいるぞってヤツに気付かせておきたい。でも、ヤツを部屋に入れてクルテと話させるのは得策じゃない。それは判るだろう?」
ピエッチェの説明にマデルが難しい顔をする。
「実行までクルテに近付けないほうが罠に引っ掛かる確率が高くなるってのは打ち合わせたとおりだと思うけどさ。魔法使いなんだと気付かせる必要を感じない。むしろ知ってたら用心させると思うよ」
「罠に掛けたあとのことを考えているんだ。魔法使いがいたんじゃ逃げられない、そう思わせるためだ」
チッとマデルが舌打ちをする。
「やたらと魔法を使うのは気が進まないんだけどねぇ……クルテはどう思う?」
「僕には金を飛ばすなんてできない。それはピエッチェもカッチーも同じだよ。できるのはマデルだけ」
「あのさ、わたしが訊いたのはそこじゃないんだけど?」
マデルが苦笑する。
「だけど、ヤツに魔法使いがいるって示すのに大賛成だってことは判った。まぁ、いいか。それくらい引き受けようじゃないか」
給仕係は魔法使いを憎んでいる、だから煽るために、とは言えなかった。クルテは『自分に対して相手がどう思っているか』しか心を読めないと言ってしまった。今さら大抵のことなら判るとは言えないし、もちろん実は魔物だ、なんて言えるはずがない。
マデルが魔法使いだと知ればきっとシャインは余計にクルテをどうにかしようと考えるはずだ。彼は魔法使いを憎んでいる――そう言い出したのはクルテだった。それには魔法を使うところを見せるのがいい。
そこで朝食の代金を渡し忘れたと装って、対応に出たカッチーの手元に金を飛ばすことにした。クルテが自分にはできないと言ったのは嘘じゃない。マデルにやって貰うしかない。
とにかくマデルは承知してくれた。あとはカッチーだが、カッチーはきっと緊張して仕損じる。だからクルテが寝坊してまだ起きてない事にしようと、クルテだけ寝室に戻った。
クルテが寝室に戻ることで二つの効果を期待している。一つは自然な成り行きでカッチーに金を渡しそびれること、もう一つは給仕係にクルテへの執着をさらに強く感じさせること――
カッチーが起きてきてクルテがいないことを訝った。
「そのうち起きてくるわよ……それより、今日は面白い夢、見なかったの?」
とマデルが笑う。
「いやぁ、今日の夢は――」
カッチーが夢の話をしているうちに扉がノックされた。
「まずいですよ。代金、預かってないです」
「わたしがクルテを起こすから、あんたはさっさと扉を開けて」
マデルがサッと立ちあがる。
カッチーが扉を開け、
「ちょっと待ってください」
不安そうに部屋の中を見る。つられてシャインも中を覗く。
寝室のドアをノックするマデル、程なくドアは開き、胴から膝までをすっぽり覆っているものの、下着姿のクルテが姿を見せる。下着は女物、色は黒……マデルから借りたものだ。
マデルに何か言われたクルテが扉を見る。シャインと視線が重なるとカッと顔を赤くして中に引っ込んだ。そして今度は手だけを出してマデルに金を渡す。
「はい、朝食代。残りはチップだから」
マデルが扉の方を向き、カッチーに声を掛ける。そして掌を上に向けるとフワフワと金が宙を横切っていく。
「あっ、はい!」
驚いたものの、手元に飛んできた金をとると、
「釣りはチップに――ご苦労さまです」
と給仕係に渡す。給仕係は
「ありがとうございます」
素っ気なく言うと出て行った。
配膳しているうちにクルテが寝室から出てくる。もちろん着替え済みだ。今日は明るいレモンイエローの緩いシルエットのドレス、下着姿の時はバサバサだった髪も、昨日と同じように編んで、リボンもドレスと同色のに変えている。靴は黒で、黒髪と相俟ってドレスの色を映えさせ、濃緑のネックレスも似合っていた。
「あれは少しやり過ぎだぞ」
ピエッチェがイライラを隠さずに言う。いつものようにマデルがクスクス笑う。
「そうだね、色は白の方が良かったかもね」
「そこですか?」
カッチーが恥ずかしそうに、それでもつい笑った。
「しかし、一目見た時は、あんな格好で寝てるんだと思って驚きました」
「いつも部屋着のままだって知ってるだろう?」
ピエッチェがムッとした口調で言った。
「そうですけど、まさか作戦の一環でマデルさんに借りたなんて知らなかったから、ピエッチェさんと二人だとあんななんだなって」
「馬鹿言うな!」
真っ赤になって怒鳴るピエッチェにカッチーが縮こまる。
「カッチーに八つ当たりしない――クルテ、あんたもなんか言ってよ」
「それよりちゃんと女に見えた?」
「おやおや、あんたの心配はそっち? 大丈夫、ちゃんと見えてたよ」
マデルの言葉だけでは足りないのか、クルテがピエッチェを見上げる。
「ん、あ? どうせチラッとしか見えてない。大丈夫だろう」
「それならよかった」
カッチーが
「俺、魔法を見たの、初めてです。どうして先に言っといてくれなかったんですか? びっくりしちゃって危うく取り落とすところでした」
苦情を言えばマデルが笑って答えた。
「あんた、知ってたら緊張しちゃって、給仕係を騙せなかっただろう?」
マデルの答えに、カッチーが少しだけ口籠る。
「そうですよね……俺、役者にはなれそうもありません」
「あんた、役者になりたかったのかい? そりゃ、無理そうだ!」
マデルが声を立てて笑った。
「マデルさんは容赦ないなぁ……しかし、今日もご馳走ですね」
配膳を終えたカッチーが座り朝食が始まった。
クルテがテーブルを見て嬉しそうな顔をする。
「桃があるね」
チラッとクルテを見たピエッチェが
「俺の分も食っていいぞ」
と言えばカッチーが
「ピエッチェさん、優しいなぁ」
余計なことを言った。
「物欲しそうな顔で見られたら、食っても美味かないからな」
「カッチーには僕のプディングをあげるよ」
言い訳するピエッチェの隣で、クルテがカッチーに微笑む。
「クルテはカッチーには優しいね」
「マデルにも優しいはず」
「ピエッチェは除外?」
「ピエッチェのことは誰よりも優しくしてる。マデルとカッチーは同じくらい」
「なるほどね」
クスクス笑うマデル、ピエッチェは関心のないふりをしていた――
午前中は屋上でピエッチェとカッチーが素振りをするのをクルテとマデルがベンチに座って眺めた。
「今日は三十回」
例によってクルテが勝手に回数を決める。
マデルは
「たった三十回?」
と驚いたが、ピエッチェは
「三十回なら少しは手ごたえがあるんじゃないか?」
苦笑した。十回よりは幾分マシだ。
そのあとはお茶が来るまでピエッチェとマデルによる書き方教室、もちろん生徒はカッチー一人だ。クルテはソファーでまったり過ごした。
お茶が運ばれ、カッチーが対応に出る。ソファーでは、ピエッチェがクルテの肩に腕を回し抱き寄せて、マデルと談笑している。クルテはそんなピエッチェを見詰めて微笑んでいる。給仕係が去るとすぐさまピエッチェはクルテの肩に回した手を外しているが、それを給仕係が知るはずもない。
夕飯が運ばれた時も対応はカッチーだ。給仕係が何か言いたげに部屋を覗き込もうとするのをカッチーが、
「なにか?」
見咎めるように尋ねている。
「いいえ……失礼いたしました」
代金とチップを受け取ると、給仕係はすごすごと退出した。
夕食を取りながらマデルが言った。
「明日もこんな感じ? ちょっと退屈かも」
「明日だけの辛抱だぞ、わがまま言うな。決行は明後日だ」
厚切り牛肉のソテーを切り分けながらピエッチェが苦笑する。
「なんだったらどこか出かけたっていいぞ」
「そう言えばカッチー、お芝居見に行きたいんだったっけ?」
「それ、明後日ですから」
ブドウを見ていたクルテが不意に顔を上げ
「そっか、それ使えるね」
と言った。
「明後日、三人でお芝居見物に行けばいい」
「はぁ? おまえを一人に出来るもんか」
慌てるピエッチェに、クスリとクルテが笑う。
「話をよく聞いてよ……それより、ブドウ、貰ってもいい?」
「うん? おまえ、果物好きだよなぁ、食いたきゃ食え――で、良く聞けって?」
クルテがニッコリ笑って
「つまりね――」
と説明した。
夜、寝室に入ってピエッチェと二人きりになるとクルテが言った。
「下着姿を見られるのはそんなに嫌だった? マデルの考え通り、効果は絶大だったよ」
少し考えてからピエッチェが答えた。
「おまえはイヤじゃなかったのか?」
クルテが小首を傾げてピエッチェを見る。
「もう、二度と誰にも見せない――ピエッチェ以外には。もちろん裸も」
ピエッチェは……何も答えられなかった。
「魔物に付き纏われるのはイヤ?」
下手をすれば聞き漏らしてしまいそうなほど、クルテの声はか細い。その弱々しさがピエッチェの心を騒がせる。
「おまえなら、たとえ魔物でも傍に居ていい」
そう答えてから自分で自分に問う。傍に居て〝いい〟なのか? むしろ、居て〝欲しい〟じゃないのか? そんな迷いを感じるピエッチェ、クルテは何も言わず心臓の音でも聞いているかのようにピエッチェの懐に納まっていた。
どれほどそうしていただろう? 考え込んでいたピエッチェが、思い切ってこう言った。
「明日、この街を出よう」
胸元で、クルテが首を傾げるのを感じる。
「決着をつけるまではこの宿に居続ける」
「あんなヤツは放っておけばいい。これ以上おまえに辛い思いをさせたくない」
「ヤツを放置しておく方が辛い」
「ヤツの妄想だけでこんなに怖がっているのに? ギュームの件はどうでもいい。判ったところで必ずフレヴァンスに繋がる保証はない」
クルテが身体を離してピエッチェの顔をしっかりと見る。
「ピエッチェは自分さえよければそれでいい? 違うよね?」
「それはそうだけど……でも、誰よりもおまえが――」
おまえが、なんだって言うんだ? 自分の言葉に戸惑い、クルテの顔をまじまじと見つめて答えを探る。
「俺は誰よりもおまえが大事だ」
クルテがピエッチェに微笑む。
「うん、わたしも……わたしもピエッチェが何よりも大事。だからヤツから情報を引き出したい」
だったら辛い思いをさせたくないって俺の気持ちが判るだろう? そう言おうとしてやめる。話しが堂々巡りになりそうだ。ここは論点を変えよう。
「なんでヤツを懲らしめることが俺のためになるんだ? そうは思えないぞ」
「どうして? 彼はギュームがどこに居るかを知っているのに?」
「へっ? だってギュームは殺されて墓の中のはずだろう?」
「そうそう、その話をしようと思ってたんだ……あの給仕係、ギュームの息子」
「なんだって? って、話があるって言ってたのはこれか?」
「そうだよ、うっかり忘れるところだった――ギュームはね、パイナップルが好きだったらしい。食べたことがないようなこと言ってたけど、子どもの頃は父さんと一緒によく食べたって、アイツ、思ってた」
「お茶のセッティングをしてる給仕係の心を読んだか」
ピエッチェが苦笑する。
「でもさ、何もわざわざあいつに食わせることはなかったんじゃないか?」
「あいつ、わたしにキスしようか迷ってた。それを塞ぐため」
「なんだって!?」
「されなかったし、これからもさせない。心が読めるんだから回避できる」
「そりゃそうかも知れないが」
面白くないピエッチェだ。
気にすることなくクルテは話を続けた。
「その思い出から、少なくともあの給仕係が子どものころ、ギュームは裕福だったと推定できる。十年前だ」
「ギュームは大きな屋敷に住む金持ち、道楽が過ぎて財産を失くしたんだろう?」
「それがそうではない……給仕係の母親、つまりギュームの妻は早くに亡くなっていて、後妻を迎えている。その女は魔法使いだった」
「うん、それで?」
「その魔法使いがギュームを騙して屋敷やら財産を奪った。同時にギュームがこの街に居られないようにした。給仕係はギュームとともにこの街を出ている」
「街に居られないって?」
「それがこの街の建物のカラフルさに繋がっているのは判ったんだけど、理由までは考えなかったから判らない」
「給仕係の思考が中断したってことだな」
「でも、その件でこの宿に恨みを持っているのは判った。魔法使いの口車に乗ってギュームを街から追い出した首謀者がこの宿の持ち主」
「ちょっと待て。街から追い出されたって、ギュームは殺されたんじゃないのか?」
「殺されたとか行き倒れになったとか、それらは後から流したデマ。わたしたちがギュームのことを訊いても。街の人々がはっきりしたことを言わなかったのは真実が判らなかったからだ。それと、それらの噂を信じられない、信じたくないと思う気持ちもあった。あと、後ろめたさを感じている者もいたな。それはきっと、この宿の持ち主と同じ穴の狢だ」
「ふむ……建物の色については?」
「ギュームを思い浮かべる人が多かった。つまりギュームに繋がっている。でも、どう繋がっているのかまでは誰も考えてくれなかった」
「ふむ……判ったことはこれですべてか?」
ピエッチェの問いにクルテが首を傾げる。
「給仕係の名はシャイン、でもこれは偽名。サロンの女の名はグレーテ。グレーテは両親にシャインとのことを話し済み。シャインは機転が利く働き者、両親もグレーテには甘く、シャインとの仲を許している」
「ん? それならシャインは何も騙して権利を奪うこともなく、宿を手に入れられるんじゃないのか?」
「目的は復讐だよ、ピエッチェ。自分が味わった不幸をグレーテやその両親にも味わわせたい」
「なるほど……」
チラリとピエッチェがクルテを見る。するとクルテがクスッと笑った。
「シャインがわたしに向ける思いもある意味復讐だ。金持ちが気に入らない。幸せそうな金持ちがね。だからわたしを騙し、少しくらい痛い思いをさせたっていいはずだ。そう考えたようだね」
さっきあれほど怖がったクルテだ。シャインがクルテをどう考えているのかを話題にすれば、また怯えさせるのではないかと気遣った。ピエッチェのそんな思いやりは無用だったか?
「交尾は終わっている。もう、わたしを妄想の材料にしていないから、思念が暴力的に入り込んでくるほどではなくなった。だから怖くない――それと、話の流れで判るだろうが、シャインは魔法使いをとことん憎んでいる」
「え、ぇあ、そうか……うん、だよな。そもそもその魔法使いがヤツの苦労の始まりだろうからな。その魔法使いはこの街に?」
どぎまぎしたのを繕うピエッチェ、新たな問いを投げかける。
「父親を騙した魔法使いもそうだが、魔法使い全般をって意味だ。で、問題の魔法使いはこの街にはいない……チラッとだが『あの魔法使いから父さんを取り返す』とシャインは考えていた。ギュームは捕らえられ、魔法使いに閉じ込められているのだろう」
「フレヴァンスを連れ去った魔法使いと同じ魔法使いか?」
「そこまでは判らない……ひょっとしたら、とは考えられる」
「うん――ここまで来たらギュームを助け出して、その魔法使いと対決したいところだな」
「シャインを懲らしめることがフレヴァンスに、そしてザジリレンへの近道だって判った?」
「あぁあぁ、おまえには敵わないよ。それで、話したいことはこれで終わりか? 訊きたいことがあるとも言っていたよな?」
やっぱりクルテが首を傾げた。そして少し顔を赤くして答えた。
「ピエッチェに言っておかなくちゃと思っていたことは全部言った、多分――それから訊きたいことはもういいや」
「もういいって、何を訊くつもりだったんだ? 気になるから話せ」
「マデルがくれたメモに判らないことがあったんだけど、マデルに訊いたらピエッチェに訊けって。でも、さっき判ったからもういい」
「さっき判った?」
「グレーテが……」
「グレーテが?」
クルテの顔がますます赤くなる。
「口の中でどんどん硬くなるって喜んでた――もう終わり、寝る!」
「へっ?」
怒ったようにベッドに向かうクルテ、訊くんじゃなかったと後悔するピエッチェ、が後の祭りだ。
なんだか気恥しい。すぐにはクルテの隣に潜り込んでいけず、クルテが寝付くのを待った。起こさないようにそっと隣に横になると、すぐにクルテが腕にしがみ付いてきた。
コイツ、寝たふりなのか? クルテはそのまま眠り続けている。まぁいいか、とピエッチェも目を閉じた。
翌朝――寝ていたのに起こされたマデルがイヤそうな顔で答えた。
「ソファーから扉まで金を飛ばす? できなかないけど、したくないねぇ」
「こっちには魔法使いもいるぞってヤツに気付かせておきたい。でも、ヤツを部屋に入れてクルテと話させるのは得策じゃない。それは判るだろう?」
ピエッチェの説明にマデルが難しい顔をする。
「実行までクルテに近付けないほうが罠に引っ掛かる確率が高くなるってのは打ち合わせたとおりだと思うけどさ。魔法使いなんだと気付かせる必要を感じない。むしろ知ってたら用心させると思うよ」
「罠に掛けたあとのことを考えているんだ。魔法使いがいたんじゃ逃げられない、そう思わせるためだ」
チッとマデルが舌打ちをする。
「やたらと魔法を使うのは気が進まないんだけどねぇ……クルテはどう思う?」
「僕には金を飛ばすなんてできない。それはピエッチェもカッチーも同じだよ。できるのはマデルだけ」
「あのさ、わたしが訊いたのはそこじゃないんだけど?」
マデルが苦笑する。
「だけど、ヤツに魔法使いがいるって示すのに大賛成だってことは判った。まぁ、いいか。それくらい引き受けようじゃないか」
給仕係は魔法使いを憎んでいる、だから煽るために、とは言えなかった。クルテは『自分に対して相手がどう思っているか』しか心を読めないと言ってしまった。今さら大抵のことなら判るとは言えないし、もちろん実は魔物だ、なんて言えるはずがない。
マデルが魔法使いだと知ればきっとシャインは余計にクルテをどうにかしようと考えるはずだ。彼は魔法使いを憎んでいる――そう言い出したのはクルテだった。それには魔法を使うところを見せるのがいい。
そこで朝食の代金を渡し忘れたと装って、対応に出たカッチーの手元に金を飛ばすことにした。クルテが自分にはできないと言ったのは嘘じゃない。マデルにやって貰うしかない。
とにかくマデルは承知してくれた。あとはカッチーだが、カッチーはきっと緊張して仕損じる。だからクルテが寝坊してまだ起きてない事にしようと、クルテだけ寝室に戻った。
クルテが寝室に戻ることで二つの効果を期待している。一つは自然な成り行きでカッチーに金を渡しそびれること、もう一つは給仕係にクルテへの執着をさらに強く感じさせること――
カッチーが起きてきてクルテがいないことを訝った。
「そのうち起きてくるわよ……それより、今日は面白い夢、見なかったの?」
とマデルが笑う。
「いやぁ、今日の夢は――」
カッチーが夢の話をしているうちに扉がノックされた。
「まずいですよ。代金、預かってないです」
「わたしがクルテを起こすから、あんたはさっさと扉を開けて」
マデルがサッと立ちあがる。
カッチーが扉を開け、
「ちょっと待ってください」
不安そうに部屋の中を見る。つられてシャインも中を覗く。
寝室のドアをノックするマデル、程なくドアは開き、胴から膝までをすっぽり覆っているものの、下着姿のクルテが姿を見せる。下着は女物、色は黒……マデルから借りたものだ。
マデルに何か言われたクルテが扉を見る。シャインと視線が重なるとカッと顔を赤くして中に引っ込んだ。そして今度は手だけを出してマデルに金を渡す。
「はい、朝食代。残りはチップだから」
マデルが扉の方を向き、カッチーに声を掛ける。そして掌を上に向けるとフワフワと金が宙を横切っていく。
「あっ、はい!」
驚いたものの、手元に飛んできた金をとると、
「釣りはチップに――ご苦労さまです」
と給仕係に渡す。給仕係は
「ありがとうございます」
素っ気なく言うと出て行った。
配膳しているうちにクルテが寝室から出てくる。もちろん着替え済みだ。今日は明るいレモンイエローの緩いシルエットのドレス、下着姿の時はバサバサだった髪も、昨日と同じように編んで、リボンもドレスと同色のに変えている。靴は黒で、黒髪と相俟ってドレスの色を映えさせ、濃緑のネックレスも似合っていた。
「あれは少しやり過ぎだぞ」
ピエッチェがイライラを隠さずに言う。いつものようにマデルがクスクス笑う。
「そうだね、色は白の方が良かったかもね」
「そこですか?」
カッチーが恥ずかしそうに、それでもつい笑った。
「しかし、一目見た時は、あんな格好で寝てるんだと思って驚きました」
「いつも部屋着のままだって知ってるだろう?」
ピエッチェがムッとした口調で言った。
「そうですけど、まさか作戦の一環でマデルさんに借りたなんて知らなかったから、ピエッチェさんと二人だとあんななんだなって」
「馬鹿言うな!」
真っ赤になって怒鳴るピエッチェにカッチーが縮こまる。
「カッチーに八つ当たりしない――クルテ、あんたもなんか言ってよ」
「それよりちゃんと女に見えた?」
「おやおや、あんたの心配はそっち? 大丈夫、ちゃんと見えてたよ」
マデルの言葉だけでは足りないのか、クルテがピエッチェを見上げる。
「ん、あ? どうせチラッとしか見えてない。大丈夫だろう」
「それならよかった」
カッチーが
「俺、魔法を見たの、初めてです。どうして先に言っといてくれなかったんですか? びっくりしちゃって危うく取り落とすところでした」
苦情を言えばマデルが笑って答えた。
「あんた、知ってたら緊張しちゃって、給仕係を騙せなかっただろう?」
マデルの答えに、カッチーが少しだけ口籠る。
「そうですよね……俺、役者にはなれそうもありません」
「あんた、役者になりたかったのかい? そりゃ、無理そうだ!」
マデルが声を立てて笑った。
「マデルさんは容赦ないなぁ……しかし、今日もご馳走ですね」
配膳を終えたカッチーが座り朝食が始まった。
クルテがテーブルを見て嬉しそうな顔をする。
「桃があるね」
チラッとクルテを見たピエッチェが
「俺の分も食っていいぞ」
と言えばカッチーが
「ピエッチェさん、優しいなぁ」
余計なことを言った。
「物欲しそうな顔で見られたら、食っても美味かないからな」
「カッチーには僕のプディングをあげるよ」
言い訳するピエッチェの隣で、クルテがカッチーに微笑む。
「クルテはカッチーには優しいね」
「マデルにも優しいはず」
「ピエッチェは除外?」
「ピエッチェのことは誰よりも優しくしてる。マデルとカッチーは同じくらい」
「なるほどね」
クスクス笑うマデル、ピエッチェは関心のないふりをしていた――
午前中は屋上でピエッチェとカッチーが素振りをするのをクルテとマデルがベンチに座って眺めた。
「今日は三十回」
例によってクルテが勝手に回数を決める。
マデルは
「たった三十回?」
と驚いたが、ピエッチェは
「三十回なら少しは手ごたえがあるんじゃないか?」
苦笑した。十回よりは幾分マシだ。
そのあとはお茶が来るまでピエッチェとマデルによる書き方教室、もちろん生徒はカッチー一人だ。クルテはソファーでまったり過ごした。
お茶が運ばれ、カッチーが対応に出る。ソファーでは、ピエッチェがクルテの肩に腕を回し抱き寄せて、マデルと談笑している。クルテはそんなピエッチェを見詰めて微笑んでいる。給仕係が去るとすぐさまピエッチェはクルテの肩に回した手を外しているが、それを給仕係が知るはずもない。
夕飯が運ばれた時も対応はカッチーだ。給仕係が何か言いたげに部屋を覗き込もうとするのをカッチーが、
「なにか?」
見咎めるように尋ねている。
「いいえ……失礼いたしました」
代金とチップを受け取ると、給仕係はすごすごと退出した。
夕食を取りながらマデルが言った。
「明日もこんな感じ? ちょっと退屈かも」
「明日だけの辛抱だぞ、わがまま言うな。決行は明後日だ」
厚切り牛肉のソテーを切り分けながらピエッチェが苦笑する。
「なんだったらどこか出かけたっていいぞ」
「そう言えばカッチー、お芝居見に行きたいんだったっけ?」
「それ、明後日ですから」
ブドウを見ていたクルテが不意に顔を上げ
「そっか、それ使えるね」
と言った。
「明後日、三人でお芝居見物に行けばいい」
「はぁ? おまえを一人に出来るもんか」
慌てるピエッチェに、クスリとクルテが笑う。
「話をよく聞いてよ……それより、ブドウ、貰ってもいい?」
「うん? おまえ、果物好きだよなぁ、食いたきゃ食え――で、良く聞けって?」
クルテがニッコリ笑って
「つまりね――」
と説明した。
夜、寝室に入ってピエッチェと二人きりになるとクルテが言った。
「下着姿を見られるのはそんなに嫌だった? マデルの考え通り、効果は絶大だったよ」
少し考えてからピエッチェが答えた。
「おまえはイヤじゃなかったのか?」
クルテが小首を傾げてピエッチェを見る。
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ピエッチェは……何も答えられなかった。
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