秘魔 =追放されし王は 荒天に煌めく星を目指す= 

寄賀あける

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8章  窪みは常に動く

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 雨が止んだのは明け方近く、一気に晴れ渡った空は澄み切って美しい。豪雨が大気中のちりを洗い流したのか風は清々すがすがしく、時おり吹いては木々の枝を揺らした。揺らされた枝は葉に残った水滴を振り払う。振り払われた水滴はキラキラと、あちらこちらで光を放った――

「枝を貰ったのはここ」
柵から手を伸ばしてクルテが言った。
「こんなふうに手を伸ばして枝を折った」
コテージの敷地を囲む柵、湖に向かう道に出られる木戸からグッと右に回り込んだ建物の裏手だ。

 ピエッチェが後ろを向いて
「キッチンがあるあたりだな」
と外壁を見て言った。
「おまえ、匂いだけでここに?」

「窓から見た時はリュネの後ろのほう、柵の向こうをゆっくり木戸に向かって移動してた。だから窓から追いかけたんだよ――建物の側面と、裏側はダイニングのあたりまで窓が無くて、暗くて足下も悪いから追いつくのに手間取ったけど」
「その移動って結構早いんだ?」
「ピエッチェが一緒の人を気にしないで歩いてる時と同じくらいの速さかな? わたしが近づいたらわたしよりゆっくりになった。だけど、枝を無心したら折り取るまでは止まってくれた。それで、折ってからお礼を言ったら見つけた時よりも早く動いて向こうに行っちゃった」

「向こう?」
「柵沿いに行くのをやめて灌木の茂みに割り込んだんだ。で、湖に向かって斜面を真直ぐ降りて行った」
「コテージに背を向けてってことか?」
「夜香花のどこが背中か判らないけど、そんな感じ」
ムッとして『この場合の背中は進行方向と反対って意味だ』と言おうかと思ったが、いたって真面目な顔のクルテを見てやめた。げ足を取ったのではなく、真面目に考えているからこそ出た言葉なんだろう。

 クルテが柵に沿ってゆっくりと歩く。目は敷地の外の地面を注視している。クルテの説明からすると夜香花の移動を逆行、つまりリュネがいる方へと戻る形だ。
「地面はどうなってるんだろうって、昨夜も見たけど良く見えなかった。満月なんだからそこそこ明るいはずだけど、曇っていたからね。だけど、こうして陽光のもとで見ても、なんの異常も見られない」

 柵のすぐ外は低い雑草、それがすぐに背丈を増して五歩も行けば灌木の茂みになっている。
「夜香花が歩いてたのは灌木のきわって感じなんだけど……何しろ暗かったからよく判らない」
クルテの言うとおり、何かがそこを通過したとは思えない。掘り返された形跡はもちろんないし、踏まれたようにも見えない。

「俺より少し高い木なら、けっこう枝を張ってるんだろうな」
ピエッチェも柵の外、雑草の生えているあたりだけではなく灌木の茂みまでくまなく見る。幹は灌木の手前にあったとクルテは言うが見間違えの可能性も否定できない。何しろ暗がりでのことだ。灌木の中、あるいは向こうかも知れない。

 夜香花の小枝や葉っぱが落ちていないか? 灌木に枝折れはないか?……だが、見つけられない。クルテとは反対方向、木戸のほうまで行ってみたが、やはりない。

「お客さん? いまから湖にでも?」
声を掛けてきたのは宿の主人デッセムだ。朝食を運んで来たらしい。大きな木箱を台車に乗せてコテージの玄関前の階段下でこちらを見ている。夜香花のことを言うかどうか迷ってやめた。夢でも見たのかと言われるのがオチだ。

「クルテ! 飯だ、中に入るぞ」
ピエッチェが、建物の向こうまで行っていたクルテを呼び寄せた。

 玄関ので受け渡すと思っていたのに、
「いいよ、俺が持ってく」
クルテが寝室に代金を取りに行くのを見て、待ってるだけなのもなんだからと言う事らしい。いつもサックを持っているはずなのにヘンだと思うピエッチェ、寝室に置いてきたと言われれば否定もできない。

 ダイニングにはカッチーが居て、デッセムを見ると
「待ってました! 俺、もう腹ぺこ」
と嬉しそうに言った。が、ダイニングのテーブルに箱を置いたデッセムの様子が奇怪おかしい。いつもにこやかなのに怖い顔だ。

「……居間のキャビネットに置いてある花、あれ、どこから持ってきた?」
居間のキャビネットの花とは、夜香花の枝を言っている。険しい声だ。

 なぜデッセムは夜香花のことを訊いてきた? 何かを知っているのは確実だ。でも、下手なことは言えない。

 ピエッチェが答えを迷っている横で、カッチーが
「あれ? デッセムさん、怒ってません? あの花、採っちゃダメでしたか?」
とケロッと聞いた。

「採った? って、どこで?」
デッセムの声が怒りから恐怖に変わったのを感じる。

「どこって……あ、クルテさん、あの花、どこで採ったんでしたっけ?」
赤い革袋を持って、クルテがダイニングに入ってきた。クルテは少し首をかしげてから、
「コテージの裏側。昨夜は柵の向こうに咲いてた」
クスッと笑って言った。

「それがさ、デッセムが来た時、もっと欲しいなって行ってみたんだけど、見つけられなくって」
「そ……」
デッセムが絶句する。顔が真っ青だ。

「あの花、何かあるのか?」
穏やかな声で問うピエッチェをデッセムが真っ直ぐに見る。

「あの花は森の中を彷徨さまよってる。でも滅多なことじゃ人の前に出てこない。出てきたときは村に死人が出るんだ」
強張こわばった顔でデッセムが言った。
「前に出た時はギャンのカミさんが見た。で、その三日後、ギャンが死んだ。その前はワイルで、やっぱり三日後にワイルの女房が死んだ――あの花は死人が出ることを伝えに来る。この村の古くからの言い伝えだ。俺は絵でしか見たことがないが、あの花に間違いない。ガキの頃から気を付けろって、木が動くのを感じたら、見ないで逃げろって言われ続けてきた」

「ふぅん……見た者の連れ合いが死ぬってことか?」
「そうとは限らない。家族の誰かって事らしい」

「わたし、家族なんて居ないよ?」
面白そうに言うクルテ、
「笑い事じゃないんだってば!」
デッセムが悲鳴を上げる。

「あんたたち、森を探索するって言ってたけど、やめた方がいい。警告に違いない。村の伝説に詳しいを連れてくるから、話をよく聞いてくれ」
ダイニングテーブルに箱を置いたまま、デッセムは行ってしまった。
「代金、持ってくの忘れてますね」
カッチーがポツリと言った――

 スープをスプーンでかき混ぜながらピエッチェがチラリとクルテを見る。今朝の献立はスクランブルエッグと花芽の塩ゆで、小さなトマトが添えられた皿とグリンピースのポタージュ、バタートースト、ハチミツ入りのヨーグルト、皮ごと切ってあるオレンジとブドウ、クルテは
「なんのポタージュ?」
と訊いただけだ。グチャグチャだの、切ってあるなどと言い出さない。ただ、
「グリンピースは残してもいい?」
泣きそうな顔でピエッチェを見た。

「なんだ、苦手なのか?」
「うん、どうしても食べられない」
黙ってピエッチェがスープ皿を引き受ける。マデルとカッチーがニヤリとしたのは見ないふりをした。どうせ、叱られてクルテも反省したんだとでも思ったんだろう。

「おまえ、食えないものって他にもあるのか?」
たね、だからグリンピースもダメ」
「麦は食えるよな?」
「麦そのものじゃなくって粉にしてあるのがほとんど」
「ふむ……米は食ったことがあるのか?」
「米ってどんなの?」
「今度どこかで見かけたら教えるよ」
と言ってから、ピエッチェが気付く。

「それでイチゴのツブツブがどうのって?」
「あぁ、あれもたねだった。でも大丈夫。基本的に果物もたねは食べないよね?」
「まぁ、そう言われればそうだな」

たねは粉にしたり、じっくり過熱しないと消化しにくいしね」
黙って居るのも苦痛になったのだろう、マデルが口を挟む。
「ほかにも苦手な食べ物があるのかしら?」

「蛇とネズミは食べない。あとリスも」
「へっ?」
「クルテ! 悪い冗談はよせ。食事中だぞ」
笑いながらたしなめるピエッチェ、ここは冗談と言って誤魔化すしかない。

 頭の中で
(たまにだけど森の動物……キツネとかが食べろって持ってきてくれてたよ?)
クルテの声が聞こえ、
(マデルにキツネが、なんて言えないだろうが)
と答えると、
(それもそうだね)
ちょっと不満そうな返事があった。

「冗談って難しいね」
ブドウを口に入れながらピエッチェを見て、微笑んだクルテだ。

 食事が終わると暖炉のある居間で過ごした。昨夜、クルテが見た場所に夜香花はなかった。そしてそのあたりを移動した痕跡も見つけられなかった。枝や葉も落ちていなかったし、雑草に踏まれた跡も抜けた跡もなければ、灌木も無傷だった。

宿の主人デッセムの話が気になるね」
マデルが溜息をつく。
「言い伝えってのは馬鹿にできないよ。根拠は判らなくても、現象は判ってるってことだもの」

「例えば、木がなんらかの病気を運んでいるとかか? でもそれだと、真っ先に目撃者がやられるな」
「そうね、本人が無事で家族がって事なら病気は除外した方がいいかも」

「死因を聞いてない」
と言ったのはクルテだ。
「どんな状況で三日後に死んだのか、それを聞いてからじゃないと判らない。家族がみんな高熱を出して、他は回復したけど一人だけ助からなかったのなら病気説が有力になるね」
「なるほど……」
ピエッチェとマデルが同時に頷く。

「もしそうなら、今夜までには発熱しそうですね」
カッチーが苦笑する。
「三日後って言うけど、見たのは昨日なんだから今日を含めてあと二日。そろそろ不調のきざしがあってもよさそうです」

「すでに体調が悪いってことは?」
ピエッチェが三人を見渡す。
「居ないようだな……デッセムが詳しく知っている人物を連れてきてくれる。それを待ってからまた考えよう」

 クルテはピエッチェに寄り掛かってウトウトし、カッチーは本を読んでいた。マデルにいたってはギュリューで材料と道具を買い込んだと言って刺繍を始めていた。知人の誕生日にプレゼントするのだそうだ。その知人はきっとラクティメシッスだ。そう思いながらピエッチェもカッチーもマデルに問うことはなかった。

 デッセムが老婦人を伴ってコテージに来たのは、
「久々に刺繍なんかすると肩がるね」
とマデルが嘆き、ピエッチェが
としなんじゃないのか?」
と真面目に言って、マデルの怒りを買った時だ。ノッカーに救われたピエッチェ、カッチーよりも先に立って玄関に向かった。

「あら……刺繍をしてらしたのね?」
挨拶より先に老婦人が言った。
「やっぱり貴族さまの奥さまは刺繍もお上手ですこと」
マデルが片付けていたの刺繍を覗き込む。

祖母ばあちゃん、その人は奥さんじゃなくってお姉さんだよ」
慌ててピエッチェとクルテの顔色を窺うデッセム、
「そうなのかい? どうりて、こっちの旦那さんにはちょっと老けた奥さんだと思ったよ」
と老婦人、笑いを噛み殺すカッチー、マデルは明白あからさまに嫌な顔をしたが老婦人は気付きもせずにコロコロと笑った。
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